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14話 ツクモ・ヤオヨロズ③

 無償の愛が存在しないことを、わたしは知っていた。愛情の裏には無意識に打算があり、都合があり、意図があった。

 わたしは他者の打算をうまく操作することに、生まれつき長けていた。他者を操作すればするほど、わたしが欲しいと思っていた物は遠ざかっていくような気がした。

 欲しいものがなくなったとき、わたしは本当は何も欲しくないんじゃない。森羅万象、八百万、何もかもが欲しいんだ。ということに気がついた。

 全てを手に入れるなんてことは、人の身ではできない。だからこそ……




「わたし、神様になりたいんですよ。」

 店長は臆面もなく言った。その瞳には、年相応のきらめきがあった。

「神様になる方法を見つけたんです。まりこさん、あとはあなたが、うんと言えばそれで解決なんですよ」

 店長は中空からパッと、カミを一枚取り出した。

 古そうなカミの1番上には、『契約書』と書かれている。

「あなたの過去と未来と血縁と、わたしが神になるまでの間貸して欲しいんです。わたしは卑賤の生まれで、神とは縁がない。むしろ逃げられてしまう。だからわたしがあなたになれば、御神体にも辿り着ける。それにあなたはあなたの家族に会えるんですよ。」

 私は空になったカップに視線を落とすしかなかった。自分の心を、目の前の相手に悟らせたくはなかった。

「大丈夫です。御神体を手に入れたら、きちんとあなたをお返ししますし、わたしが借りている間に何に宿りたいかは、まりこさんが決めて良いんですよ。」

 そう言って、店長は契約書を私の前に差し出した。

 黒い万年筆が添えてある。

「ここの枠にサインをして、ハンコを押すだけですから。あ、ハンコを持ってきてもらうのを忘れましたね。なら、拇印でも構いませんよ。」

 私が契約書を読んでいる間にも、時計の針は嫌な音を立てながら回転している。

「ひとついいかな」

 私は、万年筆を手の甲で払って座り直した。

「どうぞ。」

「私には、どうしても欲しいものがあるんだよね」

「なんですか? 何でも言ってください。」

「私が欲しいのは、この店自体。中古品ショップツクモが欲しい」

「なんですって?」

「すべてが終わった暁には、私にこの店の全てを頂戴。それならここにサインでもハンコでも、契約でもしてあげるよ」

 そう言って、私は鞄からマトリョーシカを出した。

 手が震えていたからか、机にそれを置くと、からりと中のものが音を立てた。

「そのマトリョーシカも売り物ですか? 大した力は感じませんが……」

 彼女は冷めた目でそれを見た。

「わたしが神様になってしまえば、この店もあなたもいらなくなります。良いでしょう。あげますよ、こんな店。」

 私は、契約書と万年筆を彼女の方に差し出した。

「そっちからサインしてよ。店は私のになるってちゃんと書いておいてよね」

 彼女は、ちゃんと契約書を書き換えてからサインとハンコをして、私に戻した。

「サインをする前に、お茶をもう一杯淹れてもらえる?」

「わかりました。」

 ちりん。と鈴が鳴り、お茶が運ばれてくる。

 金木犀の香りを口に含み、私は契約書にもう一度目を通した。息を細く吐き出して、私は決心した。

 黒い万年筆で契約書にサインをして、鞄から朱肉を取り出した。

「一つ言い忘れていました。まりこさん。」

 店長も、新しいお茶を淹れたようだった。

「この契約書にサインした時点で、あなたはわたしのものです。この空間。この契約書。儀式はすでに執り行われていたのです。」

 私は、自分の体の操作が彼女に移りつつあるのを感じた。

「あとはハンコを押せば、儀式は完了。そういうワケだ」

「はい。これから、末永くお願いしますね。」

 店長は勝ち誇ったように背もたれに寄りかかり、私がハンコを押すのを待っている。

「強いモノが、弱いモノに強制する権利を確立する儀式か……儀式って、もっと魔術的というか、呪術的に行われるものだと思ってたよ」

「それはファンタジーの中や、古いやり方の場合だけですよ。」

 私はマトリョーシカに手をかけ、深呼吸をした。

「今から『中身』を出すよ」

 マトリョーシカを開くと、中から香木のような香りが漂ってきた。そう、神社で嗅いだあの香り。

「まさか、その『中身』は……」

「君が探しても見つけられなかった、御神体だよ」


 それは、蘭奢待らんじゃたいによって作られた印。磨き上げられた胴に巻き付くように蛇の意匠が掘り込まれている。人の脂を吸って黒く艶があり、印面には『憑喪八佰萬』と刻まれている。

 代々受け継がれてきた悠久の時、これを愛してきた人達の敬意、そしてこの印が人間に与えてきた愛情が、印を握る私に流れ込んでくる。


「それは、御神体は、あなたのハンコじゃ無い! 契約書は無効だ!」

「それを決めるのは君じゃないよ」

 私は朱を含ませた印を契約書に強く突き立てた。

「すべては神様の言うとおり、だよ」


 契約書が弾け、空間は正気を取り戻す。収まりきらない物、もの、モノの濁流が店の中で渦巻き荒れ狂い、私も店長も飲み込まれていく。

 概念と物体の嵐の中心に、赤黒の老婆の姿を見たような気がした。

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