13話 ツクモ・ヤオヨロズ②
わたしは、小さな頃から何も欲さない人間だった。わたしの家は客観的に見て恵まれている、と分類できる家庭だったから、欲する前に全てが揃えられて与えられていた。
わたしは、自分が欲するものはどうにも手に入れられないのだと知っていた。故に欲さない人間になったのだ。わたしが欲しかったのは、雨が降り続く空であり、無限に遊んでいられる時間であり、好きなものをいくらでも詰め込める空間であり……神様にしか用意できないものだった。でも、わたしが本当に欲しかったものは…………
「君が欲しかったのは、これだろう?」
私は押しやった包みを顎で示した。包みを撫ぜ、店長は愛おしそうに、それを転がした。
「その通りです。開けても?」
「どうぞ」
私が言い終わるや否や、彼女は急いで包みを開けた。中身と対面するのが待ちきれない! と言った様子だった。
包みの中から現れたのは、白黒のダルマだった。夫の書斎にいた頃とは違い、どこか居心地が悪そうだ。
「あら、お腹のところ、塞いでありますね。まさか割ったんですか。」
割れたダルマを見たとき、夫は言葉を失って驚いた。まな板と包丁で割ったことを伝えると、夫は青ざめてさらに驚いた。その時のことを思い出しながら、私は少し笑った。
「ダルマがどんな構造をしているか気になってしまって」
伝統的な方法に則り、割れ目は修復してある。夫の伝手のダルマ職人によって見事に修復されたソレを見たときは、プロの腕前と夫の広すぎる交友関係に感心したものだ。
店長はしげしげとダルマを調べ、ひっくり返し、テーブルに戻した。
「これはお返しします。わたしが欲しかったのは、これじゃなかったみたいです。」
「じゃあダルマの買取セールはもう終わり?」
「ええ。わたしが欲しかったものは、もうこの街にはないみたいです。本当にあなたが持っていないなら。」
彼女は、探るように私と私の持ち物を見た。
「わたしが本当に欲しいのは、ダルマなんかじゃないんですよ。欲しいのはその中身。ダルマの中に隠されていたモノなんですよ。どんなモノか、まりこさんはもう知ってますよね。」
だってこのダルマには割れ目を閉じた跡があるから。
「見たよ、私は」
私は短く答えた。
「私は、ダルマの中身が何なのか知っている。そしてそれの正体も知っている。今はゆりえに預けているから、手元にはない」
「ふーん、残念です。」
「ところで」
と私は切り出す。
「ダルマはご期待には添えなかったが、他にも買って欲しいものがあるんだよ」
店長が私1人で対処できないような存在になっていた時のための、ゆりえから預かった反撃の手札。
「この指人形を、買ってもらえないか」
ゆりえが特定し、夫が見つけてきたそれは……
「お姉さん、買ってよ」
この建物がツクモになる前、この建物で自殺したこどもがお気に入りだった指人形。風呂敷を開いた時から背筋に冷たい汗が伝っているが、私は何食わぬ顔をした。
「お姉さん、買ってよ」
個体としてはあまり強力ではないが、この土地にいる時限定で、過去がこの子の後押しをしてくれる。
「お姉さん、買ってよ」
こどももどきは、私がここに持ち込める範囲で1番強力な手札だった。
「そんなモノを、私に気づかれずによく持ち込みましたね。」
「特別製の包みでね」
老婆からカメラとダルマを買った時の風呂敷は、中のものの気配をいくらか薄れさせることができるものだった。故にダルマの中の空白を誤魔化すことができたし、こどももどきの気配を隠すことができていた。
「その包みの風呂敷とセットなら買い取りますよ。」
店長が卓上の鈴を鳴らすと、古い木のワゴンが軋みながら現金を運んできた。
「二つ合わせて2千円といったところですね。もっとも、価値があるのは風呂敷の方で、指人形にほぼ価値はない。」
そういえば、先ほどからこどももどきの気配がない。振り返ると、こどももどきは空気が抜けたように萎んでしまっていた。
「まりこさん、時間なんて気にしなくていいって言ったじゃないですか。ゆりえさんはここには来ない。無駄なことはやめましょう。持ってるんでしょ、御神体。」
そう言って、店長は2千円札を私の方に投げてよこした。私はそれを拾うこともせず、まだ湯気の立っているお茶を、もうひとくち飲んだ。
「うーん、ならこうしましょうか。」
店長が鈴を鳴らすと、振り子時計がゆったりと動き出した。振り子はそのまま勢いを増して、時計の長針が考えられないような速度で回り出した。
「時間を進めました。この店の中だけ。」
私は浦島太郎を思い出す。
「早く出してくれないなら、ゆりえさんとも夫さんとも、もう会えなくなりますよ。」
ギリギリギリ、と長針が無理をしながら加速していく。嫌な音が、私の不安を助長する。
「御神体が出せないなら、別のものでも良いんですよ。むしろ、御神体よりも欲しい。」
動揺を悟らせないように干し柿を掴もうとして、私は自分の手が震えていることに気づいた。
「ご執心だったソレよりも、欲しいものって何?」
「あなたですよ。まりこさん。わたしはあなたが欲しい。」
愛の告白ではなさそうだ。「そんなこと言われたのは学生の頃以来だよ」という冗談すら言えずに、私は彼女の顔を呆然と見るしかなかった。
彼女は涼しい顔をしてお茶を飲み、カップについた口紅を親指でキュッと拭った。




