12話 ツクモ・ヤオヨロズ①
わたしは雨が好きだった。「天気がいいね」という言葉が晴れ限定の言葉だってことを知ったのはいつだったか。わたしにとっての「天気がいい」とは、雨のことなのに。世界は晴れしか許さない。他のことには多様な見方をする人はいるのに、雨の味方は居なかった。
見つからなかった。
「お母さんに任せるしかないね……」
と唇を噛んでゆりえは言った。私は黙ってあの子を抱きしめてあげることしかできなかった。
「帰ったら、みんなでコーヒーでも飲もう」
と夫は言った。私は、夫のことも一応抱きしめておいた。
玄関のドアを開けると、小雨が降っていた。あまりに静かに降っているものだから、私たちはそれに気づけなかったのだ。
私は傘をさして1人で歩く。冬の雨は他の季節のそれとは違って、より一層冷たい。自転車で行けばすぐの距離でも、歩くとこんなにも遠い。
私は商店街を過ぎ、駅を過ぎて中古品ショップツクモへ向かう。右手には、市松模様の丸い包みを持っている。
雨が降っているからか、それとも他の理由があるのかわからないが、ツクモに向かう道は人はおろか鳥も野良猫もいない。そこに近づくにつれて、見えない塵が舞うように息のしづらさが濃くなっていく。私は思わず口元をマフラーで覆った。
ゆりえに止められてから、私は言いつけを守ってずっとここに来ていなかった。久方ぶりに訪れたツクモは、まるで異国のような様相だった。
店の周囲には大小様々なダルマがみっしりと打ち捨てられている。野晒しになったそれらは灰をかぶったように汚れていた。出入り口の前だけはモーセのようにダルマが途切れており、捨てきれていない常識が少し可笑しかった。
店に入ってすぐのところに、若い女が気怠げに立っていた。金髪をツインテールに成形し、爪は全部尖っている。少し濃い化粧と黒いマスクで顔色の悪さを誤魔化しているのだろうか。まさに『イマドキの子』らしい格好だな、と思った。この店の制服代わりのエプロンに、『店長』と書かれたネームプレートをつけている。
「初めまして、まりこさん。わたしがこの店の店長です」
見ればわかるよ。と思った。自分が塵の発生源であることに気づいていないのだろうか。灰色の気配を纏ったその女の目元が笑顔の形に歪むのを見て、ゾッとした。
「ご案内しますね」
私は、店長の後についてツクモの腹の中に分け入っていく。
ツクモの内部は、最後に訪れた時とはまるで違う空間だった。私は古着の森を抜け、陶器の丘を越え、家電の人ごみを過ぎた。ガラス瓶、達磨、扇風機、革のコート、ギター、ぬいぐるみ、だるま、何かの配線、人形、囲碁盤、タルトの型、ダルマ、CDウォークマン、古いゲーム機、縛られた文庫本の束、ヒビの入った十字架……雑多で無秩序な品々が所狭しとひしめいている。こんなにモノが入るような空間はないはずなのに、事実数えきれないほどのモノが、ここには居た。
「この先ですよ」
店長が私の手を引いて、カーテン達の隙間を抜けた。その先には、中古の仏壇や神棚が整然と並べられていた。祭壇達の向かう先には、一枚板のローテーブルと座り心地の良さそうな椅子が、ぽつねんと置かれている。テーブルの傍らでは、立派な振り子時計が、ゆったりと振り子を揺らしていた。
「どうぞ。」
と勧められて店長に向き合うように椅子に掛けると、モノ達の雑踏が嘘のように遠のき、スポットライトの当たった舞台のように、私と店長だけになった。店長がポケットから小さな鈴を出して、テーブルに置いた。
「欲しいものがあったら何でも言ってください。」
そう言って彼女が鈴をちりん。と鳴らすと、古い木のワゴンが、お茶と乾燥した何かをキリキリと運んできた。
「これ、わたしが手作りしたお茶とお菓子です。よかったら。」
ワゴンからテーブルに移されたのは、金木犀の香りがするお茶と、干し柿だった。
「ああいうところに行ったら、何を勧められても口に入れちゃいけないんだよ」
とゆりえが人差し指を立てて言っていたことを思い出し、会釈はしたが私はそれらに手をつけなかった。
店長はお茶をひとくち飲み、一息つくと言った。
「このお店、すごいでしょ。ついこの間から模様替えを始めて、そろそろ終わります。モノの配置も考えたんですよ。」
お茶からは鮮やかに金木犀の香りがした。私は、自分がひどく喉が渇いているということを発見する。
「あとは最後の一つ。このお店の心臓になるような、強力な品が必要なんです。まりえさん、ここに来たってことは、持ってきたんでしょう? ソレ、開けて見せてくださいよ。」
私は、ずっとぶら下げていた包みを机の上に置いた。風呂敷の隙間から、ダルマの白い頭が見える。
「わたしがいくら探しても探しても探しても、この街中のダルマを全部集めても見つからないワケだ。わたしに見つけられないものを持ってるなんて、さすがですね。」
私は、黙って包みを彼女の方へ押しやった。
「そういえばまりこさん、ここに来てから一言も喋りませんね。ことだまを減らさないようにしている? 何かを待っている? ああ、ゆりえさんが来るのを待っているのね?」
私は、黙って首肯した。この店は既に、アマチュアの弱小霊能者が何かできるような空間では無くなっている。ゆりえがここに来るまでの時間稼ぎをするのが、今回の私の役割だった。
「うーん、ゆりえさんはこの店には辿り着けないようにしてあるじゃないですか。だから貴女が来たんでしょう。多少時間を稼いだとして、彼女がここに来るなんてことは……いや、」
店長は長い爪で、自分の顎をなぞった。
「貴女という縁が彼女をここまで案内するってことか。血縁というものはどの縁よりも強力ですもんね。」
うーん、と考える素振りを見せた後、店長は、ぽんっと手を打った。
「じゃあ、こうしましょう」
彼女が再び、ちりん。と卓上の鈴を鳴らすと、傍の振り子時計が動きを止めた。
「これでいくらでもお話しできますね。時間なんて気にせず、この品物の話をしましょうよ。」
私は、神社で老婆と話したときのことを思い出した。店長は、もはやあの老婆と同じ域にいるのかもしれない。そう思うと小細工を弄して時間を稼ぐのも意味はないのかもしれないな。と思った。
「長くなりそうだね」
と、ため息をひとつ吐いて、私は目の前のお茶をひとくち飲んだ。




