序文
世の中にはモノが溢れている。特に誰かの手に触れた後の中古品というものは、新品よりもはるかに品数が多く、それに触れようと思えば機会はいくらでも得られる世の中である。
翻って私のことである。今でこそ、私は一人娘を育て上げた母親だが、私は幼い頃よりオカルトというものに興味があった。日陰者の大半は、多かれ少なかれオカルトに興味を持つものである。
その大半の日陰者と違う点として、私にはささやかな霊感と呼ぶにも乏しい感性があった。父方の遠い親戚に神主の家系をやっている所があって、どうやら私の感性はそこからの流れであるようだ。
父は私よりも優れた感性を持っていたし、親戚を遡ればさらに優れた人が数多くいた。そのため私は自分の感性を過信しなくて済んだし、趣味にそれを使うことに抵抗はなかった。
私の持っている霊感とは、第六感的な存在がそこに「ある」のか「ない」のか判別できること。そこに「ある」ものが「よいもの」か「よくないもの」か判別できる程度のことである。大抵それらに像は見えない。大抵は声も聞こえない。あまりに強いものの時は例外だが……
前置きが長くなった。私の趣味とは、中古品に宿る何かに思いを馳せ、時にはそれを買って帰ってつぶさに調べ、その正体を考察することである。
オカルト雑誌や映画、インターネットのページを鑑賞することも好きだが、せっかく本物に触れられるならフィールドワークをしてみた方がより楽しいだろうと、私は考える。これは、品物の奥に潜む歴史、思い出、そして理解し難い何かを書き留めた私の個人的な手記である。




