南風の小悪魔
「8番さんサンドイッチ出来ました!」
『おっけー、影山君それ終わったら5番さんのサラダの方お願いしていい?』
「了解です!シーザーですよね?」
『そう!こっち今ケーキ連発で手離せないからよろしく!』
店の奥から響いて聞こえる声に返事をしながら、俺は手早く下の棚から食材を取り出した。
夕方という事もあって店内は結構な込み具合。厨房に立っている俺の耳にも何種類もの人間の声が混ざり合って聞こえてくる。
野菜を切りつつフライパンに火をかけてベーコンを投入する。注文が立て込んでいるとは言え所詮サラダ。手際よく調理を進めていく。
「よし、完成……」
サラダを持ってそのままカウンターへと運ぶ最中、店内にいる人数がちらりと見える。テーブルはほとんど埋まっている……、はぁ。
俺のバイト先、『カフェ・ビアンカ』は今日もまだ夕食前の時間だと言うのになかなかの繁盛っぷりだった。
元々は人もそれほどいない閑静な喫茶店だったのだが、段々と食事が上手いと評判になり、SNSで拡散された結果平日でも混雑する人気店となった。
俺も初めは給料が良かったのでバイトを始めたのだが、正直ここまで頑張る羽目になるとは思っていなかった……。
しかしこうなってしまった以上抜けるわけには行かず、結局ズルズルと働いてしまっている。
「ふう……」
正直体力はカツカツだが、お金を貰っている以上作業を滞らせるわけには行かない。こうしてカウンターに運搬するときにだけが軽い休憩地帯だ。
だが、カウンターに到着したとき、そこには既に先客がいた。
「5番さんサラダ出来ましたー」
わざとそいつが見えていないようなトーンで、俺はあくまで丁寧なトーンで喋る。
店が忙しいにもかかわらず、そいつはカウンターに手を載せて、余裕ぶった笑顔を浮かべていた。
「先輩、随分とお疲れみたいですね?」
字面だけ見たらねぎらいの言葉に見えるのだろうけど、その声からは俺を労わるニュアンスは一切見られなかった。
「木南……お前は随分と余裕そうだな……」
「はいっ、めっちゃ元気です!」
俺の恨み節たっぷりな言葉を聞きつつも、彼女……木南真希乃は受け流していつも通りの笑顔を浮かべた。
木南真希乃。明仁高校の1年生ながら、その名前を知らない者はうちの学校にはほとんどいないだろう。
ショートボブに切りそろえられた髪にぱっちりした瞳。小動物的な可愛さを存分に振りまく彼女は、一年生ながら入学時からかなり目立っていた。
それに愛想も良いおかげで生徒からの評判も抜群にいい。
数か月前までは中学生だったあどけなさ、無垢さを存分に生かす彼女の名声は入学してから数か月で学校中に轟いている。
その結果、付いたあだ名は「南風の天使」……
「ちょっと先輩。乙女の体をじろじろ見て何ですか。セクハラですよ?」
「……はぁ」
だが、俺の目の前に両手を自分の体に回して守るようにする彼女は、とても天使の名からは程遠かった。
敢えて言うなら南風の小悪魔だ。
そんな小悪魔は引き続き冷たい視線を向ける俺をどう勘違いしたのか、恥ずかしそうに体をくねらせた。
「まあ、私の可愛さに見惚れる気持ちは分かりますけど~?」
「誰も見惚れてねえよ……」
疲れた俺を見てニコニコの小悪魔に、さっき作ったばかりのサラダを差し出す。
「これ5番さんに運んどいてくれ」
「はーい、了解でーす」
瞬間、会計に向かうカップル二人組が目端に入った。
ええと、確かこの人たちは……
「あと、これ終わったら4番さんのカトラリー下げといてくれ」
「もう終わらせてますよ~」
「お、おお。そうか……」
「じゃあ、私5番さん行ってきまーす」
そう言い残すと、彼女は軽快な足取りでサラダを運んでいった。
「相変わらず仕事は早いな……」
俺のもとで油を売っていられる程度には、認めたくはないが彼女の仕事は早い。
……断じて、認めたくはないが。
やるせない気持ちでぼんやりと彼女を見ていると、後ろからぬっと大きな影が俺を覆った。
「影山君、お疲れ~」
「うおっ」
ゾンビのような声が聞こえてきて、振り返ると、声相応に目が死んでいる大男がいた。
「ああ、店長。お疲れ様です……」
この大男は村瀬さん。カフェ・ビアンカの店長でキッチンの大半を担っている。クマの様な見た目をしているが、性格と作る料理は非常に繊細な人だ。
店長はにこりと弱々しい笑顔を作る。
「影山君、結構疲れたでしょ?裏で休憩してていいよ」
「いえ、まだ大丈夫ですよ。全然働けます!」
流石にこんな状態の人を放って先に休憩は出来ない。小さくはあるが力拳を作って体力が余っていることをアピールすると、店長は胸の前で小さく手を振った。
「大丈夫、あとケーキの注文だけだから、僕がやっとくよ」
「そう、ですか……」
ブランカの人気商品であるケーキは全て店長の手作りで、飾り付けも一人でやっている。
こう言われてしまうと俺に手伝えることは無くなってしまう。
「うん、後10皿ない位だし、多分お客さんの波も止まったから余裕余裕」
「それホントに大丈夫ですか……?」
「僕の事は気を遣わなくていいから」
完全に忙しすぎて麻痺っている人の様にしか見えないが、店長は大きな手でサムズアップした。
この店長を放置するのはためらわれたが、正直俺も疲れているのも事実……。
「じゃあすみません、失礼します……」
「そうそう、若いうちに無理しちゃだめだからね」
迷った末、結局言葉に甘えさせてもらうことにした俺。
店長もこくりと頷いて、大きな体を横にしながら狭そうにカウンターを出ていった。
俺も一通り新規の注文がない事を確認して、休憩室へと向かった。
「おー……」
20分くらいの休憩時間、耳にイヤホンを付けて俺は目をつぶる。
聞いているのは勿論ラジオ。ポッドキャストが流行しているお陰で、今はいつでもどこでも好きなタイミングでラジオを聴ける。
「ああ、耳から癒される……」
疲れと共に体から力が抜けていくのを感じる。休憩室に誰もいないのをいいことに、上半身をだらりといすの背もたれに預ける。
芸人さんのネタではない落ち着いたトーンのフリートークが心地いい。普段のテレビでは見ないような、日常感あふれるローテンションな会話がじっくりと俺の体に染みる……。
が、そんな時間は長くは続いてはくれない。
ずばーん!
「せんぱーい!おつかれさまでーす!」
勢いよく開かれたドアと響き渡る小悪魔の声。俺のリラックスタイムは穏当にはいかなさそうだった……