1から
夏休み前の放課後。大して部活動に力を入れているわけではない明仁高校生は、学年の半分強が部活へと乗り出し、2割がバイト、残り3割がそのまま自宅へと直帰していく。
放送部という形で部活をやっているが、俺はややイレギュラーな立場な俺は、普段は学校が終わったらさっさと自宅に戻る。
そのはずなのだが、今日に限って俺は珍しく放課後の放送室に一人たたずんでいた。
「放課後の放送室って何か韻踏んでるみたいだな……」
こんなことを反射的に呟くくらいには、俺は虚無な放課後を過ごしていた。だが、俺も理由なくこんなことをしている訳ではない。
実は今日、俺は北原にお呼び出しをされていたのだ。ちなみにその時の流れはこんな感じ。
――——影山君、今日の放課後は暇?
――——ああ、まあバイトもないし、そのまま帰るつもりだよ。
――——そう……
――——どうした?ビアンカに用事があるとか?
――——いえ、そうじゃ無くて……。とりあえず授業が終わったら、放送室にいて
――——放送室?なんで?
――――理由は聞かないで。とにかく誘ったから、良いわね?
とのお言葉であった。肝心の北原は授業が終わったらすぐにどこかに行ってしまった。そして、俺も北原を待ち続けるも待てど暮らせど彼女はやってこない。
何もせずに放送室にずっといると言うのは窮屈で、外に出たい衝動に駆られるが、入れ違いになってしまえばマズイと思い、結局外には出れずじまいだ。
じゃあ、と心を切り替えて放送室で何か暇を潰せればいいのだが、今学期のラジオも終わってしまったから、正直特段やることは無い。ボケーッとしながら、この部屋唯一のまともな椅子にのってクルクルと回る。
しかし、放課後の放送室ってなるとな……。
北原的にはそのつもりは無いんだろうが、こちらとしては今の時間にここにいることは、それだけでチクチクと心に疼くものがあった。他にすることも無い分、嫌でもあの時の事を思い出す。
「結局、お礼言えなかったな……」
会長が俺をかばってくれていたというのは最早一目瞭然だった。だが、あんな風な別れ方をしてしまった手前、今更謝るに謝れず、今まで頻繁にすれちがっていたはずの会長はここ数日見かけることすらできていない。
「あんな風にカッコつけて答えても、所詮はこの程度か……」
連鎖的にこの間の昆布わかめのお便りを思い出す。マイク越しではそれらしい返事をしたにもかかわらず、当の本人がこのザマでなんとも情けない。
「んあーっ」
むしゃくしゃして窓を向いて大声を出す。どうせこの部屋は防音だ、好き放題叫んでやろう。
「んがーっ!」
椅子に座ったまま叫び、ついでとばかりにくるくると回る。三半規管を代償に確かな高揚感を感じる。
「成程、これが黄金の回転エネルギー……」
その瞬間、人と目が合った。心霊的なあれではなく、絶えず回転する視界の中で、俺の目は確かに人を捉えていた。
「あ、あはは……」
固まっている俺に苦笑いしながら、いつの間にか放送室に入っていた来訪者は俺の失礼な姿勢を咎めることなく小さく手を振った。
「……き、来ちゃった?」
そこに立っていたのは西園寺会長。普段の彼女からは信じられないほどの気弱な声が聞こえた瞬間、俺の中で一気に脳が回転を始めた。
ぼーっとしていた俺の脳は案外早く起動してくれたらしく、俺は素早く椅子から飛び起きた。
「と、取り敢えず、座りますか?」
「あ、いえ、大丈夫よ。私はこれで……」
何時ものお嬢様言葉は崩さずに、ただし弱々しいトーンで先輩は断り、傍に会ったパイプ椅子を手元に引き寄せた。
俺がデスクチェア、先輩がパイプ椅子にちょこんと座った。
「……」
「……」
しばし、気まずい沈黙が流れる。
「えっと……その、今日は、どういったご用件で……」
「あ、そっ、そうよね、用事よね!用事……」
そして、再びの沈黙。前回のような達人の間合いではなく、素人二人が向かい合って何から始めればいいのか分からない独特な気まずさが俺達の間を流れる。
「ちょ、ちょっと急かさないでよ」
直後、先輩はぐっと蹲った。
「……先輩?」
「あ、いえ、なんでもないの……気にしないで頂戴……」
かと思うと、直後直ぐにあわててとこちらに手を振ってくる先輩。何故か軽く耳に手を当てている。
どうしたんだ、会長……?不思議に思うが、今の俺にそれを指摘するほどの余裕はない。曖昧に頷いて先輩が話し出すのを待つ。
「ちょ、ちょっと誰がお見合いよ……!」
「先輩?」
「あっ、いや、これは違うの影山君、決して場を弁えずに照れてるとか、見つめられて恥ずかしいとかそういう訳じゃなくってね?」
「は、はぁ……」
今度は顔を真っ赤にする会長。いかん、ここは俺も何か空気を和ませねば……。
「でも、なんかこうしてると本当にお見合いしてるみたいですね」
「えっ!?」
虚を突かれたように一層顔を赤くする会長。
いかん、緊張をほぐすジョークのつもりが完全に引かれてる。これじゃ逆効果だ……!
「あっ、今のはそうじゃ無くて……!」
何かそれに続く言葉を言おうとして……、俺は結局、言葉を探すのはやめた。
俺が喋るのをやめたのを見て……会長は少し下を向いて、そして、小さくため息をついた。
「そうよね、謝れるのは私しかいないものね……」
ポツリと小さく告げて、彼女は椅子から立ちあがった。
「影山君、ごめんなさい」
そしてそのまま、彼女はお辞儀をした。全校集会で見る時よりも、深い深いお辞儀だった。
「……」
何とも情けないことに、俺は咄嗟に返事が出来なかった。彼女はそのままの姿勢で語り続ける。
「あなたがこの部活にどれだけの情熱をかけているのか知らずに、私はとても失礼なことを言ったわ。生徒会長として、いえ、人ととして失格よ」
「……」
「生徒会がバックアップするなんて偉そうなことを言ったり、予算をあげてやるって言ったり、あの時の私のなんて偉そうだったことか。あなたに怒られて、初めて思い知らされたわ」
「……」
「あの一件であなたがどれだけ私に失望したかは分からない。だけど、これだけは知ってほしいの。私はあなたのラジオを応援したかっただけで、それだけだったの……」
「会長」
「まあ、そんなこと言っても何の言い訳にもならないのだけど……」
「会長!」
強く声を掛けると、彼女はビクッと体を震わせた。
「会長、頭、上げてください……」
ゆっくりと体を起こした。その目にいつもの威厳は無く、親に叱られるのに怯えている少女の様だった。
そんな彼女を見て、俺は出来る限り優しく微笑みかけた。
「大丈夫ですよ、会長」
「へ……?」
「この間の件、俺ももう怒ってません」
「怒って、いないの……?」
「はい」
今度は俺が立ち上がる番だった。
「俺も意固地になって、つい先輩に強く当たり過ぎてました。ちょっと去年の事もあって、なんか過剰防衛になっていたというか……」
「ああ、それは……、いえ、止められなかった私にも責任があるわね」
再び申し訳なさそうにして、会長は俯いた。
「あ、いや!会長に謝ってほしいわけじゃなくって……」
しかし、それがトリガーとなったのか、俺の中で何かがすとんと落ちた。あの時昆布わかめに伝えたように、わざわざ謝りに来てくれた会長に、真摯に向き合わなくちゃいけないなと思った。
まあ要は、踏ん切りがついたのだ。
「だから会長、今回の件は俺にも非があります。本当にすみませんでした」
「ちょ、ちょっと!なんで影山君が謝るのよ!」
床しか見えないが、会長が途端に慌てふためくのが分かる。その声はさっきより焦りと……生気が籠っていた。
だから、俺もここで止まるわけにはいかない。
「それに、会長」
「は、はい!」
「放送部を助けてくれて、ありがとうございました」
「た、助ける……?」
俺はゆっくりと顔を上げた。先輩は明らかに困惑していて、眼も揺らいでいる。だが見当がつかないと言いたげな表情じゃない。
「今回の部活動調査、あのままだったらウチが廃部のやり玉に挙げられるのは目に見えている。だから、先輩が無理を言って、うちの部活調査をやってくれたんですよね?」
「いや、それは……その……」
バツが悪そうに目をそらす会長。普段なら自信満々に頷くところだろうが、今日はやはり歯切れが悪い。
そんな彼女を見て、俺は一つ決意を新たにする。
「だから、先輩。一つお願いしてもいいですか?」
「お、お願い……?」
ちっともピンと来ていない表情の先輩を前に、俺は一つ大きく息をする。そして、あの日の職員室からずっと考えていたことを、あくまで何てことないような顔で、告げた。
「先輩、今までの事は水に流して、もう一度やり直してくれませんか?」
俺の言葉に、先輩は今日一番驚いたという表情だった。動揺した表情のまま、だがこちらをしっかりと見つめて、一歩、後ずさりをした。
「私、あんなにひどい事言ったのよ?パニックになって、逆切れみたいなことしちゃったし……。影山君を金で買おうとした、そんな女よ?」
「金で買うって、そんな大げさな」
「でも……」
「いいんですよ」
俺が笑い飛ばすと、何か言いかけた会長ははっと口を抑える。俺は再び出来る限り優しく顔をして……いつものお堅い会長ではなく、親しみやすい友人として、笑いかけた。
「俺、会長の事、結構好きですから」
「~~~~~~!!!!!」
瞬間、会長は何かに撃ち抜かれたような表情をした。ここまでは前回と同じような構図。だが、今回彼女は座っていない。そのまま2,3歩ふらふらとよろめき崩れそうになる。
俺もあわてて彼女の体を支える。結果、社交ダンスのワンシーンのような格好になる。
「……しら」
「え?」
顔を覆ったまま小さくつぶやく会長。俺も……。
直後、会長は圧倒的な体幹で姿勢を戻す。必然的にグイっと距離が縮まり、ふわりといい匂いが鼻腔をくすぐる。
「かい、ちょう……?」
思わず問い返すと、彼女はゆっくりと口角を上げた。その目には、見たことがない感情がぐるぐるとない交ぜになっていた。
「今の、もう一度言ってくれないかしら!?」
「へ……へ!?」
混乱する俺の手から俊敏な動作で離れたかと思うと、先輩はスマホを取り出して、髪を乱しながらグイっと近づいてきた。その目はランランと光っており、まつ毛の一本一本が見極められそうなくらいの距離感だ。
だが、俺としては丁度スマホを顔の近くに取り出しているせいで、先輩の豊かな双丘が直接押し付けられる感覚……。これは男子高生的に非常によろしくない……!
「せ、先輩ちょっと近くないです……?」
「そんなことより、今のセリフ、すっごくよかったわ!ぜ、是非もういちどっ!はっきりした声で聞かせてちょうだい!」
だが、そんなラッキーな接触なんざ一切気にせず、先輩はこちらにグイグイと近づいてくる。
罪悪感と言いようもない恐怖のダブルパンチで必死に視線を動かしていると、先輩の耳元から何かがことりと落ちていくのが見えた。
「あ!せ、先輩!なんか落としましたよ!」
すぐさましゃがみ込んで落とし物を拾う。黒い小さい機械、というかこれは……
「イヤホン……?」
丁度その瞬間、ガラガラといい音を立てて放送室の扉が開かれた。
「ちょーっと待ったぁ!」
キャンキャンとしたなんだか聞き覚えのある声。そちらに目を向けると……
「こ、木南?北原?」
逆光を浴びながら立っていたのは、腕組をした木南と、冷ややかな視線の北原だった。
突然の来訪者二人はずかずかと放送室に入ってきたかと思うと、俺の方には目もくれず、足取り荒く会長の元へと進む。そして……
そして、無言でがしっと彼女の腕を取った。
「ま、まだ話は終わってないのだけど!」
会長は焦ったように左右を見る。だが、木南はにっこーと張り付いたような笑みを浮かべている。
「はーい、馬鹿言ってないでさっさと帰りますよー」
「あと1分、いや、あと30秒あったら録音できるから……!」
「うるさい声フェチ、そんなの許すわけないでしょ」
慌てふためく会長を、北原は冷たい声で一蹴した。だが会長も諦めない、必死に手を振り払おうとじたばたしている。
「あなた達、私の秘蔵っ子の告白ボイスを渡したじゃない!」
「告白ボイス……?」
「はーい、余計なこと喋る前に帰りましょうねー」
「あ、あーっ!」
俺は発言することも殆どままならず、連行される宇宙人の様に、両腕を取られて会長はそのままずるずると引きずられていった。
「何だったんだ、今の……」
ここ最近で1番濃い3分とかだった気がする……。手の中でころころとイヤホンを転がしながら呆ける。
そうしていると、再びドアがガチャリと開けられる。そこに会長と木南の姿は無く、北原一人が立っていた。
彼女は今度はまっすぐに俺の方に向かって来る。そして、俺の真正面に経ったかと思うと、手をパーにしてこちらに向けてくる。
「イヤホン、返してもらっていい?」
「あ、ああ……」
普段以上に感情が読めない北原。言われるがままに、彼女にイヤホンを渡す。彼女もイヤホンを握り締めて回れ右をした。
「って、そうじゃ無くて!」
「何?」
俺が声を掛けると、北原は顔だけこちらに向いた。
「……その、今の、なんだったんだ?」
漠然とした俺の質問を受けた北原は、スーッと鋭く目を細めた。
「軽率に好きとかいう人に、答える義理は無いわ」
最近の北原からは想像もつかないくらい、冷ややかなトーンだった。思わず縮み上がる俺を見て、北原はプイっと目をそらして早足で出て行った。重たいはずのドアが、いつもより強い音を立てていた。




