2+1
放課後、学校から少し離れたファミレスで私たちは向かい合って座っていた。
私がコーヒーを啜る一方で、私の向かいに座る小動物然とした彼女———木南さんはオレンジジュースをストローでずずっと吸った。
以前ここに来た時は随分と不満げだったが、この集まりも数回目となり、お互い今まで感じていたような緊張感は失われていた。
「じゃあ、始めましょうか。今日の感想戦を」
「はーい」
私の声掛けに、木南さんはストローから口をぱっと離して返事をした。
元々ラジオが切っ掛けで出会った私たちははじめは互いに目的がある程度一致していたため反駁することも多かった。
……だが、お互い彼のラジオの数少ない古参ファンであることは確か。友達がほとんどいない自分はともかく、好きなコンテンツの感想を言える相手がいないと言うのは彼女も同じらしい。
こうやってお互いに会う回数を増やしていくうちに、気づいたらこうやって影山君のラジオがあった日は、どちらかが連絡するまでも無く、このファミレスで集まるという習慣が出来てしまっていた。
「今日の先輩のフリートーク、絶好調でしたね」
まず話題を切り出したのは、木南さんからだった。
「ああ、気温の話ね、今回が1学期最後だからか分かんないけど、随分と気合入ってたわ」
「ですね、個人的にはあの熱帯夜の話が結構強烈でした」
自分で言って木南さんは小さく頷いた。
「知っちゃったせいで何か心なしか体が熱くなってきてる気がしますし」
「分かるわ、思い込みなんだろうけど、改めて言われると気になっちゃうわよね」
彼女の言葉に同意してから、私はコーヒーを一口飲んでふうと息を吐いた。
「まさしく、ほてらすネツタイヤね」
「……なんですかそれ」
「……気にしないで」
渾身のボケがスルーされて、私はもう一口コーヒーを飲んだ。
これがジェネレーションギャップか……
再び訪れる沈黙、普段はもう少し盛り上がっているはずなのに、今回はなんだかお互いに気まずくなってしまう。
「ああ、これで一学期も終わりですか……」
沈黙を切り裂いたのは、再び彼女の方だった。名残惜し気に一つ大きく伸びをした。
「これから1か月はラジオが聞けないとなると……中々耐え難いわね」
「はい、なんて言うか、好きだったアニメの1クール目が終わって次のクールを待ってる時のあの感情に近いです」
「ええ、上下巻セットの文庫本の上巻だけが先に発売された時のあの感覚ね」
それぞれが自分に伝わりやすい感想を言って、うーむと唸った。
「まあでも、私は多分夏休みに影山君と遊ぶだろうし、彼の声が聞けなくて寂しいってことは無いわね」
腕を組んで目をつぶっている彼女は、ピクリと眉を動かした。
「まあ、それもそうですね。私も先輩も夏はバイトで会えますし。なんなら先輩夏休み暇でシフト増やそうかなとか言ってたくらいなんで、寧ろ好都合かもです」
一息で言い切って、彼女はずずっとオレンジジュースを再び吸った。私もことりとカップを置いた。
「まあそうね、木南さんは仕事で、私は遊びで彼と会う。住み分けとしては十分かしらね」
私があくまで事実を平然と告げると、彼女はストローからゆっくりと口を離した。
「……先輩、もしかして煽ってます?」
「心外よ、影山君と仕事上の付き合いしかないあなたを煽るわけないじゃない」
「もしかしなくても煽ってますよねぇ!?」
机からぐぐいっと体を乗り出そうとする彼女を軽く制止する。
はじめは落ち着かない様子でこちらを睨みつけた彼女は、椅子に深く座りなおして、ふっ、と軽く鼻で笑ってきた。
「まあでも、席替えしたら話せなくなるような人に比べたら、仕事上の付き合いでも十分ですけどね」
「……へぇ?」
木南さんはひらりと手を広げた。
「だってそうでしょ?2学期になって離れ離れになったら北原先輩、喋りかけに行けます?コミュ障の先輩には無理でしょ?」
上目遣いに、だが確かな敵意を向けてくる彼女に、私は満面の笑みで応対する。
「あらまあ、一週間見ないうちに随分と大きな口が叩けるようになったわね。今週の私のお便りの内容聞いてなかったのかしら?この間私達一緒に出掛けたのよ?この意味が分かる?」
私の反論に、彼女もジュースを一口飲んで満面の笑みを浮かべた。
「でもそれって確か結局友達から抜けだせてないって話じゃなかったでしたっけ?うまい事脚色しようとしても無駄ですよ」
「あら、論点がずれたことに気づいてないみたいね?私は彼と一緒に出掛けるくらいには仲良くなったのよ?今更話しかけるくらい訳ないわ」
「ぐぬぬ……」
反論が出来なかったのか、彼女は口惜しそうにコップを持ち、一気にジュースを飲み干した。
私もここが攻め時だと判断し、追撃の手を緩めない。
「ちなみに、私一緒に出掛ける時に、て、手までつないだのよ?」
どうだとばかりに私は宣言した。
「……」
一方彼女は茫然とした表情でこちらを見つめている。どうやら私の言葉に手も足も出ないみたいだ。
「一つ、質問してもいいですか……?」
しかし、おずおずと聞いてきた木南さんの言葉は、なんだか圧倒しているという感じでは無かった。少し違和感を覚えつつも、続きを促す。
「ええ、どうぞ」
「その、こんなこと聞くのは心苦しいんですけど……」
「心苦しい?」
木南さんは小さく頷いた。
「ええと、その、北原先輩は、あくまで友達として影山先輩とお出かけしたわけですよね?」
「そうよ?さっきから言ってるじゃない」
「だけど、そんな友達の影山先輩とのお出かけで、思いっきり手を繋いだ」
「うん……?」
「付き合っているわけでもないのに、なんなら腕まで組んじゃった……」
「ちょっと……」
軽く制止するも、彼女が止まる気配はない。
「要は友達から始めようってなった初めてのお出かけで、思いっきり欲出して腕まで組んだ、と……」
「ちょっと待ちなさい!」
なんとなく嫌な予感が背中をぞぞぞと駆け上がる。必死の制止もむなしく、目の前に座る友達いっぱいの後輩は、ソファーにゆったりと背を付けて引きつった顔を浮かべた。
「……すけべ」
「違うわよ!」
反射的にバンと机を叩いて立ちあがる。周りの人の視線が一斉にこちらを向いて、慌てて席に座った。だが、はやる気持ちは抑えられない。
「べ、別にそういう雰囲気だったからそうしただけであって、別に邪な気持ちがあったとかそういう訳じゃ別にないし……」
「随分と別にが多いですねぇ」
「うるさい!」
呆れた顔でジュースを啜る木南さん。そのまま半目でこちらを見つめる。
「これだから先輩は、普通手を繋ぐのだって2,3回目が相場じゃないんですか?それに一回目から腕まで組むなんて……そういうタイプが一回目からデートだなんだって言って圧力掛けちゃうんじゃないですか?」
「うぐ……」
「そんな下心丸出しの北原先輩には、あのラジオ一筋さんは任せられませんねぇ」
何なんだこの子は、まるで見ていたような口ぶり、エスパーかなんだろうか。
だが、こんなことを言われて引き下がれる私でもない。
「……キス」
「え?」
「間接キス!」
「……!?」
私の言葉に心当たりがあったのか、完全に面食らった様子の木南さん。
「随分と偉そうなこと言ってるみたいだけど、あなただって間接キスしたとかで浮かれてたじゃない!」
「な、な……」
口を震わせてわなわなと震える木南さん。私も追撃の手を緩めない。
「甘えん坊だけど実は場面見えてて一歩引いてる系の後輩キャラ演じてるつもりかもしれないけど、その実あなただって下心ありまくりじゃない!」
「わ、私のあれは偶然ですし!しかもきっかけは先輩からですから!」
「そうだとしても、それをあんなに嬉しそうにラジオに投稿しちゃうところがねえ……」
「いいでしょちょっとくらい浮かれても!」
今度は彼女がバタンと机を叩く番。立ちあがったままこちらを睨みつけてくるが、その目には明確な動揺が見て取れる。
ああ、結局こうなった。
一応影山君のラジオのファンとして集まった私達ではあるが、ファン同士一戦というものはある。それが譲れなければ譲れないほど、当然、こうなる……。
い、一応これでも私としては彼女と仲良くなりたいとは思っているのよ?こんな風に語り合える人なんていない訳だし、ええ……。
「はいはい、去年まで中学生だった子には間接キスは大きいものね~」
「子ども扱いしないでください!友達いないくせに!」
だけど、口を突いて出てくる言葉は喧嘩腰の台詞ばかりで……。どうにかして改善したい所ではあるのだけれど……。
ああ、誰か現状を打破してくれないかしら。小さくため息をつくと、「んなっ」と木南さんは片眉を上げた。
「ちょっと、何ため息ついてるんですか!」
「二人とも、落ち着きなさい」
「「!?」」
一触即発の雰囲気になるかと思いきや、私たちの間には気づいたら第3の人物がいた。
私達は反射的にそちらを振り向く。丁度テーブルの正面、通路側には一人の女性が立っていた。
軽くウェーブがかった髪に、余裕ありげな表情。客の視線がこちらに集中しているが、それは私たちが揉めているだけのせいではない。
たった一言で周囲の視線を完全に引き付けて離さないカリスマ性。こんな人物他にいない。
「西園寺、会長……」
正面で木南さんが小さくつぶやく。彼女の反応を見て、会長はふふっと柔らかく笑った。
「随分と楽しそうな話をしているのね?」
「あっ、いや、すみません!お店の中で騒がしくしちゃって……」
自分たちが注意されたのだと感じたのか、木南さんは小さくなってペコペコと謝った。
「ほら、北原先輩もちゃんと謝ってください!」
「……」
「ちょっと、北原先輩?」
私の体を軽く揺らす木南さん。だが、私は彼女とは全く別の理由で声を出せずにいた。
違う、生徒会長が声を掛けてきた理由は私たちが騒がしくしてたからじゃない。その理由は分からない。
だが、この姿を私はどこかで見た。彼女の余裕な微笑みに、強烈な既視感を覚える。
「そんなに睨まないで頂戴、ちょっと面白そうなお話をしてるから、私も混ぜてもらえないかと思って」
「混ぜる……?」
「あーいや、別に会長が聞いても面白い話じゃないですよ~」
怪訝な顔を解けない私、未だに慌てた風に両手を振る木南さん。対照的な私たちをそれぞれ眺めながら、彼女は再びふふっと笑う。そして、ファミレスとは思えない優雅な所作でゆったりと手を胸に置いた。
「———初めましてデルトラの森さん、抹茶パウダーさん。私が、昆布わかめよ」
驚きに声も出ない木南さん。
ああ、これ私が木南さんに話しかけたときと同じなのね……
今の彼女に強烈な既視感を覚えた理由を噛みしめつつ、私の脳は急速に今日のラジオを逆再生していた。
そんな私たちを放って、彼女はあくまで優雅な所作でソファーに座った。
「あなた達に頼みたいことがあるの、私と取引してくれない?」




