北原柚葉
弁当を食べ終わり、俺は教室の後ろのドアから息を殺してそっと入った。
中々きわどい放送をしたから何か言ってくる人もいるかと思ったが、誰も俺に見向きはしない。皆自分たちの話に熱中している。
当然、席に座っても誰も話しかけては来ない。
「それはそれで悲しいんですけど……」
誰にも聞こえないくらいの声でぽつりとつぶやき、自分の席に座る。
もしかしてと思い横に座る少女にちらりと視線を向けるが、こちらに気づく様子はなく熱心に本を読んでいる。
(……にしても、北原やっぱりすげぇ美人だな)
うちのクラスでひと際目立った美貌を振りまいている彼女の名前は、北原柚葉。
すらっとした長身にストレートの黒髪、切れ長の目と長いまつ毛。
どこかのモデルだと言われても納得するような美貌の彼女は、何の因果か俺の隣の席に座っている。
しかし、役得だと思ったことはほとんどない。
隣の席になってからと言うもの、俺は彼女が喋っている所をほとんど見た事がないのだ。当てられた時に発言しているのを見かけたことがあるくらい。
学年問わず告白も何回もされているみたいだが、成功したやつは誰もいない。
結果付いたあだ名は、「北風の令嬢」。仏頂面を貫いている彼女だが、その美貌から「明仁の三方美女」とかいう括りにも入れられているらしい。
華の女子高生に北風とはいかがなものかと思うが、しかし、こうして本を読む彼女の姿を見ると頷ける。
彼女にとっては教室なんて多分どうでもよくて、隣に座る俺がラジオをやっていることも知らないんだろう。名前を覚えてもらえていれば僥倖な位だ。
「影山君」
物思いにふけっていると、隣から俺を呼ぶ声が聞こえた。クラスの喧騒に紛れそうになるくらいの声量だったが、俺は聞き逃さなかった。
声のする方を向くと、そこには、依然として本に目を向けている北原がいた。
「もしかして……俺の事、呼んだ?」
「あなた以外に影山君がいるの?」
「いや、いないけど……」
北原はふうとため息をつく。二つ名に違わぬひやりとした対応に縮み上がりそうだ。
彼女は依然として本から目を離さぬまま、俺に声をかけてきた。
「影山君、ラジオお疲れ様」
「……へ?」
「さっきまでお昼のラジオやってたでしょ、だからお疲れ様」
「お、おう……ありがとう……」
表情からは一切伝わらないが、どうやら労われているらしい。
予想外の言葉に戸惑ってしまう。
彼女から話しかけられたのは初めての事だった。
良いのか分からないがこのまま会話を終わらせるのは損な気がした。
「あー、その、北原もラジオとか聞いてくれるんだな。ずっと本読んでるイメージだったから、意外だわ」
「そう?食事中は本を読めないし、ラジオを聴くのは当然のことだと思うけど?」
「と、当然か……」
「ええ、当然よ」
北原は力強く頷いた。
正直、意外だった。まさか北原が数少ないラジオリスナーの一人だったとは……。
相変わらず目は合わせてくれないが彼女がリスナーだと分かって俄然親近感がわいてくる。
「あ、もしかして今までウチにお便り書いてくれたこととかある?」
「そんなのあるわけないでしょ」
ひょっとしたらワンチャンあるかと思って尋ねてみたが、食い気味に否定されてしまった。
自信、一瞬で喪失。
「そ、そうだよね……」
よく考えてみたらそりゃそうだ。あの北風の令嬢様がこんな場末のラジオにお便りを送っているわけがない。
あまり調子に乗るなよ、俺。
「こ、コホン!」
一人落ち込んでいると、横から北原の咳払いが聞こえる。
「そ、それで……今日の放送は、本当なの?」
ん?今日の放送って……
「ああ、恋愛相談の件か?」
「そ、そう!その件について、詳しく聞かせてもらいたいんだけど」
「いや、別に詳しくって言っても、あの時放送した通りだよ」
「じゃあ、恋愛相談をしたら影山君が答えてくれるってこと?」
彼女の視線は依然本に向いたまま、ページをめくるスピードは加速している。
「まあ、大体そんな感じだ」
「ふーん……」
北原は顎に手を当てて、何か考え込むような姿勢を取った。
「あー、やっぱり嫌かな?ラジオの路線変更するのって……」
「それはどういう意味?」
「いや、北原みたいなずっと聞いてくれてる人からしたら、昼飯の時間に人の恋愛話とか聞かされるのは嫌かな、って……」
「そうね……」
北原は少し何か考え込んだかと思うと、ピンと人差し指を立てた。
「一つ聞かせてもらっていい?」
「……どうぞ」
「この恋愛相談企画、どんなお便りを送っても影山君が読んでくれるってことでいいのよね?」
「……今のところはそのつもりでいる」
「じゃあ、賛成ね」
こちらも若干食い気味に反応してくる北原。
コイツもしかして俺がお便りに苦しめられてるところが見たいのか……?
まあ、そんなこと深く考えても仕方がない。
「北原が賛成してくれるならいいや。ちょっと安心した」
「あら、本当?」
「ああ、北原みたいな人が聞いてくれなくなるのが一番悲しいからな」
「……そう」
例えそれが読書までのつなぎだとしても、こうして聞いてくれる人は貴重だ。
「ちなみに、何で路線変更しようと思ったの?」
「あー、それ聞いちゃう?」
「聞いてもいい話なら、是非聞かせてほしいわ」
「うーん……」
あんまり部活の内情を喋るのも良くない気がするが……。
まあ良いか、北原に限って誰かにバラしたりすることは無いだろ。
「実は、最近職員会議で放送部の必要性が議題に上がったらしくてな……このままじゃ廃部にされかねないから、少しでも皆に興味を持ってもらえるように、テコ入れをしようって話になったんだ」
「ふーん、教師って案外見る目無いのね」
「いや、どっちかっつーと聞く耳持たずって感じか?」
「ふふっ」
北原の顔に一瞬笑顔が見えた気がした。かと思えば、すぐに表情は元に戻った。
「でもようやく理解したわ。聞き流していたけれど、結構放送部も大変そうね」
「まあ部員も俺一人しかいないからな。機材の操作とかは慣れたけど、色々大変だよ」
特に話題不足については正直深刻だ。
俺自身しょっちゅうラジオを聞くが、よくあんなに話が止まらないもんだと感心してしまう。
「放送部が廃部の危機だなんて、全然知らなかった」
「いいよいいよ、素直に楽しんでくれるのが一番いいから。裏側の話は気にしないで」
「私が出来る範囲の事であれば手伝うわよ?」
北原は恐らく社交辞令的に言ってくれるのであろう。だが、俺はひらひらと手を振り返す。
「ありがとう、気持ちだけ受け取っておくよ」
「そう、遠慮しなくていいからね?」
ちらりとこちらを向く北原、その顔には少し残念そうな入りが残っていた。この数分で、俺の彼女への評価はがらりと変わってきていた。
「手伝うって言ってくれるなら、なるべくラジオを聞くようにしてくれ。今はそれが一番うれしいから」
「……そう、分かったわ」
気づけば彼女の手元には本が開かれており、それ以上俺達が会話することは無かった。
教室は騒がしく、やっぱりラジオなんて聞いてられる状況じゃない。
そんな中でも北原の時間を昼休みの時間を貰えているという優越感で、これからの放送も頑張れる気がした。
♢
時は少し流れて、放課後。各々部活だったり放課後友達と遊ぶために下校して、あんなに活気があった教室は、すっかり静まり返っている。
しかし、そんな中で教室に残っている少女が一人いた。教室の後方で熱心にペンを走らせている。
普段はクールな印象を与える彼女だが、今は口角はにやりと上がり凄絶な笑みを浮かべている。
「ふふ、実は私には、気になっている人がいます……」
ついテンションが上がって書いている内容がそのまま言葉に漏れてしまっているが、それを咎める人は誰もいない。
今はいない彼の事を思い、少女のペンは走り続ける。
「ああ、オンエアが楽しみね……」
彼女の名前は北原柚葉、ラジオネーム:デルトラの森。
―――彼女は、影山のラジオの熱心なリスナーの一人であった。