狸の恩返し
「お、お礼……?」
「は、はい、すみません……」
木南と同じくらいの小柄な身長にぱっつんな前髪、それに加えて猫背と大きな眼鏡のせいで、顔はほとんど見えない。
だが、流石の俺でもクラスメートの名前は憶えている。確か……
「ええと、日向さん、だよね……?」
「あ!ですです!影山さんのクラスメートの、日向明葉です!」
名前を覚えてもらっているのが恐縮であるかのように、日向さんは小さくぺこりとお辞儀した。
「ちょっと、頭下げないでよ……」
「いえ、北原さんとお話し中なのに邪魔しちゃったので、すみません!」
「いやいや、そんな気にしないで!」
声を掛けたのは俺だし、寧ろ彼女が乱入してくれたおかげで助かったくらいだ。
あのままだったら、俺が北原に押し切られるのは時間の問題だった。
「……それでお礼って、俺なんか日向さんにしたっけ?」
「は、はい!その節はありがとうございました!大変助かりました!」
日向さんはぺこりと頭を下げる。どうやら本気で感謝してるっぽい。
しかし、俺としては何のことだがさっぱり分からない。
実際、直接話したことなんてほとんどない気がする。
「え、えっと、話の筋がよく見えないんだけど……」
日向さんは少しきょとんとした後、はっとした何か気づいた。
「あっ、そりゃそうですよね!影山さんからしたら、私みたいな陰キャ女なんのこっちゃですよね……」
「いや、別にそういう訳じゃなくってね!」
勝手にネガティブなテンションになろうとする日向さん。
俺もフォローを入れると、彼女はもじもじと指先を絡ませる。
「えーっと、あのその、実は私……せん、でして……」
「え?なんて?」
ごにょごにょと話すせいで何を言っているのかちっとも分からない。
ちなみに俺は日向さんと話したことは一回もない。接点なんぞクラスメートである事くらいだ。
日向さんはつっかえつっかえに話す。
「だからその、私は、れい……がっせんでして……」
「ん?」
うつむくせいで、より一層何を言っているのか聞こえなくなる。
俺がグイっと顔を近づけると、日向さんはぱっと顔を上げた。
「実は私!令和狸合戦なんでしゅ!」
(……噛んだな)
(……噛んだわね)
「うっ……」
流石の北原も無視はできなかったのか、お互いに見合って目線で会話する。
一方の日向も顔を真っ赤にして震えている。
……って言うかちょっと待て、
「今、令和狸合戦って言ったか?」
「は、はい!言いました!」
「その名前、どっかで聞いたことある気がする……」
嬉しそうに反応する日向。記憶の引き出しを高速で開けていくと、案外早く答えにたどり着いた。
「ああ!恋愛相談の時の!」
「ちょ、ちょっと声が大きいです……!」
「わ、悪い……」
謝りながら俺は高速で日向……もとい、令和狸合戦の相談内容を思い出していた。
「確か、彼氏と喧嘩したから仲直りの方法を教えて欲しい……みたいなのだよね?(10話参照)」
「あ、ですです!それです!」
勢いよくコクコクと頷く日向さん。なんか、赤べこみたいだな……
「あの時影山さんがアドバイスしてくれた通り、共通のお友達に相談してみたんです!そしたら仲直り出来たんです!」
「おお、そうだったんだ!」
「はい!私、彼氏はおろか友達もほとんどいたことがなかったから、どうしていいか分かんなくて……それで、ホントに影山さんには感謝してるんです!」
再びぺこりと頭を下げる日向さん。
「成程、それでわざわざ直接お礼を言いに……」
「あっ、もしかしてこういうのってラジオで言うのが正統派でしたか!?確かにリア凸とか失礼ですよね!?」
「あーいや、こういう経験なかったからびっくりしただけ!直接言ってくれて嬉しいよ!」
こんな風に誰かに感謝されたのは初めてで、ちょっとビックリしただけだ。
「じゃ、じゃあ、私はそれをお伝えしたかっただけなんで、失礼します!」
「おう、良ければこれからもお便り送ってな!」
「はい!」
最後にぺこりと頭を下げて、日向さんは去ろうとした。
「ちょっと待って」
だが、それを許さぬものが一人。
本を読んでいたはずのお隣さんは、いつの間にか鋭い視線を日向さんに向けていた。
「き、北原さん……?」
「日向さん、と言ったわよね。少し聞きたい事があるのだけど、良いかしら?」
「はっ、はい!どうぞ!私が喋れることなら何でも喋ります!」
北原に話しかけられて、日向さんは俺の時とは比べ物にならないくらい恐縮した声を上げる。
「別に取って食おうってつもりじゃないんだけど……」
そうは言いつつも、北原は日向さんを上から下までじっくりと見つめた。
そして、口元に手を当てながら質問した。
「あなた、ちょっと背筋を伸ばしてくれる?」
「はっ、はい……!」
北原に言われるがままにびしっと背筋を伸ばす日向さん。
その際、身長に見合わぬ大きなお胸がばるんっと強調される。
「おお……」
いやはやこれは、中々……
その暴力的な発育に男子の本能を刺激されそうになりつつも、横から刺し殺さん勢いの視線に気づいて直ぐに目線をそらした。
「はぁ……。それで日向さん、あなた運動は得意?」
「う、運動ですか……?」
「ええ、何か得意なスポーツはある?体育祭とか活躍できた?」
日向さんはきょとんとしているが、正直俺も同じ感情だった。
ほとんど初対面であろう日向の運動能力が何故気になるんだ……?
「えっと、正直自分は運動はからっきしというか、この体に運動神経は搭載されてない感じです、はい……」
「じゃあ、体育祭も?」
「はい……50m走はいっつもドベでみんなに迷惑かけてます……」
言いながら思い出してきたのか、日向さんの目からハイライトは消え、静かに床に視線を落とした。
しかし、北原は日向の様子などどこ吹く風。口に手を当てて、何かぶつぶつ喋っている。
「運動神経が悪い……じゃあ、違うか……」
「あ、あの……私何か北原さんに粗相を……?」
心配そうな顔をして、再び猫背になる日向さんに、北原もふっと顔を上げた。
「ごめんなさい、どうやら人違いだったみたい」
「ひ、人違い……?」
「ええ。変なこと聞いてごめんなさい、気にしないで」
「は、はいっ、それじゃ失礼しますっ!」
ぺこりと頭を下げて、日向さんはぴゅーと駆け出していってしまった。
再び、俺達の席は静寂に包まれる。
いやぁ、あんな大人しそうな子にも彼氏がいるのか……。見かけによらないな。
「ねえ、影山君」
北原は俯きがちにぽつりとつぶやいた。
「どうした?北原」
「私って、そんなに怖いかしら」
「そこが、北原のいい所だと思うぞ!」
「……それ、フォローになってないから」
呆れた声を漏らしつつ、北原は再度鞄からスマホを取り出した。
「さっきのに返信するのか?」
「ええ、ちょっと野暮用が生まれてね」
嫌々という雰囲気で、北原はため息をつきながらメッセージを送っていた。
♢
一方そのころ、一年の教室。
前方には、数人の少女が雑談に興じていた。
「じゃあ、今日久々に放課後カラオケとか行っちゃう!?」
「いいね、だいさんせー!」
「まっきーも行くでしょ?今日はバイト無いみたいだし?」
「カラオケかぁ、久々にアリだね……」
チロリロリン♪
少女が学校帰りのカラオケに抗いがたい魅力を感じていると、彼女の携帯が震えた。
こんな時間に誰だろう、まさか先輩……!?
はやる気持ちを抑えつつ、少女は通知を確認する。
「……はぁ」
「どうかした?まっきー?」
「ゴメン、ちょっと今日のカラオケ私パスで……」
「あれま、急にバイトでも入った?」
残念そうなトーンの友人に、彼女は俯きながら首を横に振った。
「ううん……ちょっと、野暮用がね」
苦虫をかみつぶしたような顔で、彼女はぼんやりと廊下を眺めていた。