飲めないの?
「それでは、今週もお昼の放送終わりたいと思います!来週は7/4です!お便りどっしどしお待ちしてます!それではまた来週~」
フェーダーを下げて放送を終える。きょうも上々の喋りだった気がする。
顔を上げるが、いつの間にか先生はいなくなっていた。
「今日もお疲れ様でした~」
自分へのねぎらいの言葉をつぶやいて、大きく伸びをする。その時、ふとカレンダーが目に入る。
「もう7月か……」
放送部で一人になってからはや3か月、もうすぐ夏休み。もちろん長期休みにラジオは無い。
時間経過の早さを痛感するほど、あっと言う間の日々だった。
「ここが踏ん張りどころだな……」
ふうと一つため息をついて、もうひとつ伸びをして、俺は教室へと戻った。
帰りに妙に晴れやかな顔の真城先生とすれ違ったが、声を掛けるのはやめておいた。何か割れそうな勢いでスマホ握ってたし。
教室に戻り、席に座る。
お堅いお隣さんは、相変わらずの無表情で本を読んでいた。
「おかえりなさい、影山君」
北原は本から目を離さず声を掛けてくる。
「ただいま北原」
「今日の放送もなかなか良かったわよ」
「そりゃよかった」
傍から見たら変な光景かもしれないが、俺はもう慣れてしまった。
北原は本に目を落としたまま、ゆっくりと頷いた。
「ええ、特に今日はふつおたのコーナーが素晴らしかった。ちゃんと古参を大事にする影山君の良さが存分に出ていたわ」
普段どこが良かったなどとは言わない北原だが、今日は珍しく具体的だった。
「古参……ああ、デルトラの森の話か」
「そ、そう!確かそんな名前だったかしら?」
思い出したかのように大きいリアクションを取る北原。だが、目線は未だにこちらに向かない。
「デルトラの森な……ちょっと今日のあれはショックだったからな」
「あ、あら?それまたどうして?」
北原の声が少し強張る。
どうしてかって、そりゃあ……
「そりゃあ、デルトラ節には何度も助けられてきたからな。昔のリスナーがほとんどいなかった頃もアイツのおかげで楽しくラジオ出来たし」
「……ふふっ」
沈黙の後、小さな声が聞こえた。
ちらりと横を見るが、北原の表情は大判の本に隠されて見えない。
いや、でも今のはどう考えても……
「北原、今笑った?」
「……」
本越しに深呼吸の音が聞こえてくる。10秒ほどの沈黙の後に、北原は顔を上げた。
こちらを向く彼女は、いつも通りの鉄面皮だった。
「笑ってないけど?」
「嘘、今ふふって……」
「笑ってないけど?」
「いや、でも」
「笑ってないけど?」
「……さいですか」
食い気味に否定してくる北原。その圧に押されて俺も引き下がった。
「まあでも、確かに北原があそこで笑う理由がないもんな」
「……」
考えてみればそりゃそうだ、何か別の音と聞き間違えたのだろう。
気を取り直して、俺も残りの昼休みの有効活用に移ることにする。
ええと、イヤホンイヤホン……
ピロン
鞄に手を突っ込んでイヤホンを取り出そうとしていたら、スマホが鳴った。
俺の携帯を確認するが着信は来ていない。横を見ると北原がスマホを開いていた。
「おお……」
思わず驚嘆に声を漏らすと、北原はこちらをちらりと流し見た。
「なに?」
「あーいや、別に……」
なんか北原がスマホいじってるの珍しいな、って言うか初めて見た気がした……。
だが言うのはやめた。そこに踏み込むと、悲しい事実に気づくことになる気がしたから。
「……っ!」
スマホの画面を見た北原は、一瞬顔を歪めた。怒りとも悔しさともとれるような顔だった。そして、返信を打ち込むことも無く、彼女はスマホを五指で強く握りしめて大きく振りかぶる。
スパーン!
「おおっ」
本邦初公開となった彼女のスマホは、すさまじい勢いで鞄へと叩きこまれた。
「ふう……」
手をぱんぱんと払って、北原は一仕事終えたように息を吐いた。
「その、良かったのか……?返事とかしなくて」
「ん?何の話かしら?」
「いや、今メッセージ来てたんじゃないのか?」
尋ねると北原は冷たい一瞥をバッグにくれた後、ゆったりとこちらに笑いかけてきた。
「あら、知らないの影山君?スマホがスパムメールを送ってきたときは、投げれば治るのよ?」
「令和でもブラウン管システムって健在だったのか……」
衝撃の事実だった。
まあいっか、珍しいもの見れたってことで。今度こそ気を取り直してラジオを聞くとしよう。
「ご、ごほん」
「……」
「あ、あーっ。さっき影山君と喋ったせいで喉が渇いてきたわね。お茶でも飲もうかしら」
「……」
「影山君」
「ん?どうかしたか?」
イヤホンを外して北原の方を向くと、彼女の机の上には銀のお茶缶が置かれていた。
北原は流し目にこちらをちらりと見てくる。
「影山君、喉乾いてない?」
「おん?」
「さっきからラジオで喋りっぱなしでここでも私とお話してたけから、そろそろ水が欲しくなる頃なんじゃない?」
「あー、まあ、そう、だな?」
そう言われてみれば喉が渇いている気がする。でも普段ラジオやってるときは喉乾くように感じないんだよな……アドレナリンとかなんだろうか。
俺が少し考えていると、北原はこほんと咳払いをした。
そして、ぐいっとこちらにお茶缶を差し出してくる。
「よ、良ければ私のお茶、飲んでもいいわよ」
「いや大丈夫、俺も自分のお茶持ってるし」
「なっ……!」
鞄の中から水筒を取り出して、北原に見せる。
彼女の心遣いはありがたいが、流石にそんなことしたら天罰が下る。心なしか周囲の男子の目線が厳しいような気もするし。
しかし、北原は引き下がってくれない。
「で、でも、その水筒だけだったら一日持たないでしょ?影山君は喉を使う仕事なんだから、水分は定期的に接種すべきよ」
「大丈夫、足りなくなったら自動販売機で買ってくるから」
「何?私のお茶が飲めないって言うの?」
北原はこちらにグイっと身を乗り出してくる。
ジトっとした目に見つめられて、思わず視線をそらす。
なんか、俺北原と目が合ってるとき大体怒られてる気がする……。
「いや、そういう強要はもう古いって言うか……」
「古いか新しいかじゃない、飲むか飲まないか」
「だから飲まないって……」
って言うか飲めない、恐れ多くて。
しかし、北原はなぜか引いてくれない。お茶缶を持ったまま俺の顔の方に近づけてくる。
「ほら、一口だけでも飲みなさいよ。先っちょだけでいいから」
「その言い方不味くない!?」
「不味くない、ほら」
北原はお茶缶をぐいぐいとこちらに押し付けてくる。
瞳は静かに燃えており、絶対に飲ませるという執念を感じる。なんでそんな意固地になってるんだよ……!
だが俺としても北原の水を飲むわけにいかない。何か、何か回避策は無いか……。
キョロキョロ辺りを見回していると、おろおろとしている女子が目に入った。
いつの間にか俺達の前に立っており、俺と北原を交互に見ながら落ち着かなさげにしている。
眼鏡でうつむいているせいで表情は良く分からないが、どう考えても話しかけるタイミングを失ってる感じ。
こ、これはチャンス……!
「き、君!何か用?」
俺が話しかけると、彼女は自分以外の人間を指差されているのではないかとあたりを見回した。
そして自分が話しかけられていると分かると、コクコクと頷いた。
「どうかした?俺?それとも北原?」
そこまで聞くと、ようやくお茶缶の圧が消えた。
流石の北原も諦めたようだ。ほっと一息ついて前を向く。
改めて前を向くと、見るからに内気そうな彼女は小さく息を吸った。
「わ、私っ!影山さんにお礼を言いにきました!」