不安と和解
「お客様お帰りです」
「「ありがとうございましたー」」
そのままバイトに復帰してしばらく、ピークは過ぎて客はもうほとんどいなくなっていた。
会計作業を終えた木南は、小走りでカウンターへと寄ってくる。
「店長、一通りバッシング終わって、オーダーも止まりました」
「了解、じゃあ木南さんは次のお客さん来るまで大丈夫だよ」
「はーい、分かりましたー」
木南はレジの壁にもたれかかり、ふうとため息を一つついた。
カウンターの裏からちらりとその様子をうかがうが、さっきと変わった様子は無い。
あれから木南が俺に話しかけてくることは無かった。
仕事中だしタイミングがなかったと言えばそれまでだが、今まで隙さえあれば絡んで来た木南と目が合わないというのは中々の異常事態だった。
初めは大したことないと思っていたが、何時も構ってくる奴が大人しいと言うのはどうにも落ち着かない。
うーむ、どうしたものか……
「何かお悩みのようだね、少年」
その時、後ろからとんとんと肩を叩かれた。
振り返ると、茶髪のポニーテールの活発そうなお姉さんがいた。
「美晴さん……」
「浮かない顔してるじゃん、どしたの」
「いやぁ、実は……」
美晴さんは、ビアンカのホールスタッフ。
木南と同じ接客担当で大学生。バンドの傍らここで働いている。
年の近いお姉さんという事もあり、俺達の相談によく乗ってくれる人だ。
「真希ちゃんの事でしょ」
「流石、よく分かりますね」
「君たちは分かりやすいからね。休憩時間が終わってから露骨に真希ちゃんは少年に絡まないし、君はずっと彼女の事目で追ってるからさ」
美晴さんは俺の事を何故か少年と呼ぶ。一応俺の名前を憶えてくれているはずなのだが、理由を聞いたら適当にはぐらかされた。
「喧嘩でもしたの?」
「まあ、喧嘩したというか……、俺が一方的に怒られたというか……」
「へぇ、君が怒られるなんて珍しいね」
驚いたように美晴さんは眉を上げた。
具体的な理由までは聞いてこなかった。
「多分謝った方がいいと思うんですけど、理由が分からなくて謝ってもいいものか……」
「なるほど、女心は難しいからね~」
「美晴さんが木南の側だったら、どうして欲しいとかあります?」
「そうね、恋愛経験豊富な私から言わせてもらえれば……」
美晴さんはあごにてをあてて考えるそぶりをする。
「そうだ、じゃあ今から少年に簡単な問題を出すね?」
「問題?」
美晴さんは小さく頷いた。
「最初に真希ちゃんがミカンを3個買ってきました、後1個買いに行ったら何個になるでしょうか?」
「……4個ですよ、馬鹿にしてるんですか?」
俺の回答に美晴さんはふっと片方の口角を上げたと思うと、ちっちと指を振った。
「女の子はね……最初にそのミカンをどこで買って来たか聞いてほしいの。そして残りのミカンを一緒に買いに行ってほしいの」
「……何ですかそれ」
「分からない?これが女の子の本質」
先輩は顎を軽く上げてしたり顔で見てくる。
「女の子は何であれ、自分に興味関心を持ってほしいものなの。そして興味を持つだけじゃなくて、ミカンを一緒に買うっていう形で自分に時間を使ってほしいの。そういう生き物なの」
「今のそういう意味なんですか?単純な算数の問題じゃなくて?」
「ええ、女心の計算式よ」
美晴さんは大きく頷いた。
彼女が言うのなら間違いないのだろう。複雑だな、女心。
「じゃあ、結局俺はどうすればいいんですか?木南に謝った方がいいんですか?」
「うぇ!?」
質問すると、美晴さんは虚を突かれたようにぴきっと固まった。
「え、えーっと……」
あの美晴さんの事だ、さぞ素晴らしいアドバイスをくれるに違いない。
期待の目で彼女を見つめる。
「そ、そうね……」
俺と視線を合わせないようにしつつ、ぐるぐると目を回す。
今彼女の中では様々な可能性を精査しているのだろう。
「ま、まあ!とりあえず何でもいいから声を掛けてみたらいいんじゃない?」
「成程、分かりました!」
勢い良く返事をして、木南の方に向き直る。
後ろで美晴さんがほっとため息をついた気がしたが、多分気のせいだろう。
木南は変わらず壁にもたれかかって、俯いて何か考え事をしているようだった。
「こ、木南……?」
恐る恐る声を掛けると、木南はくるりとこちらを向いた。
「あれ、どうしました先輩?」
「いや、その、さっきは悪かったな……」
「はい?」
「いや、何か気に障る事言っちゃったみたいだし。それに、安易に欲しいものがあるとか決めつけるのも良くなかったな、と……」
しどろもどろになりながら謝りゆっくりと木南の顔を見ると、ぽかんと口が開いていた。
「え、何で先輩が謝るんですか?」
「俺は女子の気持ちとかあんまり分かんないけど、先輩として、後輩を怒らせたままっていうのも良くないと思って……」
俺が説明すると、木南は大きくため息をついた。
「はぁ……どこまでお人よしなんですか……」
うつむいてぼそぼそと言う木南。
やっぱり相当怒ってるのかもしれない……。
彼女は上目遣いに俺の方を見てから、もう一度大きくため息をついた。
「いいですよ、元々先輩に怒ってたわけじゃないですし」
「そうなのか?」
「はい、どちらかと言うと先輩のラジオに怒ってただけです」
「ら、ラジオ……?」
余計意味が分からない。俺、ラジオでそんな変なこと言ったか?
「まあ良いです。攻める方針はおおむね分かってますし、どうせラジオ馬鹿な先輩に何言ってもしょうがない気がしますから」
「何だと?」
別に否定はしないけど!後攻め方ってなんだよ。
軽くかみついたら、木南はいつものように悪戯っぽく笑った。
「ほら、さっさと仕事戻りましょ。お客さん来ますよ」
「……そうだな!」
何にせよ、これで一件落着なのは間違いない。
ちらりとカウンターの方を見ると、美晴さんはシニカルな笑顔を浮かべてサムズアップしていた。
カランコロンとベルを揺らしながら扉が開く。
どうやらお客さんの様だ。口角を上げ、接客用の笑顔を作る
「いらっしゃいまっ……」
しかし、俺のとっておきの笑顔が最後までキープされることは無かった。
それもそのはず……
「一人なんですけど、席空いてますか?」
俺達二人の前に立っていたのは長い黒髪に見慣れた制服。
北原柚葉その人だった。