魅惑の誘い
生徒会長……西園寺先輩は穏やかな笑みを崩さないまま、その提案をしてきた。
「……手を組む、と言うのは生徒会と放送部が、という事ですよね?」
「ええ、その通りよ」
こくりと頷く西園寺先輩。
想定していなかった質問に、俺は困惑を隠せない。
「最近放送部は存続の危機なんでしょ?理由の大半は部員が一人しかいない事だとか」
「まあそうですけど……」
「私たちとしても放送部には浅からぬ恩があるわ。だから私達生徒会が放送部のスポンサーになってあげようと思って、それで今日は呼んだの」
スポンサー、要は生徒会が部員が俺しかいない放送部の後ろ盾になってくれるという事なのだろう。
「なるほど、生徒会がうちにつくってことですか……」
「ええ、私たちも協力していると分かれば先生方も迂闊に手を出せないでしょうし、あなたとしても安心では?」
名案でしょ?とばかりの先輩。
確かに彼女の言うとおりだ。放送部の現状を鑑みるに、願ってもない話だ。
だが、不安点も少しある。生徒会がバックに立つという事はすなわち……
「安心して、私たちはあくまで後ろ盾になるだけ。スポンサーと言っても、お昼の放送を私たちの指示した通りの内容にしろ!みたいなことを言うつもりはないわ」
「なるほど……」
「まあ、生徒会の名を貸す以上、流石に公序良俗に反するような内容はやめていただきたいけど」
安心しろとばかりの会長。スポンサーの意向で番組の方針が歪められるなんて事は放送業界ではよくある話だ。
しかし今回はそういう事ではないらしい。どうやら本当に放送部の今後を危惧してくれているみたいだ……。
……本当に言葉通りに受け取るなら、だが。
「で、その対価はなんですか?」
「え?」
「生徒会が放送部の後ろ盾についてくれる、その代わりに生徒会が俺に求める条件を教えてください」
この人は食えない人だ、あの笑顔を鵜呑みにして痛い目を見た人間を俺は何人も知っている。
しかし、西園寺先輩はショックを受けたように大げさにのけぞる。
「そんな、対価なんてひどいわ影山君、私はただお世話になった放送部にお返しをしたいだけなのに……」
西園寺先輩は心底悲しそうな表情をする。目にも少し涙が潤んでいるように見える。
「私は純粋に放送部を応援したいだけなのに、影山君は信じてくれないのね」
「生徒会を無条件に信じるなって、うちの先輩方に教わったので」
何も知らなければコロッと信じてしまいそうだが、俺は疑惑の視線を緩めない。
相手は西園寺千早だ、騙されるなよ……
手を口元に当てて、先輩ははぁとため息をついた。
「まったく、前代の会長には困ったものね……」
いや、他人事みたいに言ってますけど、去年のあなたも大概でしたから……
「取引したいならフェアに行きましょうよ。わざわざそんなことのために貴重な時間を使って俺を呼びだすとは思えません、どうせ交換条件があるんでしょ」
「……流石にこんな手は通用しないか」
先輩は軽く目を伏せた。
「で、どうして俺を呼んだって言うんですか」
大方放送部を使って生徒会の宣伝をさせるとかプロパガンダに利用するとか、そんな所だろう……。
様々な可能性を考えつつ、先輩の動向を窺う。
「しょうがない、あまりこういう伝え方は好きじゃないのだけど……」
「千早、やっぱり考え直した方が……」
「いえ、西園寺の女は一度決めた事は曲げないの」
心配そうにする庄内先輩を止めて先輩は顔を上げる。
すっと立ち上がりこちらに近づいてくる。
そして、すっとこちらに手を伸ばした。
「影山君、生徒会に入るつもりはない?」
冗談としか思えない提案だったが、会長の目は真剣そのものだった。
「俺が、生徒会に……?」
「今の生徒会に、庶務がいないのは知っている?」
「ええ、まあ……」
うちの生徒会は代々会長が他の役員を決めることになっている。
例年は前役職埋まるのだが、今年は適任がいないという事で、庶務の枠だけ埋まっていなかったのだ。
先輩は俺の顔をじっと見つめたままだ。その深い瞳に吸い込まれそうになる。
「私は、あなたにやってほしいと考えているわ」
「そんな、荷が重いですよ……」
生徒会のメンバーは選りすぐりだ、自分が彼ら彼女らの横に立てるとは到底思えない。
「この取引に乗ってくれたら、生徒会は放送部を最大限フォローする、勿論、あなたのラジオに支障が出るようなことはしないつもり」
「なるほど……」
冷静に考えてみても、これ以上ない位好条件の提案だった。
新企画を始めて放送の認知度は上がってきたが、それでも廃部は免れたわけではない。最早他の選択肢はないくらい完璧な条件だ。
俺に断る理由なんて一切感じさせない物言い。本人は取引だと言っているが、これじゃまるで……
「ある種の脅迫だな……」
「ふふ、脅迫だなんてひどい事言うわね」
「あ、いえ……」
ポツリと漏れた独り言は聞かれていたらしい。
先輩はグイッとこちらに顔を近づける。整った顔と共に、制服に収まりきらない程しっかり育った双丘も俺を圧倒してくる。
「これが西園寺の交渉術よ、これからたくさん見ることになると思うわ」
最早俺の生徒会入りは確定しているらしい。庄内先輩の顔を窺うが、相変わらず厳しい顔をしている。しかし、会長は自信満々だ。
「さあ、私の手を取りなさい。影山君」
どこかのアニメで見たような光景が、一人称視点で繰り広げられる。
この手を取ったら自分が主人公になったような、そんな心地よさがあった。
……だが
「すみません、西園寺先輩。申し訳ないですがそのお誘いに乗る事は出来ないです」
すっとソファーから立ち上がって、深々と頭を下げる。
聞こえるボリュームで庄内先輩がため息をついたのが分かる。
顔を上げると、先輩は相変わらずの笑顔だった。
「り、理由を教えてくれるかしら?あなたにとってメリットしかない話だと思うけど」
「生徒会から支援をしてもらえれば、確かに放送部は安泰かもしれません」
「え、ええ、そうよ。分かってるじゃない」
先輩はいつも通りの笑顔だ。だが、口角が少し引きつり、いつもの余裕は見られない。
「でも、俺は放送部唯一の部員として、今まで先輩たちが守ってきたこのスタイルを守る責務があるんです。だから、先輩たちの手を借りるわけには行きません」
「でも……それで放送部ごと無くなったら意味がないじゃない」
「はい、だから俺一人で、出来るところまでやってみるつもりです。もしもホントに廃部になったら、またその時考えます」
俺の回答に先輩は頭を抱えた。
「非合理的だわ……そんなに生徒会に入るのが嫌?」
「いえ、まさか誘ってもらえる何て思いませんでしたし、すごく光栄です」
分不相応なのは間違いないが……
「なら、絶対私の提案に乗った方が得よ。あのラジオを楽しみにしているリスナーだっているのよ?」
「先輩、結構嬉しい事言ってくれますね」
素直な感謝を伝えると、先輩は顔を少し染めた。
「いえ、今のは私がとかではなく……あくまで一般論と言うか」
「もちろん分かってます」
生徒会長は激務だと聞く。わざわざ俺のラジオなんて聞いている暇はないだろう。
だが、だからこそ伝えたかった。
「先輩は知らないかもしれませんけど、俺、今のリスナーさんたち、結構大事なんですよ。だから、あの時間は俺とリスナーさんだけで構成する時間にしたいと思ってるんです」
しかし、先輩は俯いて目をそらす。
「そんなの、ずっと知ってるわよ……」
「え、なんか言いましたか?」
「何でもないわよ!」
先輩がうつむきながら言ったセリフはよく聞き取れなかった。
……恨み節言われてなければいいな。
先輩ははぁ、と大きくため息をついた。
「最後に聞くけど、本当にいいのね。後悔しない?」
「はい、後悔しません」
最後の質問だろうが、俺は短く返答した。先輩には申し訳ないが、ここは撤退させていただこう。
最後に挨拶をしようと思った時、先輩はぐっとこちらを向いた。
その目には怪しい光が灯っており、思わず身がすくむ。
「私、西園寺家の娘として様々な教育を受けてきたの。西園寺家にふさわしい人間になるために、人の上に立つものになるために」
「は、はぁ……」
突如始まった思い出話に、困惑せざるを得ない。
話の続きを促す事しかできない。
「その中でも私が一番言われたことが何か分かる?影山君」
「い、いえ、全然わかりませんが……」
先輩は、口角を少し上げて怪しい笑顔を浮かべた。
「欲しいと思ったものは必ず手に入れろ、よ?」
「……っ!」
先輩はそのままの表情でドアを指し示す。
「帰りなさい、影山君。昼休みに呼びつけて悪かったわね」
「あ、いえ、そんな……」
「でも、生徒会はあなたを逃さないわ。それだけは忘れないようにね」
まるで獲物を捕まえる獣のような視線。
生物としての格の違いを見せつけられてすくむ心をなんとか立て直す。
「何度誘われても俺の心は変わりません」
「……」
「じゃあ、失礼します」
捨て台詞のように言って、俺は足早に生徒会室を立ち去った。
「ああ……つっ、かれた……」
そしてすべての授業が終わった。生徒会室での一件は余りに濃密で、午後の授業に集中するだけの余力はなかった。
鞄に本を詰めながら、北原はこちらを覗き込んでくる。
「影山君、大丈夫?」
「正直大丈夫じゃない……」
「昼休みから元気がないみたいだけど……生徒会と何かあったの?」
「いやまあ、ちょっといろいろな……」
わざわざ北原に言うような話ではない気がして、適当にごまかす。
「相談事があるなら聞くわよ?この後時間ある?」
「気持ちは嬉しいんだけど今日はバイトがあってな……」
バイトと自分で言ってより心は沈む。
こういうトラブルがあった時こそ、何故かバイトは入りがちだ。だから、今のうちに気力を回復しなければならない。
立ちあがり、うーんと大きく伸びをする。
その瞬間だった。
「せーんぱい!」
その瞬間、俺の脇辺りに何かが衝突した。
「うごおっ」
回復させようとしていたHPが、一気に削られる。
わき腹を抑えつつ衝突した方を見ると、そこにはニコニコ笑顔を浮かべるボブカットの後輩がいた。
「こ、木南……」
俺が名前を呼ぶと、木南は嬉しそうに大きく頷いた。
「はいっ!影山先輩の愛する妹、木南真希乃!バイトのお迎えに来ました!」