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あなたが口にしたのは、わたしの恋心でした (修正版)

作者: 雛雪

モチーフは人魚姫です。

春先の王都、空に舞う灯籠が一つ、風にあおられて火を上げた。

 それは、まだ八歳の王子ビョルンが大人に隠れて乗っていた祭礼の小舟へと落ち、彼の衣に火が移る。身体のバランスを崩したビョルンは声を上げる間もなく、舟から落ちた。

その時、ひとりの少女が水の中へ飛び込んだ。

 名はアデル。下級貴族の子爵家に生まれ、ビョルンとは二つ年上の幼なじみ。領地が海沿いのせいか泳ぎは得意だった。

 その日、彼女は全身を水に晒しながら、ビョルンを必死に水から舟に引き上げた。

 だが、燃え落ちる灯籠の火がアデルの胸を焼いた。

 激しい痛みに思わず、また水の中へ沈む。

 真っ赤に焼け爛れた肌の上で、涙のしずくが揺らめいた。

 しかし──その直後に駆けつけたのは、偶然滞在していた隣国スウェデの姫・クリスタ。彼女は慌てて桟橋から小舟に近寄る。

 クリスタがビョルンに手を差し伸べたとき、ビョルンの目は初めて開いた。

 そして彼は言った。

 「……助けてくれて、ありがとう」

 その言葉が向けられたのは、火傷の少女ではなかった。



大人になるにつれアデルは周囲の目を引くほど美しくなっていった。陽光に透ける銀の髪は波の煌めきにも似て、瞳は深い海の色を映し出す。だが、その一方で、胸の傷はより凄惨な紫に沈んでいった。

舞踏会。ワルツ。夜会の囁き。

アデルはいつもハイネックのドレスで胸元を覆い、舞台の隅でビョルンを見守る。

胸が痛むのは火傷のせいか、報われない恋のせいか。

ビョルンは気さくで、公平で、彼女にも優しかった。

けれどその瞳は、いつも「恩人」と信じるクリスタへの憧憬を滲ませていた。



時が過ぎ、ある春、クリスタが王都へ留学してきた。

黄金色の髪、薔薇香る笑声。羨む美貌。

彼女は「幼い頃あなたを助けられて幸せですわ」と微笑む。

ビョルンは確信を深め、父の国王に嘆願し、クリスタとの婚約が決まった。

アデルの心は崩れかけた壁のように軋む。

**「私が助けたのよ」**と叫びたい。

だが身分が、身分よりも胸の傷が――ビョルンの前でさらけ出せぬほど醜いその跡が、言葉を塞いだ。



噂を頼りに、アデルは河口の洞窟へ辿り着く。

そこに住む海の魔女ネレイアは、青白い鱗をまとった半人半魚の姿をしていた。

「美しい声と引き換えに、その火傷を癒してやろう」

アデルはためらわず頷いた。

翌朝、胸の肌は真珠のように滑らかになっていた。だが代わりに彼女の鈴を転がすような美しい声は消え、老婆のような掠れた声になっていた。



王宮の温室。

バラの香に包まれながら、アデルは震える喉で彼に想いを告げる。

「び、びょ…るん様……わ、私が……あの日――」

しゃがれた声は風に散り、ビョルンは困ったように微笑む。

「アデル、その声…大丈夫か?君の美しい歌声にいつも癒されていたのに……」

それは優しい拒絶だった。

ビョルンは彼女の手を取らず、遠くに見えるクリスタへと視線を向けた。



そして瞬く間に数年が経ち、ビョルンとクリスタの婚礼の日となった。

大河に浮かぶ純白の帆船《アンフィトリテ号》

装飾された甲板には、花弁と祝福の歌声が渦巻く。 アデルは群衆の中で船を見つめ立ち尽くす。

胸の痛みは消えたはずなのに、呼吸するたびに心臓が裂けそうだ。

夜、満月が水面を照らすころ、彼女は再び洞窟を訪れる。

魔女はほくそ笑み、翡翠の小瓶を差し出した。

「この薬を飲めば声は戻る。だが恋が成就しなければ、日の出とともにその命は尽きる」

アデルは震える指で瓶を掴み、迷わず飲み干した。



婚礼の夜会。

アデルの喉から、かつてよりも澄んだソプラノが流れ出す。

月明かりとランタンが揺らぐ甲板で、人々は息を呑み、惜しみない拍手を贈った。

ビョルンもまた目を潤ませ、ただ一言――

「ありがとう。その歌を、ずっと忘れない」

その一言で十分だった。

アデルは微笑み、深く一礼をして、星空を仰ぐ。

(あなたが幸せなら、それでいい)



夜明け前、彼女は船の縁に腰掛け、静かに目を閉じた。

朝陽が昇るころ、アデルの身体は白い泡に溶け、水面へと消えていった。

誰も気づかず、祝宴の名残だけが川面に漂う。



洞窟でその気配を見取った魔女ネレイアは、カーネリアンの水晶を砕き、泡を掬い上げる。

「哀れな。せめてもう一度、この世を泳がせてやろう」

水晶の光は小さな銀鱗へ。

アデルは蒼銀の魚となり、大河を上って王都の岸辺へ辿り着いた。



早朝、日課の釣りに興じる老兵が、きらめく魚を釣り上げる。あまりに美しい魚だったので王宮に進呈した。

たまたま受け取った王子妃の侍女は魚は食べる物との認識しかなく、王宮の料理長に差し出した。


その日の昼、ビョルンの私室には青魚のアクアパッツァの皿が運ばれた。

ドアを隔てた向こうの夫婦の寝室にはクリスタがまだ眠っている。

一口目――舌に触れた刹那、ビョルンの脳裏に鮮烈な映像が流れ込む。

焼け付く灯籠、飛び込む少女、胸に刻まれる火傷。 掠れた告白、最後の歌声、泡となる朝。蒼銀の魚。

フォークが皿に落ち、カランと高い音を立てた。

ビョルンは顔を覆い、崩れ落ちる。

「どうして……どうして気づかなかった!」

あふれる涙は止まらず、白磁の皿に落ち、色を変える。

涙を流しながら、けれどビョルンは食べ続け、やがて皿の上の魚は跡形もなく彼の胃袋の中へと消えていった。



夜の大河で、ときおり白い泡が一斉に花のように開く。

海の魔女ネレイアは、そこまで王子のそばに居たかったのか、と独りごちた。

一緒になれたの、幸せよ、と少女の囁く声が波に乗って返ってきたような気がした。


ラスト修正しました。φ(・ω・ )カキカキ

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