妖精の魔法2
さんざん水を掛け合い、しぶきをあげたあと、みんなは岸に上がって身を投げした。
ケイトが日なたで服を乾かしていると、ロゼッタが思いついたように声をあげる。
『そうだ!今度は魔法で石を飛ばして遊びましょうよ!』
『いいね。誰が向こうの川岸まで飛ばせるか競争だ〜』
“魔法”という単語に、ケイトはびくりと肩を揺らした。胸の奥に冷たい影が差す。暗い顔したケイトを、その暗い表情に気づいたフィーが、心配そうに覗き込む。
『ケイト?石飛ばすのはやだった?』
ケイトは小さく頭を振った。喉がつまって声が出ない。
「ち、違うの……。実は、その、……私、魔法が使えなくて」
小さく告白するケイトに、ロゼッタとフィーは同時に目を丸くした。
『えっ!ケイト、魔法が使えないの!?』
「うん……。誰でも使えるのに、可笑しいよね……」
自分を責めるように、ケイトの声は小さく震えていた。
ロゼッタやフィーは助け舟を求めて、リューシーを見た。
リューシーは腕を組み、しばらくケイトをじっと見つめてから言った。
『確かにケイトが魔法を使えないのは可笑しいな』
「やっぱり、そうだよね……」
リューシーにまでそう言われて、ケイトの心はますます沈む。
けれど次に返ってきた言葉は予想もしないものだった。
『いや――君には、確かに魔力がある。むしろ、とても強い魔力がね』
「えっ、私にも魔力があるの!?」
ケイトは両手で口を覆い、信じられないという表情を浮かべた。
リューシーは当然といった調子でうなずく。
『あるよ。君の周りには、いつも光が零れている』
『そうそう!ケイトはね、いつもピカピカして見えるんだよ〜!』とフィーが嬉しそうに跳ねる。
「……でも、私はなにも感じないよ。普通は体の中で魔力を感じるって聞いたのに」
ケイトは幼い頃、他の子供たちと一緒に魔法の使い方を教わった。しかし一度たりとも発現できず、そのせいで長い間「役立たず」と罵られてきたのだ。
苦い記憶が胸をかすめ、言葉が震える。
リューシーは静かに頷き、柔らかな声で告げた。
『ああ、成る程……。ケイト、君の魔力は大き過ぎて体内に収まりきらないんだよ。常に君の魔力は溢れていている状態だから、その教わり方では気が付けなかったんだね』
「そんな……」
ケイトは直ぐには受け入れられず、呆然とした。相槌も打てないほどのショックだった。
ロゼッタとフィーもかける言葉を見つけられず、不安そうに視線を交わす。
その空気を見かねて、リューシーが歩み寄った。
『良かったら、魔力の使い方を教えようか』
「……!……いいの?わ、私にも魔法が使えるようになる……?」
『大丈夫。ほら、手を出してごらん』
差し伸べられた言葉に、ケイトの瞳がぱっと揺れる。
期待と不安で胸が高鳴り、震える手をそっと差し出した。
リューシーは優しく頷き、その手を包み込む。
『今から魔法がどんなものか教えあげる』
その言葉にケイトの胸は高鳴り、手が震える。
『手を出して』
「う、うん。こう?」
『そう。お互いの手を重ねてみよう』
ゆっくりと手と手を合わせる。リューシーの手のひらはひんやりしているのに、触れ合ってる部分がじんわりと暖かくなっていく。
あまりの心地よさに自然とケイトの口から吐息が漏れた。
『どう?分かる?君の中に魔力が流れてるのを』
本来なら、魔力とは体の内に感じるものだった。少なくともケイトはそう教わった。
「……うん。私の中から……あふれてくるのが分かる……!」
けれど、全身を駆け巡る得体の知れない力が、今にも体を突き破って溢れ出しそうなほどにみなぎっているのを、ケイトは感じた。
『目を開けてみて』
促されて、いつの間にか閉じていた瞼をゆっくりと開く。
次の瞬間、視界が光であふれた。自身の身体が光っているのが見える。それだけではなく、木や植物、空気が薄っすらと発光しているようだった。
ケイトの目には世界全体がきらきら輝いて見えた。
「うわぁ、綺麗……!」
言葉は吐息となってこぼれる。
今までただの風景にしか過ぎなかったのに、こんなにも息を呑むほど世界が美しかったなんて。
『見えた?』
「う、うん!見えるものすべてが光り輝いて見える。こんなに世界は綺麗だったんだね」
リューシーは微笑み、ケイトの驚きを受け止める。
『そう。なにも魔力は内に秘めているものだけではなく、自然にも魔力は満ち溢れているんだよ。妖精は自然の力を利用しているんだ。
じゃあ魔法の練習をしてみようか。まずは水球を生み出すイメージをしてみて』
ケイトはごくりと息を呑み、両の手を胸の前で重ねる。頭の中で、水の珠が宙に浮かぶ様を思い描いた。
すると、空気がひやりと震え、頭上に拳ほどの透き通った水球がふわりと現れた。
「……っ!!今、私が魔法使ったんだよね!?」
胸がじんと熱くなって、思わず涙が出てきそうだ。
『これで満足しちゃいけないよ。今の君なら……そう。自然の力も頼れる筈』
「自然の力?」
『ああ、空気はたくさんの水分を含んでいるんだ。その水をかき集める様子を想像してみて」
言われたままに目を閉じる。
周囲に漂うきらめく粒子を両手ですくい集めるように意識する。今度は、上空に巨大な水塊が生まれ、空を覆った。
「リューシー!ど、どうしよう!」
見上げるほどの水の塊に、ケイトは蒼ざめる。
この大量の水が落ちてきたらずぶ濡れ、いや下手したら、小さな妖精たちを大怪我させてしまう。
『落ち着いて、ケイト。今度はその水で雨を降らせるんだ』
「降らせるって、どうやって!?」
『辺り一面に細かく勢いよく飛び散らせるイメージを浮かべて』
必死に想像する。無数の水の粒が弾けて、霧のように舞い散る姿を。
次の瞬間――空を覆った水塊はぱんっと爆発して、無数の雫となって降りそそいだ。
『わぁ、雨だー』
『ひゃあ、つめたい!」
妖精たちが歓声をあげてはしゃぐ。羽に水滴を散らしながら、きらきらと飛び回る。
水滴は落下の過程で細い雨になり、地表をまんべんなく濡らしていった。
ケイトは目の前の光景に見とれた。魔法の雨を生み出した事実に感動して言葉も出なかった。
霧雨のような雨は、みるみるうちにケイトの髪や肩を濡らしていく。
不思議と、嫌な気持ちにはならなかった。
土や草木のように全身全霊で雨水を受けいれる。いっそ、清々しい気分だった。
「……すごい。私にも魔法が使えるなんて夢みたい」
『間違いなく君の力だよ。魔法で雨を降らせる人間なんて、そう居ない』
やがて雨はやみ、青い空に大きな虹が架かった。
その透き通るような色彩は、まるで夢のようだ。赤やオレンジ、黄色、緑、青、青紫と、様々な色が織りなす、夢の架け橋。
ケイトは見上げながら、頬を濡らす雫を指先でぬぐった。雨なのか涙なのか、もう分からない。
「やったあ!私、魔法を使ったんだ!」
やっと、やっと……私にも魔法が使えた……!
――家族に役立たずと罵られているうちに、削られていったケイトの自尊心。
ほんの少し、失っていた自信を取り戻す事が出来た気がした。
雨上がりの青い空に掛かる一本の虹に、ケイトは満面の笑顔を零す。
リューシーも眩しいものを見るように目を細めた。