妖精の魔法
妖精たちとの暮らしは穏やかだった。彼らは皆、ケイトに優しく接してくれ、毎日のように「遊ぼう」と誘ってくる。
人間の国へ帰る手立てを探す暇はなかなか見つからなかったが、それ以上に妖精たちと過ごす時間が楽しすぎて、気づけば一日があっという間に過ぎ去ってしまうのだった。
『ケイトー、今日は何してあそぶ?』
『あそぼ、あそぼー』
『今日はかくれんぼしよ!』
妖精たちは隠れん坊をするのが大好きだった。彼らは小さな体を利用して、葉っぱの影や花の中に上手に身を隠した。
けれど、身体が大きなケイトは隠れてもすぐに見つかってしまうから、もっぱら鬼役ばかり。
そして、小さな妖精たちを探すのは一見難しそうだが、彼らはじっとしていられず、くすくすと笑い声を漏らしたり、羽音が震えたりするので、そう長くは隠れきれなかった。
隠れんぼは、気づけば鬼ごっこに変わり、逃げまどう妖精たちをケイトは必死に捕まえようとする。
「待てー!」
『きゃあ!きゃははは!』
青い空を覆う雲が流れるなか、小さな妖精たちが花畑を飛び回る。彼らは花々の間を跳ね回って、楽しそうに笑っている。
ひときわ目立つのは、赤い髪の妖精ロゼッタだった。
透明な羽を揺らしながら花の上を転がり、やがて弾むように踊りだす。その姿に引き込まれるように、他の妖精たちも一斉に舞い踊った。風に揺れる花々と同じように、彼らも軽やかに身体を揺らし、くるくると宙を舞う。
ケイトも一緒に、白詰草の絨毯の上を転がった。髪に草がついても気にしない。なんだか可笑しくて、寝転がったまま大笑いした。
妖精たちと遊ぶのは、童心に返ったようで楽しかった。まるで子供時代をやり直しているような気分だった。
けれど、笑い声が空に吸い込まれていくと、不意に胸の奥にかすかな影が差す。
……過去に、こんなふうに遊んだこと、あっただろうか。
エミリーと一緒に遊んでも、すぐに「ケイトのせいで台無しになった」と言われた。村の子どもたちとも、怖がられたり、気味悪がられて仲間に入れてもらえなかった。
だから「一緒に遊ぼう」と手を差し伸べられることが、今も信じられないくらい嬉しかった。
『ケイト? どうしたの?』
赤髪のロゼッタが、ひょいと花の影から顔を覗かせる。
「ううん、なんでもない。ただ……幸せだなって思っただけ」
妖精たちと遊んでいると、人間の国のことを忘れてしまいそうになる。家に帰る道を探すべきなのに、心地よいぬくもりに浸れば浸るほど、その決意が遠ざかっていく。
白詰草の上で仰向けになったまま、ケイトは流れる雲を見つめた。
ある日、ケイトたちは花畑を抜けた先にある、小さな川へと遊びに出かけた。
午後の太陽は高く昇り、川面に反射した光はきらきらと眩しく、思わず目を細めるほどだった。
川のせせらぎは涼やかに耳をくすぐり、その上で妖精たちは思い思いに水遊びをしていた。彼らは、水面を滑りながら、波を立てていた。その姿は小舟が波を切るようで、ひときわ楽しげに波紋を広げていく。
ときおり、ひしゃくで水を掛け合うかのように、互いに飛沫を浴びせ合っては、きゃらきゃらと澄んだ笑い声を響かせていた。
『ケイト、今日は釣りをしましょ。いっぱい釣るわよっ、今日はご馳走ね!』
ロゼッタはふんふんと鼻を鳴らして、やる気いっぱいだ。岸辺には平らな岩が突き出した場所があって、ケイトはそこに腰掛けた。
『ケイトは釣りははじめて?』
リューシーの質問にケイトは頷く。
虫が苦手なケイトの代わりに、リューシーはケイトの竿の針に虫を刺してくれた。振りかぶって少し遠くの水面に糸を垂らすリューシーを真似て、ケイトも竿を振る。
「えいっ!」
水音が軽く跳ね、浮きが川面に揺れる。
『あとは餌に魚を食い付くのをじっと待つ。魚に針がかかると浮きが沈むから、竿を引いて釣りあげてごらん』
「わかった!」
張り切った声で返事するケイトに、リューシーはふと柔らかく笑みを洩らした。
『慌てては駄目だよ。浮きが沈みきる前に竿を引いたら、魚が逃げてしまうからね』
「う、うん……!」
しかし、ケイトの意気込みとは裏腹に、なかなか魚は釣れなかった。
引っかかりが何度もあったが、引き上げてみると何も引っかかっておらず、ただエサだけは綺麗になくなっていた。
「意外と釣れないんだね……」
『そんな時もあるよ〜。のんびり待とぉ』
そう言うフィーの籠には、すでに三匹の魚が跳ねている。悠々と笑みを浮かべるフィーに、ケイトは唇を尖らせた。
その時、ロゼッタの釣り竿が大きくしなった。
水面がざわつき、竿が引き込まれそうになる。ロゼッタは前つのめりになって踏ん張った。
『お、大物よ!ちょっと手伝って!』
慌てて竿を放り出したフィーが駆け寄り、ロゼッタと一緒に必死に引っ張る。ふたりが竿を上に引き上げると、水面から大きな魚が躍り出た。
ばしゃん!と激しい水飛沫と共に、ふたりは引きずり込まれるように川の中へ真っ逆さまに落ちた。
『うひゃあ、びしょ濡れだあ……』
『フィーの力が足りなかったせいよ。折角の大物、逃しちゃったじゃない!』
フィーは情けない声を出して、ぶるるっと顔を振って水気を飛ばす。ロゼッタは濡れた髪を振り乱しながら、悔しそうに脚をばしゃばしゃさせる。
あまりの光景に、ケイトはぽかんとした後、こらえきれずに笑い声をあげた。
『ケイトも笑うなんて酷いわ!』
「あはは!ごめん、ごめん。立てる?」
川に浸かっているふたりに手を差し伸べる。ロゼッタとフィーは目配せして、にやりと笑う。
次の瞬間、ふたりはケイトの手を掴んで、思い切り引っ張った。
「きゃあ、冷たい!」
水しぶきと共にケイトも川へと引きずり込まれる。妖精たちは声をあげて笑い、ケイトも笑いながら叫んだ。
『笑った仕返しよ!』
「やったなぁ、この!」
ばしゃばしゃと水を掛け合う。
冷たい川の中で、三人の笑い声はいつまでも響き続けていた。