サーモグラフィ
アリロスト歴1900年 7月
麗しい笑みを浮かべるエイム卿に、俺は冷えたジャスミンティーを氷を浮かべたグラスで差し出す。
別に俺がジャスミンティーを淹れた訳では無い。
厨房で冷まされたジャスミン・ティーを艶やかな白磁のティーポットに入れて、此処へ運んで来てくれたモノを、俺が受け取りそれをグラスに注ぎ、アイスペールに入った氷をグラスにぶち込んだだけ。
俺が、お茶をグラスに注ぎ入れて、グラスに氷を投げ込むと美味しくなる、、、と、雇い主のエイム卿が御所望なので、「面倒」等とは露ほども考えずっ、ゴホゴホっっ。
済みません。
嘘です、メッサ面倒。
でも、エイム卿が「旨い!」って言うなら仕方がないと思い、俺は「エイム卿の気のせい」って、一言を飲み込んだ。
こう言う若干の擦れ違いなど良くある事なので気にせず、俺は麗しいエイム卿に今日も傅いている。
明るくホワイトな職場環境を俺は目指して居るのだ。
俺の財布の中身が空なように、世の中も不況らしい。
『らしい』と言うのは、俺が下宿112Bや此処南セントラルにある男爵邸で過ごして居ると、食べるモノは在るし、調理用の薪も炭も在るし、珈琲や紅茶、酒、葉巻と不足が無いので不況具合が判らない。
でもって今年は選挙だったので、そう言う不況の不満を煽る選挙活動も多く、詰り、許可を得た集会も一杯あって、悪魔エイム卿の配下ーズ達は多忙だった。
選挙権拡大を目指すロバート・カスタット議員は、同じ活動をしている仲間の為に、熱い演説をしていたそうだ。
配下ーズの報告を受け、過激な発言や社会不安を煽る演説などをしている人々に、次々とエイム卿チェックが入る。
要監視対象ですね。
監視レベルが高くなると私信は無くなるんだよな、ハア。
そう言う暗く成りがちな執務室、基、談話室の空気を明るくしようと、俺はアロマ・オイルを焚いていた。
クロエも応援していたロバート・カスタット議員は、エイム卿からのチェックが山盛り付けられていた。
うーん、案外ヤバイよなー。
流石に公の場で王制の批判は不味いと思うよ、ロバート。
バランス感覚があるウィルから忠告して貰えてると良いな。
経済政策は国の関与をトコトン嫌がるグレタリアン国民へ施せる手は、餓死者を出さない為に救護院を増やすくらいしかない。
フーリー党が推している経済政策、安い小麦を仕入れる為の穀類関税自由化は、選挙民の心を掴んだようだ。
穀物が安く輸入されても庶民の手に届く頃には如何なっているのやら。
そんな胃の悪い選挙前の日々を過ごし、選挙が終わって結果発表。
ホリー党258議席、フーリー党242議席。
つう、ややホリー党には不満の残る結果になった。
選挙法改正して初めての選挙で色々と混乱も有ったが、なんとか収拾はついた。
秘密選挙じゃ無いから、労働者と経営者のイザコザガ有ったりと現場の人達は大わらわ。
顕在化した問題は、話し合って改正されることを俺は願っている。
そんな事をエイム卿配下ーズの1人ケニーと駄弁っていると、扉を開いて淡い金糸の髪を揺らし麗しのエイム卿がホリー党本部から戻って来た。
相変わらず51歳に成っても整った容姿は麗しく、エイム卿は優美な動きで何時ものテーブルへと向かい、安楽椅子へと腰を掛けて、俺の着席を待った。
「トリス・ローデが植民地副大臣に成った。後はパトリックが教育担当大臣に成った。他は大きく変わっていない、ジャックは一応、各大臣の資料に目を通して於け。」
「はい、あれ?外務相がぬらりひょん、、では無く、デニドーア公爵と記されてますが。」
「ああ、デバーレイ首相がフーリー党の前外相に頼んだのだが断られたそうだ。トルゴン帝国に併呑されていた王国との密約が掴めなかったから、もう一度外相として働いて貰いたかった様なんだがね。其処で、長生きだけはしている老体のデニドーア公爵に頼んだそうだ。」
「はっ、はは、、。」
そんな乾いた笑いを思わず俺は漏らす。
エイム卿を敢えて不機嫌にさせる、ぬらりひょんデニドーア公爵へ嫌味を言うエイム卿である。
外務相と植民地相は、格と利権が大きいので人気のポスト。
まあ、ぬらりひょんデニドーア公爵は、あの好々爺な風貌で各国の大使も煙に巻いて行きそうだが、グレタリアン帝国大好きなトリス・ローデ氏が、植民地の方針を決める副大臣に成った事を想うと、俺の気分は重く沈んで行った。
つうか、副植民地相って他の議員からバッシングされそうだ。
俺も、もう今更グレタリアンの覇権主義に対しては、諦めて居るし、グレタリアンが目指さなくてもルドアやプロセンや他の国々も、植民地拡大を目指しているので何も言う気は無いが、なんかトリス・ローデ氏はヤバイ気がするんだよなー。
緑藍がトリス・ローデ氏の事を無邪気な覇権主義って話していた。
そう言う場合は、欲が或る方がストッパーに為るので安心が出来るのだけどな。
でもって、大臣にまで成ったパトリック・ウォーゼン議員。
主に幼年学校とミディ・スクールを担当するらしい。
今回パトリックの為に新設されたポストって言っても良い。
俺は呪われた男パトリックで大丈夫かと少し心配だったり。
俺は用意されたミント・ティーを涼し気なグラスに注ぎ、氷を投げ入れエイム卿へと差し出した。
俺も気分を変える為に爽やかな香りのミント・ティーに口を付けた。
この所、南セントラルにある男爵邸ではすっかり穏やかに成ったエイム卿がエロいテノール・ヴォイスで俺へ声を掛けた。
「新たに出来た選挙区で当選したアーサー・バレンとジャックも会ってみるかね。」
「珍しいですね。エイム卿が社交以外で、自ら俺に誰かを紹介するのは。しかも当選と言う事は、庶民議員の方ですよね。」
「そうだ、変な政治家なのだ。リンダム市長をしていたのだが、ガスと水道を市営にして不衛生だった街を変えたのだ。そう言う経緯もあって、デバーレイ首相からの後押しもあり、庶民議員に成ったのだよ。」
「あのー、思うんですがデバーレイ首相って本当に保守のホリー党議員なんすかね。」
「ふっ、ソレは何を保守するかに因るだろ?ジャックも偶に言うだろう?何に対する自由か?と。」
「うっ、エイム卿は俺とケニー、シモン、セオとの会話を聞いて居ましたね?盗み聞きとは、エイム卿も性質が悪い。」
「偶々聴こえただけだ。私はジャックのそう言う忌憚ない意見が聞きたいのだよ。パトリック・ウォーゼンとは、ジェロームと一緒に良く話しているのあろ?」
「えーと、エイム卿の折角の誘いですが、俺ってあんまり政治家に興味が無いんですよね。パトリック氏はジェローム探偵事務所で会えば面白いので、ジェロームと共に話しますが。」
「まあ、私に就いて居れば挨拶することに成るだろう。ジャックなりにアーサー・バレンを観察して呉れ。」
「あっ、はい。」
そう言って、エイム卿は新たなカップに俺が淹れた熱い珈琲を旨そうに飲んだ。
平気そうな顔をしてエイム卿の話を聞いていたが、俺はこのバリバリ自助努力の国グレタリアンで、公共サービスを行う市長が居た事に、実は驚いていた。
父親が投資していた製造会社の1つを経営して、次々に同業他社を買収し、独占企業へ育て上げて、大事業家になった。
それでも父親の工場を手伝い労働者の生活を知っていたアーサー・バレンは、その労働者の視線を忘れず、労災や疾病の保険組合を創設、指導した。
この頃学んだことを元に、当時自由気ままで不衛生だった水道会社を労働者の為に手に入れ、市長に成った際に公共化したのだと言う。
どっちかというとロバート・カスタット議員と相性が合いそうな気がするのだが、何故かホリー党議員であったりするんだよなー。
でも、アーサー・バレン氏のそれが切っ掛けで、ロンドの水道も公共化すれば、少しは設備投資されてマシな水質に成るかも知れん。
そんな事を俺が考えているとエロいテノール・ヴォイスでエイム卿がボソリと呟いた。
「そう言えばジャックはノルセー伯爵とは会っているのか?」
「いえ、パトリック氏のお陰で陛下にエイム卿も呼ばれなくなってからは会ってませんね。俺ってあんまり粋って良く判らないし、オペラもちょっと、、、なので会っても話しませんからね。」
「そうか、なら良い。」
「?」
そう言うとエイム卿は俺に珈琲のお替り所望し、葉巻を切って火を点けた。
ノルセー伯爵は、ラビット・クラブを人に任せて、陛下のお呼びが無い時は、新しい劇のシナリオや配役を決めたり、新たな衣装のトレンド作りに色々と忙しい。
チャッカリしているノルセー伯爵は、確りと陛下のネームバリューも活かしつつ、自分の拘りの逸品を創り出し、それを社交界で宣伝し売り出している商売人でもある。
リョートン伯爵の娘とも随分前に婚姻した筈だが、時折、恋の噂が俺の耳にも届いて来る。
碌で無しな夫ノルセー伯爵と、ソレを紹介した賭け好きな父親リョートン伯爵を持つの娘の事を「大変だな」と、思わずにはいられない。
偶に下宿112Bへ意味不明な手紙とプレゼントがノルセー伯爵から送られて来るが、呪われそうなのでトマスやクロードへ頼み、早急に返品して貰っている。
どうも自分大好きなノルセー伯爵は、俺が送ったモノを返品している意味が理解出来ないらしく、時間を置いて又、送って来たりする困ったさんだ。
きっとエイム卿にも「ジャックと付き合ってる」てな寝言を言ったのだろう。
ドリーマーな人間で無いと多くの人々にドリームを見せられないのかも知れない。
つっても俺がそう感じているだけで、相変わらずノルセー伯爵のファンは熱い。
夜会で見掛けると、信者がぐるりとノルセー伯爵を取り囲んでいるので、その熱気を感知すれば彼の居場所が直ぐ分かってしまう。
サーモグラフィ・レッド。
そう俺の脳が判断を下せば、回れ右をして即時撤退をしている。
意外と便利なノルセー伯爵熱源感知システム。
ノルセー伯爵をぐるりと取り囲んでいる紳士だらけのその風景に逃げ出す俺の足が速くなる。
ある意味で鉄壁の貴婦人除けにも成っている。
そんな恐ろしい光景を想い出して居るとエイム卿の静かな視線を感じた。
エイム卿の後ろへセットしている淡い金糸の前髪が、サラリと揺れて白く整った額へと掛かり、俺へ向ける視線が不安げに揺らいだ。
エイム卿の透明な瞳が俺を捉えて動かない。
えっ、何?
此の沈黙を俺は如何すれば良いんだ?
えーと、俺はエイム卿に何を求められているんだろう。
如何して良いのか分からない沈黙にドギマギしていると、おずおずとケニーがトレイに俺が頼んでいた冷えたイチゴを硝子の器に盛って運んできた。
グッジョブだよ、ケニー。
お礼に後で俺の作った取って置きの林檎酒を1瓶分けて上げよう。
「あ、ジャック、言われてた冷えたイチゴを持って来たよ。」
「有難う、ケニー。」
「し、失礼、お邪魔しました。」
なんだか微妙な部屋の気配を察して、ケニーはアタフタしつつ、謝りながら通称談話室を去って行った。
うん、通称は談話室だけど、どう見ても執務室だよなー。
元は俺の寝室だけども。
俺は、銀色のトレイから透明なカッティング硝子の器を、手の熱で暖めないよう、下に敷いてある硝子プレートごとエイム卿の前に置いた。
今が旬な赤く熟れたイチゴたちはどれも美味しそう。
「エイム卿、どうぞ。午前中から冷やして居たんですよ。」
「ああ、良く熟れてるな。ジャックはイチゴが好きなのか。」
「はい、果物は大抵好きですよ。もし酸っぱかったら此の蜜を掛けて下さい。」
「うむ。貰おう。」
俺はイチゴを口へと放り込んで、上顎で舌に押し付けて果肉の柔らかな感触と溢れ出す酸っぱい果汁を愉しんでいると、エイム卿が安楽椅子から立ち上がり、俺の座っている右隣のソファーへ腰を掛けた。
そして、徐にエイム卿がイチゴを指で抓んで俺の口元へと近付けた。
此れってやっぱり「あーん」つう奴ですよね。
確かにウェットリバーの離れで俺はエイム卿から餌付けされていたけれども、一応さ、此処は職場で配下ーズも居る訳だし、エイム卿も俺も色々と恥ずかしいと思うだよねー。
つう視線でエイム卿に訴えてみたけど、俺の口元に近付けたイチゴの距離は変わらぬ侭。
俺は内心嘆きつつ、エイム卿が嬉しそうに差し出すイチゴを5粒も頂きました。
勿論、俺からもエイム卿に「あーん」の返礼を求められたので羞恥に包まれつつ、7粒の内、5粒のイチゴを麗しい口へと入れさせて頂きました。
緑藍ヘルプっ!
俺が倒れてから如何にもエイム卿の様子が可笑しい。




