しょっぱい現実
アリロスト歴1900年 3月
如何やら世の中は不況に成ったらしい。
俺は何時もの安楽椅子へ身体を沈めて『ロンド・タイム』を右手で丸めて持ち、見出しを目で追う。
新聞では何時も不況と言う記事が出ているので、俺には「またか」と言う意識しか湧かない。
下宿112Bでは、商売に関わっている筈のクロエが現在ルスランから仕事を取り上げられて、まったりニックと部屋で過ごす日々を送っている。
元はオーリア帝国の株価が急落した事に端を発して、不況に成ったヨーアン諸国でグレタリアン商品が売れなく成り、必然的に輸出品目が減り、余剰製品を産みだす工場が潰れて行っている状況だと俺にルスランは話した。
ジャックは『買いたく無い』と言っていたグレタリアン製品も他国では、それなりに売れていたみたいだ。
今年の選挙は4年の半数入れ替えの為に或るので、パトや現在首相のデバーレイやロバート・カスタット達は立候補せずに済んでいる。
パトにとっては労働問題は如何でも良いので、デバーレイ首相と法案のバーターをしている。
デバーレイ首相は議員に成る前、色々な商売に失敗し、借金返済の為に色々な工場で勤務し、労働環境の劣悪さを知ったので、ソレを改善しようと頑張っていると言う。
先ずは労働時間の短縮を目指して居て、パトの幼年学校の教科書無償化とを取引している状態だ。
アレ?
デバーレイ首相って保守のホリー党だよな?
進めたい施策ってフーリー党っぽいなー。
つうてパトの話を聞いて思っていたんだよね。
反対の多かった選挙権の拡大もなんとか実施したし。
国内は調整しながら法案を通し、でも国外は覇権主義なんだよなー。
グレタリアン民は最高って言っているトリス・ローデ氏とタッグを組んでるみたいだから、ジャックの胃を直撃しそうな政策になりそうだ。
パーシーがシェリーの為に退役したのは良い判断だったかも。
でもって、パトと決闘予定だったメルード子爵は、パトへ宣言通りにホリー党から立候補する。
パトへ多額の慰謝料を払わせた当り屋みたいな決闘マニアのメルード子爵。
議員に成っても決闘するのかは、謎。
この不況を逆手に取ってフーリー党はホリー党の不況を乗り越える為の経済政策が無い事を批判し、関税自由化や労働組合の創設などをマニフェストで訴えている。
ここら辺はジャックに聞いて見よう。
セインも俺の近くに在る長椅子に腰を降ろして、難しい顔をして新聞を読んでいた。
恐らく俺と同じで不況の記事を読んでいたのだろう。
「ジェローム、兄が投資していた会社の株価が下がっていて心配だよ。」
「私みたいにグレタリアン国債にして置けば良いのに。大儲けとか出来ないけど、5年債だと放置して置けるから、精神的に楽だよ。セインも株をチョコチョコ買っているよね。」
「僕のは木曜クラブで勧められるモノを付き合いで買っているだけだよ。安全だと思って、兄が買っていた鉄道会社の株が下がっていたから、少し驚いたんだ。事故が遭った時でも、此処まで下がらなかったのに。」
「まー、不況の噂で嫌がった投資家が売ったんだろうね。直ぐに売らないで持って居た方が良いよ。一定の所まで下げたら又買い戻される筈だから。」
「そうなの?ちょっと兄に電信を打って来るよ。」
「うん。」
コートを羽織ってセインがパタパタとジェローム探偵事務所の黒い扉を開いて出て行った。
まあ、あの南カメリア人と此の国の投機会社が、何か仕掛けて鉄道会社の経営権でも、手中にしたいのだろう。
妻はスチュアート4世の心を虜にし、夫はグレタリアン帝国の富を狙う。
物語なら、スペクタクル溢れ、手に汗握るお話に成るのだけど、現実は案外しょっぱい。
夫の方は、南カメリアでの強引な経営手腕が嫌われ、会社からも南カメリアからも、追い出されるような形で、グレタリアンへ遣って来た。
でもその手法をグレタリアンの投機会社が気に入り、夫に何か遣らせているっぽい。
妻の方は、なんかオーリアから来ている外交官とも、近頃はイチャラブしているとか。
新聞に妻の写真を掲載して居たので俺も見てみたけど、フツーだった。
せめてコケティッシュな顔でもしていれば良かったのに、フツー。
スチュアート4世、アレは無いわー。
きっと多くの読者がそう思った筈だ、うん。
いやー、意外と皆期待して居たんだよ、スチュアート4世のお相手に。
だって陛下の側近は、ノルセー伯爵もパトもキース・ブランも、3人3様の美形なイケメン・カリスマじゃん。
そりゃ、陛下の禁じられた恋のお相手には、絶世の美女を期待するな!って方が無理だと思うよ。
で、アレである。
得てして、現実が蛇足に成ると言うお話。
翌日、トランザス鉄道会社の売られた株を3割程、キューベーが購入すると其れに釣られる様に株価が持ち直し、また値段も微増され始めた。
あれ程多額の資産を南カメリアを追い出されたキューベーが持って居る筈がないので、投機会社の支援が有ったのだろう。
セインも鉄道会社の株価が持ち直した事を知ったのか、ホッとして何時もの人懐っこい笑顔を俺に向けた。
そして何時もの黒い扉の壁沿いに置いたワークデスクへセインは向かい、椅子へと座った。
暖炉に火が入っていないと未だ肌寒い室内で俺とセインはクロードが淹れてくれた熱い珈琲を飲みつつ、ジュリアとコナン警部補の話を聞いた。
コナン警部補は俺にちっともジュリアとの報告をしないのだ。
「仲良く遣ってそう?ジュリアとコナン警部補は。」
「と思うよジェローム。ジュリアが照れて余り僕には話してくれないけど、マーサの話では楽しそうだと言っていたよ。」
「そう、なら良かった。その後オリビアは如何?セインに駄々を捏ねていない?」
「うん、マーサの娘マーニと競い合うみたいに勉強しているよ。オリビアの方が1つ年上なのに気にせず対抗心を燃やしているよ。案外負けず嫌いなんだ。」
「ふふっ、そう言う所はセインと似ているね。」
「ええー、僕が負けず嫌いってジェロームは言うのかい?」
「うん、今は違うけど、昔パトといる時なんかは、ギラギラしてパトと競っていただろ?」
「あ、あれは、その、また負けず嫌いとも違うよ。」
「ふふっ、私も負けず嫌いだけどね。」
そう言って、俺はキャビネットに飾って在る、怪盗バートが作った不格好なパルテの戦乙女に、軽く視線を送る。
セインは怪盗バートが作った訳じゃ無いと言うけど、あの不格好な石膏像を見ると俺的にスッキリするので、怪盗バートが作ったパルテの戦乙女と言う事にしている。
そんな事を考えていると、スルリとクロードが動きジェローム探偵事務所の黒い扉を華麗に開いて、其処へラフな格好な癖に品の或る笑顔でジャックが入って来た。
「お帰りージャック。」
「お帰りなさい、ジャック。」
「ただいまー、ジェローム、セイン。サマンサの事が気に成って早めにロンドへ戻って来た。ジェロームも飯に困ってるだろ。」
「おおー、有難うジャック、助かるよ。」
安楽椅子に座ったまま、俺がそう答えると「如何って事ない」って小さく呟いて、ジャックは俺の右隣りに置いてある寝椅子へと、静かに腰を降ろした。
クロードが淹れた熱い珈琲をコンソール・テーブルへと置いて、ジャックに礼をして静かに傍から離れて行った。
「サマンサの調子は如何?ジェロームは無理を言っていないか?」
「それは如何いう意味だよ、ジャック。サマンサはルスランとニックに癒され捲くりだよ。乳母についているアニタが3人の子を持つ経験者だからフォローも完璧だしな。商会と探偵事務所の会計はルスランが遣ってくれているよ。」
「おい、ジェローム。ルスランを好き勝手に使い過ぎじゃないか?仮も皇太子だったんだぞ。」
「良いって本人も行ってるし、楽しいみたいだよ。ジャックも会う度に、ルスランに感謝されていただろ。ルドアを任せた従兄弟には申し訳ないって言いつつも、ルスランは良い笑顔で微笑んでるし。」
「まあー、ジェロームには嘘は吐け無いから、それなら良いのか、、、か?つうても、未だにルドアとグレタリアンは敵対関係って言うのが切ないよな。」
「仕方ないよ。欲しい植民地は、ほぼ被っているからな。4月過ぎたらジャックの予想通り、ルドア帝国がトルゴン帝国へ侵攻するみたいだし、それに対して、非難声明をグレタリアンは出したみたいだけどね。そんなモノを聞く訳無いよね。」
「まあね、グレタリアンの自爆だしなー。前の首相と外務卿は何を遣っていたんだか。密約つうんで如何にも成らん状況なんだぜ。結局は出てトコ勝負とか。」
「ふふっ、其処はホラ、ジャックの言うギャンブラーな国民性だから。」
「ギャンブラー過ぎるつうの。まあいいやルスランとサマンサが楽しく遣れてるなら。」
「うん、中々イイ感じだよ、アノ2人+ニックは。そう言えば、面白いと言うか面倒だった依頼人が来たんだよ。」
「ええー、また事件か?」
「ああ、それは解決した。ほぼセインが遣ってくれたんだぜ。」
「へぇー、凄いなワート君。」
「いえ、僕は当たり前の事をしただけなので。」
「どう?ジャック、このセインの謙虚さ。」
「ほんと、ジェロームにも見習って欲しいよ。で、ワート君事件簿は?」
「ふふつ、その依頼人は私に、妖精が現れる理由を調査して欲しい、と此処に訪れたんだ。」
「それは又、哲学的な。つうか滔々ジェロームは、バンパイア・ハンターからゴースト・ハンターに成ったのか。」
「成ってねーし、ハントしてねーから。まっ、実はその依頼は俺を試す為だったんだよ。」
「ん?なんで依頼人がジェロームを試す必要があるんだよ。」
「だろ?俺もセインから話を聞いてそう思った。何でも夫の従弟に良い様に騙されたから、もう騙されまいと俺の力量を試したかったそうだ。従弟と共犯者のメイドに1年近く監視されていたから疑い深く成ってたようだけどね。何とかその状況から抜け出す為に新聞の投稿欄からヒントを得て、妖精が見えるふりを続け、2人の油断を誘って俺の所へ来たんだ。」
「凄いねー、その人。つうかジェローム、俺に成ってるぜ、てか俺って云う方が似合うな。」
「うん有難う、で、俺にも妖精が見える話をして、その後で妖精の調査依頼だろ。当たり前だけど俺は断った。俺ってファンタジーは取り扱ってないからな。」
「あははっ、まーそうだよな。」
「でも、本当にその依頼人、スザンナ・カリオペア夫人って言うんだけど、可笑しな人間には見えなかったんだ。ジャックより真面に見えたんだ。」
「おい、ジェローム、それって如何いう意味だよ。」
「ふふっ、まっジャックにしても他の人間にしても妖精の事を語る時は、夢見がちな表情に成るんだよ。でもスザンナ・カリオペア夫人は、全く変化なしで通常会話と変わらない。で、セインが、スターファームまで50歳過ぎの女性を1人で帰らすのが心配だと言うので、セインとトマスに送って貰ったんだ。 すると追い掛けて行ったセインとトマスに、スザンナ・カリオペア夫人は『合格だ』と話したんだ。実は俺が何もアクションを起こさなかったら、グレタリアンの生活を諦めて、身の安全の為にナユカ国へ其の侭、出国する心算だったらしいよ。」
「えー、素直にジェロームに助けを求めれば良いのに。」
「だよな。でも、まっ従弟の南グロリアでの調査書を持って行き、もう一度スザンナ・カリオペア夫人と俺も話をしたけど、気高いと言うか自尊心が高いと言うか、人に頭を下げるのは、俺より嫌いみたいだった。ふふっ、でも俺はスザンナ・カリオペア夫人は嫌いじゃ無いんだよね。ホッと安堵した姿を他人に見せたく無いって言うかさあ、なんか分かるんだよ。」
「ああー、それりゃあ面倒な依頼人だわ。俺は、もう1人ジェロームが居るとか考えただけでヤダ。」
「俺はスザンナ・カリオペア夫人よりは、大分マシだぜ?でも、あーいう風には年を取りたいなと思った。」
「へぇー、近付きたくはないけど、遠くからなら俺も見たいな。で、その騙した従弟はどうなった?」
「夫の従弟は南グロリアで借金をした侭、グレタリアンに逃亡したから其の侭逮捕されたよ。」
「あっ、そうか南グロリアではグレタリアンと同じ法だったな。返済せずに逃亡したら逮捕された後、返済出来る迄は強制労働させられるんだった。」
「それにスザンナ・カリオペア夫人の信託の利子を無断で使ったから、窃盗罪も足されてメイドも共犯として裁かれた。裁判で証言したスザンナ・カリオペア夫人は本当に凛々しくて恰好良かったぜ。」
「なんだよー、すっかりジェロームは面倒な依頼人のファンに成っているじゃないか。」
「まあね、案外ジャックも会ったらファンに成ると思うぜ。スザンナ・カリオペア夫人からお茶に誘われているから、今度スターファーム迄一緒に行こうよ。」
「流石にスターファームは遠いよ。まあジェロームはセインと仲良く行っておいでよ。」
「ちっ、ホントにジャックって年寄臭いよなー。少しはスザンナ・カリオペア夫人を見習って背筋を伸ばしたら?」
「煩いよ、大きなお世話だ、ジェロームは。」
そう言うと、ジャックは細巻の葉巻を取り出し、吸い口をカットし、口に銜えて品の或る仕草で火を点けた。
シガールームでジャックは葉巻を吸いたかったけど、今クロエの為に1階を全面禁煙しているから、俺に合わせて2階のジェローム探偵事務所内で、薄い煙を形の良い唇から吐き出していた。
このノーブルな空気をジャックは纏っているから、出会う人々はジャックを警戒せずに、気付いたら自分の懐へと入れてしまって居るのだろうな。
俺は内心でそう思い、整った風貌から零れるジャックの笑みに、ふと兄の顔が浮かんだ。
既に兄に取ってジャックは手放せない存在に成っているのだろうなと俺は思いジャックを眺めた。
互いに会ってない日々を語り合って居るとジャックは、ぬらりひょんデニドーア公爵から齎された婚姻話に憤慨し、「俺はグレタリアンを出る!」、そう宣言していた。
その時俺はジャックに『ご愁傷様』と内心で手を合わせ、煙草の煙を飲み込んだ。
だからジャック、兄はジャックを手放さないよ。




