好々爺
アリロスト歴1899年 9月
ぬらりひょん事デニドーア公爵は、緩いウェーブの掛かった白くなった髪を丁寧にセットし、人の良い笑顔を浮かべて、不機嫌度マックスに成っている麗しいエイム卿と俺に、好々爺な皴を寄せて挨拶をした。
訳も判らずエイム卿の後ろを就いて来た俺は、ウィンター城の庭園に或る東屋で抜けるような秋晴れの空を観つつ、庭園に流れる小川の潺で心を和ませていた。
前回ぬらりひょんデニドーア公爵に呼ばれてエイム卿と俺がウィンター城まで来てみれば、急用が出来たとかで留守だったのだ。
そう言う訳で今回が2度目の訪問に成るのだが、ぬらりひょんデニドーア公爵は前回ドタキャンした事を悪びれもせず、「近頃は年の所為か腰も痛いし、目が見え難く成ったし、耳も遠く成ったし。」と言う愚痴を楽しそうにエイム卿へと語っていた。
我が道を行く悪魔エイム卿は、俺との会話は別として、他人との意味のない無駄話が嫌いである。
つうか、自分の言いたい事を囁いて、話を終えるマイペースなお貴族サマである訳で、延々と続いている体調不良自慢を聞けるような堪え性の或る大人では無い。
声はあんなにもエロい癖に。
エイム卿の咳払いに促されて、俺は渋々ぬらりひょんデニドーア公爵へ話掛けた。
「あのー今日は一体どのような御用でしょうか?」
「そうそうジャック君、今日は君に話が在ったんだよ。実は私が仲良くしていた友人に孫がいるんだよ。友人は11年前に亡くなってね、本当に男気があって良い奴でなあ、なんであんな良い奴が死んでしまうのかと、今でもその時の悔しさは忘れられない。惜しい奴ほど早く逝ってしまうモノなのかのう?」
「え、えーと、それは御愁傷さまです。デニドーア公爵にそれ程思われるとは、良き朋友だったのでしょうね。それで?」
「うん、そうそう、その孫娘はマデリン・マンディと言うのじゃが今年27歳に成るんじゃが、優しい淑女でな。悔しい事に婚約者が2人共戦死してな、ジャック君、酷い話だと思わんか?」
「ええ、そうですね。国の為に尽くされたお2人に心よりのご冥福を祈らせて頂きます。マデリン嬢にもお悔やみを。」
「いやいや、もう逝ってしまった者の事は良いのだ。」
「えっ?」
おい、ぬらりひょんデニドーア公爵。
自分の友達の事はアレだけ惜しんで於いて、孫娘の婚約者は如何でも良いのか。
つうか、なんか俺は嫌な予感しかしねーぞ。
「父親も早くに亡くしてな、マデリン嬢は貴族令嬢では無くなってしまったのだが、ジャック君には丁度、良いだろう。ジャック君が36歳でマデリンが27歳、うん良い年頃だな。来年に婚姻でもしてみなさい。」
「断る。」
「お断りします。」
アレ?
エイム卿とほぼ同時に断ってしまった。
つうか、なんで勝手に俺の婚姻をコノぬらりひょん事デニドーア公爵が決めて呉れてんの?
ヤダよ、見たことも無い相手と結婚なんて。
いや、見ても嫌だけどさ。
て言うか、俺は未だグレタリアン脱出計画を諦めて無いんで、結婚とかマジ勘弁してください。
いや、好きに成ってしまったら婚姻とかしちゃうけど、こんな投げ遣りな婚姻はヤだよっ!
「エイム公爵は関係ないでしょう。私はジャック君に話をしているのだからね。」
「ジャックは私のモノだ。勝手にその様な事を決められては困る。」
「おおーっ、エイム公爵がこれ程はっきり話されるとは、驚きましたぞ。ふふふっ。しかしですな、彼ももう36歳でしょう?エイム公爵の我儘で此の侭独り身を続け指すのは可哀想だと私は思いますよ。ジャック君が幾ら可愛らしい愛人でも。」
「いえ、あのー、デニドーア公爵、先ず俺はエイム卿の愛人ではありません、只の部下です。それに俺は婚姻する気は今の所ありません、つうか事情があって現在は無一文な上に借金を抱えているので家族を迎えるなんて無理です。」
「ジャック君、良い話が在りますよ。マデリンは不動産は持って居ませんが、動産の資産はたんまりと持って居ますよ。借金を返してもお釣りが来る、ふふふっ。」
そう言って、ぬらりひょんデニドーア公爵は人差し指と親指を輪の形にしてニマニマと笑った。
ぬらりひょんデニドーア公爵、マデリン嬢はアンタの大切な友人の孫娘でしょうがっ。
何を下衆い事を俺に言ってるんだよ。
友人の孫娘を在庫一掃セールでもやってるの?
それとも財産付けてでも他所に遣りたい事故物件なのか?マデリン嬢は。
「いえ、必要ありません。俺とはご縁が無かったモノと。」
「そう言う訳だ、デニドーア公爵。用事が以上なら失礼させて頂く。帰るぞ、ジャック。」
「は、はい。失礼しますデニドーア公爵。マデリン嬢には俺以外のきっと良き人が見付かりますよ。」
そう言って俺は、ぬらりひょんデニドーア公爵へ会釈をしていたら、エイム卿は俺の左腕を掴んで早足に成って、ウィンター城の庭園を歩いて行く。
俺は振り返って、ぬらりひょんデニドーア公爵を見ると楽しそうにニヤニヤと笑っていた。
ええー。
若しかしてコレって、ぬらりひょんデニドーア公爵の例の息抜きの一環ですか。
だとしたらなんつう性格の悪さだ。
もし俺が婚姻したいと言ったら如何する心算だったんだ。
、、、如何も、しなさそうだ。
「冗談ですよ。」
つって、ぬらりひょんデニドーア公爵ならニヤニヤして片付けそう。
此れって公爵サマ・ジョークてな奴ですかね?
9月の秋晴れの下、俺は、一足早い冬将軍を連れた不機嫌なエイム公爵に引き摺られながらロンドへと戻って行った。
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アリロスト歴1899年 10月
10月の心地良い風が紅葉を始めた楡の樹々の葉を揺らす頃、ジュリアとコナン警部補が婚約したとセインが円らな飴色の瞳を細めて嬉しそうに俺に報告した。
ジュリアとコナン警部補は、あれから2週間に1度位の割合で食事に出掛けたりしているらしい。
「少しオリビアが寂しそうだ」とセインも伏し目がちに話し、クロードが淹れた熱い珈琲を口にした。
「まあ、その内にオリビアも慣れて行くよ。そう言えばセイン、ジュリアが婚姻後休職する時の後釜は見つかったのかい?」
「ああ、そうだ、ジェロームに話して於こうと思ったんだ。実はマーサが娘のマーニを連れて来て呉れる事に成った。」
「うん?ジャックから聞いた話だと、セインの家に娘のマーニを預けて、マーサは仕事に行くと言っていたけど。」
「如何も断れるらしくて。案外と手酷い言葉で拒否されるので、3回それが続いてマーサは面接を諦めたらしいんだ。其処でその愚痴をサマンサへマーサが零したら、家庭教師が嫌でなければ僕の家で勤めれば良い、と助言して貰ったそうなんだ。」
「ふふっ、矢張り32歳は厳しかったか。でもマーサならオリビアも気心知れているし良いだろう。家が近いから通いかな?」
「うん、そうなんだ。オリビアが11歳でマーニが10歳だからジュリアも教えやすいと言っていたよ。もうマーニと通って来ていて、ジュリアの教え方をマーサが学んでいるんだ。マーサが家庭教師を辞めてから結構経つからって、ジュリアに頼み込んで授業を聞いているらしい。」
「ふふ、マーサも真面目だね。それならオリビアの寂しさも紛れるさ。」
「うん、そうだね。そう言えばシェリーが息子が幼年学校で学んだ内容を、その内に纏めてオリビアに持って来てくれるって先月ジェロームと訪問した時、僕へ話してくれていたんだ。」
「あー、幼年学校は男子だけだもんなー。」
そんな話をセインと交わして居ると、スルリとクロードがジェローム探偵事務所の黒い扉を華麗に開き、赤味掛かった短い髪を乱雑にカットし、少し草臥れたツイードの上下にダークグレーのボックスコートを羽織った疲れた顔のモートン警部をゴブラン織りの応接椅子へ案内をしてきた。
モートン警部は、パトの『死体無き殺人事件』で知り合ったリットン地域での三十路半ばの警察官だった。
椅子に腰掛けたモートン警部は、溜息と共に再会の挨拶を交わし、そして草臥れた様子でロンドに来た事情を話し始めた。
「ジェローム探偵はコテリアッドの殺人事件をご存じでしょうか?」
「うーん、申し訳ない私はロンドかロンド近郊をメインにしているのでリットンまでの事は。セインは知ってるかい?」
「あーあ、ほらジェローム。息子が父親を殺して逮捕された事件があったろ、親子で有り得ないと僕が話した事件だよ。」
「ああ、セインの話で想い出した。目撃者が居て直ぐに解決したと記憶しているけど。」
「え、その事件です。実はその息子は遣って居ないので真犯人を捕まえて欲しいと俺に直接依頼が来ていて、色々と調査して居るのですが芳しい成果に成らず。」
「ふふっ、今回は死体アリな殺人事件なんですね、モートン警部が態々、調査した後に私の所へいらしたと言うのは、その依頼人が信頼に足る人物なのですね?」
モートン警部の話を聞きながら、俺はセインと秋の観光を兼ねてリットンへ行くのも悪く無いと思い、暮れ掛かった薄闇の中をモートン警部から誘われる儘、セインと共に蒸気機関車に乗り北にあるリットンを目指した。
リットンに或るヘレードから遠く離れた田舎コテリアッドへと向かう事にした。
俺は丈の長い旅行用のコートを羽織り、ハンティング帽を被ってクロードに一等車両のチケットを買って来て貰い、俺とセインが窓際に、モートン警部とクロードが扉側の座席へと座った。
===※ 殺されたキンズリー・ミンチ氏は、ゴールドラッシュがあった60年代に現在農地を借りている地主のエヴァンス・メルビー氏とカルガーア島で知り合った。
エヴァンス・メルビー氏はカルガーア島で金を手にし、本国で戻り成功した後、故郷があるコテリアッドで地主に成り、郷紳に成った。
そして結婚し、娘ダリア・メルビーが生れ、近隣の人にも認められるようになった。
それから暫くするとカルガーア島で友人だったと言うキンズリー・ミンチ氏と息子のエリック・ミンチがコテリアッドでメルビー氏から土地を借り暮らすようになった。
ミンチ氏は息子のエリックを連れ、良くメルビー邸を訪れていた、2人共早くに母を亡くしていた為か幼かった2人は、4歳年上のエリックとダリア嬢が兄妹のように仲良く為った。 ※===
「そんな2人なら将来は婚姻の約束をしたんでしょうね、モートン警部。」
「それがエリックや俺に依頼して来たダリア嬢から話を聞くと、エリックは未だ結婚は早いと言い、ダリア嬢の父親エヴァンス・メルビー氏も大反対をしていたんですよ。ダリア嬢も未だ16歳ですので、本人もせめて18歳に成ってからと考えていたそうです。強引に2人を婚姻させようとしていたのは、殺されたミンチ氏だけだったんですよ。」
「ふーん、、、。」
「エリックの目撃者は確かなんですか?モートン警部。」
「ええ、コテリアッド牧場の番人テリーは、午後3時頃1人で歩くキンズリー・ミンチ氏の後ろを数分後に追い掛け行く息子のエリックを目撃し、又、農園番小屋の13歳の娘が森で香草を採っている時に、キンズリー氏と息子のエリックが激しい口論を始め、激高したエリックが父親のキンズリー氏を殴り掛かろうとしたのを目撃し、怖ろしくなって娘は急いで番小屋へ戻り、家に居た母親にその様子を話したそうです。」
「では、その時にキンズリー氏は、殺されたのですか?」
「ええ、恐らくは、ワート医師。娘が一通り母親に説明している時に、エリックが慌てて番小屋に入って来て、父親が死に掛けてるので助けて欲しいと母娘へ叫んだそうです。その時のエリックのシャツの前や袖口に真新しい血が付いていたそうです。」
「まあー、モートン警部。表に出てる声だけ聴いても判らい事もあります。一先ずは、ヘレード駅のホテルに宿泊し、明日の早朝から現場を案内してください。」
「ええ、勿論です。ヘレードリットンホテルにダリア嬢が部屋を取ってありますので、ジェローム探偵もワート医師も今夜はゆっくりお寛ぎ下さい。明日から宜しくお願いします。」
「ええ、勿論。」
「おやすみなさい、モートン警部。」
へレート駅から10分ほど歩いた場所に在った、3階建ての闇に浮かぶ白亜のヘレードリットンホテルへと入り、モートン警部と別れた後、俺とセインは2階の中央に或る部屋へとボーイに案内された。
室内はモスグリーンを基調としたシンプルだが品質の高いスィートルームで、俺とセインはコートを脱ぎ、冷えないようにとクロードが用意した濃紺のガウンを羽織り、クルミ材のラウンドテーブルに据えられたアームチェアに腰掛けて、俺は煙草に火を点けた。
「ジェロームはエリックが犯人で無いと考えているのかい?」
「まーね、本人も無実を主張して居るし、幼い頃からのエリックを知るダリア嬢が遣っていないと主張して居るし。それに幾ら顔見知りだからと言って16歳の少女がモートン警部に顧問料迄支払ってエリックの無実を訴えているからね。」
「うん、ダリア嬢の為にもエリックは無実であって欲しいね。」
「ああ、ただまぁー、ハッピーエンドは難しいかもね。」
「その意味は?ジェローム。」
「ふふっ、セインに話す続きは明日、私が現場を確認してからだね。」
「分かったよ、じゃあジェローム、お休み。」
「うん、良い夢をセイン。」
そうお休みの挨拶をするとセインは暖かく大きな身体を俺に寄せて優しく寝室へと誘った。
セインと共にベットの掛布に俺は潜り込み、夜で冷え切った身体を温めた。
そして俺は明日の結末を想い、頭を軽く振ってセインの腕に抱かれ、瞼を閉じた。




