天使
アリロスト歴1899年 7月
有能な看護婦の必要性を記されたレポートは素晴らしく、俺は思わずエイム卿に読ませ、セーラ・ゲイルに看護婦育成教育を任せる旨の提案をしたら、あっさりとソレが通り、補佐官ヒースへ看護学校創設の担当を任せることに成った。
俺は、セーラ・ゲイルの提案をエイム卿配下のケニーに纏めさせ「後は任せる」と緑藍とワート君へ綴り、エイム卿の命で、補佐官ヒースに書類を持たせ、彼女と共にジェローム探偵事務所へと送り出した。
俺が思うに、エイム卿は補佐官ヒースを追い払いたかっただけでは?
そう思ったり、思わなかったり。
ワート君が多忙なら、セーラ・ゲイルに他の医師を紹介してくれるだろう。
セーラ嬢の要望書には、東部のアンジーチャペル地区とやビスタール地区2か所を書いていたが、エイム卿と俺が話し合い、一先ずはアンジーチェペル地区のアンジークロス病院で、プレスタートを切って貰う事にした。
セーラー嬢は病院買い取りの資金提供を申し出たが、何方の地区の市長も断った。
アンジーチェペル地区は、レナードとパトリックのお陰で、今は市長が貧困地区を開発している所なのでセーラ・ゲイル嬢も病院改革も遣り易いだろう。
丁度、若い女性たちが就職場所を希望して居る事も在り、女性達の良い受け皿に成るのでは?と俺も考えたのだ。
何せ今は未婚男女の比率が大きく崩れているからなー。
未婚で実家に住み続ける娘は、収入の少ない中産階級では案外と大きな問題なのだ。
そんな事を俺が考えているとエイム卿が態々自分のワークデスクを離れて、俺が座っているマホガニーのラウンドテーブルまで麗しい姿でゆったりと歩き、エイム卿配下のシモンが引いた貴重なアッシュ材で造られたアームチェアーに腰を降ろした。
俺とマホガニーのラウンドテーブルを挟み、光に照らされた淡い金糸の髪を後ろに撫で付け、整った容姿でさり気なくタイプされた報告書を眺めて、甘くエロいテノールヴォイスで俺へと呟くエイム卿。
その甘くエロい声は今、必要なのか。
「ジャック、基金立学校法によって、各都市で6歳から12歳までの児童に、文法と計算を教える幼年学校を作ることが決まった。」
「12歳と言うのは先日決まった児童労働法兼ね合いですか?エイム卿。」
「ああ、12歳の卒業証明書を提示した児童でないと雇用しては成らないと言う法案だからな。」
「でもエイム卿、貧困家庭には難しいっすね。」
「まあ何事も全て、と言う訳には行かないさ、ジャックも判っているだろう?」
「エイム卿、基金の代わりに国が教育費を出すってのは駄目なんすよね?」
「全くジャックは何年グレタリアンで生きてるんだ?セルフヘルプを否定する心算かい。そんな事を言ったら、誰も幼年学校設立に賛同をしなくなる、勿論、第一議会で通らないだろ。」
「ははっ、俺も言ってみただけ、っすから。エイム卿もマジに取らないで下さい。」
そう言って俺はエイム卿の突っ込みを誤魔化した。
マジでグレタリアンて自助つう概念で社会が動いている。
貧困は自助努力が足りない所為だって、言い切ってしまえる清々しい国民性なんだぜ。
流石、予定説に生きるクレタリアンである。
でも下心付きの慈善活動は盛んなんだよね。
だけど、児童労働の過酷さを知った上院議員とパトリックに寄って児童労働法が出来、次いで基金立学校法も出来たので、少しは過酷な幼年期がら抜け出せる子が居れば良いな―と俺も思っている。
気が付けは、パトリックは恵まれない子供達の為に、私財を投じて活動する尊敬される男に成っていた。
俺と余り年が変わらないと言うのに、愛をバイタリティへと変換出来る呪われた男は、パトリックに賛同する者達を増やし、レナード・ホームの劇団造りやノルセー伯爵へと脚本を提供したり、議会や政策造りの為に役人達と会合したりと八面六臂の活躍をしていた。
うーん。
やっぱり俺に足りないのは、愛なのだろうか。
ブツブツと内心でそんな事を呟きながら、俺はエイム卿に南セントラルにある男爵邸の部屋から促されて、ケニーが用意していたエイム公爵家の紋がある4輪馬車へと麗しいエイム卿と共に乗り込み、夏のロンドを、ぬらりひょんデニドーア公爵に呼ばれたウィンター城へ向かい走って行った。
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アリロスト歴1899年 9月
黄金と青が混じった田園を蒸気機関車で走っり抜けダーフォード駅で降りると、俺とセインはパーシーとシェリーの新居があるダーフォード・タウンへ二輪馬車で向かっていた。
先のポーラン戦の影響でパーシーが気鬱症に成り、気分転換と静養を兼ねてシェリー達家族と共にダーフォード・タウンへと引っ越したのだ。
上は5歳で下は3歳、そして今日俺達がパーシー達の屋敷へ向かって居るのは、3人目の子供が無事に誕生したお祝いの為である。
体調が悪くて休職していてもチャッカリ子作りに励むパーシー。
まあ、シェリーの年を考えたらパーシーが頑張って励む事情も分かるけどな。
俺とパーシー、シェリーは、共に1867年生まれの同じ年32歳だからね。
本当はもっと早くに来たかったのだけど、俺もなんだかんだと多忙な日々だった。
オマケにジャックが愛想のないヒースって奴とセーラ・ゲイルを俺とセインに押し付けて「後は任せた」つって放置である。
セーラ嬢の戦場での看護レポートを読み、ヒースからの提案を俺とセインは顔を見合わせながら聞いていた。
明るいベージュの髪を真ん中から左右で分け三つ編みにして纏め、知性溢れる透明な空色の瞳を真っ直ぐに俺やセインへと向け、此方の質問へ的確に答えて来るイケメンな29歳のセーラ嬢に、俺も思わずタジタジと成った。
『逃がさないわっ!』
つう、なんか鬼気迫るものを、俺もセインもセーラー嬢から感じ取り、息詰る約2時間程の対話だった。
ウチの素直で可愛いセインなんかはセーラ嬢に怯えていた。
アノの子を天使と例えた奴の視力はどうなっているだ?と俺はセインに毒吐いた。
愛想無しの無表情なヒースは淡々と事業計画とセインに手伝って貰いたい内容を説明し、セインと契約をして意気揚々としているセーラ嬢と2人して、クロードが華麗に開いたジェローム探偵事務所の黒い扉から出て行った。
その後、俺とセインは2人して同時に大きく安堵の息を吐き出した。
俺は未だかつて淑女とこんな丁々発止の真剣勝負をしたことは無かった。
「ジャックっ!!!覚えてろよっ!」
セインは、週に一度アンジーチェペル地区のアンジークロス病院で、セーラ嬢と共に入院患者を診察後、彼女が集めた5人の少女に簡単な処置の仕方を教えいる。
序に後輩の医師見習いを2人呼び、セーラ嬢と共に14人居る入院患者の診察等の記録を付けさせている。
無愛想なヒース曰く、アンジーチャペルの教会近くで現在看護学校を建設中とのこと。
あそこの市長も張り切ってバシバシ再開発しているから、アンジーチェペル地区は大きく変わるんだろう。
イーストの残り3つの最貧困地区はどうなるかは謎だけどな。
んー、レナードがパトリックに「何とかしましょう」って話したら、案外と何とかしたりして。
そんな事を想い出していると2輪馬車が止まり俺とセインは煉瓦畳の上に降り立ち御者へ4シリングを支払った。
似たような白い漆喰と褐色の木材で建てられた2階建ての建物が煉瓦沿いの道路に沿って立ち並ぶその中の一軒へと入り、明るい玄関ホールでシェリーとパーシーに迎い入れられた。
子供達は家庭教師と勉強中だとパーシーは俺とセインを客間に招いて、オーク素材の薄い臙脂色の背凭れの或る椅子を勧めた。
シェリーは愚図り出した小さな幼子を抱きかかえて、子供部屋へと一旦俺達の前から席を外した。
「思ったより元気そうだな、パーシ。3人目の誕生おめでとう。」
「ああ、元気だよジェローム、有難う。やっと女の子が生れたよ。ヒルダって名付けたんだ。」
「うん、顔色も良いし、パーシーは眠れてるみたいだね。」
「そうか、セインは医師だったな。まあ、実は、退役する為の理由作りなんだよ。気鬱症って言うのは。」
「ええー、パーシーは軍を辞めるのかい?」
「ああ、無差別にあんな攻撃があるなんて、名誉など何処にもない死さ。アレは戦争じゃないよ。それに軍改革の話し合いも、将校同士の足の引っ張り合いで酷いモノだし、ソンなモノに僕は付き合い切れないよ。」
「はあー、まあパーシーが元気なら私は構わないけど、仕事は如何するんだい?子供も生まれたばかりだろ?」
「ああ、実はこっちで基金立学校が出来るから、それの管財人に成ろうかと思ってね。丁度、叔父からも話が合ったんだよ。シェリーに相談したら僕の棒給も貯蓄してあるし、心配要らないと後押をしてくれたんだ。もう家族に死なれたくないと僕に頼むしね。」
「うん、そうだね。シェリーも両親を亡くして心細い思いをしただろうからね。」
「ジェローム探偵事務所では、明るくて元気一杯だったから、僕は気付かなかったけど、シェリーの笑顔には僕が反対に元気付けられていたからね。」
「僕もさ、セイン。帰還して2人きりに成った時、シェリーが泣いてね。今回は戦死者が多かっただろう。僕が帰還すると報せる迄は、心配で余り眠れなかったそうなんだ。それが遭ったから退役をしようと思って、、、。」
「ふふっ、パーシはその準備中か。少し田舎だけど中々此処は良い場所だね。」
俺は、そう言って容姿から甘さが完全に抜け、落ち着いた紳士へと成長して頷くパーシーを、頼もしく思って見ていた。
メイドが運んできた林檎の香りの紅茶を俺は口に含んだ。
「まあね。それに此のダーフォードからロンドまで1時間も掛からないだろ?買い物にも便利だし、約2時間、蒸気機関車で東に行けばサウエンドシーの港街に着く。少し屋敷は小さいが、僕もシェリーも此処が気に入っているんだ。」
「そう言えばパーシーの所も新たに出来る幼年学校へ通わせるのかい?上の子がそろそろだろう。」
「今カールが5歳だから来年だね。ロンドのフォック大学系列の幼年学校へ通わせる心算だ。」
「やっぱりパーシーは、パブリックの幼年学校へ行かせるんだなー。」
「うーん、そうだね。カールと相性が合わなかったら基金立へ転校させるよ。信仰心は大切だが、僕は学問に余り国教を関わらせたく無いんだよ。僕の仕事は国教の基金立学校だけどね。」
「でも可成り昔と違って教えるモノが緩くなっている様だよ。まあ私はフォック大学以外は殆ど記憶に残って無いけどな。」
「あー、うん。ジェロームは寄宿学校で無茶苦茶だったもんな。良く更生したと思うよ。」
「ふふっ、まあ見捨てず側に居て呉れたセインのお陰だよ。」
「いや僕なんて。ジェロームは自分の力で悪癖から立ち直ったんだよ。それは誇って良いことだと僕は思う。中々アヘンから抜け出せなくて廃人に成っている人間は多いんだから。」
「有難う、セイン、そう言ってくれて。」
パーシーがニコニコと笑って俺とセインを見て、楽しそうに紅茶を飲んだ。
はあー。
アヘンから抜け出せたのは、俺の力じゃ無くて神か悪魔の呪いの所為なんだよ、セイン。
眩しそうに俺を見詰めるセインとパーシーの視線に俺は居心地が悪くなった。
「そういやシェリーは体調、大丈夫なのか?今は授乳しているって言ってたけど。」
「ああ、恐らく授乳後の昼寝タイムに入ったんだろう。3~40分で起きて来るからジェロームは少しシェリーを待ってよ。ヒルダを産んでから良く眠るように成ったんだ。」
「そりゃあパーシー、シェリーも30過ぎて年取ったんだから仕方ないさ。」
「おい、ジェローム。シェリーは年なんて取ってないぞ。僕の妻に失礼な事を言うなよ。」
「おー、悪い悪い。いや大家のサマンサも出産してから、良く昼寝するように成ったんだよ。やっぱり出産や子育ては体力を使うんだなー。まあサマンサの場合は間違いなく年だと思うけどね。」
「ジェロームは絶対にサマンサ夫人に叱られるぞ。」
「まあまあ、パーシーとセインが内緒にしてくれていればサマンサには判らないんだし。」
「「はあー、ジェロームは。」」
俺は、溜息を吐きながらも楽しそうに笑うセインとパーシーを眺めつつ、2杯目のアップル・ティーの香りを愉しんでいた。




