ケースクローズ
アリロスト歴1887年 3月
重々しい黒檀の扉を開いて広い部屋に入ると正面右手側にはゴブラン織りに包まれた座り心地が良さそうな椅子が4脚にウォールナットのテーブルが据えられている。
正面には同じくウォールナットのワークデスクが在った。
その上には書類ケースとインク瓶、筆記用具が整理されて並べられている。
ワークデスクの背面には磨かれた長い長方形のガラス窓が春の日差しが室内を明るく照らしていた。
ワークデスクに合わせて造らせた艶のある暗褐色した革のソファーに、ジェロームは腰掛けて長い脚を投げ出して座っていた。
決意を持って入室したシェリーは、トマスから預かった皴を伸ばした新聞をジェロームの傍にあるサイドテーブルに置いて姿勢を正した。
そして、シェリーは働かないジェロームに苦言を呈する心算で尋ねた。
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「でっ!ジェロームさん、ジェロームさんの事件はどうなったのですか。」
「ん?解決しているよ。」
「えっ?嘘。じゃあ、逮捕は?」
「シェリー、それは私の仕事では無いよ。次に犯人が動いたら兄の部下が確保する。」
「ええー。ではジェロームさん。お願いです、ずっとジェロームさんが動くのを待っていた私に事件の話を聞かせて下さい。ヤードが以前新聞に発表した事は間違いですよね?」
「まあね、だけど態々シェリーが聞くほどの話では無いけどね。」
俺はそう前置きして朝から元気溢れるシェリーに詰らない事件の話をした。
「犯人は2階に住む人間。仮に名をノウとしよう。ノウはマリアと同じで私娼として働いていた。問題はノウが男だった事。最初の殺害は男だとバレたノウが衝動的にマリアを殺した。死体を損壊したのは嫉妬と憎悪だろうね。第二の殺害は憧れと嫉妬。2番目の被害者は美人で人気があったらしいから、それで次に起こすとしたら、警官が居る中で殺人を犯しても摑まらないと言う虚栄と自信かな。私には、謎にも成らなかった只の殺人事件だったよ。」
「えー、男性が娼婦なのですか?」
「まあシェリーには1シリングで行われる商行為内容など知らなくて良い。まっ、気付いたのは2度目に東通りに行きノウを見た時だ。濃い化粧で女装していたけど私には直ぐに解った。骨格が女性とは全く違うからね。」
「でも如何して死体を傷付けたのかしら。」
「あの狭い建物内で薄い板を挟み上下で生活していたのだ、日頃から鬱憤も溜まってしまうだろうさ。
私が通りを歩いている間にも、彼方此方で上に住む住人と下の住人が、激しい口論をしていた。女と偽っていたノウには出来ない怒りの発散の仕方だね。」
「ではノウさんはずっと耐えて?でも如何して男なのに女としてなんか。」
「さあ、私には興味が無い。そうだね、ノウはあの階層の人間にしては珍しく文章が読めたと言う事が唯一興味を惹いた。心が動いたのは其れぐらいだね。」
「文章が??」
「1人目の被害者マリアは成っていない切り方だけど、2人目では【ハロルドとデビッド】と言うホラー小説の表現通りに巧く切れていたからね。」
「それって2重人格の人が主人公の奴ですよね。余りに表現が怖過ぎて、私は連載読むのを途中で辞めたんですよ。」
「あははは、そうなんだ。まっシェリーそう言う訳で、今回の事件はケースクローズだ。」
「ジェロームさん、有難う御座いました。お礼に私が美味しい珈琲のお替りを貰って来ますね。」
「ふふ、頼もう。あっ、それとあの辺りは危険だからシェリーが取材に行っては駄目だぞ。」
軽やかな足取りで出て行くシェリーの背中に俺はそう声を掛けた。
俺の声が聴こえていた筈なのにシェリーの返事は無かった。
サマンサ(クロエ)の遠縁を危険から遠ざけて置く為、秘書としたのに好奇心の塊だったシェリーは、俺の予想を何時も大幅に上回って霧のロンドを駈け廻るのだ。
俺と同じ20歳の筈なのに、好奇心に駆られたシェリーは丸で子供だ。
俺は呼び鈴でトマスを呼び、「シェリーの身辺に気を配るように」と告げた。
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アリロスト歴1887年 4月
金曜日のロンドは華やかに浮かれて紳士、淑女の気持ちを高揚させる。
僕は兄のクラインに頼まれ「霊薬薬品社」から出された新薬と、其れに伴い新に増やす株券販売の説明会に参加していた。
参加者は、白髪の老紳士や初老の紳士たちが多い。
美しく着飾った妙齢の女性達が僕達へ見本を手渡し、薬効を確かめて欲しいと説明していった。
僕は、錫で作られた小さなピルケースを略式の礼服タキシードの内ポケットへ入れ、兄への手土産にした。
顔見知りの紳士たちに会釈をし、僕は控室で待つ婚約者アリッサの元へと急いだ。
此処での説明会は僕たち第3階級の者達を対象に行って居た。
貴族はホテル・グランドキャッスルで催されるパーティーへと招待されている。
レドベリ医学博士が開発したこの若返り霊薬は人気が高く、発売されて3年経った今も薬、株と共に値が上がり続けて居た。
亡き父が投資として株券を購入していたが、今では値段が高過ぎて新たに購入出来ない物だ、と兄クラインは父の判断力を褒め称えた。
詰りは高配当が我がワート家に齎されているのだ。
控室の間の前に立つポーターに婚約者アリッサの呼び出しを頼み僕は屋敷の内装を見物していた。
広く豪奢な作りの此の屋敷も元は貴族のタウンハウスか別邸だったのだろう。
僕たちみたいな身分の者が、彼等貴族の領分を侵している状況に苛立ちと不快感を持ち、白眼視しているのは僕も理解している。
兄クラインや婚約者アリッサの両親や縁者達が話すように、グレタリアン社会での実質的な力はブルジョワジーが握っている、と嘯く気に僕は成れない。
エイム卿やジェロームの凛とした気品や人を従わせる事に成れた言動を知る度に、僕達では達する事が出来ない場に彼等が存在しているのを、僕は知ってしまったのだから。
そんな愚にも付かない事を考えているとポーターに連れられたアリッサが僕の前に来た。
フロラルス製のレモンイエローのドレスを身にまとったアリッサは今日も見事な逆三角形のラインを上半身に描かせ、折れそうな細い括れを強調した姿で僕へ上品な微笑みを浮かべ挨拶をした。
見事な淑女ぶりだ。
初めてアリッサを夜会に誘った日、その余りにも締め付けたドレス姿に僕は体調を心配した。
「幾ら外から締め付けたとしても、腰が細く成る訳では無いのだから、もっとアリッサの身体に合うドレスに着替えた方が、僕は良いと思うよ。」
そして、アリッサは顔を真っ赤にした後に号泣し、僕達のその日のデートはお開きに成った。
下宿に戻って僕がその話をすると、ジェロームとサマンサは爆笑し、シェリーは俯き、ジャックは複雑そうな表情をして、僕を見詰めていた。
「いや前から僕は思って居たのだが、貴婦人達がしているあの恰好は躰に良くないと思うんだ。」
「まっ、ソレは正しいよ、セイン。」
「でもですねセイン、それを直接婚約者に言ったらダメよ、あー、おかしい。」
「そうですよ、セインさんに綺麗だと思って貰いたくて着ているドレスですから。」
「あーあ、ワート君はやっぱりワート君だな。」
その後、皆に色々と女性心というモノをレクチャーされ、兎に角女性の容姿や衣装は「綺麗だ」、「良く似合う」と褒め、マイナスな面は絶対に口に出しては成らないと、僕は皆に説教をされた。
そしてアリッサへの謝罪の言葉を僕達は話し合った。
「余りに君が美しくて動揺して有らぬことを口走った僕を許して欲しい。如何か美しいアリッサをエスコートする権利を、僕にもう一度与えてくれないだろうか。」
その時に母親に許可を貰ってサイズと好みを教えて貰い最高品質のドレスも贈る事を忘れずに。
そう言ってジャックは淡々と僕にアドバイスをくれた。
ジェロームとサマンサは「流石は王子」とジャックを褒め称えたが僕も彼の紳士ぶりに感心した。
当然、ジャックのアドバイス通りにアリッサへ謝罪し、僕とアリッサは婚約破棄もなく無事に仲直りがが出来た。
生前、この婚約を纏めた父は僕に言ったのだ。
「私の血縁者は兄クラインとお前セイン2人だけだ。2人の為と財産を増やして来たが私が死にクラインとセイン2人だけに成るのは心許ない。兄クラインに万が一が有ればセイン、お前がワート家の財産を守らねば成らない。確りと子供を作り兄と共にワート家の財産を守れ。」
あの疫病神が来る前に父と交わした言葉。
父の遺言のようになった言葉を違えたく無くて、アリッサと喧嘩別れをしない為に必死だった頃を、僕はアリッサが着ているレモンイエローのドレス姿を見て思い出した。
そのドレスは初めてアリッサを怒らせ、そして僕を許して貰えた謝罪の記念品だった。
僕は、アリッサの手を取り、彼女自慢の細い腰に触れてパーティーが催されている広間へと、エスコートをして向かった。
会場で出会った知人たちに婚約者アリッサを紹介し終え、パーティーを終えた僕はアリッサを自宅へと送り、今アリッサに招かれ談話室に居る。
今夜は夫妻は僕の兄達と共に別の夜会に行っている。
当然、2人切りでは無く、アリッサ宅で雇われている3人のメイドも邪魔に成らない位置に居る。
談笑している内に、アリッサは僕がサンプルで貰った再炎薬(若返り薬)を、飲んでみたいと可愛らしくお願いをして来た。
ピルケースの覗くと小さな丸薬が4つあった。
兄には2つ渡せば十分だろうと考え、僕は一粒をアリッサに手渡し、もう一粒を僕がシャンパンと一緒に飲み干してみた。
「何も変化がないね。」
そう2人で話し合い、微笑み合っていた。
しかし暫くすると僕もアリッサも頬へ、胸へと熱が集まり、気が付けば抱きしめ合って居た。
僕達は縺れる様に歩いてアリッサの寝室へと入って行った。
メイド達の気配も存在も忘れ去って。
その夜、僕はジェロームとは違うアリッサの柔らかな肉体に溺れた。
翌朝、僕は爽やかにスッキリと目覚めた。
しかし帰宅していたアリッサのご両親に詰め寄られ、「婚姻式迄待てなかったのか!」そう長時間に渡り叱られていた。
家路に戻る馬車を用意されている間中、アリッサのご両親に文句を言われ、僕が居心地の悪い想いをしたのは言うまでもない。
そして疲れ果てたセイン・ワートはトボトボとジェロームの部屋を訪ねた。
「へぇー、レドベリ博士は効き目の有る薬を作れたのか。」
「うん?えっ?」
「あはは、前回の薬、霊薬か、あれは偽薬だからねー。株券を持ってるなら紙屑へと化ける前に早く売った方が良いよ。しかしセインが忘我の境地になったのか、面白いな。」
「面白くは無いよ、ジェローム。義父にはずっと叱られてるし、兄に呼び出されてタウンハウスではこの年で説教されるし。僕だってあんな事をする心算は無かったのに。」
「まあでもアリッサとは婚姻するから良いじゃない。しかし、その丸薬は調べたかったな。」
「うん?有るから1個あげようか?」
「アレ何で持ってるのさ、セイン。兄に上げる心算だと。」
「そう思ってたけど兄からずーと説教だから渡す暇が無くて。2個残ってるから1つ渡すよ。」
「おー、セイン有難う。大学で調べて見るよ、成分が判れば良いんだけどな。」
「うん。何か分かったら教えてよ、ジェローム。」
「了解。そして、まあセインおめでとう、初の女性体験。」
「揶揄うなジェローム。あんまり覚えてないんだ、僕は。」
ジェロームにアリッサとの一夜を散々に冷やかされた。
こうしてセイン・ワートの華やかで閉まらない週末は終わりを迎えたのだった。
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アリロスト歴1887年 5月
俺は3ヶ月ぶりにロンドへ舞い戻った。
5月に執り行われるワート君達の婚姻式に出席する為では、勿論ない。
「風が吹いてロンドの霧が薄くなりましたよ。」
そう精神的な曾孫ウィルに知らされたので、俺は緑藍やクロエに会いたくて来たのだ。
ロンド駅からブレード通り迄、北西に7つの通りを進んだり、横切ったりしたのだが、ロンドの街並みが以前より薄汚れてたように見えた。
まあ、貴族街や富裕層が居住する街並みを、俺は見ていないので分からないがな。
「ロンドの東側にあったレリーフ地区から工場が3つ消えて、失業者が増えた所為ですかね。」
俺の問い掛けに、ウィルが就けてくれた俺の友人5号ジョンが答えてくれた。
賃金アップや労働状況の改善要求の為、工場に設置していた機械の打ち壊し活動や労働者達の集会が頻発した。
損害を重く見た経営者が一旦ロンドにある工場を閉めた。
そして製作が単純な工場を比較的政情が安定しているイラド中西部へ移転させる予定らしい。
「安価で従順な労働者が良い」と言う事で、資本家はロンドの労働者を見捨てたそうだ。
「ゲー、最悪じゃん。」
「ええ、最悪なのですよ。」
まっ、元々自由経済思想は、最大多数の最大幸福の哲学理念とは真逆にあるのだが、資本家の「自己利益の希求欲望」の強さに俺は舌を巻いた。
ロンドはマジに俺が住むには難しい土地に成った。
はあー、仕方ない。
こうなれば曾孫ウィルのペットに成ろう、そう覚悟を決め、ウェットリバーへの移住を夢想した。
久しぶりに112Bの懐かしい玄関ホールを抜け、威圧充分の「ジェローム探偵事務所」の黒い扉を開ければ、美しい緑藍に寄り添うように立つナイトシェーカ執事クロードと、元気いっぱいに挨拶する癒しのシェリーが俺を出迎えた。
「お帰りジャック、顔色が良くなったな。」
「ただいまージェローム、なんかマフィアの事務所に来た気分だよ。元気そうで何より。」
ジェロームが椅子から立ち上がり俺に駆け寄り力強いハグを寄こした。
俺は直ぐにギブアップのサインを緑藍に出し、右奥近くに在ったゴブラン織り生地の椅子へと腰を下ろした。
「サマンサは?」
「今仕立て屋に注文したドレスの受け取りに行ってる。週末がセインの結婚式だろう?それ用さ。そして何と、レドベリ博士が本物の若返り薬を開発したかも知れないぜ。」
「若返り薬って、ええー、猿の睾丸エキスだろ?有り得ないって。」
「ふふ、そう思うだろ?しかしあのセインが薬を飲み、その後人目を憚らず婚約者とベットインしたんだ。如何?優れものと思わないかい?」
「いや、それってヤバイ系の薬だろ。変な所が真面目だから凹んだだろうな、ワート君。」
「まーね。」
「しかし何とか博士は詐欺だけに飽き足らずヤバ系な薬まで手を出したか。」
「待って待って、ジャックそれは誤解だよ。」
「何がだよ、ジェローム。」
「いや詐欺師で無いからなレドベリ博士は。レドベリ博士は真面目な研究馬鹿なだけなんだよ。理論と言うより実践に重きを置く神学者で哲学者なんだ。」
「えっ薬学じゃないの?」
「うん、古いタイプのオールマイティーな研究者。霊薬を作ったのも、自分や知り合いの家系に男子が居ないから、家系継続の為に老いた者にも生殖行為をさせたい。そう言う想いで作り出したのが霊薬なんだ。」
「いやいや、無理なモノは無理と諦めようよ。変な被害者を出す前に、ジェロームも忠告して上げなよ、知り合いっぽいし。」
「だって私はレドベリ博士の天啓を得た閃きっていうアイデアで邁進している博士の研究は好きだったしなー、今は大学を引退してるけど少しだけ私も講義受けていた。まあ、今回の新薬はヤバ気だったから博士に販売はストップして貰ったけどね。」
「はあー怖い怖い。精神に作用する系はホントにヤバい。で、何を使用していたんだ?」
「主に入ってたのが南カメリアの南西部カレ王国に生えていた植物だった。細かな成分は現在検証している所でまだ不明なんだ。」
「そうか。昔と比べて道具が進化したと言っても成分分析はまだ難しいかもな。」
「ジャックは詳しそうだから薬学の研究室へでも行って一緒に研究するかい?」
「はあー?やだよ。俺は其の手の事で悩むのは嫌だ。特にグレタリアンでは、な。」
「全く我儘な。でもどーすんの、ジャックはコレから。私はジャックに側について貰えるのは嬉しいけど、ジャックもそろそろ自分の生活をしたいんじゃないか?」
「そうだなー、うん。」
俺はウェットリバーへ移住する事を緑藍へ話そうとした時に、事務所を出ていたシェリーが黒いクロードを従えて珈琲を運んできた。
俺は喉が渇いて居た事に気付き、シェリーに礼を言って、香りの薄い珈琲に口を付けた。
夕方に成り、帰宅したクロエからお帰りの優しいハグを貰い、俺もクロエにただいまのハグを返して、ロンドへ戻って来た挨拶を終えた。
俺が居ない間にクロエに寄って家庭的で暖かに変えられた晩餐室の席に着いた。
堂々として厳めしかった家具や調度品に、クロエの手作りで在ろう小物が、こ気味良く楽し気に彼方此方へ飾られていた。
良くあの悪魔エイム卿が、晩餐室の此の変化を許したモノだと思い、俺は恐怖の壁を打ち砕くクロエの勇気に感心していた。
その話をしたら緑藍もクロエも悪魔エイム卿は怖くないと答えた。
俺とシェリーは互いに顔を見合わせて、思わず首を横に振っていた。
緑藍とクロエの恐怖への神経回路欠如は素晴らしい、俺は全く羨ましく無いけどな。
お前ら、人間に取って、恐怖心は大事なんだぞ。
何でもこの所、中央と言うかバレン宮殿がバタついていて、悪魔エイム卿は「愛しいジェローム」の傍を離れて、嫌々其方に詰めて居るらしい。(クロエ談)
「もっと聞きたいか?」と緑藍が問うので、俺は丁重に遠慮させて頂いた。
だってさ、バレン宮殿って言ったら皇帝関連だろ?
そんなディープな所の話はノーサンキューだ。
世の中は知らぬ後悔より、知ってしまった後悔の方が大きいモノなのさ。
そして知らなくて良い事を知ってしまうと、不幸に見舞われる確率が撥ね上がるんだよ。
俺はクロエが手間暇を掛けて作った香味焼きチキンに、醤油を掛けてフォークで口の中へ放り込む。
正に醤油万能。
クロエがハーブを使った意味が無いと俺の食べ方を見て嘆く。
何を言って居るのだ、香味焼きの肉が美味しいから醤油が映えるのだよ。
そんな話をしているとシェリーが今取材している可哀想な男の話を始めた。
おい、シェリー。
今は楽しい食事タイムだぞ!
純朴で可愛らしい顔しながらスプラッターなホラー小説を語るのを止めろ。
緑藍がニヤニヤしながら俺を見て笑いを堪えてる。
確かに可哀想かも知れないが、現状から逃げ出したくても逃げ出せない人間なんて溢れている。
例えばシェリーの前に座っている俺とかな。
「俺的に今の話は、まあ60点だな、シェリー。」
「甘いなジャック、私は30点だ。」
「そうね、私は彼の人生に共感できるものが1つも無いから、今回のシェリーが書こうとしている小説を手に取ろうとは思わないわね。」
「そうなんですか?孤児だった彼に誰も救いの手を差し出さなかったのですよ。挙句に恐喝されて。私とかは両親が亡くなってもサマンサさん達が居たから運良くこうして生活しているけど。」
「いやシェリーが書きたいなら俺は止めないよ。そう言う創作衝動は俺には判らんからね。」
「まあそうね。シェリーには行方をくらました彼に何か心惹かれるモノがあるのね。」
「でもシェリー、犯人像は違うけど似たような犯行を犯す奴等が此れから出てくると思うぜ。大体なあの切り方は~~~(攻略)」
「でもですねージェロームさん、~~~(攻略)」
「あーヤダヤダ。もうジェロームもシェリーもその手の話は食事が終わってから、俺の居ない場所でやってくれよ。」
スプラッターな手口への議論となった緑藍とシェリーの話題を俺は強引に打ち切った。
全くシェリーは可愛らしいのだからドレスや菓子の話でもしていれば良いのに。
曾孫ウィルの嫁にしようと俺は企んでいたのに、事件好きな嫁とかは勘弁してほしい。
勝手にシェリーをウィルの嫁候補にしていたのに、シェリーの趣味にガッカリする俺だった。
案の定、その夜俺はホラーハウスへと迷い込む悪夢を見たのだった。
週末、綺麗に着飾ったシェリーとクロエ、そしておめかしした緑藍達がワート君の婚姻式へ向かう為に玄関ホールで馬車を待っていた。
俺は、緑藍にワート君達に贈る祝いの花束と祝福の言葉を綴ったメッセージカードを預けた。
何を贈るか結構前から悩んでいたのだが、大抵の物は何でも手に入るワート君に、強いて贈るものも思い付かず、結局は祝いの気持ちを示す形だけの物になってしまった。
俺は玄関ホールから彼等3人をワート君夫婦が待つ教会へ送り出した。
俺は今世で結婚出来るのだろうか。
そう考えた時にメアリー・グリーンの事を俺は思い浮かべて被りを振った。
良く考えたら俺は彼女の住んでいる場所も知らなかった。
いや、一応メアリー・グリーンを送った馬車の御者に何処で下ろしたか尋ねたのだが、貴族街へ入る手前の通りで降りて行ったと素っ気なく答えられた。
俺の住所は教えていたのに。
つまり、そう言う事だ。
12月の濃い霧の中で出会った素敵なメアリー・グリーンは、俺の憧れだけを攫って、今は霧が晴れたロンドの街並みを闊歩しているのだろう。
あの魅力的な笑顔を浮かべて。