幸せ自慢
アリロスト歴1897年 1月
昨夜遅く寝室の外で気配を感じてオーク材の扉を開けば、案の定、兄が居た。
俺と似たような気配を漂わせ淡い金糸の髪を珍しく乱して兄は其処に立っていた。
「夜分済まない。話があるんだ、ジェロームは眠くないかい?」
「大丈夫だよ、クロードを呼んで珈琲でも淹れて貰おうか?」
「いや、ジェロームが寝酒に飲んでいたブランデーを私も貰おう。」
そう言うと臙脂色の繻子で作ったクッションを置いたローバックの椅子に兄は腰掛け俺を優しく見た。
キャビネットからブランデーグラスとチェイサー用のグラスを取り出し、俺は行儀悪く左腕に抱えて、兄の前に置かれたマホガニーで造られた、円形の小さなテーブルへ静かにグラスを並べた。
俺と兄は向き合って座り、ブランデー・デキャンタの硝子のキャップを取り、兄と俺のバカラ・ブランデーグラスへ琥珀色の液体を静かに注いだ。
兄と俺は互いにステムを持って軽く持ち上げ、そして互いの唇へと運んだ。
「今日は軍本部でキツネ狩りをしていたんだ。思ったより小物で私もガッカリだったが、被害を受ける相手がパーシーだったから早めに狩ったんだ。ジェロームも仲良くして居ただろ。」
「パーシーが?それは私に話せるモノ?」
「ああ、実はクルミラ半島戦争でグレタリアン軍の侵攻経路がルドア帝国に漏れていた可能性が在ったからね。それを探る為に偽の計画書を作り、怪しいとピックアップしていた3人の将校へ渡していたんだ。何事も無ければ明日、その3人からトラットランドで偽の計画書を回収して終わりだったんだがね。」
「暢気なキツネが顔を出したんだね。」
「そうだ。運悪くパーシーの上官に当たる者だったんだよ。ゲイリー・ストール少将と言うのだがね、自分一人で罪を冒せばいいモノを、部下のパーシーを隠れ蓑に使う予定だった。」
「はぁー、生真面目が取り柄のパーシーを。」
「順調に出世して見えるパーシーが目障りなのだったのかも知れないな。極秘資料をパーシーにアシェッタ語に翻訳させ、今夜パーシーが帰宅してから部屋に入り、原本を盗み出した。部下が居る部屋の鍵を管理して居るのはストール少佐だったから簡単に原本を取り戻し、その足で駅近くのレストランで待ち合わせしていたルドラの連絡員へ渡す予定だった。」
「ルドラの人間がロンドに入り込んでる?」
「今夜捕まえたのは、エーデン王国の偽造パスポートで入国して居た。流石にルドアの旅券だと、グレタリアンでは審査が厳しいからな。まあっ、ルスランの顔を知るような上の人間は来ないから、ジェロームは心配するな。」
「別に私はルスランの心配はしないないよ。では狐の捕獲が完了した?」
「ああ勿論だ、それとその原本をパーシーに返して於いて呉れ。他人に知られる訳に行かない原本を捜すのに、きっとジェロームを頼って来るだろうからな。」
「ふふっ、確かに。きっと明日か明後日には私の元を訪れるよ。」
それから俺は兄とブランデーを飲み乍ら、97枚にも及ぶ偽の作戦計画書を軽く目を通し、兄が作った原本の力作具合を素直に褒めた。
なんとあのクーパー大佐の力作だと話し、兄は唇の端を上げて笑った。
兄は2杯目のブランデーを飲み干し、俺を優しく抱き締め「おやすみ」と言って、ジャックの居ない南セントラルにある男爵邸へ、何処か寂しげな背中を見せて帰って行った。
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俺は、原本を抱き締め、椅子へと深く腰を降ろし、潤んだ一目で脱力していたパーシーへ昨夜、兄から聞いた顛末を語った。
「電報でも呉れたら、良かったのに。」
「シェリー達が安らかに眠っている屋敷へかい?どの道パーシーは今日か明日私の事務所へ来ると分っていたから、待って居たんだよ。」
「はあー、何だろう。ジェローム達が解決して呉れていて、嬉しい筈なのに、此の遣る瀬無い気持ちは。僕は本当に寿命が縮む程、悩んだのに。」
「でも、そのお陰で戦争が在っても、前回のような被害が防げるんだ。ある意味パーシーが前線で銃剣を振るうよりも、多くの仲間を助けたんだよ。そう思うと、縮んだパーシーの寿命も無駄じゃないだろ?」
「、、、、うーん。そうなのかな。まあ済んだことだし、良いか。でもストール少佐に恨まれるような事を、した覚えが僕には無いんだよ。他にも佐官がいるのに何故、僕だったんだ?」
「さあね、人の妬みの感情は私には理解が出来無いな。案外パーシーが何時も幸せそうな事に腹が立ったのかもよ。美人な奥さんだとシェリーの評判も高いみたいだし。」
「えへへっ、そうなんだよ。僕のシェリーは綺麗だし優しいしさ。そうだね、僕は幸せだと思うよ。」
「うん、今のパーシーに私はチラとムカついた。職場での幸せ自慢は程々にな。」
「え、えー、うん。ジェロームの忠告と思って聞いて於くよ。しかしストーム少将は何でこんな事をしたんだろう。軍でも重罪になる。」
「投機の失敗と賭け事による莫大な借金だね。兄が言っていたが、軍部は賭博狂が多かったらしい。誘われても、パーシーもシェリーの為に、賭け事は程々にな。」
「付き合いで1ポンド位なら賭けるけどそれ以上は遣らないよ。」
「よし、賭けるか?パーシー。」
「おおーっ任せろっ!、、、。って、賭けないよ、ジェローム。」
「ふふっ。」
クロードが淹れて呉れた熱い珈琲を、俺とパーシー、セインが暖炉の前に集まり、椅子を並べて座り飲み乍ら、パーシーがロンド郊外に買おうとしている、新たな屋敷の話で盛り上がった。
そして俺はロンドの霧が薄く成ることを願った。
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アリロスト歴1897年 2月
俺は筆マメな緑藍から届いた手紙の返信を書こうとして便箋が切れていた事に気付いた。
ちっ、前に書いた時、ドロシーの雑貨屋で買って於こうと思って忘れていた。
ジョンがウィルの便箋を貰って来ようとするのを俺は止めた。
だって、ウィルの便箋て透かし加工でめっちゃ高いんだぜ。
しかもベラルド伯爵家の家紋入り。
とてもじゃないが俺の一言メッセージで使っていい代物では無い。
つう訳で俺はグレイのスモーキージャッケトの上に焦げ茶の皮製のオーバーコートを羽織り、ジョンと一緒に簡素な馬車に乗り、十字路パブの近くに在るドロシーの店を訪ねた。
店には居ると細々した日用雑貨の見本が置いてあり、それを見ながら俺は奥へ行き薪ストーブで暖を取りながら、揺り椅子に座って暖かそうなオレンジ色の毛糸で何かを編んでいるドロシーが居た。
「ドロシー、入り口の扉のベルが壊れてるだろ。奥から応答が無かったからさ。」
「あら?気付かなかったわ。いらっしゃいジャック、ジョン。」
「俺が少し見てみるよ。線が如何かなってんだろ。」
「ああ、頼むよ。ジョンは背が高いから便利だよな。」
俺はそう言って、マッチョなおっさんのジョンの背中を見送り、ドロシーが勧める椅子へと腰を掛けた。
俺はドロシーにシンプルな若草色の便箋を出して貰い、ソレを買った。
そしてドロシーからが出して貰った適温の紅茶を口にして、今年の冬の寒さを嘆き合った。
白い髪を後ろで纏めて、黒い小さな帽子と衣装を纏うドロシーは、クルミラ半島戦争で息子さんを亡くされた。
俺はロンドに居て出席出来なかったが、ウィルを始めとして、近所の人達も集まり教会での葬儀に参列した。
娘が2人いるが、1人息子の戦死は、年を取ったドロシーの心を酷く打ちのめした。
俺だってアルフレッド時代に我が子達が、親の自分より先に逝ってしまって居たら、その苦しみや嘆きは、癒える事が無かっただろう。
ウィルから話を聞いた時は、俺もドロシーを心配したが、3ヶ月経った頃ドロシーは店を開け、それまで通りの生活に戻ったと聞いた。
次女が暫く共に暮らして、母親を労ったお陰だろうと、十字路パブの常連のオッサンたちは話していた。
そう言う事情もあって俺は11月に此方に来て、年末に便箋が無くなっても、直ぐにドロシーの店へと足を向ける勇気が無かったのだ。
ヘタレな俺は如何声を掛けて良いのか分からなかったのだ。
でも、そろそろドロシーの店に置く、オイルや乾燥させた香草のポプリも出来ていたので、便箋購入が良いきっかけと思い、俺は重たかった腰を上げた。
昨年2月までは、ライトブラウンの髪が残っていたのに、今はドロシーの全ての髪が、真っ白く成っていた。
深い皴を刻んで、それでも俺に笑顔を向けてくれるドロシーの凛々しさに、俺は頭の下がる思いだった。
そんなドロシーと話していると、郵便配達人が小包を持って私達が居る場所まで来て、ソレをドロシーに渡した。
ドロシーが小包を受け取りサインをすると、郵便配達人はセカセカと棚と棚で出来た通路を抜けて、店の扉を開けて出て行った。
其処へジョンが遣って来て、天上に這わせていたベルの銅線が、鼠か何かに齧られ断線していたと、俺とドロシーへ明るく伝えた。
そして後で銅線を持ってきて直すとジョンが告げた。
ドロシーは感謝の言葉を告げながら小包を縛っている膠に浸した細い紐を解くのに苦労していた。
「ドロシーが紐を必要としていないなら、鋏で切ったら。」
「あら、そうねジャック。良かったらジャックが開けてくれるかしら?紐に付いてた油分が気持ち悪くて、手を洗って来たいのよ。」
「良いけど、俺が開けて大丈夫なのか?」
「ふふ、其処はジャックを信用しているわ。ジョンも居るしね。」
そう言って、ドロシーは奥の部屋へと、静かに立ち去った。
俺は揺り椅子の上に置いてあった編み物籠から鋏を取り出し、パチンパチンと四角い小包を縛っていた褐色の細い紐を切り、茶色の包み紙を丁寧に外し、厚紙で出来た箱を開いた。
その小さな箱の中央を開くと粗塩が詰められていた。
俺は干した魚でも詰めてるのかと思い、右腕の袖を捲くり手を粗塩の中央へと差し入れた。
手に小さな干し肉のような物が当り、俺はその肉を潰さない様に右手で包み込み、痒く成って来た手首を粗塩から引き抜いた。
そして、塩を払いながら、小さな肉を左手の掌に載せて俺は其れを見た。
、、、、、ソレはどう見ても人間の耳だった。
それを理解した瞬間、掠れた悲鳴と共に、俺の意識が途切れた。




