悪友
アリロスト歴1894年 1月
トマスが持って来た新聞をワークデスクに置いて目を通すと、プロセン王国が幽閉していた屋敷でギール国王と王妃が病死した、と記されていた。
俺は記事を読み、プロセン側が出した此の発表は、例え真実でもヨーアン諸国の誰も信じないだろうな、と苦味の強い珈琲を口に含んだ侭そう思った。
海軍が脆弱なプロセンはグレタリアンやルドアとの植民地獲得競争を諦め、昔から強いと定評の或る陸軍を使い、ヨーアン大陸での支配地域の拡大に重心を移している様に見えた。
俺は此のニュースを義姉エリザベートも知る事に成ると思うと、胸の奥がチクリと痛んだ。
幾らあの賢き義姉エリザベートでも両親の訃報は答えるだろう。
兄は、、、。
あの兄の性格からして、妻の義姉エリザベートに対しての精神的なフォロー等はしないだろうと、俺はアッサリ想像が出来てしまった。
何となく俺が自分の都合で強引に進めた、兄とエリザベートの婚姻だったから義姉に関しては、罪の意識みたいなモノを感じてしまう。
プロセン王家からもグレタリアン皇帝からも逃げていたギール王家の流浪の姫君だった弱い立場を俺ってば、利用した感じだものな。
義姉エリザベートは正妻として、嫡男も産み義務も果たしたのだから、頼れる相手を見付け愛人でも作って呉れたら、俺も気が楽に成るのだけどね。
でもまっ、いい大人の兄も王女教育を受けて来た義姉エリザベートも、互いに納得した上での婚姻だし、俺には見守って行くしか出来ないと割り切り、時計を確認した後でセインがそろそろ事務所へ来る頃だと、新たな新聞のページをパサリと繰った。
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アリロスト歴1894年 2月
僕の偉大で美しい友人のジェロームはこの頃、頓に忙しくなり遂、体調を心配してしまう。
以前は気に成った事件を捜査すると言うスタンスだったジェロームなのだが、レイド警部に頼る事が多くなり、その恩返しにレイド警部からの相談や捜査協力が増えたというのもある。
また昔は疎遠であったジェロームの兄であるエイム公爵からの依頼も引き受ける様になった。
最も多忙な要因の一番はパトリック・ウォーゼン男爵の所為だと言う事は忘れてはならない。
昨年、ビル・デザトンが銃殺され、その捜査段階で彼の残していた恐喝備忘録メモの一部が流出し、パトリック・ウォーゼンと浮気をしていた元議員の妻との、スキャンダルが取り沙汰された。
プライドを傷付けられた元議員から、決闘を言い渡されたパトリック・ウォーゼンが、又しても我が友ジェロームに「助けてくれ」と今年1月、泣き付いて来た。
僕も後から知ったのだが、パトリック男爵が撮った写真を使ってケイト嬢を恐喝していた男が、殺されたビル・デザトンだった。
丁度、依頼の品を盗みに入った後で、行われた殺しだった為、警戒して僕への報告が遅れた事をジェロームは詫びた。
侵入も盗みも不法行為を犯した事に変りが無いので、ヤードからの捜査が入れば僕に迷惑が掛かることを懸念して、捜査状況が落ち着くまで待っていたとジェロームは打ち明けた。
僕がそんなことを気にしないと言うと、ジェロームは優しく微笑み「セインに何か在ったらオリビアが心配するだろ」そう言って僕を抱き締めた。
僕はジェロームを守る心算で側に居るのに守って貰ってばかりだ。
そう言って詫びると、僕が側に居るから安心して自由に動けている、とジェロームは囁いた。
兄の職務の関係で話せない事も侭あるけれど、話せる事は後からでも僕に打ち明ける、とジェロームは僕に告げて呉れた。
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そんな訳で依頼人だったケイト嬢が、ビル・デザトンに脅された原因を作ったのもパトリック男爵で、ビル・デザトンの部屋に残されていたパトリック男爵が撮ったヌード写真で、知られたくない関係を記事で暴露された夫人も数名いたと言う。
不幸の伝道師のようなパトリック男爵が来訪したのを見て、ジェロームは顔を顰めた。
「パトは帰れ、此のジェローム探偵事務所が呪われる。」
「いや、呪われないよ。俺を此の侭帰したらジェリーが後悔することになるよ。」
「なんで?」
「俺がメルード元議員に殺されるから、決闘で。」
「おめでとう!素直に殺されて来いメルード氏に。どうせ悪いのはパトなんだろ?」
「いや違う。世間一般では俺が悪者だが、現実は違うんだ。俺とメルード元議員は昔からの悪友で、色々と遊んでいた仲間なんだ。」
「うん、パトの仲間で最悪な奴なんだな。会う事が在ったら注意するよ。」
「うん、それで昨年の選挙で俺が当選して、メルード元議員は落選したんだ。で俺とも険悪になってさ。だって可笑しいだろ?メルードの妻キャロルとはもう2年も前に終わった関係なんだぜ?」
「いやパトが勝手に終わったと思ってるだけじゃね?何時もみたいに。でもって旦那からしたら何年経っても妻の浮気相手が許せないって思っても仕方ないよな?」
「そう言う奴じゃ無いんだ。俺の悪友だった男だぜ?メルードも今3人の女から訴えられている筈だ。そんな奴が妻キャロルの為に決闘とか可笑しくないか?」
「さーね、人の心は分らないからなー。まあ、パトも頑張って射撃の練習でもすえば?」
「無理。メルードは射撃の腕前は抜群に良いんだ。俺が叶うはずもない。それにノルセー伯爵に紹介する前にジェリーは言ってくれたよな?一回だけは恩返しで俺の頼みを聞いて呉れるって。」
「、、、、、。はあー、俺はパトの所為で色々と動かされているから頼み事ばかり聞いてた気がするけど、エドガーワインド議員の毒殺事件後にした約束だから、、、はあー、面倒だ。」
「それにジュリーがケイトに5000ポンド支払わずに着服してるだろ。」
「チッ、仕方ないな。今回だけだからな!パトの頼みを聞くのは。」
「有難う、ジェリー恩に着る。」
「うぜぇーよ、パト。」
こうして急遽パトリック男爵の依頼を受けることに成ったジェロームは依頼料をあの5000ポンドで済ませる事を告げた。
『今回みたいにパトの脅しのネタにされたら堪らないから正当な報酬として頂戴した。』そうだ。
パトリック男爵が帰宅後、僕やクロード、トマス達でメルード元議員を調べると、確かにパトリック男爵の悪友と言うだけあって、放蕩な生活を過ごしていた。
男色の気は無かったが人妻との乱行が酷く、訴えた3人の女性もメルード氏との浮気が夫にバレ、離婚された責任を取って貰う為の訴訟だった。
メルード氏はジェロームが言う所のイケメンで、話題に富み優雅な仕草をする彼は放蕩者だと知られていても、社交界での人気は高い侭だと聞いた。
メルード氏の性格は何処までも貴族的だった。
民主的と言う言葉は欺瞞の最たるものだと云い、庶民への教育など百害あって一利なし。
夜会の後はそう話していたそうだ。
政府の責務とは犯罪を防止し、契約を履行する事に尽きると語っていたと言う。
メルード子爵家の次男で法曹学院を出、弁極資格を取り保守のホリー党から出馬し議員に成り、パトリック氏とは若手議員の悪友仲間だったらしい。
色々と話を聞いている中で僕は、母親が浮気している期間にメルード氏を身籠った為、父親や周囲から出生を疑われている事を知り、それは切なく不幸だと感じてしまった。
そうやって調べて来た事を、僕とクロードそしてトマスと順番にジェロームへと報告した。
ジェロームは何時もの安楽椅子に座り、長い脚を組み瞼を閉じて僕達の話を聞き、窓から入る陽射しに透けて煌めく淡い金糸の髪を揺らして、その美しい顔を上げた。
「少し出て来る。」
そう言ってジェロームが安楽椅子から立ち上がり、その細い身体を覆う黒いトップコートを羽織ってクロードと共に黒い扉の外へと出て行った。
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翌日の午後にジェロームは探偵事務所へと戻って来たと言う伝言を僕はトマスから自宅で受けて、慌ててジェロームが居る下宿112Bへと向かった。
黒い扉を開けて暖炉の焚かれた暖かい室内に僕が入るとジェロームはあの安楽椅子に深く腰を掛けて座り、美しく整った笑顔を向けて呉れた。
「お帰り、ジェロームの用事は終わったの?」
「ただいま、セイン。昨日はセインに連絡が出来ずに御免、待たせただろう?」
「そうでも無いよ、17時にはメモを書いてアパートメントへと帰ったからね。何時もより早い帰宅だったよ。」
「ああ、此処にセインのメモがあった。昨日セインが私へ話してくれた言葉がヒントに成ったよ、有難う、何とかパトがメルード氏に慰謝料を支払わせる事で話を纏めて来た。」
「そうなのかい?僕がジェロームの役に立てたのなら何より嬉しいよ。うん、話し合いで解決と言うのが一番だよね。パトリック氏も報告を聞いたらホッとするだろうね。」
「まあ、パトを殺し損ねたのは残念だけどね。メルード氏も心の中では、決闘なんて馬鹿々々しいと思っていたみたいだし。」
「では、なぜ、、、?」
「うーん、悪友つうモノは不要かもな、って思った1件だったよ。メナード氏の話によるとね、スキャンダルが出た時にメルード氏は嫌な記憶が蘇ったんだ。今でも父親の子で無いと噂され続けて居る事を。そしてメルード氏の嫡男はパトと妻が関係ある頃に懐妊した。その記事を持って来た悪友たちが「嫡男はパトの子ではないのか?」と囃し立て始めた。少し精神的なバランスを崩したメルード氏は、パトに妻の名誉を傷付けられた為に、貴族として決闘をすると悪友たちへ告げたんだ。するとその悪友たちはメルード氏を褒め称えた後に、パトの所へ行ってその話をしたんだ。そして青くなったパトは私の所へ救援要請に来たのさ。」
「それは、、、本当に友なのかい?」
「だから悪友なのさ。セインがメルード氏を貴族的な性格だと言って居ただろ?その彼が感情的な決闘と言う行いに至るには、セインが不幸だと感じた、、、恐らくメルード氏が抱えたトラウマを刺激する何かがあると考えて、私は急遽メルード氏の元へ訪れたのさ。実際に会って話して見るのが、一番早いからね。」
「僕も一緒に行ければ良かったんだけど。」
「ふふ、今回はエイム公爵家の次男ジェロームとして訪問した方が良いと思ってね。お陰でメルード氏からは直ぐにゲストルームへと招いて貰えたよ。色々と話して貰えるようになるのに、マジで時間が掛かって疲れたよ。私は、ジャックの様にスルリと相手の警戒心を解く術を持って居ないからね。マナーに則りながら話をして、やっと悪友の存在やトラウマについてワイン片手に話してくれるように成ったんだ。
まっ、酔いも回り空気も軽く成った頃に、悪友等が勧める茶番みたいな今回の決闘などを止めて、政治に野心があるメルード氏へ、次回の選挙資金の一部をパトに支払わせるという実利を勧めた。でもって、今なら問題なく妻キャロルと離婚が出来て、若く貞淑な妻を迎えられることを、アピールして置いたんだよ。別に愛が在っての結婚じゃ無いみたいだしね。」
そうジェロームが僕に語り終えると、右手で持った煙草を咥えて燐寸で火を点けた。
僕が切り取った情報や感覚は自分では掴めない事だから何時も感謝しているよと、ジェロームが少し照れたように僕へと優しい声で告げて呉れた。
そのジェロームの言葉が僕には、とても誇らしくて胸の奥が暖かくなった。
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アリロスト歴1894年 2月
石炭のストーブが入った一階の談話室は、何時も大きなケトルが掛けられていて、2月の冷え冷えとした室外の凍える空気を忘れ去れる位に暖かい。
食事もクロエやルスランと談話室で摂る事が多くなってしまい、兄が知れば、此の行儀の悪さに眉間の縦皴を、縁り一層深くすることを想像しては、俺とクロエの2人で忍び笑いを漏らしている。
シェリーも無事に第一子の男児を出産し、傍に付いていたクロエも「ヤレヤレ」と帰宅後、俺に安堵の溜息を洩らした。
「もー、シェリーだけでも大変なのに、パーシーまで扉の外でワーワー煩いったらなかったわ。」
「いやー男には分らんから初めての事だしパーシーも心配だったんじゃね?」
俺は当たり前だけど出産なんて全く縁が無いので、ドンなものかは謎の侭である。
パーシーが男には何も出来ない状況で、十何時間も隣室で付いていたとクロエは話したけど、その行為自体俺には理解が出来なかった。
クロエは、初めての出産で怖がるシェリーの手をずっと握っていたそうだ。
玄関ホールで俺が出迎えたクロエの顔は疲れ切り、目の下に薄紫の大きな隈を作って帰って来た。
クロエも年か?とか俺は思っていないよ。
「寝る」と言って寝室に消えたクロエは、翌日の昼過ぎまで寝ていた、とルスランが報告しに来た。
君達、仲が良いね。
などと思いつつ、まるでクロエが出産して来たような大変さを感じ、俺はクロエを労った。
俺は子犬の様にクロエに懐いてついて廻るルスランを見ながら、クロエに話し掛ける。
「サマンサはコレ如何すんの?」
「如何するも何も連れて来たのはエイム公爵とジャックでしょう?」
「案外と2人共、コレの存在を忘れてるかも。」
「まさかー、ジェローム。仮にもルドア帝国の元皇太子だよー。」
「もしかして、わたしのことかな?」
「うん、そうだよルスラン。めっちゃ此の下宿に馴染んでしまってるけどさ。」
「ふふ、此処は居心地が良いよね。ジェローム以外は、みんな生きるのに一生懸命で、でも他人の事にも少しだけ気に掛けてて。サマンサ何かは朝から夕食までクルクルと独楽鼠みたいに動いてる。毎日を慌ただしく過ごしているのにこんなにも楽しい日々をわたしは知らなかった。」
「済みませんねー、私ってば独楽鼠みたいで。」
「いや、そのサマンサが動く姿がわたしは愛らしく綺麗だと云いたくて。」
「ええー、ルスラン、私も一生懸命に働いてるのにー。」
「そうよ、ジェロームが働いてくれるから比較的に私達は優雅に過ごせているのよ。」
「あー、うん。言葉をわたしは間違えたかな?んー、ジェロームは半分くらいの力で動いている気がしただけなんだよ。悪い意味じゃ無いよ?」
「えー、それってルスランは私にもっと働けと言いたい?勘弁してよー、今でも夜に成ると。ぐったりしてるんだからさー。」
まっ、俺が程々に生きてることには違いない。
遣るな、アルドラ元皇太子のルスラン、伊達に幼い頃から多くの人間を見ているだけは或る。
俺の力を抜いた生き方を見破るとは。
ルスランてば、グレタリアン流の男同士の友情を求めていない所為で、俺に対して冷静な判断をするんだよなー、その冷静さでクロエを見て欲しい。
何処に愛らしい点が在ると言うのだろうか?
これはジャックと話し合ってルスランに疑義を呈さねば。
如何やらルスランにはグランマ・クロエが見えないらしい。
ぐはっ、クロエが睨んでいる。
如何やら俺の悪心がクロエには見破られたようだ。
2人が話している様子を伺っていると、クロエはルスランの味方で、ルスランはクロエの味方みたいだ、まるで仲の良い母子。
まっ、いいか。
明日に成ればまた、セインが俺を見て微笑んでくれるからね。
クロエにじゃれ付くルスランを俺は生暖かい目で見つつ、ハーブティーを飲んだ。




