不始末
アリロスト歴1893年 10月
帰って来た緑藍はソファーに座る俺の横へとストンと腰を掛けた。
「お帰りー。」
「ただいまジャック。」
俺の隣で伸びをし乍ら、緑藍はエイム卿に似た耳に心地よいテノールの声で話を始めた。
緑藍は、グロン宅で読ませて貰った脅迫状がパトリック氏の文字ではない事、3年前にケイト嬢は劇場の控室でパトリック氏と一緒に写真を撮った事、腕を触れた時以外の肉体的な接触は、一切無いと話したと言う。
ラブレターは1通出した記憶はあるとケイト嬢は話した。
俺はパトリック氏から、素っ気なくケイト嬢へと返されたラブレターを緑藍に渡した。
「うん、この字はケイトだね、ジャック。今日ケイトに書いて貰った文字と癖が同じだ。」
「1通と言うのが確かなら、そのラブレターは間違えて持って行ったのかもよ?コンテナに頭文字で分けられ整理されていたから。凄い量のラブレターが在った。」
「うん、この恋文なら読まれても問題無さそうだね。」
「だろ?それでジェロームへの依頼はなんなの?俺は聞いて無かったかも。」
「うわっ、ジャックは信じられん。依頼は写真とラブレターの回収だね。私書箱をトマスに張り込ませてるから、動きが在れば直ぐに出るよ。」
「うん、頑張ってな、ジェロームなら遣れる。」
「ええー、ジャックは一緒に行かないのかよー。」
「行く訳ないだろ。つうか恐喝者の住所を調べるだけだろ?そう言うのはクロードに任せても良いんじゃね?その方がエイム卿も安心だろ。」
「ちぇーっ。近頃ジャックは兄の機嫌ばかりを気にし過ぎ。」
「あはは、俺の雇い主だからねー。」
軽口を叩き乍ら俺はパトリック邸の執事に書いて貰った、辞めた6人の使用人リストを緑藍に見せた。
短期やパートの人は、主に厨房や片付けの仕事なので屋敷の奥へは入っていない、とパトリック邸の執事が話した為に俺は除外した。
暫くソレを緑藍は静かに見ていた。
「ビル・デザトン、住所は違うけど名前が一緒だ。2年前に退職か、エドガーの屋敷で雇われたのが1年半前か、クロードに頼んで此の住所を調べて貰うよ。」
そう言って緑藍はソファーから立ち上がり、部屋の扉を開いて探偵事務所へと、足早に向かって行くのを俺は見送り、細巻の葉巻を切った。
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俺は黒のコートを羽織り、セインと共にパトのタウンハウスへ、早朝から強襲し蹴り飛ばした。
華やかで見栄えの良いパトの顔が忌々しい。
「パトは迷惑を掛けたケイト嬢の為に、5000ポンドを用意しろよ。でもって、パトは私に2度と迷惑を掛けるな、良いな!」
「いやいや、今回も俺は何にもしてないだろ?それにジャックが説明した様な写真で、婚約が駄目になるとか有り得ないだろ?」
「そうだなー、相手がパトじゃ無ければ、全く問題に成らなかったと思うぜ。パトの噂はコト女に関しては最悪な疫病神だからな。一緒に居るだけで、不埒な仲に見られるのはパト位だ。精々、今まで自分が仕出かした、不始末を反省しやがれ。」
「何かジェリーの口調が酷い。それに今はレナード一筋なんだ。もうフラフラとする事もない。」
「はぁー、何時まで持つやら。俺も動くけど、でもパトは念の為に、金を用意して置けよ。私はパトにそれを言いに来ただけ。」
「だったら話だけで良いじゃん。ジェリーが思い切り背中を蹴飛ばしたから、絶対コレって痕が残るぜ。前の時も残ってたんだぞ。それと直ぐに5000は無理だ。」
「知るか。じゃあーな。セイン行くぞ。」
俺は思い切りパトの背中を蹴飛ばせて、留飲も少しは収まった。
パトの呪いで、俺が調べていたエドガーワインドの事件をお釈迦にされたのだ。
蹴り位で許している俺の優しさにパトは感謝して欲しい。
俺はセインと運動を兼ねて歩いき、下宿112Bにあるジェローム探偵事務所へと戻った。
クロードに調べさせていたビル・デザトンは中々の悪党だった。
勤めた先で知り得た情報をネタに強請ったり他の悪党に売ったりして結構な稼ぎを得ていた。
被害届を出せばヤードも動くけど恐喝の場合は被害者は裁判を恐れて訴えない。
公に成ればそれこそ醜聞だからなー。
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その日の夜。
セインが探偵事務所から帰宅した後に、トマスはビル・デザトンが私書箱に届いた郵便物を回収しに訪れたので後を追い、所在を確かめた。
東地区に在るブロンボウにその住所は在った。
俺も早速忍び込みに行こうとしたけれど、ジャックとクロードに止められて、トマスとクロード2人でビルデザトンのアパートメントハウスへ、ケイトの写真と念の為に恋文を回収して貰う事に成った。
「私も行きたかったのに。ジャック迄が止めるなんて。」
「まっ、違法だしね。前回は倉庫前だから大丈夫だったけど、流石に家宅侵入をジェロームに遣らせる訳には行かないよ。」
「マジでジャックって生真面目だよね。」
「良識が在ると言って欲しいなー。」
尤もらしい顔をしてジャックは語るけど、兄から俺に関して、何か言われているのだろう。
俺はジャックを誘ってシガールームへ行き、安楽椅子へ腰を降ろして脚を組んだ。
何気ない仕草でソファーに座り、品の或る空気を纏ってジャックは細巻の葉巻に火を点ける。
サラリと落ちて来た前髪を右手で左に流して綺麗な風貌をジャックは見せる。
うーん。
うん。
やっぱり「庶民だ」ってジャックが言い張るのは無理があるよなー。
俺も煙草を銀のケースから取り出し火を点けて煙を吸い込む。
ジャックは葉巻の薄い煙を吐いて、俺に話し始める。
「クロードやトマスが無事に写真を回収してから、依頼者と相談して婚約者に打ち明けるべきだ、と俺は想うんだが、ジェロームは如何思う?」
「ん?その心は?」
「なんかさ、3年前って言ったらケイト嬢が15歳か16歳位だろ?その頃に異性に憧れを持つなんて割と良くある話しじゃん?俺は、夫に成る相手に秘密にしなくて良い事まで、秘密にするって如何なのかな?って考えたんだよね。」
「うーん。そうかも知れんけど、それは探偵である私が考える問題じゃあないと思う。依頼人が秘密にしたいと考えたから此の依頼が私に来た訳だしね。」
「はあー、そうかー。俺と緑藍も秘密が多いじゃん?だからつい成るべく秘密がない選択を考えてしまうんだよなー。」
「ふふ、そうだね。まあ何か依頼人側から、今回の事でアドバイスを求めて来たら、私も提案してみるよ。」
低いジャックの声が俺の耳に馴染む。
普段はグレタリアンなど滅んでしまえって愚痴ってるのに、やっぱり優しいよなジャックは。
俺もジャックもグレタリアンの為には働かないつって話し合ってたけど、何も遣らないってのは俺の性に合わなくて、クロエの言葉をヒントに探偵業を始めたけど、俺ってそう言う情は薄いんだろうな。
依頼人に対してジャックみたいな情は湧かない。
俺は此の依頼が来たから動くと言うシステマティックな感覚が好みだったりするんだよね。
偶に謎が解け切れないと不完全燃焼でストレスも溜まるけど。
ぼんやりと煙草を吸いながら、そんな事を考えていると目立たない格好をしたクロードとトマスが、シガールームの扉を開けて静かに入って来た。
「「お疲れ。」」
俺とジャックは室内に2人を迎い入れ、労った後で状況を尋ねると、トマスが焦げ茶のジャケットの前を開いて紙袋を取り出しテーブルの上に置いた。
俺は紙袋を手に取り封を開け、中の物を丁寧に取り出した。
少し傷んでいる写真には、忌々しい気取ったパトがゆったりと椅子に座り、その横に立った幼い少女ケイトが右手を伸ばして、パトの肩に触れている初々しい姿が写されていた。
一緒に入っていた手紙の差出人はケイトとだけ書かれていたけど、筆跡はケイトコーディーの物とは似ても似つかなかった。
此方の手紙は熱烈な情愛を綴ったもので、確かに婚約者がコレを読んだら、あの初々しいケイトの写真も邪推してしまうだろ。
俺は、写真と別人のケイトが綴った手紙をジャックへと渡して、新たな煙草に火を点けた。
「あのジェローム様少し宜しいでしょうか?」
「うん?如何したクロード。」
「はい、ビル・デザトンの部屋に侵入した時に、在宅していた彼の意識を奪って依頼品の回収をし、其の侭アパートメントハウスを出ました。その後敷地の外へ出た時に、ビル・デザトンの部屋辺りから銃声がしたのですが、様子を伺いに行くと怪しまれそうなので、依頼品を持って戻って来たのですが。」
「うん、それで正解だよクロード。」
「このまま放置していて宜しいのでしょうか?」
「勿論、良いに決まっている。どの道、ビル・デザトンはこうなる運命だったと思うよ。人の弱みを食い物にしていた悪党だし。クロードとトマスは誰かに見られた?」
「いえ、それは在りません。」
「出る時に鍵を開けた侭だった所為かな。ビル・デザトンは気絶していたから。」
「ふふ、案外と良い人助けを、クロードとトマスはしたのかもね。2人共お疲れ様、今日はもう下がっても良いよ。」
「「はい、失礼いたします。」」
そう言ってクロードとトマスは頭を下げた後、静かにシガールームを出て行った。
何時の間にかジャックは、俺がプレゼントしたフロラルス産のコニャックとチェイサーを用意してテーブルへと並べていた。
トロリとした琥珀色の液体を注いだグラスをジャックは俺に差し出し溜息の様に呟いた。
「はあぁぁー、今回は死体無しの事件解決と思ったのに、どうなってんのジェローム。」
「知らないよ。つかクロード達が解決した時点では、ジャックも聞いての通り死体は無かったぜ。」
「まっ、そうだけどさ。でも本当にジェロームがビル・デザトンの部屋に行って無くて良かったよ。マジで止めてて俺ってば、良かった。ジェロームも知ってると思うけど、ジェロームに何か在ったら俺が身代りになるようにエイム卿から言い使ってるからさー。」
「ああー、探偵事務所を設立した時に兄とそんな契約をジャックはしてたね。」
「そそ、だからくれぐれもジェロームは違法行為は無しの方向で。俺の為に」
「ふふふっ、それは約束は出来ないかな?ジャック、礼儀正しい悪党ばかりじゃないからね。」
「礼儀正しい悪党など何かいるもんかっ!」
「あははっ。」
口の中で円やかなコニャックを転がし、怪盗バートがふと俺の脳裏を過った。
怪盗バートが俺のセインを騙したのは今も許せないけれど、パルテの戦乙女のレプリカからブルーダイヤを見付け出した祝いと称して同じく盗まれていた黒真珠を送りつけて来るフザけた泥棒。
ムカつくが奴なら礼儀正しい悪党と言えるのかも。
そんな話をジャックにすると『怪盗バート不況』等を引き起こす奴が礼儀正しい訳がないと、葉巻の煙を吹かしながら、眉を寄せた。
その夜はシガールームでジャックと朝まで飲んで、気が付いたら俺は眠りに落ちていた。
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朝の9時、昨夜ジャックと飲み過ぎた事を後悔しつつ、睡眠不足とアルコールが残った頭を働かせるために俺はクロードに珈琲を頼んだ。
何時もの安楽椅子に腰を降ろして俺はトマスが勝って来たロンド新聞を開いた。
『ーブロンボウのアパートメントハウスで銃で撃たれた死体。
昨夜銃声を聞いた近所からの通報によりヤードは現場へ急行。
自室でビル・デザトンの銃殺体が発見される。ー』
クロード淹れてくれた珈琲を飲み乍ら俺はロンド新聞や他の2紙に目を通し、クロードやトマスの情報が無い事を確認した。
依頼人シセニア・グロンには恐喝者ビル・デザトンの名は知られていないから、依頼の品を渡して失礼させて貰おう。
そして、パトに用意させた5000ポンドは、パトが仕出かした不始末の迷惑料として、ジェローム探偵事務所で頂いて於こう。
流石のパトも5000ポンドの請求に少しは反省するだろう。
そう考えて俺はセインと新たに出来たイラド料理店へ行く事を想い、内心でニンマリと笑った。
暫くするとセインがにこやかな笑顔を俺に向けて、探偵事務所へと入って来た。
「お早うセイン。無事に依頼の品を回収出来たから、此れから依頼人シセニアグロン宅まで、届けに行くよ。」
「おはようジェローム。早いねー。了解したよ。」
俺は椅子から立ち上がり、依頼の品をセインへ手渡し歩き出すと、クロードが素早くジェローム探偵事務所の黒い扉を華麗に開いてくれた。




