ケース・オープン
アリロスト歴1886年 12月
あの後、毛布を持って談話室に入ると、ジェロームがサマンサにハードなキスをしていたので、俺は掌でジェロームの後頭部を思い切り叩いた。
「てめぇー、何してんだ。」
「寒かったので。ついなっ。」
本当に緑藍は緑藍で仕方のない奴だが、俺はある意味安心した。
なんかやっぱりジェロームこと緑藍は性に於いて奔放な方がしっくりくる。
叩いて於いて酷い言い様だけどね。
ソファーに寝かせたクロエに俺は毛布を掛けて、緑藍と一緒に談話室を出た。
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アリロスト歴1886年 12月 9日
クロエが子供や孫に逢いたいと泣いた日、あれから2ヵ月が経った。
俺は心の日記にサマンサ号泣事件と銘を打った。
そして泣くだけ泣いてスッキリしたクロエは庶民服に身を包み家事に勤しんでいた。
玄関ホールはカイン・バッハが発明した白熱ガス灯に切り替わり非常に明るくなった。
おー、と思う反面、コレで夜間労働も増えるのか、と俺は憂鬱になった。
過労死への歴史がまた1ページ。
悪魔エイム卿からの差し入れられた白熱ガス灯が1階談話室、晩餐室、と2階の緑藍の居住空間へ恙なく全て置かれていった。
そしてシェリーは余りも緑藍が働かないので業を煮やし、遺失物探しとかの依頼を受けて悪魔エイム卿が付けた従僕のトマスと一緒に出掛けるようになった。
別に緑藍がヒッキーだと言って居る訳ではない。
「私は、私の事件を待っている。」
「一生、待ってろ。」
そしてでっかい栗鼠のワート君、知り合いの病院へ面接と言うか挨拶に行っている。
ワート君に着いて行きたそうにしていた緑藍に「スティ」と俺は命じて置いた。
最近流行と言うか出来た精神科らしいので好奇心ワクテカな緑藍。
お前は頭が良いんだから「先ずは論文を読め」と、俺の説得が直ぐに終わった。
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アリロスト歴1886年 12月 12日
------PM13時
そして3日後、今俺は悪魔エイム卿と向かい合い珈琲を飲んでいる。
圧迫面談もかくやと言うべき状況だが、此処は「沈黙クラブ」つう紳士の社交場であった。
エイム卿の紹介で入会させられたのだが、扉を入ったら「話すべからず」っと受付で念押しされた。
「社交とは何ぞや」
そう哲学ぽい瞑想をしつつ、「俺は何をしているのか」と自問をして2時間経過した。
前を向き、目を合わせると猛禽類の眼光で悪魔エイム卿が直視しているだろ、と理解していたので、エイム卿と視線を合さない為に幾度も目を通した新聞を、今度は後ろから読んでみた。
んー、後ろから読んでも記事は変わらん。
そして思うのである。
この新聞記事を読んだら緑藍がそわそわしてヤードへ向かっただろう、と。
悪魔エイム卿は、俺なんかといないで一刻も早く緑藍を追うべきでは?
「娼婦惨殺される。」
もう見出しだけで俺はお腹一杯である。
3時間の精神耐久レースを終えて紳士御用達のシガーカフェに悪魔エイム卿と共にやって来た。
スタンド式のカウンターに座りエイム卿は水煙草を、俺はマスター?に一番細く巻いた葉巻を注文した。
シンプルな黒のトップハットを被り、上唇の上に綺麗に整えられた髭がセクシーなエイム卿。
俺への威圧が無ければ道行く貴婦人が倒れそうな男前なのに残念だ。
俺は出された葉巻の香りを嗅いで頷き「OK」サインを出して、シガーナイフで吸口を切る。
「如何だった?」
「どう、とは?」
「今日のクラブの感想だ。」
「んー、んーうん、あのクラブには何をしに行くんですかね?皆さん。」
「!、社交に決まってるだろう。それ以外でクラブに行く意味はあるのか?」
「そうですか、社交ですか。まー俺は見ての通りの平民なので、社交は分りません。済みません。」
現在グレタリアン紳士の流行はステイタスの高いクラブのメンバーに為る事である。
まあ、貴族紳士の会つう奴ですね。
金だけ有っても入る事の出来ない場所、貴族しか集まれないパブリックな場所を確保したい、てな試みかな。
この「パブリックな」つう所が大事だったりする。
当然、普通な、と言うか真面目な、クラブの方が多い。
「人嫌いクラブ」
「沈黙クラブ」
なんかをチョイスする時点で、悪魔エイム卿は、人と交流する気ナッシングとアピールしているのだ、パブリックに。
そういう意味での社交だ、と俺は思う事にした。
要するに貴族は公然に見せる事に価値があるっ!
「ジャック、君は人を愛した事があるか?」
「ぶほっー、ごほごほっ、済みません。愛ですかー、まあ無いかも知れませんね。(今世では)」
「私は過ちを犯し、その所為で命よりも大切なその者を失った。もう私を求めてくれないだろう。それがどれ程苦しくとも私は耐えなければ成らないのだ。わが命の限り守り抜くと誓ったからな。」
「は、はい。」
このオッサン、こんな場所でそんな話を俺にブッコンで来るなよ。
こういう話はせめて下宿の談話室でしてくれよ。
マスターもエイム卿の左隣にいる紳士も聞き耳立てて興味深々じゃねーか。
一応は有名人なのだから自覚を持ってくれ、エイム卿。
「何故、こんな話を君にしたかと言うと。」
「は、はい。」
「もう直ぐクリスマスだろ?」
「ええ、世間一般では。」
「だから、君に聞きたいのだっ!」
「えっえっ、何を?」
「弟は何を欲しがっているだろうか。」
「しっ。」
「し?」
「知るかー!自分で聞け!俺はもう帰る。」
俺は店内で叫んだお詫びに帽子を取って姿勢正しく礼をして、店の扉へと向かって歩いた。
扉を出ると何故だか背後で数人の拍手が聴こえて来た。
同日------15時20分
流石に3時間の圧迫面接の後に「こんな質問も判らないのか、阿保め(副音声)」つう態度+質問に俺はキレてプンプンと怒りつつ足早に辻馬車の乗り合い所を目指して歩いていた。
トン。
胸元への軽い衝撃の後にパサリと音がしてコロコロと何かが転がる音がした。
「御免なさい。前をよく見ていなくて。」
「いや、俺の方こそ。」
少し掠れているけど耳に馴染む素敵な声の女性だ。
甘い花の香りが鼻孔を擽った。
俺は慌てて彼女の細く柔らかな身体を両手で触れて、彼女の身体を自分の胸から離した。
鮮やかな緑の長いダストコートを羽織り、下には小豆色の長い上着と深紅のスカート、そして金の巻き毛を淡い小豆色のボンネットに仕舞い、翡翠色の瞳を細め上品な笑顔で笑った。
「あら大変。」
「俺も拾うのを手伝うよ。」
「有難う御座います。」
そう言うと転がり落ちた数個のリンゴや落ちた籠からは焼き菓子が散らばっていた。
彼女はリンゴを拾い集め、落ちた素朴な焼き菓子を拾った。
「そのお菓子はもう駄目ね。孤児院へクリスマス前の慰問に行く途中だったの。」
「ではハイレド通りに在る菓子でも買いましょう。ブツかって、折角の焼き菓子を駄目にしたお詫びに。」
「私がぶつかったのに、それは申し訳ないわ、拾って頂けただけで充分。」
「いや、実は生まれてこの方慈善活動などした事がないので此の機会を出汁に真似事をしたいと思ってね。良かったらその切っ掛けのお手伝いをして頂けませんか?」
「ふふ、そう言われたら断れませんわね。善き貴方に祝福を。」
「有難う。この菓子籠は持ちましょう。」
俺はハイテンションで歩きながら互いの自己紹介をした。
彼女の名はメアリー・グリーン20歳、南カメリアでの戦争が激しくなったので叔父のいるグレタリアンへ家族で逃げて来たと言う。
てっきり貴族の子女かと思って居たら父親は鉱山経営をしているブルジョワだった。
まあコートもドレスも一級品だもんな、裕福だろう。
俺たちはハイレド通りに向かった。
そして甘い匂いがする焼き菓子屋に入り、少々買い過ぎな量の菓子を買って籠に詰めた。
メアリーが約束の時間が近いと言うので2人で慌てて乗り合い所へと向かった。
辻馬車に乗りメアリーが告げた行き先を聞いて俺は驚いた。
「グラス通りのイート教会だって!あそこら辺りは治安が悪い。女の子が1人で行くなんて。」
「でもイート教会隣の孤児院ですし、馬車で行けば変な人にも会いませんでしょ?」
「それでもだよ。ご両親は何か言わなかったの?」
「え、ええ。」
グラス通りのイート教会へ行くには手前で辻馬車を降りないと狭くて入れない。
俺は心配だから就いて行く、と言うと「申し訳ない」と固辞をするので、孤児院の入り口まで送ることにした。
まあ、其処まで固辞するのは俺が行くと不味い事でもあるのだろう。
そう思っての妥協案でもある。
グラス通りを東へもう一つの通りを抜けると私娼街に成っていた。
メアリーみたいに若くて綺麗な子があの通りの客達に見られることを想うとゾッとしない。
うん、コレは俺の自己満足の為にメアリーは耐えて貰おう。
そんなことを考えていると目的地に着いたみたいだ。
俺は彼女の手を取り馬車から降ろした。
気が付けば、アルフレッドの頃みたいに自然とメアリーをエスコートしていた。
そして俺達はグラス通りから教会へ向かい2人で歩いて行った。
「おや、ジャック如何したんだ?こんな所で。」
「ゲーーっ、ジェローム!」
「その美しいお嬢さんを紹介して欲しいな、ジャック。」
「あー、コイツは俺の雇い主の弟ジェローム、そして彼女はメアリー。」
「初めまして、あの、でも私はそろそろ約束の時間なので。」
「あっ、そうだったね。はい、お菓子籠。メアリー、君に祝福を。」
「え、ええ、有難う。ジャックにも。」
そう言ってお菓子籠を俺から受け取り、略式の礼をし終えると、メアリーは足早に孤児院の建物に入って行った。
緑藍もメアリーを見送った後に周囲を見回し、何かの合図を送った様な気がした。
まあ、気がしただけだけどね。
それよりも俺を見てニヤニヤして笑うのは止めろ、緑藍。
「ふーん。」
「な、なんだよっ!」
「ジャックって面喰いだったんだなーと思ってさ。」
「そう言うのじゃ無いから。偶々ぶつかって迷惑掛けたから送っただけだ。」
「いやー、ジャックは祝福を贈り合う性格だったのか―、初めて知った。」
「はー、もう良いよ。疲れるのはジェロームの兄だけで充分だ。今日は。」
「ふふ、如何?ジャックも偶には白馬に乗った王子様とか遣って見たくない?」
「い・や・だっ!俺は白馬にも乗らないし王子にも成らない、絶対に。」
「な-んだ。詰んないな、今なら私がジャックを王子にして遣れるのに。」
「要らんわ。そうだ、ジェロームお前は馬車で来てるだろ?この辻馬車をメアリーに残して行くから俺を乗せて帰ってくれ。」
「んー、馬車を入れ替えよう。メアリーを私の馬車に乗せ辻馬車はジャックと私で乗る、如何?」
「まあ、それは良いけど良いのか。」
「ん、勿論、じゃあ帰るとしますか。」
「ああ、所で何故ジェロームが此処に居るんだ?」
「あー、新聞読んだ?娼婦惨殺事件。その現場が東通りの私娼街だったから近辺を調べてたんだ。」
「えっ、それじゃあメアリーが危険じゃあ。」
「大丈夫、護衛するようにサッキ合図を送ったから。」
「ああ、やっぱり合図を送っていたんだ。気配が判らなかったから、どーかなーって思った。」
「はい、俺は分かってしまった。」
「何だよ、ジェローム急に。」
「ジャックは恋すると思った以上にポンコツに成るって事が。」
「はあーー?」
「こっちが、はあー!だよ。」
俺と緑藍は馬車に乗ってからも、互いの抜けている所をワーワーと指摘し合った。
そして、112Bの下宿へと向かう馬車の中で俺と緑藍は騒がしく過ごしていた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
アリロスト歴1886年 12月 12日
時間が戻り同日------AM10時過ぎ
「オハヨー、サマンサ。」
「ちっとも早く無いけどね、お早うジェローム。ジャックもセインもシェリーも皆さんは起きてもうお出かけよ。」
「珈琲が欲しいな。」
「さっきドリップしたばかりだから香りがいいわよ。持って来るわね。」
「うん、お願い。」
すっかり元気になったクロエを見て私と言うか俺も安心した。
クロエから渡された特大マグカップに並々と注がれた珈琲を見て幾等何でも淹れ過ぎだと思った。
それでも淹れ立ての珈琲の香りは素晴らしく、まだ眠っていた脳を起こすには充分だった。
其処へシェリーとトマスが談話室へと入って来た。
「おはようございます!ジェロームさん。お仕事を持って来ましたよ。」
「ええー、私は------。」
「私の事件を待っているのですよね。持って来ましたよ。この鞄の鍵を開けて下さいってレイド警部から依頼です。態々ヤード迄、私が取りに行ったのだから頑張って下さい。」
「はいはい。おっ、凄い鞄だ。」
トマスが丁寧に床に置いた焦げ茶の革のトランク。
此れはフロラルス製の受注特製品だ。
おー、此の鍵か。
鍵だけはスロン国製品だ、此れを注文したのって絶対王族だ、何処の王族だ?
えーと此の鍵を3つ合わせるのが、難し、、、く。無かった。
何、俺って神聖文字も読めるって?チートだ。
で、神聖文字に2種類のも文字を合わせて、同じ意味を探して、現代語句に直すと「シエル」。
アッサリと鍵が開き俺はトランクを開き中を見た。
一つ一つ布に包まれ宝石が仕舞われ、そして高級なシルクで出来た儀式用のドレス。
あーあ、俺の予測通り王族のモノだった。
えっ、ギール王家の紋章だっ。
あそこは今、プロセンと揉めてると俺の護衛に来ていた奴が言ってたな。
そしてこのペライ書類束が本なのか。
------ はあ、将来言語学者達が~~~なんたら文書とか言い出す奴だ。
何々、うっ、これって只、古いだけの神話+教本じゃん。
しょーもないと思ったら不謹慎?古代人類の一応知恵だもんな。
此れがギール王家の秘宝とヨーアン諸国で伝説に成ってたモノ?じゃないよね。
まあ、神聖文字が読める人がこの書類束を研究し、その内に真実を明らかにするだろ。
「すごいもう開錠して鞄を開けた!ジェロームさんは天才ですか?」
「誰でもできるさ、それよりサマンサは?」
「サマンサさんはクリスマスに届けて貰う七面鳥を注文しに行きました。」
「そう言う時期か。ではシェリーとトマス、この鍵が開いた事は秘密にしろ。この鞄の中身は国際問題になる、これは兄の案件だ、2人共良いな?」
「は、はい。」
「はい。」
先刻まで鞄の宝石をキラキラした瞳で見ていたシェリーだったが俺の言葉で慌てて鞄から離れた。
そして、「ヤードから尋ねられたら如何するか」とシェリーが聞くので、「鍵と格闘している」と答えてくれと俺は平然と頼んだ。
開いていたトランクの蓋を閉め、俺はスロン国製の鍵を元通りに施錠した。
トマスに鞄を俺の書斎へと運ぶように告げた後、俺はソファーに腰を掛け直し、大きなマグカップを持ち温くなった珈琲に口を付けた。
そして新聞を手に取り記事を眺めた。
そこで見つけた記事の見出し、「娼婦惨殺される」
「これは私の事件だ。」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
同日------ 午後1時
兄の部下達が用意した馬車に乗り、事件現場があるグラス区域へと向かった。
始めは事件の詳細を知る為にヤードに行く予定だったが、レイド警部に鞄の事を聞かれるのを面倒がり、俺は直接事件現場へ足を運ぶことにした。
「ケース・オープン。」
そう俺は呟いた。
そう呟くことにより俺は自分自身に物語の始まりを認識させた。
気配を探る俺の意識が目覚めて、緑蘭だった頃へと神経が戻って行った。
イート教会が見える東通りの両脇には、何とか建物の形を維持してる2階建てのバラック小屋が隙間無く立ち並んでいた。
野次馬を見張っている警官の1人に俺は名前を告げて遺体が見付かった家に案内して貰った。
彼等警官は事件現場に野次馬を近付けない為に居るのではなく、此処に集まった浮浪者を全員容疑者として収容しようと護送荷馬車と共に居るのだ。
まあ浮浪者たちも馬鹿では無いので警官の制服を見ればモグラの様に楚々草と身を顰める。
崩れたあばら家に入ると其処には寝台も食卓も狭い一部屋に配置されていた。
約2mx約3、2mで2階には別の人間が借りていると警察は話す。
この区域は民間にある複数の不動産屋が管理していた。
ロンドは皇帝直轄地、高位貴族直轄地、貴族、民間と地区ごとに別れていたが議会政治で下院の発言力が増し、現在は貴族と民間が管理する区域が混じり合う場所も多い。
そして民間不動産が管理している場所では、無産階級の者達が得た僅かな富を吸収する為に無宿人に建物を貸し、金を貸し薄利多売的な金儲けをしていた。
私娼は取り締まろうと思えば取り閉まれるのだが、炭鉱労働者や肉体労働者、失業者そして破落戸達等が欲求不満で真面な市民を襲わせない為の安全弁として放置していた。
そして未だに残る濃密な鉄錆びの匂いと腐乱して行く血液の匂いを嗅ぎながら、俺は警官に遺体の状況を尋ねた。
娼婦の下半身はズタズタに鋭利な刃物で切り刻まれ遺体の一部は犯人に持ち去られていた。
如何やら下半身の損壊が酷いらしい。
事件から3日経っているなら遺体は既に無縁墓地へと埋められているだろう。
グレタリアンでは、貴族と富豪の死、若しくは疫病にしか興味を示さないので、娼婦で無い庶民の死でも扱いはそんなものだ。
10年位前まで、犯人は浮浪者とされていたのだが、今は其れにルドア帝国から逃れて来たトルゴン移民と密航して来るベリード流民が加わった。
ヤード的には現在逮捕投獄している37人の誰を犯人にするのか尋問?拷問中だ。
そう言う訳で娼婦殺害事件はヤード内で解決していた。
「今更探偵?」
浮浪者狩りをしている警察官達の冷ややかな視線を無視して被害者の情報収集。
マリア・ライヒ 30歳。
恐らく名も年も偽りだろう。
イート教会に隣接している孤児院出身で此処に戻って来たのが10年前らしい。
皆、警官を恐れて余り話は聞けなかった。
まあ前回の「青火花草事件」でも体験した事なので、俺は気に留めずにイート教会を目指し、グラス通りへと向かった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
同日------午後16時40分過ぎ
東通りよりはマシな煉瓦作りの通りを歩いていると、思い掛けない人物が貴公子然として麗しいご令嬢をエスコートして歩き、俺が目指していた孤児院の門扉へと辿り着こうとしていた。
「おや、ジャック如何したんだ?こんな所で。」
「ゲーーっ、ジェローム!」
「その美しいお嬢さんを紹介して欲しいな、ジャック。」
「あー、コイツは俺の雇い主の弟ジェローム、そして彼女はメアリー。」
「初めまして、あの、でも私はそろそろ約束の時間なので。」
「あっ、そうだったね。はい、お菓子籠。メアリー、君に祝福を。」
「え、ええ、有難う。ジャックにも。」
麗しく品の有る女性が妙に周囲を警戒し、彼女には不似合いな程に慌ただしく去って行く様子が、俺に奇妙な違和感を覚えさせた。
其処で兄の部下達へメアリーと称した女性の後を追わせた。
教会隣にある孤児院は、此の辺りには珍しくグルリと敷地を石壁で囲み、猥雑な周辺地域と隔絶させた子供達が遊ぶ長閑なエアーポケットを作り出していた。
「気持ち悪い場所だ。」
俺はそう思いつつ、ジャックを揶揄い談笑してる振りをし、周囲の気配が動くのを待った。
すると、孤児院の建物付近に居た部下が、1人の女性が捕えられた状況でメアリーが脅されている、と唇を動かした。
俺は照れながらメアリーの事を話すジャックを見て溜息が出た。
日頃のジャックならメアリーの違和感にも、俺が部下に指示を出している気配も判るハズなのに。
色に上せた人間は女も男も始末が悪い。
完璧だと思って居たジャックの意外な欠点に呆れたが、それよりも人間らしいジャックに何処か俺は安心していた。
この世界のジャックはとても醒めていた。
それは勿論のこと俺もだが、ジャックは俺とクロエ以外との繋がりは、初めから絶っている様に見えた。
兄との遣り取りは俺から見ればジャックが茶番を演じているようにしか見えなかった。
それを想うとメアリーはジャックに取って特別なのだろう。
でも単純にメアリーに接近させてジャックは上手く遣れるだろうか?
俺は少し意地悪くジャックに恋の助け舟を出す事にした。
「ふふ、如何?ジャックも偶には白馬に乗った王子様とか遣って見たくない?」
ジャックは即断で俺に不必要と告げた。
折角、騎士の名誉をジャックに授けようと思ったのに、残念な奴め。
まあ俺としてもメアリーが何処の誰で、俺達に害があるか無いのかを調べないとフォーリンラブ中なジャックへ迂闊に近付けられ無いのだけどね。
でもジャックが騎士を選べば其の侭メアリーとのロマンスが始まった、かも知れない。
俺のチョットした手助けと、意地悪を交えた恋のキューピット役は、こうして終わりを迎えた。
ジャックが気付かない侭に。
ジェロームとジャックが辻馬車で帰路に着いている頃、脅していた男達とメアリーと拘束された居た女性は、当然の様にエイム卿の元へと連れて行かれた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
同日------18時
その頃、ヤード署内でレイド警部は叫び声を上げた。
「何故ジェロームに預けたのと似たような焦げ茶の鞄が此処に或るんだっ!」
レイド警部はウンザリしながら新たに届けられたフロラルス国製の鞄を眺めた。
ただ此方の鍵はスロン国の特別製では無かったので鍵職人たちは開錠に勤め始めた。