マスター・ルスラン
アリロスト歴1893年 6月
比較的長閑に過ごせていた俺とエイム卿と補佐官ヒューイを交えた雑談に日々が終わりを告げたのはルスランが一緒にロンドへ行きたいと愚図り始めたからだ。
36歳のオッサンが駄々っ子になっても可愛くとも何ともない。
俺が居なくなったら寂しくて死んでしまうと切々と語る4月の昼下がり。
イケおじルスランは兎の生まれ替りだったっ!
等と言う事も無く、エイム卿はフラリと何処かへ消え、俺と補佐官ヒューイにルスランを丸投げした。
頭を悩ませた挙句、ロンドでは人手が無いから、最低限の着替えは自分で出来ないと連れて行けないと俺と補佐官ヒューイは滾々と説得すれば、ルスランは10日で1人で着替えをマスターし、斯くしてルスランはマスタールスランと変貌を遂げたのである。
めでたしめでたし。
ちっとも目出度くは無いが、まあ―マスターしちまったモノは仕方ない。
つう事で霧雨が晴れた6月の朝靄の中、俺とエイム卿と補佐官ヒューイ、そしてイケおじなマスター・ルスランで馬車に乗り、ミランズの地を旅立った。
ルスランはブラウンのカツラを被せて銀縁の伊達眼鏡を掛け、ハンチングを頭に乗せ、良くあるグレンチェックのシャツにアイボリーのトラウザーとジャケットを羽織りラフな小金持ちのオッサン風だ。
田舎の紳士って感じか。
麗しいエイム卿は今日もカッチリ黒いぜ。
左手で持つエイム卿のそのステッキって実は仕込み杖だったりしないのか。
そんな如何でもいいよな観察をしていたら、懐かしい下宿112Bへ到着した。
ルスランからすれば粗末な建物に唖然としていた。
うん、自分には住めないと理解したらミランズのエイム公爵家別邸に戻れば良いと思うよ。
そして1階の談話室へ向かい、緑藍とクロエ、エイム卿とアルドラ元皇太子のルスランと俺の5人が挨拶をし安楽椅子に腰を降ろして座り、クロードの珈琲を待っていた。
「つうかふざけるなってーの。俺は何通ジャックに手紙を出したと思ってるんだ。ウィルもウィルだよ。ジャックが居ないなら居ないと連絡くらい寄こせつうね。」
「ジェローム済まない!私がジェロームに伝えていれば良かったね。ウィルとは取引をして今はオーリア帝国へ行って貰っているんだ。お詫びに私で何かジェロームの役に立てるはあるかい?」
「うーん、今は別に良い。ジャックに遣って貰いたい事が或るんだ。」
「そうか、ジャックは確りジェロームの役に立て。」
「えっ?えー、は、はい。」
「それと済みません、アルドラ元皇太子。少し私が感情の侭に話してしまって。所でなぜアルドラ元皇太子がロンドのこんな小汚いアパートメントへ?」
「ははっ、実はジャックがロンドへ行くとわたしがまたエイム公爵家別邸で1人に成ってしまうのだ。それが寂しくてジャックに就いて来たんだよ。後、折角変装して来ているのだからわたしの事はアルドラ元皇太子では無く、ルスランと呼んでくれ。敬称も外してジャックと同じ様に話して欲しい。」
「淋しい?」
「うん、サマンサ。1人だとルスランは寂しくて死んじゃうと言うので連れて来た。」
「「兎か!!」」
「あはは、ジャックと同じ反応だ。面白いね君達。」
「ふふ。」
「まあね。」
「ふっ。」
それから緑藍とクロエはルスランへ自己紹介をした。
俺はルスランがとても乗馬が得意な事を2人に聞かせた。
そして此の一ヶ月は、俺が先生と成ってルスランにドアの開閉や、着替えの仕方を教えた時に仕出かした俺の失敗談を話し、ルスランは俺の言葉を勘違いして、あべこべに着たり転んだした四方山話を緑藍やクロエ、そしてエイム卿へと語った。
クロードが久し振りに淹れてくれた珈琲は香りが立ち、クロエの次に美味しい味だった。
クロードの珈琲を飲み終わるとエイム卿は俺に緑藍へ滅私奉公せよみたいな台詞を吐いてどっかへ行き、クロエはルスランを案内して、昔セインが住んでいた2階の部屋へと、ロビンとアニーに荷物を持たせて一緒に向かった。
俺も久しぶりの我が部屋に戻り懐かしい匂いと家具たちに囲まれホッと安心した。
『帰って来た』
そう思えるのは下宿112Bの此の部屋だけかも知れない。
一緒に附いて来た緑藍は俺の隣に腰を掛けた。
伸びた淡い金糸の髪に俺は右手を伸ばし手櫛で整えて遣る。
相変わらずの整った緑藍の美少年ぶりが微妙に腹立たしい。
エイム卿の俺へのドSっぷりはこの緑藍の所為でもあり、俺が食うに困らないのもあの悪魔エイム卿の緑案への溺愛の賜物でもある訳で、何だか茹でガエルに成っている俺の姿が見えてしまった。
「またジャックが下らない事を考えてる。」
「いやー人生って儘ならんなーと思ってさ。」
「何か益々ジャックはオッサン臭くなったよね。ふむ、容姿は其処まで爺に成ってないのにな。」
「それは偏にお前たちエイム兄弟の所為だと知っているか?はぁ~溜息しか出ん。それで俺に頼みたい事って何よ?グロ系なら問答無用で俺は拒否するぞ?ジェロームも判ってると思うが。」
「ああー、それは大丈夫。ちょい俺の謎を解く為にジャックはノルセー伯爵と会って欲しいんだ。」
「はぁーっ!もう何ソレ、マジで、はっ!!っだよ。やだよ、あんな変態と会うのは。」
「うん、嫌がってるのは知ってるんだけどさ、俺って2人追い掛けたじゃん?1人は連続私娼殺人の黒幕エドガーワインド議員、もう1人はグリーンオブグリーンを入手する為にトルゴン帝国の皇弟にイカサマを仕掛けた可能性があるヘクター大佐、で、証拠はまだ何も無いけどテレーゼの友人ジェーンへの恐喝事件に関与しているのではと辺りを着けていたエドガーワインド議員が殺されちゃったんだ。」
「えっ?エドガーワインド議員が殺されたのか?」
「うん。それで翠玉の宝冠盗難事件の真相を知る手掛かりがヘクター大佐だけに成ったんだ。ある程度はイカサマをしたと言う確証が無いとヘクター大佐ってグレタリアンの英雄だから話を聞けないんだよね。」
「うん、それで。」
「其処で登場したのがノルセー伯爵。何と『ラビット・クラブ』にあるノルセー伯爵の特別室でトルゴン帝国の皇弟が賭博をしていたと言う情報が入った。で、その特別室に入るにはノルセー伯爵の許可が必要なんだ。そしてノルセー伯爵の元へジャックを連れて行ったら今ならナント!入室許可が得られるそうなんだよ。頼むよジャック。俺は部屋の様子を知りたいし、序にノルセー伯爵も事件に絡んでいるか如何か話も聞きたいしね。」
「はぁー、仕方ないな。でもノルセー伯爵と俺の2人きりは嫌だぜ。」
「うん、其処は俺とパトも行くから大丈夫だよ。」
「うん?何故パトリック氏も?」
「今回の此の件はパト経由で知った話なのさ。ノルセー伯爵はパトにジャックを捜して欲しいと頼んでいたんだ。実は前に2度もパトからジャックを捜して欲しいと依頼が会ったんだよ。当然、俺は断っていたよ。ノルセー伯爵の事をジャックは変態だったと言ってたからさ。」
「本当に参ったんだよ。ノルセー伯爵と会った後のエイム卿の不機嫌さと言ったら。つい、ジェロームの好きな物をエイム卿に教えて殺気を緩めて貰った。うん、あの時は御免、で、有難う。」
「ふふ、『緑藍御免』のメッセージカードの意味が分ったよ。まあ兄がクリスマスに大量の珈琲豆やミルクを贈って来たから察してはいたけどね。」
「はぁー、エイム卿って加減を知らないよな。まあその時の礼も兼ねて引き受けるよ。でもジェロームってパトリック氏と連れ立って出掛けるの嫌がって無かった?」
「ふふっ、それがスッキリしたシンプルなファッショに落ち着いていたからさ。今は大丈夫。」
「おおーすっかりロンドで定着しているノルセー・スタイルか。」
「パトもノルセー信者の1人だからあー。ノルセー伯爵の特別室に入る許可を貰う為にジャックの捜索を俺に依頼して来るんだから。」
「意味が分んない。あの人の部屋とか入ったらヤバイって。絶対に俺から離れないでくれよ。」
「分かったよジャック。それにしてもパトは全く。」
「うん?また恋愛問題?」
「ふふっ、パトの恋愛問題は何時もの事だけど、今度は直ぐ傍に居たんだよね。エドガーワインド議員が殺された時。」
「ええー、またなのか、、、パトリック氏。ああージェローム事件の事は語らなくて良いや。どうせ犯人はパトリック氏じゃないんだろ。」
「うん、そう。でも人違いで殺されたんだよな。エドガー・ワインド議員は。」
「天網恢恢疎にして漏らさず、かな?」
「そうかもね。しかしパトも恋愛絡みで事件を起こすのも大概にして欲しいよ。」
「もうさー、女を絶った方が良くないか?」
「其れが今のパトは男に片思い中なのだ。その相手が浮浪児の為に、孤児院を作ったからって議員として人を集めたり、寄付を募ったり。その寄付金集めの一環で行ったパーティーで殺人事件が発生したのさ。」
「そうかそうか、議員だったわ、パトリック氏。ついジェロームから聞く、パトリックの行動がアレなんで、如何も忘れてしまう。」
「それは俺もだよジャック。」
「だよなー。」
パトリック氏から起きる恋愛マニア事件で迷惑を被っている緑藍を揶揄いながら、俺の肩に頭を預ける緑藍の細く柔らかな髪を撫でてやる。
アレ?
もしかして、こういうのをイラって来るとエイム卿は言ってるんだっけ。
本当に面倒なお人だ。
緑藍は幼い顔立ちに見えるから、冷血無表情のエイム卿とはパっと見は似ていないけど、淡い金糸の髪や、時折する物憂げな表情はエイム卿と良く似ている。
後、整った顔の表情を変えずに口の端を僅かに上げて笑う所なんかはもうクリソツ。
あの笑いをしている時のエイム兄弟は、絶対に碌でも無い事を考えているのを、俺は何となく察している。
気が付けば何時の間にか緑藍は心地良さそうな寝息を俺の右肩で立てていた。
俺は座っていたアイボリー色のソファーに緑藍を静かに横に寝かせて、タオルケットを掛けた。
緑藍に良い夢を。




