片恋
アリロスト歴1893年 4月
イラドのアガスタン王国からグレタリアン軍とイラド連盟兵とが共闘し、ルドア帝国軍をカザード地域へ押し戻し、一時休戦協定が結ばれることに成った。
この戦いの理由付けがアガスタン王国とカザード王国の戦いだからな。
グレタリアン帝国がアガスタン王国に味方し、カザード王国をルドア帝国が応援する。
カザード王が負傷してカザード軍が崩れた所で一気にグレタリアンが侵攻して勝敗が決したらしい。
淡々と戦況を語る補佐官ヒューイ。
それを俺の隣で瞼を閉じ腕組みして聞いているエイム卿。
そして此処はミランズにあるエイム公爵家別邸だったりする。
南セントラルにある男爵邸のメインメンバーがそっくり其の侭で此の別邸に移って来ている。
「何故に?ホワーイ?」
ロンドの政務宮から約2時間も有れば来れる距離なので、エイム卿は俺が居るミランズの別邸で居住する方が便利なんだとか何とか。
空気も良いし、ミランズ馬場で俺達と馬を駆るのも気分転換に良いのだと俺へと語る。
1月の馬での賭けっこがエイム卿のお気に召したようで何よりである。
あの時、俺がストライキしていた理由に全く気付かないエイム卿に、俺は怒涛の猛抗議をした。
序に俺がどれ程エイム卿を怖がっているのかも告白した。
テンションマックスで、ぜぇぜぇと肩で息している俺に、エイム卿はボソリと呟いた。
「そんな心算は全く無いのだよジャック。ただ、、、。」
「ただ?」
「私には、触れるのが難しいジェロームに気安く触るジャックを見ると、偶に苛つくが、、、概ね私はジャックを好意的に見ている。」
「アレが好意的?」
俺は、今まで受けて来た圧迫面接の数々や、身も心も凍っていたエイム卿の殺気を、脳裏に思い浮かべた。
序に去年の夏に拘束され捲くって痛めつけられた護身訓練と言う名の虐めも。
つか、アレで好意的って言うなら嫌って居たら如何なるんだ?
想像しようとしたが、俺は怖く為って考えるのを止めた。
「好意が無ければ私はジャックに友に為る事を命じたりしない。私を何だと思って居るのだ。」
「悪、、、あー、俺もジェロームに接する時は気を付けます。」
思わず悪魔と言い掛けて、俺は口に急ブレーキを掛けた。
でもって、ムカ付くが俺には今まで通り緑藍に接して欲しいとエイム卿が言った。
『ムカ付くが』、『大変に苛立たしいが』と言う言葉を幾度も重ねて。
こうして、主人エイム卿と下僕な俺の生死が掛った労働交渉が妥協的に解決し、俺のサボタージュと言う名のストライキ事件は終了した。
そしてストライキ事件解決後、俺はエイム卿に友の役目を命じられ、補佐官ヒューイの雑談と称した報告をエイム卿と共に拝聴していた。
でもまあ此れで、イラドへと出兵していた志願兵も、順次グレタリアン本国に帰還が出来るのかと思うと、俺は少しホッとする。
グレタリアン帝国は相変わらず俺は苦手だが、つうか嫌いだが、戦争で兵士達が傷付く事を望んでいる訳でもない。
エイム卿自身は、緑藍が関わらない限りイラドでだろうが、ルドア帝国が相手であろうが、戦争自体に興味が無いが、休戦協定中の交渉での情報を要求されるので、少し忙しくなる。
勿論、部下がである。
何やら緑藍経由でルドア帝国の情報を得る為に使う良い手駒が入ったとエイム卿が話す。
ハンナ・マローズと言うらしい。
俺は、悪魔エイム卿に見込まれ、グレタリアンのスパイとして生きて行く事に成ったハンナ・マローズの人生が、少しでも報われて幸せに為れる事を願った。
ハンナ・マローズの事を僅かだが楽しいそうに語るエイム卿を見て俺は内心で呟く。
『やっぱり、悪魔だ。』
正かその頃、緑藍がウェットリバーに居ると思っている俺に、ロンドへの帰還嘆願書を4通送り、ジレジレと俺からの返信を待っていたとは知る由もない。
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アリロスト歴1893年 5月
返信を寄こさない阿保のジャックが戻らない侭に、ロンドでは薔薇の季節、詰り社交シーズンに成った。
俺は『ラビット・クラブ』でノルセー伯爵に会うための布石に、パトへ慈善家レナードに寄付する小切手を渡して於いた。
1ポンドからで良いと言うので俺は無言で50ポンドを小切手に記帳しパトへと手渡した。
パトは「此れでレナードに会いに行ける」と喜び勇んで、クロードが開いたジェローム探偵事務所の黒い扉からレナードの元へと駆けて行った。
ソレが3か月前の話。
パトの恋愛に賭ける迸った情熱で、友人や知人を動かして寄付金や署名活動を起こし、東区で孤児や浮浪者の堪り場に成っていた廃墟同然の修道院を改築し、『レナード・ホーム』つう浮浪児達の孤児院を作ってみせた。
今の所は雨風が凌げて安全に眠れる場所の確保と、朝と夜にライ麦パンや崩れたポテトの配給、って言う孤児院と言うには「如何だろう?」てな感じみたいだけど、まっ問題は有りつつも運営を始めた。
一番多い問題は大人の浮浪者とのトラブルらしい。
そりゃーな、彼等もレナード・ホームが出来る迄は、其処で寝泊まりして居たのだから、不平不満も出るだろうさ。
でも俺はすっかり忘れていたけどパトって議員だったのだ。
スキャンダルばかりで議員活動をしているとは思えないパトは確りと当選していた。
マジで不思議。
まっ、その議員先生自らヤードへと出向き、孤児の安全確保を依頼し、レナード・ホームの警備をさせた。
あはは。
遣る時は遣るなパトも。
本当は、それが孤児ではなく愛しいレナードを守る為なのだから、良くやると思う。
パト担当のレイド警部もお疲れ様だよ、ホント。
パトが動けば当然に騒がしい記者達も動き取材合戦になる。
其処で迷惑なパトは、俺にとって本当に大迷惑な事を、取材に来た記者達へ話した。
「此のレナード・ホームは、あの探偵ジェロームも賛同し、多額の寄付もしてくれた。」
ホント止めて欲しいわ。
俺は「ラビット・クラブ」で、ノルセー伯爵を紹介されたら、此の大迷惑なパトとの付き合いは、終了させよう、とヒッソリと思った。
そんな俺の想いとは裏腹に、パトは相談があると言っては、探偵事務所へ訪ねて来るようになった。
孤児たちを助ける事に大賛成なセインは、不埒なパトの恋愛事情も受け入れて、レナード・ホームの運営の相談に乗って遣っていた。
俺はヘタな事を言ってパトが記者達へ、又もや碌でも無い扱いで、俺の話をされかねない為に、煙草を吹かして沈黙したまま、新聞のマシな記事を捜して読み続けている。
どうやらレナードが医師を志していた医学生と言う事でセインは親近感を持ったみたいだ。
便宜上東区とは言って居れるけれど4つの最貧民層地区を纏めて「イースト」と呼んでいる。
『ショーデー』地区、『ピスタール』地区、『アンジーチェペル』地区、『バージーズ』地区などだ。
16世紀頃からヨーアン諸国から逃れて来た人達や、移民で来た人や、パートタイムの日雇い労働者達、そして密入国で済み付いた人達や、奴隷として連れて来て不要になった人達が、吹き溜まっている地域だ。
この間セインと行った場所より酷いから、もし行く事が在れば今度は俺とクロードとだけで行こう。
流石にセインには見せたくない。
1つパトの利点を挙げるとすれば、此の騒動のお陰で余り知られる事も無かった、最貧民層の暮らしが中産、詰りミドル階層の人々にも知られる様になった事だ。
同情的に成った彼等に、メクゼス博士の「社会論」や「コミュニティ資本論」等も、広がって行くのかな。
俺はふと、ジャックの不機嫌そうな顔が思い浮かんだ。
ジャックはブルジョワを毛嫌いしている癖に、社会主義思想も嫌がっているみたいに見えた。
ロンドにジャックが戻って来たら、酒でも飲み交わしながら其処ら辺の話も聞いて見よう。
「でもレナードとパトリックは。大きな建物を予定しているんだね。」
「結構、集まって来た孤児たちが多くてな。それにレナードが文字を教えたいと言うから寄宿学校をモデルにして設計を考えて貰った。」
「費用は大丈夫?」
「ああ、今の所は案外と集まっている。それに丁度今はバカンスシー-ズンで皆が、ロンドに集まって来ているから俺も頑張ってパーティーに顔を出してみるさ。セインも寄付をお願いして良いかい?」
「勿論だ。そんなに多くは出せないけど。」
「其処はセインの気持ちの問題だから。でも近い内にフーリー党議員達で集まるパーティーがあるんだ。良かったらセインも参加するかい?ジェロームも一緒にどうだ?其処で寄付を募る心算だ。」
「私は遠慮するよ、パト。そう言うのは兄の役目なんでね。」
すっかりレナード・ホームの営業マンに転身したパトに俺は思わず笑った。
その後もパドは東区で雇った保母たちの愚痴や行儀作法を教える人材不足をセインに嘆いて、探偵事務所から帰って行った。
俺とセインはシックなファッションスタイルになったのに、相変わらずなパトの賑やかさを話し合い、クロードが淹れてくれた香ばしい珈琲をゆっくりと口に運んだ。
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アリロスト歴1893年 6月
その日、パトリック・ウォーゼン男爵は片恋の相手人レナードを想い、張り切っていた。
フーリー党議員の親睦懇談会と言う大きなパーティーなのでパトリック・ウォーゼンは、1000ポンドを目標にしていたのだ。
約100名の議員が妻や家族を連れて参加しているので、華やかな上に賑やかだった。
パトリック・ウォーゼン男爵は、顔見知りの議員や昔付き合って居て別れた人妻へ、朗らかに挨拶して、孤児院への寄付のお願いをし乍ら、パーティー会場の人波を軽やかに泳いでいた。
そして今回、最も寄付を弾んでくれそうなエドガー・ワインド議員を見付けて、パトリックは取って置きの笑顔で近付いて行った。
エドガー・ワインド議員の隣は嫡男のロナルドに、その横には妻オリーブが、人混みで暑いのかチーフを片手に持ち、ヒラヒラと仰ぎ風を起こしていた。
パトリックは、歩きながらボーイからシャンパンを受け取り、エドガー・ワインド議員の前へと辿り着いた。
「どうも、お久しぶりです。ワインド議員。」
「おお、此れは、噂のウォーゼン男爵ではないですか。」
「いやー全く持ってお恥ずかしい。」
「いえいえ、ウォーゼン男爵の様に美しく才能があるお若い方なら仕方ありませんよ。」
「はは、どうも。実は今はレナード・ホームという孤児院を応援して居まして、、、。」
「あーあー、知っておりますよ。新聞で幾度も拝見しました。今日は寄付のお願いですかな?勿論、些少ですが協力させてください。でも、その前に乾杯をしましょう。」
「そうですね。此れは不躾な真似を。ではワインド議員の健康に。」
「ウォーゼン男爵の恋に。」
「「乾杯!」」
パトリックとエドガー・ワインド議員は、右手で持って居たシャンパングラスを軽く上に動かし、乾杯と告げた後、シャンパンを飲み干した。
飲み干してパトリックは話そうとした時、顔面を蒼白にしたエドガーワインド議員は、苦悶の表情を浮かべ、其の侭床へと崩れ落ちた。
周囲の悲鳴とシャンパングラスの砕け散る音が残響となって、パトリックの鼓膜を震わせた。
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アリロスト歴1893年 6月
未だに返信を寄こさないジャックに罵詈雑言で呪っている俺を、セインは側に来て大きな掌の平で俺の頭を撫で優しく宥めてくれていた。
するとクロードがスルリと華麗にジェローム探偵事務所の黒い扉を開き、レイド警部の右腕ポー警部補が早足で入って来て、開口一番驚く言葉を放った。
「パトリック議員がエドガー・ワインド議員を殺害した疑いがありまして。現在はパーティー会場の控えの部屋でその時の事情をお聞きしております。パトリック議員から、是非ジェローム探偵をお呼びするようにと頼まれましたので私が参りました。」
はああーーーーっ!
エドガーワインド議員が死んだっ?
くそぉー、遣り逃げかよ。
議員特権で逮捕出来ない事は分かっていたけど、「俺は知っているぞ」って、エドガー・ワインド議員に真実を突き付けて置きたかったんだよなー。
それで殺しに来たら堂々と反撃してやる心算だったのに。
これでは兄の計算も狂ったのじゃないかな。
全く。
でもってパトーーーっ!
いい加減にしてくれないかな。
何やってんだよ、毎度毎度。
俺はセインと瞳を合わせて、2人で大きな溜息を吐いた。
外出の準備を整えて俺とセインとポー警部補は、クロードが静かに開いてくれたジェローム探偵事務所の黒い扉からゆっくりと出て行くのだった。




