霜秋の長い夜
アリロスト歴1892年 11月
悪魔エイム卿が去ったその日の夕方、アルドラ元皇太子が隣室から俺を呼んだ。
「ねー、其処に居る人、話がしたいから来てよ。」
「はい、畏まりー。」
次の絵本『空飛ぶカモメの365日』も読み飽きたので、俺はアルドラ元皇太子に呼ばれる儘に、隣室へと入り、寝台に居ると思っていた彼がソファーに腰掛けていたので、一瞬俺は躊躇いつつも慌てて正式な礼と挨拶をした。
アルフレッド時代に遣ってて良かった王太子教育。
「其処に座ってよ。でもってヴァーの事はアルドラ元皇太子ではなくルスランと呼んでくれ。もう皇太子でも何でもないのだから。君の名前は?」
「俺はジャック・スミスって言います。ジャックでもスミスでもルスラン氏が良いように。」
「氏も要らない。それでジャックはエイム公爵の何?仲が良さそうだが関係性が見えない。」
「エイム卿の何?んー、下僕の様な友人?と言うのは冗談で雇い主ですね。それとエイム卿の弟ジェロームとは友達です。」
「そうか、ずっと話してたジェロームと言うのはジャックの友人か。てっきりヴァーは、エイム公爵の恋人なのかと思っていた。余りにエイム公爵が愛しそうに語っているから。」
「あはは、エイム卿はちょーっと兄弟愛が強いので。」
「いや驚いたよ。エイム公爵は全く感情が動かない人間だと思っていたからね。人間らしい一面が或ってホッとした。、、、そう言えばジャックは知っているかい?」
「はい?何をでしょう?」
「実は妻がヴァーを裏切ってルドア帝国の軍部に2度も情報を流していた事を。」
「、、、えと。」
「ジャックも知っているんだね。そしてまた情報を流そうとしたからエイム公爵が妻を始末した。」
「ご、ごほっつほっ。」
「アレ?ジャックはコッチの情報は聞いてなかったのか。」
「あー、あのですね。今更なんですが俺って平民なんですよ。なので政治の方には関われないと言うか関わらないと言うか。何も出来ないので知りたくないんですよね。そーいうの。」
「それは申し訳ない事をした。でも此処まで聞いたのだからもう少し聞いて呉れ。別にエイム公爵を恨んではない。もし3回目もヴァーを裏切ったら、妻を自ら罰する心算だったからな。」
「、、、。」
「ヴァーと妻は婚姻前に約束したのだ。君と婚姻したら自分は皇太子ではなく成る。それでもヴァーと婚姻する意思は揺らがないか?と、妻は揺らがないと言った。ヴァーを愛しているから、一生側に居られるだけで幸せなのだ、傍に居る事しか望まないと誓ってくれた。だから婚姻したのだ。」
「ん、、、。」
「二度目に裏切っていた時、妻が攫った男に話が違うと言って居たのを意識を取り戻していたヴァーは聞いたのだ。妻は矢張りヴァーを愛して等いなかったのだ。」
「んー、でも奥様の心が全部、偽りだったと思うのはルスラン自身が辛く為らない?」
「ああ、辛いよ。ヴァーも妻を愛していたからな。」
「此れはあくまでも俺の考え方だけどね。」
「うん。」
「何事にも100%完璧なモノなどないと俺は思っている。特に人の心何て、朝起きた時と夜眠る時とでガラリと気持ちが変わっている事だって有り得る訳で。だからさ、誓った時は愛しか要らない、と思ったのも本心だったかも知れない。でも人って弱いからさ、色々な要因で心が揺れ動いてしまう。自分の事を思い出してみてよ、そう言うのもあるから。そして彼女と居て楽しかった頃の事でも思い出してあげてよ。此の国で彼女との思い出があり、魂の安らぎを祈ってあげれるのはルスランだけだしさ。」
「ジャック、、、。ヴァーは、若しかして。」
「でもルスラン?彼女が裏切っていた事には間違い無いから、万が一にもルスランが俺が間違っていたかも!なんて、反省する必要は無いからね。人を恨んで生きるのは辛いモノだと思うから、それよりは死者には安らぎの祈りを捧げる方が幾分か素敵だと思ってね。あくま俺が想うだけ。」
「ジャックは不思議な考え方をするな。」
「ははっ、でも俺は今はこう考えてルスランに話しているけど、明日に成れば若しかしたら全然、違う考え方に成ってるかも知れないよ。、アレ3回目って?――エイム卿が慌てて行ったのって。」
「ああ、妻が出した連絡がルドア帝国に着いたのかもな。」
「くそっ、死者からの置き土産かよ。」
「ふふっ、ジャックの言葉が乱れ始めたぞ。死者へは安らぎの祈りを捧げるのだろ?ふふっ。」
「死人は大人しく棺の中で寝てて欲しい。」
「先程迄のジャックは、中々に趣が在って良かったのに。ヴァーは残念だよ。」
それからルスランが「妻も怖かったがもっと怖い女が居て」とサイコスリラーな話を、霜秋の夜長が続く薄暗い暗い寝室で雰囲気一杯に語り、ホラーに怯える俺の悲鳴が響いた。
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アリロスト歴1892年 11月
ブラント地区のあるニアーズ通りにハンナ嬢は戻って行ったとトマスから報告が在った。
ブレード通りから馬車で約1時間半は離れている場所だ。
地方から職を求めて来た人が増えた為、30年前にロンドに併合されたアウター地区の1つで、中産階級の最下層や労働者階層が住む地域だった。
2日間ほどトマス達に他に仲間が居ないか見張らせた後に、俺はクロードと共にハンナが住むアパートメントへと向かった。
ルドア帝国の下手な軍人崩れが居ると危険なので、セインにはロンドある動物園の入場券を渡し、娘オリビアと過ごせと話してある。
俺は兄からの許可が出れば、アルドラ元皇太子とハンナの話をセインにする予定だ。
ルドア帝国では啓蒙思想から派生した、『モスニア革命の落とし子』社会主義への取り締まり強化がミハイル皇帝の名で行われ、思想流布活動に関わったとされる軍人や家族、市民が現在も拘束されている。
1886年頃には盛り上がっていた『祖国の息子たち』の活動も、取り締まりの成果か今は鎮静化していると兄の部下から聞いた。
今更ルドア帝国から逃げ出したアルドラ元皇太子を探し出せたとして、現在は落ち着いて見えるミハイル皇帝治政の下で、彼に遣れる事など無いと思うけどね。
下手したら混乱の元だ、とミハイル皇帝の枢密院や側近たちに狙われ暗殺されるだけだろう。
馬車が停まり俺は石畳の細い道に降りて、黄褐色に染まった小さな2階建てのアパートメントが立ち並ぶ道路を歩いた。
その中にある一棟へトマスの案内で入り、俺の来訪を驚くハンナに用事がある事を告げ、俺は来た道を戻り近くに在った広場に、馬車を停めさせた。
「さてハンナ嬢、霜秋の外は冷え込みが厳しい、手短に話を済ませましょう。」
「あの、緊急の用とは?夫が見付かったのですねっ!」
「あの肖像画の男性アルドラ元皇太子の事でしたら、『ノー』ですね。詰りはハンナ嬢は、夫ではなくアルドラ元皇太子を捜していた。何故ですか?」
「、、、ジェローム探偵は初めから私がアルドラ元皇太子を捜していたとご存じだったのですね。若しかして枢密院関係者と連絡を?」
「いいえ、ルドア帝国には何1つ連絡をしてないよ。そんなパイプを私は持って居ないからね。」
俺がルドア帝国に報告して居ないと言う言葉で、ハンナの固く強張っていた空気が少し緩んだ。
血の気が失せて白い顔色の侭でハンナは口を開いた。
「偽って依頼を出し申し訳ありません。ミハイル皇帝の侭では、私の家族や祖国ルドア帝国は終わってしまいます。如何してもアルドラ皇太子にはルドア帝国に戻って頂き、帝位に就いて戴きたいのです。」
まあ、そんな所だろうと思っていたけど。
俺はトマスに兄のタウンハウスへ此れから向かう事を告げ、1足先に知らせる様に伝令を頼んだ。
それから馬車の中で、俺は辛抱強くハンナの話を聞いた。
~~~~~(ハンナ・マローズの話)~~~~~
ハンナの父は商人だったが、商人たちの集いで、メクゼス博士の「社会主義」への論文を紹介されて感銘を受けた。
比較的豊かだったマローズ家だったが、元々が啓蒙主義的だった父親はメクゼス博士に賛同し、自国で誕生した、「祖国の息子たち」への資金協力や印刷機を手配し、彼等の行動を助けた。
しかし急に崩御した前皇帝がそれまで寛容だった啓蒙思想に対し掌を返して「祖国の息子たち」を取り締まり始めた。
危機感を覚えた父親は嫡男を始め子供達を伝手を頼って他国へと逃がした。
皇帝が崩御し、次の皇帝は身分の枠に囚われないアルドラ元皇太子。
彼ならメクゼス博士の思想も受け入れられるだろう。そうハンナの父は話した。
そんな折に農園主の娘を妻にし、皇太子を退いた心優しき彼が、妻と共に他国へと渡ったことを、ハンナたち家族のアルドラ元皇太子派は知った。
案の定、アルドラ元皇太子が居なくなってからは高位貴族や教会から締め付けの枠が広がりの、ハンナはグレタリアンへ移民として渡って来た。
オーリア帝国に居る長兄から、アルドラ元皇太子の従兄弟ミハイルが皇帝に成り、軍人達やその家族も逮捕され、男性は離島や極寒の地にある監獄へと送られた。
また協力者として商人たちの捕縛が始まり、父と母が騒乱罪の名目で虜囚になった事を知った。
アルドラ元皇太子がグレタリアンにいるらしい事を兄から知らされたハンナはアルドラ元皇太子の捜索を他の探偵も雇って約8ヶ月ほど探したけど見付ける事が出来なかった。
虜囚に成っている両親を心配していたハンナは、優秀と名高かったジェローム探偵事務所の扉を叩いたのだ。
兄に、グレタリアンでアルドラ元皇太子を捜すと相談したら、両親の身の安全の為、アルドラ元皇太子を捜している事を、くれぐれもルドア帝国の枢密院や教会関係者へバレないよう内密にしろ、とハンナは念押しをされていた。
なんだ。
くだらない。
全然ルドア帝国の為とかじゃなくて、ハンナの両親の為じゃないかっ。
はぁー、ハンナ嬢に取っては人生最大の一大事かも知れんけどなー。
そもそも心優しき皇太子なら、騒がしい自国ルドア帝国を捨てて、妻と共に敵国だったグレタリアン帝国へ等に逃げて来ない。
泣く泣く妻と別れて、皇帝が急死した危機を救う為に自ら皇帝として立ち上がる筈だ。
まあルドア正教会は、異教徒の妻との婚姻は今でも認めては居ないから、アルドラ元皇太子は教会やルドア皇宮内では独身の侭だと言う。
つう状況だからアルドラ元皇太子の覚悟次第で如何にでも出来たのだ。
アルドラ元皇太子本人は何処までも、皇帝の座には就かないと言う覚悟だけは決めていたけどね。
しかし、ルドア帝国の思想締め付けが此の侭続いたら、第2第3のハンナが現れ「アルドラ元皇太子を捜して」なんつーて、俺を訪ねて来られたら甚だ迷惑な事に成る。
ロンドには東ポーラン移民はそこそこ居るけどルドア帝国の移民は資産を持って居る極少数だった筈だからボコボコは湧いてこないよな?
そう思いながら馬車の窓から、高い石作の塀に仕切られた威容を誇っている兄のタウンハウスを俺は内心で溜息を吐き眺めていた。
帰宅していた兄と話し合う、肌寒い霜秋の長い夜になりそうだ。




