運命
アリロスト歴1892年 4月
柔らかく暖かな風が吹く4月の街を俺はセインと2人で辻馬車に乗りグラス通りへと向かっていた。
本当はもっと早くグラス通りの東にあるイーストグーリッジ地区へ向かいたかったけれど、競走馬シャインシルバー盗難事件、レイクゲート強盗殺人事件など、ロンドを離れる事件依頼を引き受け留守にしていた為に後回しになっていた。
2つの事件はセインの原稿を買い取ってくれる出版社が在ればジャックにも報告出来るだろう。
折角パーシーにシェリーとの仲を後押ししてやろうと俺は思って居たのだけに残念だ。
しかし、意外な事をクロエから下宿112Bへ戻った俺に報告が在った。
シェリーが家庭教師を休む日曜日にパーシーが訪ねて来ていたそうだ。
「112Bの素敵な庭を見たい。」
そう言ってパーシーは有名菓子店のチョコレートや焼き菓子を持ってきて、クロエやシェリーを誘って茶会を所望し、小一時間程1階の談話室で語らって帰るそうだ。
「庭は関係ないじゃん」とクロエは内心で思ったらしい。
でも大人過ぎるグランマ・クロエは口を噤み、生暖かく2人を見守り中だ。
仕事中毒かと心配していたクロエにも楽しみが出来て俺も嬉しい限り。
俺とセインはクロエの報告を聞き、目を合わせて微笑み合った。
セインもパーシーの事を気に掛けていたからな。
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てな訳で俺はやっと目的にしていたイーストグーリッジ地区へと行けることに成った。
イーストグーリッジはエドガー・ワインドが出馬する選挙区なのだ。
私娼婦連続殺害事件が有った私娼窟ユーパル地区と隣接しているのが、エドガーワインドが出馬しているイーストグーリッジ地区と言う訳。
南グロリアのマフィアがアヘンを取引していたグラス通りにあるイート教会隣の孤児院も近い。
前回俺が調査した時は、アヘン取引と私娼殺害が全く結びついて居なかったから、俺の脳内では別事件として処理されていた。
イーストグーリッジは、元々はロンドに含まれていない小さな村で自治区だったけど、スチュアート2世が1840年代に行った選挙法改正により選挙区となった場所だ。
貧しい地域で有権者が20人居ないとクロードから報告が在った。
確か多くの選挙地区を支配していたノーロック公爵から、1887年に前皇帝が崩御した際の解散総選挙で、エドガー・ワインドにイーストグーリッジ選挙区を譲られたと言っていた。
娼婦連続殺害事件の黒幕だと気付いた俺が、1度は見逃したエドガー・ワインド議員。
兄が望む穀物関税自由化の法案が通るまでは手出しが出来ない。
ソレも在るし何の証拠も俺は現時点では持って居ない。
でも敵情視察はして置かないとね。
俺は馬車を降りてセインとグラス通りをイート教会の建物を目指して歩く。
前に来た時には馬車が通れなかった道が拡げられて煉瓦が敷き詰められていた。
其の侭歩いて行くと孤児院は消え、広場の様な庭には大きく瀟洒な3階建ての共同住宅が建っていた。
孤児院の時に違和感を感じた確りとした石作の壁だけは残され、真新しい共同住宅の敷地を囲み、青銅の門扉の内側には守衛がいる小屋が建てられていた。
そして裏路地に見えていた細い土の道は、拡張されグラス通りと同じ様に、煉瓦を敷き詰めた広い道が出来ていた。
私娼窟が在ったユーパル通りの両脇には、2階建てや3階建ての新ロマネスク様式の、真新しい建物が立てられ、新たな住人も入っていた。
所々の更地には、新たな家を建てる為に多くの木材や鉄筋等が積まれ、幾人もの指示を出す職人たちと作業員たちが忙しく動き回っていた。
「活気が在って綺麗な街だね、ジェローム。」
「そうだな、このユーパルが私娼窟だったとは誰も思わないだろうな。」
「だね。昔は裏通りとしか呼ばれていなかったらしいから、此れで元あったユーパル村の名が消えずに済むのは良い事だと僕は思うよ。」
「ふふ、そうだねセイン。悪い事だけでは無いのかもな。」
俺は、新たに生まれ変わっているユーパルの通りを見ながら、初めて裏通りから殺害現場へ向かった時見た、崩れそうな木と土で両隣や裏にある家々が、互いに重なり合い立っていた暗い廃墟の様な街並みを想い出していた。
怒鳴り合い喧嘩をしている私娼同士や浮浪者の様な男たち。
エドガー・ワインドを放置するしか無くて、面倒になり俺が兄に頼み私娼たちを一掃して貰ったけれど、ヤードに摑まった彼女たちは何処へ行ったのだろうか。
今更ながら、ふと俺は気になった。
この町に住む新たな住人は下層とは言えミドル階級に為るのだろう。
幾人かの私娼は、成りあがって此のユーパルの新たな住人になって欲しい、と俺の偽善だと知りつつも願った。
孤児院に居た8人居た孤児たちは、ロンドでの施設が一杯だと言う事で地方の施設へと振り分けられたと言う報告を俺は思い出した。
グーリッジ地区は雑多で貧しい街並みだった。
セントラルから外れたアウターと呼ばれる他の地域と同じで、小さな町の工房で異国の人間たちが、働いていた。
屠畜場や革加工場などもありジャックが見たら匂いと一緒に恐怖で悲鳴を上げそうだ。
そして子供ばかりか大人の物乞いも多い。
何となくジャックがグレタリアンでは政治に関わらない理由が理解が出来た。
俺と違ってジャックは根っ子が優しいから、見ない振りをしても、遂、何か出来ないか考えてしまうのだろう。
「ジェローム、なんて悲惨な光景なんだ。此れが世界を支配し繁栄しているグレタリアンなのか?」
そう隣でカルチャーショックを受けて嘆いているセインのように。
しまったなー。
まさかエドガー・ワインドが出馬しているイーストグーリッジ地区は、アウターだと俺は聞いていたが、貧民街と変わらぬレベルだとは思わなかった。
こんな事ならセインと一緒に来るんじゃなかった。
俺はステッキで天井を叩き、ブレード通りに在る下宿112Bへ戻れ、と御者に報せた。
俺はショックを受けているセインの片手を握り締めた。
「ジェローム、、、。僕はいったい、、、。」
「私達は私達が出来る事を遣るしか無いよ。セインは先ず娘のオリビアを確りと育て上げる。そして私を手助けする。そして私がセインの手助けで依頼を達成して報酬を貰う。その報酬を生活に響かない程度に救護員へ寄付をする。それで幾人かが救える筈さ。私達の手は、其処まで長くも大きくもないからね。」
「うん、うん。ジェロームと一緒に僕は頑張るよ。」
そう言うとセインは暖かな腕で俺を強く抱き締める。
まあ、セインの為の方便では在るんだけど、そう言う行いをすれば嘘には成らないだろう。
俺はセインの暖かな腕の中で冷えて乾いている精神が僅かに潤った。
俺の中の足りない何かがジワリと満たされていく気がした。
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アリロスト歴1892年 5月
今週も案の定パーシー氏はシェリー訪ねて、ウチの112Bの真鍮で作られたドアのノッカーを叩いた。
大体、2週間に1度くらいの割合で先触れを出してパーシー氏は訪ねて来る。
緑藍に何となく聞いていたのでパーシー氏が手土産のお菓子を見せると私はシェリーを呼んで「一緒にお茶をしよう」と誘ってみる。
シェリーも嫌がることなく頷いたので、パーシー氏と一緒に談話室で3人でのお茶会を始めた。
初めは緊張して固くなっていたシェリーとパーシー氏だけども、私はシェリーが好奇心が旺盛な事を知っていたので、パーシー氏にイラドでの風景や文化について水を向けると、確りとシェリーが食いついていった。
まあ、それからはパーシー氏が周った王国の話や初めて遠征に行ったトルゴン帝国の話などをして、来訪するたびにシェリーと親しくなって、今では互いに貸し借りした本の感想を、楽しく話し合う仲になりました。ハイ。
いや、私だって「後は若いお2人で」と、話して2人きりにしてあげたいですよ。ホント。
でもですね、一応シェリーもパーシー氏も婚姻前の男女ですし。
特にパーシー氏は次男と言っても子爵家と言う貴族。
それでもって前回婚姻式を挙げたお嬢様は実は既婚者だった上に、式を挙げたその日に行方不明に為ると言うスキャンダラスな事件を体験済み。
シェリーがそんな女性と同レベルに扱われない為にも、不詳この私が、シャベロンと言う目付として付いている訳です。
これでも未亡人ですがシュリンク子爵夫人なので。
シェリーも元男爵令嬢なのだけど、家庭教師をして働いているのを瑕疵として見る人も居るし。
基本は貴族令嬢は人に使われたりしません。
でも、働けるって言うは、私は強みだと考えてるけどね。
何もしないで困窮生活を続けるより、ずっといいと私は実感してます。
緑藍が「シェリーをクロエ2号にして嫁に行かせない心算?」とか、以前に言って来ましたけど、そんな気は全く無いわよ、失礼な。
緑藍を見習って好奇心の赴く侭に、シェリーが探偵の真似事をする方が余程の問題。
貯蓄やタイプライターでは、危険な目には遭いません。
そう滾々と緑藍に私は言い聞かせましたよ。
12月中頃からですから今日で10回目のお茶会です。
普通なら、そろそろ婚約のお話に為ったりするんですけど、如何なんでしょうね?
シェリーには、ご両親がいらっしゃらないから少し心配。
シェリーは亡くなった夫との親戚だから私とは血が繋がってい無し。
緑藍から「下手な口出しはクロエがしちゃあ駄目だよ。」って言われてるからヤキモキするなー。
見守るだけでも楽しかったのだけど、パーシー氏もシェリーもとっても良い人達だから、出来れば結ばれて暖かな家庭を作って貰いたいの。
だって、緑藍もジャックも、恐らく私も、ほんわかラブ・アンド・ピースな家庭とか、持てそうも無いものね。
いや案外とジャックは分かんないかもね。
相手が女と限らないのがジャックらしいけど。
そうんな事を考えながら楽しそうに談笑しているパーシー氏とシェリーを私は静かに見守っている。
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アリロスト歴1892年 6月
俺はセインと2人で封書で来た依頼を受けるかどうかを話し合っていた。
「テセラに直ぐに来て欲しいと書いているけど、如何する?ジェローム。」
「やっぱり遠過ぎるよセイン。それにジャックも、もう直ぐロンドに戻って来る。」
「だけど助けて欲しいと書いているし。」
「でもねセイン、私はこう言う勿体ぶった手紙は苦手なんだよ。依頼内容を書かずに自分の苦しい心情と私への美辞麗句に便箋を1枚使う神経は矢張り好きになれない。」
「うーん。そうだけど、、、。」
此れでは依頼と言うより、丸で社交の挨拶だ。
俺は不愉快な手紙を畳み直して、そそくさと封に仕舞い机の隅へと移動させ、煙草ケースを開けて一本を指で抓んで取り出した。
するとクロードがサラリと華麗にジェローム探偵事務所の黒い扉を開いて、俺とセインが自分の椅子に座っている室内へとパーシーを導いた。
「やー、ジェローム。今は取り込み中かい。」
「いや、結論が出て終わった所だ。パーシーの用は終わったのかい?」
「ああ、うん、今日やっとシェリーに指輪を渡せたよ、ジェローム。」
「オメデトウ、なのかな?婚約指輪だよね?間違いなく。ちゃんとプロポーズはしたのかい?」
「ジェロームは失礼だな。当たり前だろ。プロポーズせずに婚約指輪を渡す奴などいないだろ。」
「あはは悪い悪い、そうだよね。まあ座ってよパーシー。」
いや、プロポーズとも言えないプロポーズをした失礼な身内が居るもんで遂ね。
7回目の茶会を終わらせた後からクロエがジレて、「普通なら婚姻話の1つでもするモンでしょっ!」って、俺に文句を言ってくるから如何すんべって考えてたんだよね。
まっ、パーシーに苦い過去があるから俺も焦らせたくなかったし。
普通って言われても何回会えば婚姻するかなんて俺も知らないからなー。
「シェリーも待ってると思うわよ。」って話されても如何すりゃいいの?って感じだった。
セインには絶対にパーシーにもシェリーにも下手な事は言わない様にと厳重注意をして置いた。
微妙な時期にセインの無邪気な一言はハートクラッシャー度が高い事もあるので。
ジャックが此処へ戻ったら、それとなくパーシーへ後押しして貰う心算だったんだ。
なんかね、人の心に寄り添うのがジャックは巧いんだよな。
何時の間にかジャックってスルリと入って来る。
「でさ、シェリーを両親に会せる時にサマンサ夫人と一緒にジェロームも来て欲しいんだよ。」
「はあぁあー、何で私が?サマンサで充分だろ?日頃シェリーの目付も遣ってるし親戚だしさ。」
「そうなんだけど、、色々在っただろ?それで本当に大丈夫なのか親に幾度も念押しされて。」
「親くらい説得しろよ、パーシー。はぁー先が思いやられる。、、ちょっと待ってて。」
俺はさサラサラと手紙を書いて封蝋をしてクロードに渡し、トマスに届けて貰うように頼んだ。
「一番にシェリーの事を考えて遣ってよパーシー、めっちゃ良い子なんだから。」
「それは勿論だよ。今回ジェロームに頼むのも、私の両親が貴族で無くなったシェリーに、失礼な事を言って彼女を傷付けたくないから。エイム公爵家のジェロームが来ていれば、両親も不用意な事を言ってシェリーを傷付ける発言をしないと考えたんだ。」
「まっ、なら良いとしよう。」
「はー、有難う、良かった。ホントに可愛くて溌溂としていて素直で、、。あんな素敵な子と出逢えるなんて、世の中何があるか分からないね。イラドから帰国して、ジェロームの顔を見たくなったのも、今にして思えば、シェリーと出逢う為の運命だったのかも知れない。」
「ディスティニーかよっ、ご馳走様。つかパーシー、浮気とかするなよ。」
「勿論だ。シェリーの笑顔を曇らせない事をジェロームに誓うよ。」
「ふふ、なら良し。シェリーはウチの探偵事務所にいる皆の妹みたいなモンだから宜しく頼むよ。でも私に誓うよりは、シェリーの亡くなった両親に誓って遣れよ。」
「まあ、それは勿論。でも何だろうな、色々在ってイラドで戦ってヤバかった時、ジェロームにまだちゃんとお礼を言えてないって思い出して絶対グレタリアンへ帰るって決意したんだ。なんか何時の間にか俺の中でジェロームは親友になっててさ。ついジェロームに誓ってしまうんだ。」
「それは、有難い事だね。私は此の性格だから友人は其処に居るセインと今はウェットリバーで療養しているもう1人しか居なくてね。パーシーが親友になってくれるなら心強いよ。」
「あはは、言った後で気付いた。何か照れ臭いね。ああー、セインもよろしくな。」
「はい、宜しくお願いします。パーシー・ダウラム氏。」
「パーシーで良いよ。ジェロームと同じ様に話してくれ。セインの方が年上そうなのに申し訳ない。こんな話し方で。癖なんだよ。」
「いえ、大丈夫です。」
「しかしセインは良くジェロームと友達に為れたな。」
「ええ、あの頃のジェロームは------。」
そうして俺の大学時代の話になり、ヤバイネタはパーシーは笑顔でスルーして、クロードが淹れてくれた珈琲を片手に3人で盛り上がっていた。
暫くするとトマスが封書片手に戻って来た。
俺は封を切り、手紙を確認してパーシーへと手渡した。
「えええーーーー!!シェリーの付添人としてエイム公爵夫妻が来て下さるっ!どうしよー!」
兄からの手紙に驚いて絶叫するパーシーを俺はニマニマとして見詰めていた。




