消せない刻印
アリロスト歴1886年 4月
少し日焼けして戻って来やがった問題児・探偵らしいジェロームこと緑藍。
まあ日焼けつっても頬骨と高い鼻が赤くなってるだけなんだがクロエが「日焼け舐めちゃ駄目、絶対!」と腕まくりして小麦やら果物の絞り粕を混ぜ合わせて緑藍フェイスクッキングを始めた。
俺は3ヶ月で溜まった「恋文」、「ファンレター」、「罵倒」、「脅迫状(仕事依頼)」をしっかりカテゴリー分けして緑藍のウォールナッツで造られた机と書棚に置いた。
真面な依頼書はクロエが管理している。
俺と違って悪魔エイム卿に信頼されてますね、シュリンク夫人またの名をクロエ。
「今夜、話したい事が或る。」
そう頬を赤らめて(日焼けで)告げた緑藍は珍しく真面目で思わず俺はドキリとした。
これが前世、俗に言われていたギャップ萌え?
ないな。
ドキリとしたのは事実だが、俺のトキメキでは無い。
緑藍にヤバ気な相談でもされたら、俺の寿命が今夜エイム卿に終了させられる?かも知れない。
そう言うホラー系なドキリ。
俺は気分を落ち着ける為にジャケットからチーフを取り出し匂いを嗅ぐ。
うん、相変わらずスーッと気持ちが落ち着く。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
そして、俺は2月に会った気障なイケメンとの邂逅を想い出した。
2月頃に「宜しければ」と綺麗な香水瓶に入れられた香水がモーリー巡査から贈られた。
てめー、良いトコのお坊ちゃまじゃねーかよ。
絶対に巡査は嘘だ!
つう事で探偵熱に燃えてるシェリーをボディーガードにしてヤードへと辻馬車で向かった。
ああ、乗り心地最低だよ。
トゥリー城でもラシエット宮でも良い馬車が余ってたから貰って来たい。
内心で文句言いつつ山高帽に大きなマスクを着けた不審者ジャックがヤードに到着。
シェリーが小さな身体で俺を守りつつ来賓室に到着。
俺がシェリーを守るのでは無い。
なんでか小さなシェリーが大きな俺を守るのだ。
意味が分んないよね、俺も判らん。
自己紹介をせずとも巡査に案内されて此処まで来たけど良かったのだろうか。
此処って貴族とかを通す場所じゃね?
流石はシェリー元貴族だけあって堂々としている。
庶民服を着ても姿勢が良い。
其処へ署長みたいなオッサンとレイド警部が現れた。
そしてグライス警部が丁重に案内して来た金髪に深緑の瞳な麗し貴公子見参。
俺はドギマギしながら挨拶を交わした。
何?これ?
俺はクマ事レイド警部にモーリー巡査の所属を聞きに来ただけだよ?
前もってメッセージを渡してたよね?
「ふふ、ジャック君でしたっけ?モーリーは僕の遠縁の子でね。少し警官の真似事をしたいと勝手に潜り込んでいてね。署長や2人の警部にまで迷惑を掛けてしまった。ジャック君にも何かモーリーが迷惑を掛けたかね?」
「いえ、此方はお世話に成り放しで改めてお礼を言いたいと参った次第です。」
「そう、それを聞いて安心したよ。」
白々しい笑みを浮かべてウィリアム・ベラルドは署長とグライス警部達と談笑をし始めた。
つぅか、ウィリアム!
てめぇーがモーリーだろうがっ!
くそっ、ルネみたいな気配させやがって。
そしてシェリーは頬を上気させて、ウィリアムを見詰め、瞳からキラキラ光線を出し始めた。
へー、俺なんてシェリーにそんな瞳された事ねーわ。
いいっすね、イケ面。
俺は内心で毒を吐き続けて居た。
さて、「俺の極小の謎も解決したので帰ろう」、としたらウィリアムが如何しても送ると言うので、彼の馬車に乗せて貰った。
辻馬車と違ってサスペンションも効いて座席もフッカフカ、流石は家紋を刻んだ貴族馬車で最高だった、ああ、勿論待たせていた辻馬車にはチップを弾んで帰したよ、ウィリアムがね。
ニコニコ微笑んで俺を見て来る美青年ウィリアム。
己イケメンめ。
ずっと黙ってる訳にも行かないので俺は粗略に口を開いた。
「香水有難う。あの香りには助かってるよ。」
「それは良かった。あの香りはジャックに合うと思ってね。ああ、私の事はウィルと呼んでくれ、シェリー嬢、ジャック。」
「はっ、はい。あっ、でも私はもう貴族では無いのでシェリーと。」
「うん?ジャックと結婚したの?」
「有り得ませんっ!!」
「ねーよっ!!」
俺とシェリーは同時に力一杯否定した。
あれ?自分も否定したけど、シェリーにアソコまで否定されると、俺の心に何か来る。
俺は泣いてねーし。
そして、ウィルが大きな声で笑い始めた。
暫く笑った後に、細く長い指で目尻を拭ってウィルは息を整えた。
「コホンっ、失礼した。シェリーが青火花草を著した人だったのだね。若くで驚いたよ。」
「は、はい。でも書評とかはエイム卿のお陰で、えーとっ。」
「ん?本を読んだけど面白かったよ、あの視点の切り替え等が~~~~(後略)
それからはシェリーとウィルの小説談議になり下宿に辿り着くまで楽しい会話が続いた。
シェリーとウィルがなっ!
その日、自室の戻ってジャケットをハンガーに掛け外の埃を手で払って居るとポケットに違和感。
手を突っ込むとメッセージカードが2枚入ってた。
1枚目10日後金曜日共に晩餐を。迎えを寄こします。
2枚目ジャックからの首輪が嬉しくて何時も着けている。僕を飼うかい?。
1枚目に俺は答えた。「行くか、ボケっ!」
2枚目は、右手で握り潰し代用火鉢に入れて燃やした。
元の持ち主は悪魔エイム卿だ、思う存分飼われて来い!ウィリアム。
はあー、下手に他人に感謝して、いや感謝は良いのだ、人として当然。
でもグレタリアンでは、男にも誤解させるみたいだから、他人へ物を贈るのは、今後2度としないと俺は決意した。
ウィルが迎えを寄こした日、俺は自室に鍵を掛け居ない事にした、のは言うまでもない。
おっ、そうだった。
緑藍が帰ってきたら香水屋でアレと似た香り作って貰おうと考えたんだった。
緑藍の話が終わってからの方が良いか。
此の香水の香りは欲しいが、あの厄介ごとの香りしかしない男はノーサンキューだっ!
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緑藍は、顔の上で菓子作りをされた後、瓜系の蔦から採った液体でパシャパシャされ、クロエの緑藍フェイスクッキングは、まだまだ続きそうだった。
小腹が空いた俺は洗ったジャガイモを2つ貰って自分の部屋に戻った。
自室の小さな台所擬きでジャガイモの芽を取った後に、小鍋に芋2つを入れ水差しの水を注いで火鉢に掛けて置いた。
俺の部屋は1つだけど中でパーテーションで区切られて変則型約8畳と約6畳に成っている。
なので8畳の部屋に応接セット、書棚、キャビネット、食器棚つうてもコップや珈琲カップ、小皿、ピルクパン等を入れている。
1階やジェロームの部屋の様に絵皿飾ったり置物置いたり絵を飾ったりは、一切してません。
する気もない。
王太子時代や公爵時代にアレコレしてたのは、金が在ったつうのも在るけど、自分の屋敷って思ってたから飾る気も改装する気も起きた。
所詮借り物、何時かは捨て行く地。
そう思うと、俺のやる気は掃除だけ。
入浴、清掃、洗濯が俺の生きる今の基本。
でもって台所擬きだが、緑藍が居ない時までクロエに作って貰うのもアレなんで、白ご飯が在れば茹でたり蒸したりする料理で事足りる俺。
其処で部屋で料理が作れるようにと、作業台とシンク擬きを置いてるだけなんだよね。
湯がいた湯を捨てるとか、剥いた皮を一旦置くとかで使うシンク。
俺の腰の高さに合わせて作ったので意外と便利なのだ。
まっ、食べ終わったらとっと片付けるので部屋も綺麗に使えている。
クロエから、「ジャックってマメねー、私には真似できないわー」と言われたが、何故か褒められた気がしなかった。
芋が湯がけたみたいなので、俺はジャガイモの上にバターを乗せ、それで夕食を済ませた。
熱々、じゃがバタ旨ウマでした。
俺は陽ノ本土産で貰ったと言う煙管に解した葉巻を詰めて吸う。
クロエは陽ノ本殆ど変えていないと言うけど、俺と緑藍とクロエが全力で少しでも良き未来をと思って取り組んだのだ。
変わっていない筈が無い。
悲しいのは、俺たちが取り組んだことが、本当に陽ノ本に取って良い事だったのか悪かった事なのかが判らない事だ。
俺は煙を燻らせて部屋に漂う煙を見ていると、満たされた表情で逝ったじじいの顔を想い出した。
「じじい、レコ、ルネ、俺は寂しいよ。」
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部屋の扉が叩かれ、緑藍の声がした。
「いいか?」
「どうぞ、空いてるよ。」
緑藍に奥の椅子を勧めて俺は急須に湯を注ぐ。
ケトルの蓋を開けて水差しの水を注いで火鉢に掛け直した。
「おっ、日焼けで赤くなってた肌の色が落ち着いた。流石シュリンク夫人。」
「ああ、手慣れていて吃驚したよ。しかし、やっぱりこの部屋は殺風景過ぎないか?ジャック。」
「此れが良いんだ。それよりも話って何だ?」
「うん、実は前世の記憶が薄れて言って居る。恐らく此の侭日本の記憶は消えていくと思う。」
「えっ?何で?嫌、俺だって昔過ぎて忘れてることや勘違いしている事もあるけども。」
「うーん、挙げるとしたらアヘンかな。実は可成り酷い中毒状態だったんだよ、ジェローム。」
「だろうな、俺の意識が戻ってなかった頃のジャックが煩がってた。まー、あのジェロームは乱れ捲くった生活してたもんな。」
「まあね、で俺が意識覚醒したら中毒症状が消えてたんだ。そのせーかな?」
「うーん、原因なんて探せないし。」
「まっ、良いんだよ。前世の記憶が消えていても。別段に困る事は無い。只、知っていて貰わないと3人で話すとジャックやシュリンク夫人にアレ?とか変に思って心配するだろ?まっ、そういうのを回避したくて先にジャックに打ち明けた。良かったらシュリンク夫人にはジャックが伝えてくれる?」
「まっ、良いけども。そうだ、じゃあ緑藍時代の記憶は?」
「それは大丈夫。緑藍の記憶が消えそうなら俺は自死する。」
「ジェロームっ!」
「そんな顔をしないでよジャック。俺にはどうしても消したくない記憶があるんだ。その人と過ごした記憶が消えたらソレはもう俺じゃない。考えただけで耐えられない。」
覚悟を決めた顔をしてジェロームは俺の入れた煎茶を啜った。
ふと俺も思った。
確かに前世の記憶が消えても俺にはもう問題は無い。
だが、じじいやレコ、ルネとの思い出の記憶が消えて行くのは、------
ああ、俺も緑藍と同じで耐えられないや。
「緑藍、俺達はあの時代の中で生きていたんだな。」
「何を今更、俺に取っては長い蛇足の時代だったけどな。俺の想いの全ては1790年に於いて来た。後の48年間は序に生きただけさ。」
「その序で約3000万人の命を奪ったのかよー。たまんねーな、殺された人々は。」
「アレ?思ったよりも少ない人数が他国には知らされてんだな。いーんだよ、あれらは了毒つう疫病なの。折角、俺が退治して追い払ってたのにグレタリアンの阿保が本国や南カメリア、イラドに連れて行きやがって。」
「元皇帝のご乱心!つうて虐げられた真龍国民を救う、とヨーアン諸国で批難決議出された時は俺、すげー胃が悪くなった。俺達は真龍国と交易していたから不介入の立場だったけどな。」
「どーせグレタリアンが真龍国の茶や鉱物欲しかったんだろ。ルドア帝国を含めた南カメリア・ナユカ自治兵諸共粉砕してやった。」
「でもさ、俺から保護した?つうか安価な移民として連れて来たヤツラが、今じゃ貧民街にアヘン窟作ってる状態じゃん?逃げた先の碑先王国を乗っ取った状況を見たら普通は自国には入れなと思うがな。」
「まっ、俺ら西洋の人間からしたらアーリア人は皆が同じに見えるからな。よくある宮廷闘争にみえたのだろう。自分たちの意を組む為政者に成るなら応援もするしね。何せアーリアは遠い。」
「----そうだな。うんとそれと、もう1つ。」
「えっ!まだ何か有るのかよ。」
「うん、前世(日本)の記憶が薄れたのに合わせて、俺の意識がこの時代に適合して行っている。だから無自覚にジャックやシュリンク夫人へ今後無礼な言動を取りそうなんだよ。貴族としての意識?でも俺はあの意識は嫌いなんだ。だから2人でいる時には今まで通りに接してくれ。でもってジャックの価値観で俺に忠告したり話したりして欲しい。ジャック、頼めるか?」
「まあ俺は俺としてしか生きられ無いからジェロームへの態度は変わらないよ。」
「そうか、有難う。はぁー安心した。付き合ってられんて拒絶されたら如何しようと思ったよ。」
「全く。ジェロームはでっかい弟で緑藍はチッコイ弟だよな。実の弟ジョルジュは素直で良い子だったと言うのに。まあジェロームはこの世界でも弟に思えるし、シュリンク夫人はおっかさんかな?クロエの時は娘に思えたんだがね。」
「ふふ、うん、陽ノ本では直ぐに顔を赤くして大騒動してクロエがワタワタと動いてた。でもグレタリアンで出会ったシュリンク夫人には、逆らえなくなってた。何なんだろう?あの貫禄。」
「母は強し、されど祖母はもっと強し、かな。グラン・マム(偉大な母)、グラン・マと俺は内心でシュリンク夫人をそう呼んでいる。」
「おう、それいい。俺もグランマと呼ぼう。」
「ははっ、まあ前世の記憶は兎も角として、態度が変わるかも知れない話はグランマにして置いた方がいいぞ。同居人同志の仲が険悪って俺が堪えられん。」
「うーん、そうだな。」
結局の所、ジェロームの態度が変わってしまう事情を説明している内に前世の記憶が消えて行ってる話も、クロエへと緑藍は告白した。
クロエも前世の記憶が消えるのは、今更問題ないと笑った。
クロエの一大問題はシュリンク未亡人として生きる事からの脱却だった。
もうシュリンク家からの保護を外れても生きていく目途も立ったし「サマンサ」として生きたいと話した。
どの道シュリンク家は夫の義弟が継いでいるので領地経営もしなくて良い。
つうか、したく無いらしい。
貴婦人が集まる遺族会や未亡人クラブが行って居る慈善パーティーにも参加したくない。
でもって拷問ドレスを着て長時間の慈善活動にも参加したくない。
要するに、平民に成ったシェリーの楽な庶民服を見て、シュリンク夫人は「貴婦人などやってられるかっ!」と成ったらしい。
俺は「へー」と頷きながら、内心で首を捻った。
クロエならそんなことを気にせず、陽ノ本やロヴァンス領地でしたように、自分で着安い服を作りそうなモノなのだが、そう思ったのだ。
この何処か空気が抑圧的なグレタリアン帝国で暮らして居る内に、クロエも無意識に価値観が変容して行ったのかも知れない。
俺的には其れが悪い事だと思わないけどね。
信仰の精神束縛が和らいだとは言え、想わぬ信仰心からの逆襲もあるのだ。
昨年プロセン王国にあるヘッダ辺境伯内の村で魔女裁判が行われたと言う新聞の記事を想い出した。
今の俺達には、そう言う慣習や信仰へ対抗出来る手段を何一つ持って居ない。
その為の自己防衛機能だと考えて、クロエの変化に俺は開き直った。
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アリロスト歴1886年 8月
今朝も俺は緑藍の身嗜みを調え、シャツの釦を留めてやる。
昔、ルネが俺にしてくれていたように。
ハハっ、俺って此のジェローム探偵事務所の代表じゃ無かったけ?
俺だって戦ったよ。
事務所の代表に成ったのだから「ジェロームの身の回りの世話にはキチンとした小姓か従者を付けろ」と、あの悪魔エイム卿へと怯えながら宣言した。
俺は言ってやった!
しかし能天気な緑藍は「ジャック以外に世話をされたくない。」と、告げやがった。
こうして俺の戦いは呆気なく終わった。
以前と同じように「ジェローム坊ちゃまのお世話係」だよ。
役職何て飾り以下ですよ。
ジェローム探偵事務所内の実質的な階級図。
1位 ジェローム、同順2位 シュリンク夫人、3位 セイン・ワート(医師予定)、4位 シェリー、そして最底辺には俺が居る。
天元突破した神域には、悪魔エイム卿が座し俺に睨みを効かせていた。
つかさー、偶にイチャラブなワート君は良いのかよ、エイム卿。
なっ、なんだってーアレって、グレタリアン流な友情物語なんすか。
俺はグレタリアンでは友を作れないかも知れん。
さて、このワート君、すっかり112B下宿に馴染んでいるが、現れた当初は父親を心臓発作で亡くしたらしく酷く憔悴していた。
ワート君の話を聞くと、父親の昔の友人が訪ねて来てから、父親の体調は一気に悪化したらしい。
ワート君自身は知らなかったようだが、父親は心臓がかなり弱っていたらしくノースハインズでは毎週医師の往診を頼んでいたと言う。
その友人はかなりなトンデモ人間で、屋敷の使用人やワート君にも横暴で、朝から酒を呷っては絡んで来た。
ワート君と使用人は堪りかねて父親にクレームを入れると「昔の恩人だから彼の望む侭にさせて上げてくれ」と反対に懇願される始末。
寝たきりになった父親に逆らう事も出来ずに、ワート君達は忍耐をしつつ父親の看病をしていた。
肝心の嫡男は父親に頼まれ、南カメリアに所有している鉱山へと、父親腹心の従者と共に向かって居た。
だが、ワート君に我慢の限界の時が訪れた。
ワート家で雇って居たメイドにその男が不埒な真似をしていたのを目撃して、怒ったワート君は思わず殴って屋敷の外へと追い払い使用人たちには敷地内に入れない様に厳命した。
「警察に言ってやるー」
父親の友人と称したその男は罵詈雑言と共に、そう叫んで去って行った。
父親の寝室に戻ったワート君は追い出した経緯を説明した。
その話を聞いた父親が「警察」と喘ぐように呟き、胸を押えて其の侭急死した。
生真面目なワート君は、自ら行った行為が、弱った父親を死に至らしめたのではないか?と自分自身を責めた。
家令と共に父の葬儀を終えたワート家に地方判事の部下等が訪れ、マーカス・ホイラーを恐喝と殺人容疑で逮捕した事を伝え、ワート家に被害が無かったかを質問した。
此の屋敷に訪れた3日前にロンド近郊にある人の家でも今回と同様な態度で滞在していたらしいのだが家主と揉めて殺害、そしてワート家に現れたそうだ。
ロンドのヤードではマーカス・ホイラーは指名手配に成っていたらしい。
しかし、そのマーカス・ホイラーも逮捕された夜に牢で急死。
何故、ノースハインズのワート家にホイラーが現れたのか、と言う理由を知る為に、ワート君達に事情聴取をした。
ワート君はマーカス・ホイラーが現れてからの10日間を司法側に説明をした。
その結果、指名手配されたマーカス・ホイラーは、昔の縁を辿りワート家に逃げた、と言う結論が報告書へと記載された。
シーズンが始まった翌週に、憔悴しきったワート君が親友緑藍ことジェロームの前に現れ、早2ヶ月が経ち今は8月になった。
まっ、今は緑藍にホットな友情で励まされ、見事に復活したワート君だった。
いや良い奴なんだよ?ワート君。
元平民なのに騎士系?「俺はジェロームを守る!」てな気合十分な茶系の栗鼠?な、ワート君。
大きい栗鼠が出た、と、想ったらワート君だったそんなカンジ。
美形好きな緑藍とは思えないチョイス。
やっぱり緑藍でも日常生活ではお茶漬けが落ち着くのか、と失礼な事を考えてたのは秘密。
裏表無いし常識的だし優しいし、俺もスキンレスなら友達になれそう?
うん、もう少し空気が読めたならな。
聞かなくて良い事を敢えて聞く。
ワート君が地雷原をスキップしながら歩いている様子が幻視出来た。
「そろそろエイム公爵は婚姻された方が良いのでは?公爵も、もういい歳ですし、今の侭ではエイム公爵家の将来が不安です。余り友人のジェロームに僕は苦労して欲しくありません。」
1階の談話室の空気がピシリと凍った。
ただ1人殺気を読まないワート君が暢気に微笑んで紅茶を飲んでいた。
すげーよ、お前。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
【ワート君には言えない裏話】
ワート君が現れた翌日、「彼には秘密だ」と云い「聞きたくない」と耳を塞いで逃げる俺を緑藍は押し倒し、耳元で「事件の真相」を囁いた。
ワート君の父親、実名ハンス・ロードは30年前に銀行で事務をしていた。
しかし、ある日賭博に負けて借金返済の為に公金を使い込んだ。
実はそれ迄も度々公金を借りて、給料日には穴埋めを繰り返していたのだが、やっぱりバレて逮捕。
今は左腕に犯罪者刻印されるのだが、その頃は左手首に姓名のイニシャルを刻印されていた。
その刻印を緑藍がノースハインズの屋敷で目撃していた。
そして南カメリアの炭鉱へ罪人労働者として、犯罪者護送船デ・イトレ号に乗せられ、グレタリアンから南カメリアへと出航した。
もう少しでカメリア大陸へ着くかという頃、囚人の数人が看守達を殺して逃げ出そうと計画した。
ハンスも手伝う事を強要され騒ぎを起こした。
何とか看守達を制圧し終わり避難ボートで逃げることに成った。
だが其処で看守達を皆殺しにする派と酷い仕打ちをした看守だけを殺す派の口論となった。
ハンスは自分にとばっちりが来るのを恐れ、今回殺害されていたロンド近郊の家主と共に一隻のボートへの乗り護送船を離れた。
一息ついて船をこぎ出そうとすると、護送船が大爆発し炎上し始めた。
ハンスと家主は驚き、生き残った人の救助へと船を動かし燃え上っていた護送船近くまで行くと再び大爆発が起き護送船が海に沈んで行った。
暫くすると負傷した看守マーカス・ホイラーが砕けた材木に摑まり2人が乗るボートまで近付き助けを求めたので、ハンス達はマーカス・ホイラーを避難ボートへ乗せ大陸を目指した。
爆発した理由を救助した看守に聞くと2つのグループの争いで銃撃戦に成り積んでいた火薬の樽に銃弾が当り爆破炎上したらしい。
2度目の爆破でマーカス・ホイラーは海上に吹き飛ばされた。
囚人80人、看守10人、船員水夫40人が死亡、海の藻屑となった。
避難ボートで漂う様に進んでいるとナユカに常駐していたフロラルスの巡視艇3人を発見。
難破したと言うマーカスの説明をあっさり信用し、彼等をナユカのフロラルス居住地域に。
マーカス・ホイラーは怪我が酷くて病院に運ばれていた。
ハンスと家主は今更帰国しても死刑に成るだけだ、と話合い看守が入院していたその隙に、北カメリアの炭鉱夫募集の話に乗った。
ハンスと家主は護送船で死んだであろうそれぞれの看守の名を自分たちの名として使いそして働き十数年、互いにそれなりに成功し資産を持って南カメリアに移住した。
そして、ハンスも家主も互いに婚姻し、グレタリアンに戻ることにした。
商才の有ったハンスはロンドで金と信用を得、デビット・ワートとして寒村ノースハインズの土地を購入して地主としても成功した。
運命が狂ってから約30年。
治安判事として任じられ男爵にも成れ、富豪の娘と次男セインとの婚約もこの5月に成る。
薄くなった左手首の刻印も、孰れ消えるだろう。
デビット・ワートの人生は祝福されたかに見えた。
ノースハインズのワート邸の敷地にマーカス・ホイラーが現れる迄は。
そこまで緑藍は話し終えて俺の耳元から唇をゆっくりと離した。
そして、腹の上で座り直して身体を起こした。
「わりぃーがジェローム、重い。」
俺の身体から降りて欲しいと懇願すると「仕方ないなー」とボヤいて立ち上がり、唯一俺が誇れる革製ソファーへと歩いて行った。
強制的に床に寝転がらされ緑藍重力で圧せられていた俺の背骨と首が痛い。
伸びをしつつボキボキと首を鳴らして、俺は緑藍に問うた。
「30年も前の事件なのにエラク詳細だな。デ・イトレ号って大破して沈んだんだろう?」
「おー、流石ジャックは鋭い。此れはワート氏、ハンス・ロードから息子たちへの遺言書に書いてあった。最も今は其の遺言書は消失して息子たちに届く事は無いけどね。」
「おい、それって。」
「はっ、死ぬ前に懺悔して罪を清算?コンナことを知ったセインが真っ当に生きれるとでも?それに俺はハンスの遺言を丸っと信じた訳でもない。ハンスや家主たちの商売の仕方が真っ当な訳でも無かったからね。」
「まあ、俺もジェロームの立場なら同じことをしたかもな。ワート君が父親の事で苦しんでも何も得る物はないからね。」
「だろう?で、此処からは推測。恐らく護送船を爆破したのはマーカス・ホイラー。大昔から看守達が飲みに行く酒場で物は試しに兄の部下に調べて貰うとあの事故で死んだ9人の看守達全員に借金をしていた。中でも3人は取り立てが厳しくてあの事件が起きなければマーカス・ホイラーのロンドにある家を手放さないといけない所だった。ハンスの事を調べるよりもこっちが大変だった。」
「はあー、よくやるよジェローム。金にも成らないのに。」
「いやー俺さマーカス・ホイラーの顔を見てるから。絶対コイツ殺してやるって思った位にムカついたんだよな。で、つい。まあ、子供達が生きてたんで長女に聞くと母親と父親が毎日喧嘩してて、家を追い出されると揉めていたらしい。だから父親も含めてあの看守チームが死んで家族は喜んだらしい。」
「うっ、父親って報われねー。」
「まっ、俺がマーカス・ホイラー爆破犯人説を説くのはフロラルスの巡視艇での事情説明で真実を話さなかった事。だって奴は看守って言う公人で一緒に居るのは囚人2人。素直に言えばグレタリアンまで丁重に送ってくれるさ。ハンス達を庇う理由も無いしね。」
「助けて貰った恩義を感じて?」
「ねーと思うわ。」
「でもさ、なんで30年も経った今頃にマーカスは行動を起こしたんだろう?」
「それはハンスと家主が貴族に成ったからだよ。新たに貴族に成った家は役所や新聞で公表される。恐らく去年公表された貴族家名に死んだ筈の元同僚の氏名が2人も記されていた。ピンと来るよねマーカスで無くとも。金の匂いに誘われて先ずは手近なロンド近郊の家主へGO。」
「でもマーカスの家族は堪らんだろな。帰って来たと思ったら犯罪者。の後死亡。」
「まっ、それは探偵の考える事じゃ無いからな。」
「でも残り9人の生存確認とかされるだろ?」
「ああ、でもマーカス以外の元看守2人はマーカスに殺され死亡しているけどな。ハンスも元家主も犯罪を起こしていた訳じゃ無いし、兄が記憶喪失だったとでも書いてるのじゃ無いかな?今頃は。」
「しかしあれだな、ジェロームが助手を得た位しか、これと言った報酬の無い事件だったな。」
「何を言っているんだジャック。それが一番重要な報酬だよ?何の為に俺が今回、骨を折ったと思っているんだ。あの兄に頼んで迄。」
「けっ、ワート君案件かよ。」
「いい加減ジャックもセインと呼んで遣ってくれよ。ワートじゃ俺がハンスの顔を想い出すだろ?」
「呼びたく成ったら呼ぶさ。」
「我儘だな。さてジャック、そろそろ1階に降りてグランマの美味しいカフェオレでも飲もうか?」
「おいジェローム、その呼び名を頻繁に余り口に出してると、無意識でシュリンク夫人に呼び掛けてしまうぞ。」
「ははっ、その時はジャックが言ってたと言うよー。」
「おい、止めろ。」
「ふふっ。」
俺たちは立ち上がって、大きく伸びをした。
部屋の扉を開けて通路へ出ると斜めに付けられた窓からは霧で滲んだ星が出てた。
俺は緑藍の足元を照らすオイルランプを右手に持って彼の前を歩く。
きっと明日も晴れるだろう。