プラクティス
アリロスト歴1891年 6月
勢いよくパトが入って来るなり、俺の左向いに座っていたジャックをロックオンし、ツカツカとジャックの側まで歩いて行き、右手を差し出し挨拶を始めた。
庶民の恰好をしていても品良く整ったジャックにパトの食指が動いたみたいだ。
ジャックは、突然現れた異国の恰好をした三つ編みイケメン男に戸惑い乍ら、挨拶をし握手をした。
「で、パト巡礼しながら攫って来たフロラルスのお姫様はどうしたのさ。」
「いやー、俺も知らなくてさ。ウィリアム・ベラルド伯爵が訪ねて来て吃驚したんだ。」
邪気の無い声で話しながら、パトはちゃっかりジャックの隣に置いてある客用のソファーに座った。
ジャックはコソコソとパトから距離を取るべく、ソファーに腰掛けたまま俺の方へと重心を移していた。
「ジェリー参ったよ、屋敷で寛いでたら怖い顔してベラルド伯爵とフロラルスの人が訪ねて来てテレーゼ・グレーム令嬢に会わせろって言うし、それは誰だよって思うよな?俺がフロラルスから連れて来たのは、アリス・マグノイアって少女だと思ってたんだ。金持ちの娘だと思っていたけど、それがエル王家に連なるご令嬢だったんだぜ。俺が驚くのも判るだろ?」
「分かんねーよ。なんでパトは巡礼してて少女を連れ帰るんだよ。」
「パルスのカンタールにある劇場で面白い子がいると思って声を掛けたのがアリスだったんだ。話をしてみると俺と気が合い、オペラやバレエを3月いっぱい一緒に見て、周って過ごした。俺がグレタリアンへ帰国すると話すとアリスも行きたいと、懇願されたので共に戻っただけだよ。ベラルド伯爵にも言ったが、俺は誓ってアリスの純潔は奪って無いからな。」
「珍しい、パトが抱かない女と一緒に居るなんて。」
「いやモスニアでルバール子爵夫人と付き合っていたが追い回されるようになって逃げてたら、良い感じの美人姉妹と知合って妹とも付き合って居るのが姉ルイズにバレて、其処から逃げてるとルボンヌ侯爵夫人と出逢い、、、、。」
(延々と女性名が続いた)
「つか、パトの恋愛巡礼の話は、もういいよ。」
「そうか、まあ俺も色々あって疲れていたんだよ、ジェリー。そんな時に俺に惚れない珍しい少女アリスに出会ったんだ。話してると楽しいし出掛けるなら、女の子を連れて行きたいだろ?それにアリスがグレタリアンの劇場にも行きたいと言うから連れて来たのさ。」
要するにモスニア、フロラルスでも恋愛マニアぶりを発揮していたパトだったが、トラブル続きで疲れてる所にテレーゼがジャストフィットした。
1人で動くのが寂しいパトとグレタリアンに行きたいテレーゼの利害が一致した。
ロンドのタウンハウスでパドは手持ちに在った380ポンドをテレーゼに滞在費として渡したと言う。
そしてパトは彼女が楽しみにしていたデイリー通りにあるオペラ劇場や、ミスティパーク傍にあるコンサートホールへテレーゼを連れて行った。
其処で次々と偶然出会うパトの昔の彼女達から絡まれたテレーゼは、パトと動くことに嫌気が差し、1人で動くことをパトに告げて、ロンド観光をエンジョイしていたようだ。
パトはテレーゼが困らない様にと執事に命じて、別邸へと創作活動に向かった。
ウィリアム・ベラルドが置いて行ったテレーゼ・グレーム嬢の肖像画と白黒写真を、俺はもう一度ゆっかりと見直す。
茶褐色の髪は細かなカールで柔らかく整えられ、暗緑色の濡れた大きな瞳は、小さな細面の顔を傾げて、物憂げに此方を見ている。
濃紺の絹と銀糸で織られたドレスの袖から出ている白く細い腕や、全体のバランスを見るとテレーゼ嬢は約150㎝少しの小柄な女性である事が知れた。
何処となくアルフレッドに似た風貌なのに背の高さは遺伝しなかったのかと俺は内心で苦笑した。
大きく溜息を吐いたジャックは、クロードが淹れたハーブティーを口にした後、「もう少し詳細にウィルから話を聞く」と言って、肩を落として探偵事務所の黒い扉から出て行った。
名残惜しそうに扉から出て行ったジャックを見送るパトだった。
呆けてるパトの背中を、俺はアームチェアーから立ち上がり様に殴り正気に戻して椅子に着かせる。
そしてテーブルにロンドの地図を広げて、テレーゼと共に行った場所や、彼女が向かったと聞いた先を俺は質問し、パトが答えて指で示した地域を頭に入れた。
俺はテレーゼの荷物について尋ねると、手で持てるポーチ以外の荷物は、全てタウンハウスに置いてあったと、パトは答えた。
はあー、疲れる。
なんでそれでテレーゼが帰国したと思えるんだ。
パトを小1時間問い詰めたい誘惑を俺は押し殺しテレーゼを捜すと告げた。
するとパトが自分も俺と一緒にテレーゼを捜すと話した。
ターバンを模したベージュ色したコットンの帽子に、同じ色味のベージュ―の大きなケープを纏い、右手には艶出ししたマホガニーに銀細工を施したステッキを持ち、細い三つ編みの焦げ茶の髪をサイドに垂らしているパトのファッション。
うん。
ないな。
コイツと歩きたくないし馬車にも乗りたくない。
俺はケンもほろろにパトの申し出を断り、俺に迷惑しか掛けないパトの背中を押して、ジェローム探偵事務所の黒い扉の外へと追い出した。
静かになった探偵事務所で、俺はクロードに調べる場所を教えてテレーゼの足取りを捜させた。
シンメトリーな白い瀟洒な建物へ、ポーターに案内をされて俺は入って行き、ウィルの待つ居間へと向かった。
俺の顔を嬉しそうに顔をほころばせ、ウィルは俺の側まで来て来客用の椅子迄エスコートした。
「なあウィル、お前ジェロームに依頼しなくても自分でテレーゼを探し出せただろ?金も掛かるのに何故態々ジェローム探偵事務所に依頼したんだ?外交問題も絡むのに。」
「ふふ、それはジェロームに頼むのが効率的だと考えたからだヨ、ジャック。後は、、、。」
「うん?後は?」
「ジェロームに対する嫉妬ですかね。」
「はあーっ?ウィルは何を言ってるんだ?」
「はははっ、冗談だよジャック。まあ実はどの程度の力があるのか知って於きたかったんだ。初夏から晩秋の長い期間ジャックはロンドで過ごしているだろ・昔も今もロンドは危険だからね。ジャックに万が一の事が在った場合の対応能力調査をしてみたくなってね。」
「馬鹿だろウィルは。そもそもエイム卿が守護している場所にしか俺は出向いて無いし、特にロンドに居る間はエイム卿に俺は雇われてるから自由にも動けない。ジェロームが関われる余地なんてないんだぜ。全くウィルは無駄な心配をしていないで自分の仕事をしろよ。それに俺は一応男だからな、そりゃあジョンみたいなマッチョオヤジには敵わないけど、ウィルは俺の心配をし過ぎだ。」
「うん、でも心配なんだ。それに私も今年の社交は何時にも増して忙しいんだよ。来年選挙があるだろ?自分が出る訳でもないのに断れない方々から招待状が届いてね。私も捜索する時間が取れそうにもない。だからジェロームに依頼しに行ったんだ。」
俺に許しを請うように深緑の瞳を曇らせて、俺を切なげに見詰めた。
全く、、、。
まあ、俺が勝手に曾孫ウィルの立場を慮って、緑藍との関りを心配しているだけなんだけどさ。
緑藍は感覚が鋭いからな。
迂闊な接触は藪蛇になるぞウィル。
俺は能天気な娘の孫テレーゼと心配性を拗らせて破天荒気味な曾孫ウィルに頭が痛くなった。
木曜クラブが開催されていたホワイティア街のトリアハウスを出て通りを歩いていると萌黄色の庶民服を着た小さな少女をぶつかった。
僕は慌てて転んだ少女に駆け寄り声を掛けた。
「申し訳ない。大丈夫かい?」
「はい、いえ。私も急いでいたので。」
「少し掌の皮を擦り剥いたみたいだ。あその3階建てのトリアハウス迄行けば消毒薬やガーゼが置いてあるんだが。ああ僕はセイン・ワートと言って医師の資格も持って居る。良ければ僕に治療をさせてくれないだろうか?心配なら、、。」
「お医者様なんですか?」
「ああ、まあね。」
僕がそう答えた途端、彼女はスクリと立ち上がり、チーフと共に差し出していた僕の右手を、白く小さな右手で掴んで引っ張り始めた。
「ワート先生来て下さい。死に掛けている友達がいるの。お願い助けて。」
血の気が失せて暗緑色の瞳を潤ませて、僕の右手を力一杯引く行く少女には鬼気迫るものが在った。
ホワイティア通りを抜けタランプ街の道を西へと進むとミンティア地区へと入った。
最近増えた背の高い3階建ての集合住宅列を抜けた裏にあった、小さな古い屋敷へと少女は僕を案内した。
玄関に入って直ぐの飾り棚に置かれていた旧式のガス灯に火を点けようと少女は手を震わせていた。
見兼ねて僕はポケットから燐寸を取り出しガス灯へと火を点した。
少女に手を引かれて、3つ程木の扉を潜り部屋に入り室内を見渡すと、濃い赤のベロア生地の寝椅子に横たわっていた淑女が居た。
僕は少女に促されるまでもなく魂が抜けたような彼女の傍へと急いで近付いた。
淡い赤味を帯びたレンガ色の髪を緩くサイドで結上げ、明るい藤色のドレスを身に纏った若い女性。
表情を見ると、どんよりと白目が濁った菫色の瞳は何処か宙を見つめていた。
この匂いと表情を僕は知っている。
此れはジェロームが昔嵌っていたアヘンだ。
良く見れば、淑女が寝転んでいる寝椅子の近くには煙が立っている香炉が在った。
「君、この煙は吸っては駄目だ。一先ず彼女を安全な場所へと連れて行こう。」
「は、はっ、はい。」
少女は慌ててポケットから木綿のチーフを取り出し、形の良い鼻を覆った。
僕は意識の無い彼女を背負い、少女と共に小さな屋敷の外へと出た。
集合住宅の表通りに出て、僕は辻馬車を拾い御者に彼女が病人であることを告げ、少女と彼女を先にジェロームのいる下宿112Bへと向かわせ、僕は後ろから新たな馬車に乗り彼女たちを追った。
夜20時過ぎにセインが思わぬ同行者と共に下宿へと緊迫した表情でやって来た。
きっとジャックならこう言うだろう。
「ワート君はやっぱりワート君だな。」
ぐったりとした女性を背負った大きな体のセインの後ろから、ヒョッコリと現れた小さな少女は、探していたテレーゼ嬢だった。
品の良い小さな水色のボンネットから緩く小さなカールした茶褐色の髪を覗かせ、テレーゼ嬢はセインが長椅子にゆっくりと寝かせた女性を心配そうに暗緑色の揺らして見つめていた。
「お帰りセイン。此れは如何いう状況?」
「ああ、ジェローム。えーと僕が彼女とぶつかって、彼女を転ばせてっ、それから彼女に連れられ小さな家に行き、、、、うん、アヘンを吸引して倒れている女性が居たから連れて来た。御免?」
「あのあの、私が友人のジェーンを助けて下さいとお願いしてワート先生に頼ったのです。あっ失礼しました。私はアリス・マグノイアと言います。この度は助けて下さりありがとうございます。」
「ふーん。アリス・マグノイア、、、ねぇー。まあ良いや。見た所彼女はアヘンに溺れるタイプには見えないけど。何処の地区に行っていたの?アリス嬢。」
「えー、と私は地区の名前は、、、。」
「ミンティア地区だよジェローム。背の高い集合住宅が並んでいる裏の道にある屋敷だった。」
ミンティア地区でアヘン?
セントラルから近いミンティアは高級住宅街として人気がある。
この頃はブルジョワやアッパーミドルクラスの人間が居住し、著名な建築家がデザインした集合住宅が建設されていた筈だ。
後は賭け事が趣味な連中達が入会しているクラブが入った建物も何軒かあった。
兄が注意喚起しているノルセー伯爵も参加していた「ラビット・クラブ」や「カジノ・クラブ」の館もあった筈。
そんな連中がアヘンを利用するか如何か?
俺は其の事を訝しく思った。
それは兎も角として、俺は自称「アリス」と名乗るテレーゼ嬢に事情を尋ねた。
自称アリスは此方に来て比較的早く倒れている友人ジェーンと知り合ったらしい。
余り硬貨を持ちなれないアリスはボンネットを買った帽子屋から出て直ぐにお釣りの硬貨をばら撒いてしまった。
慌てて屈んで硬貨を拾っていると優しいジェーンが侍女と一緒にコインを拾ってくれた。
気取らない淑女の優しさにアリスは感激して、自分はフロラルス出身である事等を、色々話したそうだ。
そう俺にもテレーゼ嬢は、話してはくれなかったけどね。
その色々な話とやらを。
ジェーンとアリスは意気投合して良く会ってお茶会をする仲になった。
その時グラマラスで織女のジェーンが自分と同じ18歳だと知り、益々距離が近くなった。
そんなジェーンには付き合っている男性が居た。
ジェーンがベタ惚れで、ジェーンが浮かれて語る彼の話を聞いていると、余りに熱烈な彼からの愛の言葉を聞いてるアリスが照れてしまっていた。
そんなある日、見たいオペラがあったので劇場へ行くと彼にベッタリなジェーン達カップルが居た。
確かにトルゴン帝国系の血が混じった浅黒い肌に黒い髪は、最近流行のオリエンタルビューティーかも知れないとアリスは思った。
でも個人的に金縁の眼鏡を掛けた男性は今一つだとアリスは感じた。
そして数日後に、注文していたワンピースが出来てと言うので仕立て屋向かっていると、仲が良さそうに連れ立って歩くカップルが居た。
その男性はジェーンの彼氏のオリエンタルビューティー。
でも連れている女性はジェーンでは無い。
アリスは滅茶苦茶腹が立って2人を付けた。
辻馬車で彼等が乗った馬車を付けて貰い、今日行ったミンティアの小さな家まで着いて行った。
ジェーンの為に、家から出て来た2人に文句を言って遣ろうと馬車の中で小一時間待っていた。
待っている内にアリスは段々と冷静になって行き、見ず知らずの女に文句を言われても唯の言い掛かりだとオリエンタルビューティーから思わぬ反撃を受けかねない。
そう思って一旦パトリックのタウンハウスにアリスは戻った。
「アリス、附かぬ事を聞くけど友人のジェーンにそのことを話して喧嘩になった?」
「ええーーーー、ジェロームさんて千里眼なのですか。」
俺は肩を竦めて深い溜息を吐き、クロードに3人分の珈琲を用意させた。
悪い女はシェリーだけじゃないみたいだぜ、ジャック。




