巡礼
アリロスト歴1891年 6月
兄が寄こした若い画家ラッセル・アクセルードの俺を見る視線にも何とか慣れた。
俺の周囲には少ない細い目には空色の瞳。
もしかしたら兄は絵の腕前より俺が惚れない相手と言うのをメインで選出したのかも。
緩やかなライトブラウンな巻き毛を好き勝手に撥ねさせて、探偵事務所に衝立で作っていた俺の隠れ場所に座り、サラサラとスケッチをしているラッセルが出している音も俺の日常になった。
そう言えば、巡礼の旅に出掛けた筈のパトは、フロラルスやモスニアでも恋愛マニアを発揮して、パトの浮名がグレタリアンの社交界迄届く始末。
何を巡礼しているんだか。
難しい顔をして新聞を読んでるセインは、心配そうな声で俺に話し掛けた。
「パーシー氏は大丈夫だろうか。イラド北東地域でのルドア帝国との戦闘は激しいそうだよ。」
「ルドアにしてみれば陸路でイラドへ抜ける為に必要な場所だからな。トルゴン帝国も挟み込めるし、真龍帝国への足掛かりにもなる。ルドア帝国側が必死な戦闘にもなるか。セインに大丈夫って言って遣りたいけど、難しいな。私達はパーシーの無事を祈るしか出来ない。」
「そうだね。」
パーシーには無事に帰って来て欲しいのは事実だが、俺的にはクソったれなグレタリアンなど負けてしまえと、内心で思って居たりする。
ははっ、誰にも言えないけどな。
まっ、そろそろジャックもロンドに戻って来る頃だ。
その時にでもジャックには溜まった俺の愚痴に付き合って貰おう。
薔薇が美しい季節。
俺は戻って来ちゃったよロンドに。
何時の間にか緑藍は押しも押されぬ名探偵とか呼ばれる様に成ってやがるし。
先頃も誘拐された公爵のご子息を無事救出したと新聞で報じられていた。
でもって俺にその少年が近所に住んでないか手紙で尋ねて来る。
アホか。
俺が知るわけ無いだろう。
貸別荘地で優雅に暮らす方々なんか。
「近所に住んでたオバチャン元気?」
つうノリの前世の日本じゃ無いんだからさ。
詳しくは書けないがと断りながら、俺でも知っている顔のメジャー公爵のプライベートな性癖を、詳細に書き綴って来るなよ緑藍。
何。
お前等エイム兄弟は、俺に秘め事を報告する業でも背負ってるの?
郵便事故でも起きたらどうする気だ。
そう思って胃を痛めているのは俺だけ何だろうなー。
さて、予定調和の様にモスニア帝国から独立ランダ共和国にプロセン王国が攻め入り、首都を落として占領、此れから政府を作るところだったランダ共和国は、又もや大国に支配される事に成った。
ランダ共和国が目指していた階級制度の完全な撤廃は、プロセン王国や、沈黙を守った他の諸国によりブレーキを掛けられた。
グレタリアンを始め、どの国も望んでいないからなー。
階級制度の廃止なんて。
まあそう言う訳で、普段は割れるヨーアン諸国の意見も一致し、プロセン王国の侵攻を認めた。
何所も口には出さず。
暗黙の了解って奴だね。
それにグレタリアンとルドアはイラドで戦闘中でソレどころではない。
今後のイラドとアーリア地域の支配勢力図を左右する戦争だから今までと目の色が違う。
キーに為るのはイラドと真龍国にまで隣接した支配地域を持つトルゴン帝国だったりする。
ルドア帝国に結構領土を削られたけど、元がヨーアン大陸の中央、南部、西部やプリメラ大陸北部まで大帝国を築いていた国なので未だに影響力が大きい。
今の所グレタリアンはルドア帝国対策にトルゴン帝国と仲良くしているが隙あらばと狙っている。
互いの宗教も違うしな。
そんな事を考えて馬車に揺られていると見慣れた街並みに入り、懐かしい下宿112Bが見えて来た。
玄関ホールに入ると見慣れない少年に案内され黒いジェローム探偵事務所の扉が開かれた。
何時もの挨拶を終えて、緑藍が座る揺り椅子の傍に置いてあったアームチェアーに俺は腰を掛けた。
「久しぶりジェローム、見慣れない人間が増えたな。」
「ああ、あそこで絵を描いてるのはジャックが兄に勧めた画家ラッセル・アクセルード、それとジャックを案内したのはポーターのロビン、後は1階にメイド見習のサニーがいる。ラッセル以外は皆近所に住んでいるんだ。サマンサが多忙になってね。」
「あー、前言っていたタイプライターの講師か。」
「そそ、商会の方は兄が紹介した人に任せてサマンサは週に1度通ってるよ。」
「相変わらずサマンサは良く働くな。そういやジェロームも、夜着じゃなくてディウェアーに着替えているし、若しかして心を入れ替えた?」
「はぁーもうさー、依頼人と言う名の暇人が、次々と訪問して来るようになって、面倒だから朝起きたら着替える事にしたんだよ。サマンサが居ないと防波堤が頼りなくてさ。」
「あはは、そう言えば防波堤その2のワート君は?」
「ああ、今日は医師の集まり木曜クラブの日だよ、ジャック。」
「おぉ、俺って曜日の感覚が無いわ。ジェローム、やっぱ礼拝は大事だな。」
「曜日確認の為かよ。全くジャックは。」
「そう言うジェロームだって礼拝には行ってないだろう。」
「まっウチは兄がアレだから行く訳がない。」
「まっ、そうか。」
俺とジェロームはクロードが出してくれたハーブティーを飲み乍ら近況を語り合った。
何でも嫡子ギルバートを救出した謝礼にカスターズ公爵から5000ポンドが振り込まれていたそうだ。
緑藍、それって口止め料込みだろと俺は思わず突っ込んだ。
庶子ネイトの犯罪は沈黙して置けと言う奴だろ。
俺に好き放題報告しやがってと文句を言えば、緑藍はケラケラ笑って居やがる。
ムカついて俺が緑藍の腕を小突いていたらロビンが黒い扉の外から来客を告げた。
クロードに案内されて来たのは俺の見知った顔、ウィルだった。
金の髪が靡き、深緑の瞳を煌めかせ、整った顔でにこやかな挨拶をし、俺の目の前に立っていた。
「ジェローム氏、初めまして。顔は幾度かお見掛けしましたが、こうして挨拶するのは初めてですね。どうぞ私の事はウィリアムとお呼び下さい。」
「どうもウィリアム・ベラルド伯。私の事もジェロームと。それで今日は?」
「ええ、実は依頼を引き受けて下さるとジェローム氏に了承頂いてから話したいのですが。」
そうウィルは告げて、深く探るように深緑の瞳を細めて緑藍を見詰めた。
ウィル、お前は何を考えてるんだ。
メクゼス経済博士の脱獄手伝ったりヤバいことしてるのに緑藍の前に出て来て仕事を頼むなんて。
コイツの兄は一応は政府中枢にいるんだぞ。
自分の立場を考えろよ、馬鹿ウィル。
俺は冷や冷やしながらウィルと緑藍を見ていた。
緑藍は美しい顔を崩さずに、右の口角を上げて器用に笑った。
「それは面白そうだね。良いよウィリアム、引き受けよう。」
「有難う御座います。実はあるご令嬢、テレーズ・グレーム嬢を救って頂きたいのです。彼女はフロラルスの高貴な血族です。その彼女がグレタリアンに来ていたのですが所在が掴めなくなりました。まだ未婚のご令嬢なので内密に探し出して頂きたいのです。宜しくお願いします。」
「ちょっと待ってくれ、グレーム家ってグレーム伯の事か?ウィル?」
「はい。エル6世の3男が興した伯爵家です。その孫娘テレーズの行方が分らなくなりました。」
「グレタリアンにフロラルスの名家のご令嬢が来ていると言う噂を私は聞いたことが無いな。」
「それが私も後から内密で聴いたのですが、如何やらパトリック議員の婚約者と偽って共にグレタリアンへ入国し、彼のタウンハウスで滞在させて貰ったらしいのですが気が付いたらテレーゼ嬢は居なくなっていたそうです。パトリック氏はテレーズ嬢は帰国したモノと思っていたと。」
「はあー、あの馬鹿パトは。態々私に相談に来たと言う事はテレーズ嬢は帰国していなかったと言う話だよね。」
「はい。仕事の関係でフロラルスとは縁が有りまして其処で相談を受けました。其処で私はジェローム探偵の名が浮かび、こうして訪ねさせて頂きました。」
「それでパトは、、、いや失礼。パトリックは出て行った理由について何か言っていた?」
「いえ、何本かのシナリオを書き終えてタウンハウスに戻ったら居なくなっていたそうです。」
俺の弟ジョルジュの息子ジョセフ、其の3男に俺の娘が嫁いだ筈だ、
何を遣っているのだ。
俺の子孫テレーズ18歳。
選りにもよって緑藍にまで最低野郎と言われているパトリックに付いてグレタリアンに来るなんて。
フロラルスに幾らでも良い男がいるだろうに。
如何やら4月にパトリックと共にロンドのタウンハウスに滞在し、日頃は男装したり庶民服を着たりしてロンドの街を闊歩していたテレーゼ。
パトリックもテレーゼなら放って置いても1人で大丈夫だろうと判断し、巡礼中に書き溜めていたアイデアを作品にする為に別邸へと出掛けて行った。
そして6月に帰宅したらテレーゼは消えていた。
そして5月終わりにシーズンに合わせてウィルはロンドに到着。
タウンハウスでウィルが寛いでいるとフロラルスに出店している商会の役員がフロラルスの役人と共に尋ねて来て、テレーゼ行方不明の顛末を告げた。
子供に放任主義なグレーム家でも流石に一月以上も娘の存在が無い事に気付き仰天。
急いで秘密捜査が得意なオーシェ家へ連絡し探して貰った。
一応ね、エル王家に連なる者なので立場的に騒げないのさ。
面倒事を招きかねないからね。
その結果、フロラルスに来ていた舞台作家のパトリックと意気投合し共に動いていた事を把握。
そしてパトリックが帰国した時に偽名使って婚約者としてグレタリアンへ向かった事を知った。
国家間の騒ぎに成らない様にウィルを頼ってテレーゼを迎えに来たそうな。
グレーム家の依頼を受けてウィルがパトリック邸へレッツ、突撃。
はい、テレーゼは居ません。
其処で名探偵と誉れ高いジェロームへとテレーゼの捜索をウイルが依頼。
なんかなー。
ウィルがめっちゃ嘘くさい。
その貴公子然とした笑顔って、俺がモーリー巡査の偽ったウィリアムではなく、ウィリアム・ベラルド伯爵として初めて会った時の表情と同じじゃねーか。
絶対にウィル自身で調べて探し出せるだろ。
緑藍に依頼しなくても実は。
マジでウィルは何を考えているんだか俺には判らん。
そんなこんなで緑藍も良い笑顔でウィルからの仕事を受けて、互いに笑顔で別れた。
俺は1人で不機嫌だったさ。
あんまりじじいの俺を心配させるなよ、曾孫ウィル。
ウィルが帰ってから苦虫を嚙み潰した顔をしているジャックを俺は揶揄った。
まあ、ジャックのウィークポイントだもんな、エル王家って。
しかし何やってんだかパトリックは。
パトリック、巡礼の旅は如何したんだよ、マジ。
そう思って居たら、クロードが華麗に扉を開いてパトリックが探偵事務所に入って来た。




