ノルセー伯爵
アリロスト歴1890年 5月
意地を見せて帰って行ったパーシーと俺は翌日ヤードに向かいレイド警部に事情を説明した。
当然、ポーラの捜索は打ち切られ事件解決を誰も喜ばないと言う微妙な体験をヤードでして来た。
ついでにマリーの捜査も終わった。
取り敢えずは先にレイド警部達からグラン夫妻へ娘ポーラの失踪理由の真実を伝えて貰う事にした。
いや、パーシーは良い奴だとマジで思った。
本来なら使用人に任せて放置だよ。
まあ誘った俺が言うのもなんだけど。
此処から先は弁護士達、法律家の領分なので俺の仕事も完全終了。
俺がヤードまで行き事後処理まで終わらせた珍しい案件だった。
パーシーが「両親が恥を掻かされた事に怒り狂うな」とそう呟き、大きく溜息を吐いてのっそりと帰っていった。
ポーラ夫婦は俺が会って話を聞いたその日の内にロンドを出発。
実はあの時パーシーが「ポーラに会いたい」とか言われても、会えなかった訳なんだ。
俺は信じてたよ。
「会わない」とパーシーが言ってくれるのを。
だってパーシーは誇り高きグレタリアン貴族だからね。
そして誇り高き貴族と言えば義務として軍人に成らないと駄目なんだよね。
俺?
俺は別に士官学校へ行っても良かったのだけど、あの兄が行かせると思う?
俺の見掛けが華奢のを良い事に病弱設定されていた。
パーシーもあの見掛けでイラドで半年程戦って居て、帰国したら大佐に成っていた。
1、2年士官学校で学んで希望の軍務に就いたら帰国して昇進が貴族軍人みたいだ。
まー、嫡男以外の男子は出世して別家建てないと嫁を貰え無いので比較的マジに戦って居る。
貴族以外が将校に成るには活躍するしかないので準貴族である地主の子供達も頑張るのだ。
つう訳で「軍務経験が無いってのは貴族としてどーなの?」
そう言って素で、パーシーに問われた。
ええ、俺は緑藍の時に飽きる程グレタリアンとも戦ったんだぜ?
若しかしたらパーシーの系譜にある誰かを俺はヤってる可能性もあるのに。
ジャックでは無いが俺もグレタリアンの為に闘いたくねーんだよなー。
パーシーも今回の婚姻を父親に命じられたのはもう直ぐイラドに出陣するから。
今回の相手はイラド兵では無くルドア帝国兵なので子作りしてから逝け?では無く「行け」との事。
まっそう言う訳でパーシーへの答えは「さあ?兄に聞け」しかない。
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今日は兄と約束した月に一度の晩餐日。
俺はセインと共に馬車に乗り、あの厳めしい昔乍らのタウンハウスへと向かった。
貴族街に入ると木々の生垣に囲まれた趣向を凝らした様々な貴族屋敷が立ち並んでいた。
恐らくどの庭にも美しい薔薇が咲き誇っているだろう。
生垣で覆われていて庭が見えないのが残念。
兄はセインを俺の従者兼専属医として雇い、年300ポンドで契約した。
貴族階級では無いセインを医師としてなら、俺と共に屋敷に入ることを許可すると言う、兄としては珍しく寛容な措置だ。
ジャックに感化され「妥協」を覚えたのかも知れない。
貴族との付き合いが、普通の貴族とは違う俺しかいないセインでは、今後何かと問題を起こしそうなので、一先ず空気にだけは慣れさそうと兄との晩餐会へ共に出席させることにしたのだ。
兄が普通の貴族か?と言う疑問はさて置く。
まあ真面目に探偵事務所の経営について考えているクロエの出したセインの年棒が48ポンドと言う低いモノだったので兄の発案は俺にも有難かった。
成功した医師の年収は知らないが大凡の医師の年収は約300~500らしい。
弁護士などの法律関係者もそれ位だとジャックが話していた。
兄から渡されている俺への収入は年1300ポンド前後だから、其処から払おうとするとクロエは烈火の如く怒ったので素直にクロエの指示に従っている。
何故かグランマには逆らえない。
パーシーの家もそうだが、件の怪盗バート災禍は凄まじく、信用不安で民間銀行が潰れたり、多くの経営者が破綻したり、とマジで災厄だった。
セインのワート家も散々でロンドに多く持って居た不動産を手放し俺が冬の休暇を愉しんだあの領地でセインの兄がワート家再建に勤しんでいる。
兄にバート不況の影響を聞いたら、ブレード地区の住人は多少減ったが俺が心配する程の問題は起きていないから気にするな、と微笑んで答えた。
如何やらエイム公爵家は安泰らしい。
まあこの不況はヨーアン諸国にも波及して面倒な事も起きている。
俺の手に余るそう言う事は当然、兄の案件なので俺はノータッチである。
唯、世界的に指名手配に成った怪盗バートに関しては俺も私的に追い掛けてるけどね。
晩餐が終わり、俺と兄、セインはシガールームに来ている。
ジャックが燃料と素材の無駄遣いと嘆く白熱ガス灯に煌々と照らされた室内で、モスグリーン色したビロード張りのゆったりと椅子に腰を下ろして俺達は葉巻を燻らす。
マホガニーのローテーブルの対面に兄、俺の右隣りにはセインが座っている。
薄い煙を静かに吐き出し兄は俺に尋ねた。
「、、、ジェロームはミルフェアにある新しい建物を知っているか?」
「ああー、チップを購入して賭け事を愉しむ場所が出来たと聞いた。紳士だけしか入れない場所で、其処では自由に喫煙が出来るらしいね。何処でも大抵は喫煙場所が決まっているのに。」
「そうだ。モスニア帝国から風紀を乱すとして追放されたノルセー伯爵がカジノと称して流行らせた。元々はフロラルスの画家ゴドール侯爵家由縁の人間で、ノルセー伯爵自身も画家や詩人として著名だ。まあ著名な本当の理由が、彼の恰好が最高に粋らしく、その恰好をモスニアやフロラルスの貴族や紳士達が真似したがると言うのが一番だろう。」
「へぇーグレタリアン貴族とは相性が悪そうなのに。」
「それが確り趣味趣向が一致した。ノルセー伯爵がカードゲームを始めると皆が側に集まり彼の仕草や言葉に熱中するそうだ。彼こそがダンディズムであると。」
「ははっ、そう言えばグレタリアン貴族や紳士は好きでしたね。粋とかダンディって。」
「笑い事じゃ無い。ミルフェアに通う連中達はカードゲームにのめり込み借財まで始める始末だ。不況で無事だった高位貴族の家まで可笑しくなって貰っては困る。」
「ふふ、私がミルフェアへ行って調べようか?其処まで熱くなる理由を捜しに。」
「駄目だ駄目だ。ノルセー伯爵は美しい男も好きなのだ。ジェロームを見たら手を出して来るに決まっている。私がこの話をジェロームにしたのは、友人のパトリックがノルセー伯爵に嵌っているから、ミルフェア行きを誘って来たら注意するように警告する為だ。」
兄はそう言うと不機嫌そうに葉巻の火を大理石で出来た灰皿で押し消し、ブランデーを呷った。
ゴドールって確かアルフレッドを描き捲くっていた変態画家だったよな。
ジャックに話してあげよう。
それにまあ俺がパトに誘われて外出するなんてことは有り得ない。
パトがあの可笑しなファッションを止めない限りな。
「エイム公爵、それなら大丈夫です。ジェロームはギャンブルに興味ありませんから。」
「あはは、まっ、そうだね。セインの言う通り私は賭け事には興味が無い。」
勝てると判っているゲームに時間を浪費する趣味など俺には無い。
この時代の人間は視線や感情が表情に出過ぎるんだよ。
気配を読むのが得意な俺には退屈な時間だ。
それはきっと兄も同じ事だろう。
だから兄が俺に告げたかったのは、「ノルセー伯爵に近付くな」って事なのだ。
素直に明後日の方向へ自分の意見を投げるセインを微笑ましく思いながら、俺は飲みかけのブランデーに口を付けた。
兄の不機嫌に強張った空気も、セインの一言で緩み、その後ミスティパークに建設された万国博覧会会場の「水晶宮」へ話題が移り、嘘みたいな安全実験について兄とセイン、俺は語り合った。
そして「今日は泊って行け」と口説いて来る兄の絡み付く視線と手を振り切り、俺はセインと共に我が家112Bへと馬車で戻って来た。
ホント毎回懲りない男だ。
あの執念深さでジャックは精神調教されたのだろうな、不憫な事だ。
だがもう直ぐ賢き兄嫁がロンドに来る。
しばらくは、シーズン中の夫婦で参加する公式行事が続くので、俺もジャックも兄の干渉から少し解放される。
義姉エリザベート様様である。
元ギール王家の王女。
現在はエリス・N・エイム公爵夫人。
クリスマスに兄にプロポーズされた兄嫁エリス。
なんでも兄嫁エリスへ、俺がブルーダイヤを兄に渡した手腕から、日頃の事件解決の手並の素晴らしさを語り、そして俺がどれ程美しく完璧かを語った後、兄は「公爵家の為に私と婚姻してくれ」と話したそうだ。
兄嫁エリスがその台詞の意味を把握する迄に少々時を有した後、そのプロポーズを受けたとコロコロ笑って俺に話してくれた。
俺なら馬鹿にするなと席を立ちそうだが、其処は王女教育で婚姻について躾けられただけはある。
兄嫁エリスは兄を好ましいと思って居たのも在るけど、俺への愛が其処まで深いと女遊びはしないだろうと判断して、兄のプロポーズとも言えないプロポーズを受けたそうだ。
ナユカ国へ渡っても先の保証も無かったしね。
そんな訳で第一子女児約1歳エレノアは現在、エイム公爵領でスクスク生育中だ。
シーズン中だけの夫婦だが、まあ基本貴族なんてそんなもの。
最後の優良物件と言われていた兄の婚姻に嘆いた娘の親たち。
大衆新聞でその嘆きを知ったジャックは「ブラコンは如何でも良いのか」とボヤいていた。
その程度を気にする貴族は居ないのだよジャック。
ギール王国がプロセン王国に併呑され、ギールの王族はプロセンによって幽閉されている。
グレタリアン帝国とオーリア帝国は、プロセン王国に王族の身柄を渡すよう交渉中だが、未だに巧く説得は出来ていない。
プロセン王国としても知らない場所でチョロチョロされても困るのだろうし交渉は無理だろう。
此れはプロセン王国に「殺すなよ」つう警告なんだろうな。
そん中でも兄夫妻は素知らぬ顔で社交を熟すのだから流石だ。
下宿に着き俺は素早く馬車を降り、其の侭帰路に就くセインを笑顔で見送った。
もう十回はセインと共にタウンハウスへ出掛けているのだが、何時まで経っても馴れずにガチガチと緊張しているセインの姿を想い出して俺はフッと溜息の様な笑いを漏らす。
まー、それでも何時かは慣れてくれるだろう。
そんな事を考え乍ら、俺は玄関ホールに灯された白熱ガス燈の眩い白い光の中へと入って行った。
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アリロスト歴1890年 6月
薔薇の美しい季節である。
そして俺には憂鬱な季節に成った。
悪魔エイム卿の帰れコールに抗い切れず俺はロンドへ戻って来た。
ジョンに野薔薇にムカついても銃剣を振るわない様にお願いし、「レコ」に刈り取られた髪を何とか隠してホームに降り立ち馬車の乗り合い所を俺は目指した。
勿論戻るのは先ずは112Bの下宿。
作って来た手土産のハーブティーやハーブオイルを緑藍とクロエに渡そう。
矢張緑藍とクロエに会えるのは俺には嬉しい事だった。
辻馬車を降りると懐かしい見慣れた112Bのプレートがある扉が見え、俺は勢いよく扉を開けた。
「ただいまー」
「ふふ、お帰りジャック。」
「お帰りなさい。」
「お帰り。」
「、、、、ただいまー、つか何時まで笑ってるんだよ。」
「だって見送りをした依頼女性にジャックが両手を開いてただいまーって入って来るんですもの。」
「俺はジャックの声がしたから慌ててホールへ出て行ったら。」
「吃驚させて、見知らぬ女性を固まらせてしまったよ。ハアー。」
「ふっ、ジャックが馴れない事をするから。」
「いいだろー、久々にジェロームとサマンサの顔が見えると思うと嬉しかったんだからさ。」
「ふふ、有難う。私も嬉しいよ。」
「私も会いたかったわジャック。さてジャックは珈琲と麦茶どっちがいい?」
「有難うサマンサ。久々に美味しいサマンサの珈琲が飲みたい。はい、此れ何時ものハーブ。」
「わージャック有難う。夕食の時にでも淹れるわ。」
「うん、あっサマンサ、ドレかワート君にもあげてよ。」
「はーい。どれがいいセイン?」
「済みません。ジャック。」
俺と緑藍、クロエ、セインは其々に挨拶を交わし、クロエは一階へ俺達は其々の席に座った。
いやー、失敗失敗。
勢い込んで扉を開けて両手を掲げて「ただいまー」なんて遣るもんじゃない。
扉にて手を掛けようと腕を伸ばした女性は其の侭固まるし、見送りに出てたクロエは大笑いする。
オマケに階段の踊り場で緑藍は「何やってんの?」とか飄々と尋ねて来るし。
俺は見知らぬ女性と就いてる小姓?に平身低頭ペコペコ謝るし。
全く俺は何を遣っているんだか。
「で、あの女性は調査依頼?」
「まーな、でも断った。」
「なんで?あーっ、ジェロームの、俺は俺の事件を待ってる的な?」
「まっ、ソレも在るけど。婚約者と連絡が取れなくなったから探して欲しいんだと。」
「あー、結婚詐欺か。」
「今回はまあ詐欺と言うか、彼女の財産に頼っている身内絡みだし生命の危険も無いしね。」
「なんだ、ジェローム何か起こっているのか。」
「そうだね、、、。先ずキャロル・ワラントの婚約者と言う男は存在していないと思うよ。」
「えっ?」
「恐らく彼女の母親と継父が此の不況の苦しい中、キャロルが得る事が出来ている年約100ポンドの収入が必要なんだろう。でもキャロルも当然、結婚を考えていた。」
「まあー23歳なら当然だろうね。」
「しかし継父と言っているように母親と再婚した男性と姓は別々だ。そして年100ポンドの収入は彼女の叔父が遺してくれていたナユカ債で年利4.5%の物で利子しか受け取れない。そして彼女が結婚すれば、その収入はキャロルと共に婚姻相手へと行く。」
「ええー、そんなージェローム、継父なら分るが実の母が。」
「母親は16歳年下の継父の言いなりだそうだよ。因みにさっきの女性キャロルは23歳、継父が28歳だそうだ。キャロルは婚姻に賛成出来なかったと話してた。」
「ああ、それは娘として当然だよな。」
「まあね。で、そんな継父の言いなりだった母親が今回珍しく彼女の味方に就いた。継父はキャロルが外出したり夜会に行くのを悉く反対し母親もそれに倣って居た。でも今回キャロルが行く事の出来た舞踏会で知り合ったギルと言う男と会う事には母親は非常に協力的だったそうだ。」
「それはまた、、、。」
「だろっ?キャロルとギルは婚約しているとキャロルは話すけど、恐らく夫婦が用意した相手だと私は考えた。まあ実際は分からないけどね。と言うか、男の仕事先も住所も知らない相手を婚約者だ、と宣う女性の依頼なんて私は受けたくない。」
「うん、ジェロームは正しいと俺も思う。お疲れ。」
「あージャック判るか?長い時間、彼女の話を聞いていて、捜索相手の職場も住所も知らないと答えられた時の俺の脱力感。やっぱり依頼の相手はセインに任せれば良かった。」
「おー、そう言えば珍しく着替えてるな。ジェロームは心を入れ替えたのかと思った。」
「違うよ。此れは、レイム通りある貸本屋に行こうと思ったんだ。もうあそこに吸収されるからな。全く、若しかしたら貴重な本があったかもしれないのに。」
「へぇー、あの貸本屋も閉めるのか。勿体ない。俺の住んでる近所には貸本屋ないしな。」
「、、、マジか。」
「はい、マジだよ。」
「俺は、、、いや私には田舎暮らしは無理だ。」
「はははっ、ジェロームも無理にプリンスしなくても俺って言って良いぜ。大体、貴族は行かないだろが、貸本屋に。」
「うるせーよ、ジャック。つかプリンスじゃねーよ。」
緑藍と俺は軽口を叩き合い、再会を祝した。
そしてクロエも混り、俺が居ない間に起きた事の報告会が続いた。
まあ当たり前の様にワート君も混じっているのだった。




