心配の種
アリロスト歴1888年 10月
今頃は、遥かロンドの東部域にあるグラス地区やドーラン地区では私娼窟の取り潰しと娼婦の一斉摘発が成されている。
切り裂き魔確保を面倒がった緑藍が治安維持を名目にエイム卿へ私娼窟排除をお願いした。
ヤードの方も増えて行く容疑者に頭を抱えていたのでエイム卿の依頼は渡りに船だった。
そして「節度ある移民法の制定を!」と声高に喧伝しているのは、フーリー党の議員エドガー・ワインド氏、イラド帰りの新興貴族だよ。
まあ、マジでグラス地区なんてあの狭い土地に約10万人近くが居住している人口密集地。
正確な調査をしたらもっと住民が居ると思う。
このエドガー・ワインド下院議員は、過剰に密集している移民をイラドやプリメラ大陸へ移住させようと言う発案もしてて選挙権のある人達に人気。
俺?
選挙権などある訳がない。
いやくれると言っても要らん。
クロエは、今回の顛末に不服そうだったので、俺と緑藍で珈琲淹れたり、肩を揉んだりとアフターフォロー。
犯人は判ってるんだよ。
主犯はエドガー・ワインド。
実行犯はワインドに金で雇われた男2人、私娼窟潰し後、彼等はもう死体に成っていた。
緑藍も頑張っていたけど犯罪を依頼した証拠が無い。
まあ、それにエイム卿的にも輸入穀物取引自由化推進のワインド氏は未だ議会で必要。
そんなこんなをクロエと俺に緑藍は面倒そうにレクチャーしてくれた。
「そんなのアリ?」
「アリアリのあり。」
「まーね、仕方ないよサマンサ。ジェロームも良く頑張ったと俺も思うし。」
不完全燃焼にブーブー文句を言いながらクロエは俺が煮立てた珈琲を口に含む。
そしてその不味さに耐え兼ねて口元を抑えて一階の談話室を出て行った。
ええー、そんなに不味いかな?
チラリと緑藍を盗み見ると平気そうな顔で俺の淹れた珈琲を飲んでいる。
俺も口を付ければ、うん、香りが飛んで少し苦いだけで珈琲の味だ。
「ジャックは今年も11月になったらウェットリバーに行くのか?」
「ああ、そのつもりだ。向こうで馬も飼ったしな。」
「そうそうジャックの手紙読んで思い出したよ、こっちでは馬に乗った事が無かった。私も気分転換に乗馬をしてみるよ。」
「ああマジでお薦めだ。まあ俺は調子に乗って走ったから、筋肉痛で酷い目にあったがな。」
「ふふ、運動不足だよジャックは。」
俺はその言葉に軽く頷きカップに残った珈琲を飲み干した。
すると緑藍が席を移動して来て、俺の右隣に座り、金糸に彩られた形の良い頭を俺の肩へと乗せた。
「やっぱり普通はサマンサの様に不機嫌に成るのだろうか。」
「どうかな、俺もジェロームも前回は上に立つ人間として生きて来たから、サマンサみたいに悪人逮捕とは成らない事も経験してるからな。まあそれに俺達3人にこの世界の普通は分らんと思う。」
「あはは、確かに。サマンサを不機嫌にさせたから少し不安に成った。」
「俺は今のジェロームが好きだよ。緑藍時代なら気に入らねって即殺しに行きそうだし。」
「あー、そうだよな。何でだろう、そう言う感覚には成らないみたいだ。」
「それは俺に取っても有難い。ジェロームがそんな行動を取ったら俺は心配で胃潰瘍になるわ。」
「ふふ、案外ジャックへの安全弁で俺の性格がジェローム仕様に成ったのかもな。」
「それはそれで有難いのかな。取り敢えずは俺はジャックを、緑藍はジェロームを、其々の人生を頑張って生きて行くしかないしな。」
「うん。」
そう頷いた緑藍の柔らかな淡い金の髪を俺は左手で優しく撫でた。
自分の感覚とクロエとの感覚の違いに戸惑い、緑藍は、自分が変容したのでは?と不安に成ったのだろう。
いや変わりゆく不安と言うよりも、変わってしまえば忘れたくない緑藍時代の思い出が、薄れて行きそうな不安に駆られたのだろう。
俺の胸に凭れ掛かって来た緑藍を大丈夫だと励ますように、俺は細い身体を静かに抱き寄せた。
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アリロスト歴1888年 11月
ジャックもそそくさとウェットリバーへ行き、俺の完璧な世話係が消えたので、寝起きの侭俺は寝椅子に寝転がり、最近創刊された科学雑誌を繰りながら葉巻を銜える。
気管が弱いのもあるが、ジャックは兄から逃げたい一心で、あの獰猛そうなウィルの元へと行っていると、俺からすればそう見えてしまう。
番犬から逃げる為に狼の懐へ逃げ込むジャック。
あー見えて、兄はジャックを甚く気に入っているのだがなー。
少なくともウィルよりは兄は安全だと思う。
そう言っても俺はジャック達を見ているだけだけどね。
面白いので。
そんな事を考えているとトマスから伝言が入った。
「セイン・ワート医師がヤードに居るそうなのでジェローム様に迎えに来て欲しいそうです。」
あの馬鹿は何を遣らかしたんだ。
俺はクロードに着替えを手伝わせ共にヤードへと馬車で向かった。
迎賓室に入り涙ぐみ目元を赤くしたセインが俺の姿を見るなり立ち上がって俺に縋り付いてきた。
でっかい身体をしてる癖に全くセインは。
「ジェローム、、、。」
「如何したんだセイン。」
「あのー実は、、、。」
話せないセインを見兼ねてロイ警部補が俺に説明してくれた。
セインの雇い主トレバー・ヒューマンが首を吊って自死していたそうだ。
発見したのはメイドのステラ。
毎朝8時にトレバーを起こしに行くらしい。
預っていた鍵でトレバーの部屋を開けて寝室に行くと、部屋の中央にあるシャンデリアを架けるフックから、ぶら下がったトレバーの死体を発見した。
慌てて一階に居住していたセインに知らせに行った。
セインはトレバーの死を確認してステラをヤードへと向かわせた。
俺はセインの手を握って、トレバー・ヒューマン氏は自死しそうだったのかと尋ねた。
するとセインは瞼を閉じでトレバー・ヒューマン氏との出会いから語り始めた。
いやー、御免セイン、それ如何でも良い。
『セインの証言』
僕はトレバー・ヒューマン氏に出逢ってからの事をジェロームに語った。
医師の職を探していた所へ知人の紹介でトレバー・ヒューマン氏を紹介された。
紹介されたトレバー氏は少ない白髪を纏め、昔は太っていただろう体が痩せ、伸びた皮膚が下がり情けない老犬の様な男に見えた。
笑顔に為ると人が良さそうな顔に成り、少し早口で自己紹介を始めた。
トレバー・ヒューマン氏は67歳で南カメリアで財を成し年を取った為、故郷グレタリアンに帰国した。
ロンドで顕実に商売をしようと思い色々と調べ、機材も余り不要な精神病院を経営しようとした。
雇う医師も信用が出来る者をと調べていると、著名なジェローム探偵の友人である僕が医師の職を探していると知り、知人を介して僕に会いに来たと話した。
病院は既に建ているのと言うので共に観に行くことに成った。
我が家より南に通り3つ街を抜けた場所に「トレバーヒューマン病院」が在った。
ここら辺はミドルクラスの人々が多く住む場所だ。
真新しい真鍮製の扉を開き中に入ると広いホールの様な待合室が在り、左手には診察室がその隣には薬品保管室があり、右手には私が宿直する部屋が在った。
そして広く大きな階段を登り右手はトレバー氏の部屋が左には4つの扉が在り、扉を開けるとベットと小さなイスとテーブルが置かれた同じような小さな部屋が4つ並んでいた。
流石に入院患者が居たら、僕一人だけでは対処出来ない事をトレバー氏に伝えると、もう1人医師を探すことを約束してくれた。
そして奇妙だった癖もジェロームに伝えた。
銀行が信用出来なくて嫌いなトレバー氏は朝釣り銭を入れた小さな真鍮の箱を診察室に置き、診察終了の午後4時に訪れ、その日の診察料総額から5分の1を僕に支払い、残りをトレバー自身の部屋に在ると言う金庫へと仕舞って居たそうだ。
知合いの医師からの紹介や広告を見て訪れる不眠症や気鬱な患者達の診察をし、夕食後に心臓病の持病を持つトレバー氏の診察をし日々を過ごしていた。
それが約一月前にトレバー氏が新聞を読んでいる内に見る見る顔色が悪く為った。
如何したのかと僕がトレバー氏に尋ねると3ブロック先の商店に強盗が押し入ったと言った。
「我が家も危険だ。」
そう叫んで新たに入ったポーターに鍵屋を呼びに行かせて、その日から玄関や自分の部屋の扉に新たな鍵を付け直させた。
トレバー氏が非常に興奮して、叫ぶ姿は鬼気迫るモノが在った。
僕は此れが論文で発表されていた強迫神経症なのかと診察したい衝動を抑えていた。
そして一週間前にトレバー氏が夕食前に僕がいる宿直室に駆け込んで来て泥棒に入られたと騒いだ。
僕は慌ててトレバー氏と共に2階へ向かった。
すると確かに土の付いた靴跡が部屋に残っていた。
僕は何を盗られたか確認して警察へ届けようとトレバー氏に提案した。
慌てていた所為で確認をしていなかったトレバー氏は急いで隣の寝室へと向かった。
暫くしてトレバー氏が僕の居た居間へ戻って来ると何も盗まれて居なかったらしい。
疲れたので今夜は此の侭眠るとトレバー氏は話して寝室へ戻ると幾つかの鍵を閉める音が聞こえた。
僕も疲れたので側にいたポーターに紅茶を頼んで宿直室へ戻り、その後一息ついて眠りに落ちた。
翌日、トレバー氏は昨夜取り乱し僕に世話になったことを詫びた。
「気にする必要は在りません、誰でも驚きますよ。」
そう僕が答えると、トレバー氏は一応不安なので今週末だけ病院に泊って欲しいと懇願した。
僕は今週だけと言う約束で週末も宿直することにした。
そしてポーターに妻へ帰宅出来ない旨を伝言する様に頼み、僕の住所を教えた。
ホッとしたのかトレバー氏の表情が緩んだ。
序に僕はヤードへ届けないのかとトレバー氏に尋ねると、盗まれた物は無いので、今回は必要ないと答えた。
「ヤードよりワート医師の友人ジェローム探偵に依頼した方が良さそうですな。」
そう言ってトレバー氏は頬の弛んだ皮膚を震わせ笑ったけど、ジェロームは泥棒とかにも興味が無さそうだから僕の頼みでも依頼は無理だよ。
そう思った事も僕は素直にジェロームに話した。
そして今朝、僕はメイドのステラに起こされて、2階の寝室へ足を踏み入れると、寝室の中央からダラリとぶら下がり、命が消えたトレバー・ヒューマン氏の死体が宙に浮かんでいた。
意識せずに僕はトレバー・ヒューマン氏の右手首の脈拍を計り死を確認した。
そして僕はステラにヤードへトレバー・ヒューマン氏の死を知らせに走らせたのだ。
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はあー、此のセインのお人よしは全くさ、碌で無しな爺に利用されやがってる。
セインを週5日間もの間ロハで自分の専属医にした挙句、セインの稼ぎをピンハネしやがって。
殺されたのはトレバーの自業自得だよ。
トレバーの部屋に鍵は掛かっていた。
面倒そうな複数の鍵が在る寝室には鍵が掛かって無かった。
2階の寝室に在る窓の鍵は閉まって居た。
そしてロイ警部補は宣う「以上の事を鑑み、依って自殺だ。」
まー俺は自殺でも一向に構わんがセインが又「僕が話を確りと聞いて居れば、、。」とか言う。
仕方なく俺はセインに新聞名と正確な日付を尋ねた。
序に、病院つまりトレバー・ヒューマン邸に居た人間も聞いた。
死体トレバー・ヒューマン
気の良い医師セイン・ワート
メイドのステラ
ポーターのオリバー
診察室の手伝いメイスン夫人。
ロンド新聞社に指定した日付の新聞を分けて貰いセイン、ロイ警部補、何故か途中で混じったレイド警部と俺でヤードから現場のトレバー病院へ。
トレバー宙吊り遺体は既に巡査達の努力で床へ降ろされ横に成っていた。
そして布を被されてる状態。
吊るされていた部屋中央に来るとシャンデリアを吊るすフックに縄が架けられた跡があった。
どう考えても此の高さに縄をかけて1人で首を吊るのは無理。
此処に在る椅子じゃあ手を伸ばしてもトレバーじゃあ届かない。
その説明をセインやレイド警部、ロイ警部補に俺はする。
そして巡査に使用人達を集めて貰うとポーターのオリバーが居ない。
「彼が共犯者だ。オリバーを捕まえろ。」
そう俺が叫ぶとロイ警部補と巡査達が一目さんに駆けて行った。
案の定、寝室の金庫をヤードに開錠して貰っても中身は空っぽだった。
俺は遣る事も終えたのでレイド警部に一言アドバイスをプレゼントした。
「17年前のシンダン銀行強盗事件の犯行グループの顔を覚えている人が居れば、トレバーの顔をよく見て貰って下さい。新聞記事を読むと此の情報提供者サムソンと言うのがトレバー・ヒューマンの事だろうね。セインに話した南カメリアに居たと言うのが本当ならソッチでも問題を起こして居そうだ。」
「また、銀行強盗、、、、、。」
そうポツリと呟いたセインの左腕を牽いて俺はクロードの待つ馬車へと歩いて行った。
良いんだよ、怪盗バートの事なんか思い出さなくて。
足取りが綺麗さっぱり消えていて行方が全く辿れない。
マジで腹立たしいわ。
それにしてもバート言い、今回のトレバーと言い、セインは騙され安過ぎる。
心配だから俺と兄のホームドクターにしようかな。
つうたらセインだからまた面倒な事を言い出しそうだ。
「対等な立場でなんちゃらっ。」
はあー俺の心配の種は尽きない。
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「此の国に住む男達の闇は深い。」
久々にコノ下宿へ、緑藍とセインが一緒に帰って来た。
そして紅茶を持って行ったら、一階談話室で2人がベロチューしているのを見せられ、思わず私は内心でそう呟いてみた。
いや、別に私は腐った男同士が居ても良いのだ。
愛があれば年の差だろうが、性別だろうが、種族だろうが気にしない。
流石に魚類、爬虫類、昆虫系は御免無理。
そう「愛が或れば」が大前提。
でもあのセインもエイム公爵も婚姻して懐妊させている。
ええーっ!
なんですよ、私の価値観的に。
いや婚姻して於いて手も付けないつうのも駄目な気がするけども。
でもさ、ジェローム愛な訳だよね。
特にエイム公爵。
こう一途とかさ、一筋とかあるじゃ無いですか。
あー、何だろう此のモヤモヤ感。
セインは友情らしいけど、まあ奴はいいやー。
まあ相手が少々難ありでも緑藍が綺麗だから大抵は許されるよね。
そう言えばマーサがご近所さんに成りました。
エイム卿の亡くなられた御父君の知り合いローラ夫人が大家をしている貸家なの。
この下宿より一回り小さな2階建ての建物。
まー、このブレード通り沿いの家は皆2階建てですけどね。
実はマーサが懐妊していたのでエイム卿が保護してくれたのだ。
家族には知られたくないって言うし、まあ今、シェリーに頼まれて緑藍が言い訳を考えてるトコ。
家族への言い訳をね。
マーサの家族にずっと隠している訳にもいかないでしょ?
いざと言う時は私が手助けするよ。
何せクロエでは経験者だし。
まあ、スッキリしないのはセインやエイム公爵の婚姻問題だけじゃ無いけどね。
それでも緑藍が頑張ってくれたから、ロンドの街に漂って居たピリピリとした空気が、少し和らいだお陰で私の精神的な強張りも緩んだ。
陽ノ本に居た時、正に激動の中に私も居たので気は何時も張って居た。
そんな時にピリピリとした空気が漂うとその後酷い暴力事件が必ず起きた。
だからあの空気が漂うと自分の心も体も自然と緊張して強張ってしまう。
緑藍には無理を言った自覚はあるので、お詫びに緑藍の好きなメニューを作っている。
気付いてくれていると作り甲斐がある。
さて、今日はセインの分も夕食を作りますかね。
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そして二日後。
レイド警部が事件解決のお礼と報告に来た。
無事に共犯者オリバーを逮捕した。
グレタリアンて島国だから逃げ出そうと思ったら港へ行かないと駄目だから案外捕獲し易い。
17年前の銀行強盗の計画を立て主導して居たのは実はトレバーだった。
逮捕の危険を感じたトレバーは情報提供者と成り4人を裏切り1人無罪となり南カメリアへ逃亡。
主犯とみなされた1人は死罪。
しかし犯行の実証が裁判で出来ずに他の3人は20年の懲役だった。
一応模範囚と言う事で3年も早く釈放された。
オリバーは死罪と成った男の息子。
復讐の為にトレバーを捜し探っていた。
其処に元父の仲間釈放のニュースを知りオリバーは連絡を取った。
隠している金の在処を見付け、合鍵を作りオリバーたちは復讐を実行した。
セインに物音に気付かれない為に、寝る前にオリバーが出していた紅茶に睡眠薬を入れて。
オリバーたちはトレバーを父と同じ縛り首にした。
ジャックが座って居た壁際のワークデスクの席に腰掛けて、何とも言えない表情でセインは、レイド警部の話を聞いていた。
「結局他の3人は?」
「まだ捕まえていない。指名手配を掛けているからグレタリアンに居ればいずれ摑まるさ。」
「いやー悪人しかいない事件だったな。折角釈放になったのに。」
「全くだ。」
レイド警部を見送ってから俺はセインに今後如何するかを尋ねた。
「暫くは、此処でジェロームを手伝ってもいいかい?」
「勿論だよ、初めからその席はセインに座って貰う心算だったんだからな。」
「ああー助手っ?」
「そうだよ、これからも宜しくセイン。」
「宜しくジェローム。」
こうして俺の心配の種のセインは正式に俺の傍で助手をすることに成った。
勿論、探偵のっ1




