恵みのガチョウ
アリロスト歴 1887年 12月
「アーーーーっ、痛いっ、止めろウィルるるるぅーっ!」
「もう少しだけ、我慢してジャック。」
「いてぇー、ハァハァ、痛いつってんだろうーがっ。」
ベットで俯せで横たわる俺にウィルが温めた手で俺の臀部や太腿をマッサージしてくれている。
一昨日、久し振りつうかジャックで目覚めて初めての乗馬をした。
馬に乗ったら、直ぐにアルフレッドの頃の感を取り戻し、楽しくって俺は興奮して大燥ぎ。
鬱々としたロンドでストレスMAXだったのかも知れん。
いやー楽しかったと熟睡した翌朝に起きて見れば、ケツから背筋から下半身が熱を持ってぼわーっと張ったみたいに成り、動き辛い。
そして今日、起き上がるのが無理な位の筋肉痛。
もう、王太子の頃以来のケツプリ状態つうか、下半身○出しの変態じじいな俺を、曾孫ウィルが掌で温感マッサージを施してくれている。
触れられても痛いのでウィルの掌が動く度に俺はひたすら悲鳴を上げていた。
エロイシチュエーション?
はっはっ、そう言うのは五体満足な状態で初めて生まれるのだ。
どう見ても老人介護なウィリアムだよ、残念っ!
マッサージーされて眠ったと言うか、激痛に耐え兼ねて絶叫し過ぎて眠った俺は、優しいウィルの手当ての甲斐もあり、翌日は何とかベットでゴロンと成れる迄を復活した。
何とかつうハーブオイルが酷使した筋肉に鎮静効果があるらしい。
いやあ、参ったね。
乗馬にこんな罠が在ったとは、やるな馬、俺が負けるとは。
「ジャックは運動不足だったんだね。乗馬は全身運動で身体に良いから、痛みが引いたら少しずつ乗る時間を増やして行こう。僕も付き合うよ。」
「ははっ、有難う。」
「でも初めてとは思えない乗り方だった。運動神経が良いのかな?」
「あー、ジェロームが乗っているのを良く見てたからかな?」
「ああ、成程ね。」
いやあ、緑藍が昔は戦闘狂の騎馬民族つうのは知ってるけど、ジェロームでの緑藍て馬に乗るのか?
ジェロームに成って馬に乗ったとは、聞いた事ないな。
よし、手紙で尋ねて見よう。
口裏を合わせて貰わないとな。
俺はエトワル宮殿での貴族しか余り知らないので貴族は社交以外の仕事はしない。
(偏見)?
そう思ってました。
労働とは法服貴族や下々の者が行うモノ。
だって内務の仕事をやってるエイム公爵ってキワモノ扱いっすからね。
祖父さんの代から続けて居るそうなのでエイム卿には程々に頑張って貰いたい。
今みたいな情報フリーパス状態が他国、主にフロラルスには丁度いい。
フロラルス主義で申し訳ないっす。
いやー、同じ肉食獣なら、陽気なフロラルスな肉食獣の方が俺は好きなので。
弱肉草食獣は、食べられる事に変わりは無いのだけどね。
まっ、そう考えていたけどウィルは仕事をしていた。
基本は報告書を読む。
うん、アルフの頃の俺と同じだー。
ベラルド伯爵は国外に2カ所領地(会社)を持って居て運営している。
案外幅広くて総合商社みたいだ。
鉱物から香水迄だもんな。
養父の趣味だったみたいで何れ整理して行くそうだ。
特に鉱山系が面倒なので、比較的マシな資本家が入れば売りたいとウィルが話す。
居ないと思うな、マシな資本家、とか思う俺。
そして此処、ベラルド伯爵領地。
山々や森、湖がある。
地主の要望が多かったので貸別荘も造ったそうだ。
此の地主制度が面倒で俺はあんまり好きじゃない。
又、南西の隣領チェスタの北にある大きなリバール港を抱える大都市スターリバールも近い為、ロンドとは違う便利さがある。
そして一番はチェスタ大学が在ることかな。
グレタリアンの大学は貴族の寄付で成り立っている。
そしてチェスタ大学はチェスタ侯爵、リバール伯爵、ベラルド伯爵の3家で設立し運営している。
その為の報告書や会合何かが在ったりする。
どの領都からも大体、馬車で約2時間少しで着く場所にチェスタ大学が在るのだ。
まあ、学生は街に行くのが少々不便そうだけどね。
で、もう少し北に行けばノースエンバー大学と言って特別な学校が在る。
貴族の嫡子のみが通う事を許された大学だ。
此処にはプリンスも通い、王家からの寄付諸々が在る。
つっても皇太子飛び越えて、皇帝10歳になった彼はノースエンバー大学へ通えるのだろうか?
グレタリアン帝国は、もう少し子作りした方が良いよな。
ウィルにも婚姻について聞いてみた。
ベラルド伯爵家は他に後を継げる人も居ないし、何せ大学運営の問題もある。
艶文家と言われるだけあってロンドには幾人かの相手はいるらしいけど、その内に~とか言って逃げるので俺はウィルに忠告した。
「人間なんてアッサリ死ぬんだから婚姻だけは先にしとけ、グレタリアンは離婚出来るのだから婚前にキチンと契約して駄目なら別れる。取敢えず子供は早めに作れ。」
「ふふ、はい。なんだかジャックって父親みたいだね。」
「はぁー、ウィルお前みたいな子なら居ても良いなー。」
「あははっ。」
割と真面目に俺は答えたのにウィルには思い切り笑われた、解せぬ。
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アリロスト歴 1887年 12月
今年も街全体が気忙しく妙に浮かれた日がやって来た。
俺はミルクに浸け込まれた様な窓の外を見詰めて葉巻を口に加えた。
ジャックは仕切りに分煙と言って葉巻を吸う時にはシガールームへと俺を引き連れて行った。
口煩いジャックは曾孫のウィルとイチャついたクリスマスを過ごしているだろう。
あんな獰猛そうで冷酷な瞳を持つ男を可愛いと可愛がれるジャックの気が知れない。
ウィルに比べたら兄など精々番犬レベルだ。
紺地のガウンに零れた葉巻の灰を俺は右の指先でオーク材の床に払い落す。
ジャックが居ないと俺の生活は途端に緩くなる。
室内では大体、夜着にガウンを羽織った儘でソファーに寝そべって本を読んでいるか、俺を訪ねて来た相手と寝室に消えるかだ。
共に暮らし出すと、ジャックは元王太子とは思えぬ手際で俺を着替えさせ、規則正しきジェロームくんへと変えて行く、まあジャックに世話を焼いて貰うのも居心地良くて好きだけどね。
ジェロームの以前を知らなかったシェリーは、ジャックがウェットリバーへ行ってからの俺の変化に驚いて、セインやクロエに騒いでたのを想い出した。
「ジェロームさんが変に成った。」
「まー、こんなモノよ、ジェロームは。」
「うんうん、僕が知るジェロームはこんな感じだ。」
「嘘ー。」
「ジェロームの美は、ジャックの努力の賜物よね。」
「んー、僕はこっちのジェロームが好きだけどな。」
そう言って2人に笑われていたっけ。
葉巻を燻らせながらそんな事を想い出していると、ドタドタと珍しく2人が階段を駈け上げって来る足音が聞こえた。
クロードがスッと扉の前に立ちクロエとシェリーが駆け込むタイミングでノブを廻し扉を開いた。
おー、ジャストタイミング!
相変わらず職人技でドアを開けるクロード、流石。
「これこれ、、、コレ凄い!」
「宝石ですよね、ジェロームさん!」
クロエは厨房で使っているだろう四角い布巾に包まれた物を俺のワークデスクへと置いた。
俺は身体を起こして立ち上がり、丸まった布巾を置いた机の傍まで行き中を覗いた。
其処には光を眩く反射する約20カラット以上は有るだろうブルー・ダイヤが輝いていた。
「おお、凄いね。如何したのコレ?」
「クリスマスの晩餐にガチョウを捌いて居たら固いなーと思って取り出したら出て来たの。」
「私はお手伝いしてたらサマンサさんの悲鳴を聞いて側に行くとコレが。」
「正に、クリスマスプレゼントじゃん。一財産出来たな、サマンサ。」
「馬鹿言わないでよジェローム。こんなの曰くアリアリじゃない。」
「コレは、ジェロームさん。探偵の時間ですね。」
「えー。セインもジャックも居ないんだよ。私のモチベーションがなー。」
「私もサマンサさんもクロードさんも居ますよ。頑張りましょうファイト!」
「はー、では持ち主は、あっコレは思い出した。まあ持ち主の所には俺が行こう。それとサマンサ、そのガチョウは何処で手に入れた?」
「ええーとね昨晩遅くに通りで捕まえたと退役軍人のノーマンが持って来たのよ。」
近所に住んでいるノーマンは、兄の部下でない列記としたご近所さん。
今はホテルなどの守衛をしている真面目で気持ち良い人だ。
あのジャックも気に入って偶に葉巻とかを分けたりしている。
俺はクロエにノーマンを呼んで貰い、24日夜にテート・ロードでガチョウを拾えた訳を尋ねた。
昨夜仕事が終わり家路を急いでいたノーマンは、ガチョウを抱えている細い男が破落戸に囲まれているのを見掛けた。
ノーマンは破落戸に絡まれていた草臥れた中年男を想わず助けようと近付いた。
その時、殴り掛かろうとした破落戸から身を守る為に、中年男はステッキを振り翳すと、店がディスプレイしていた物にステッキが当りガシャリと壊れる音がした。
そして足音に気付き振り返った破落戸がノーマンを見た。
「警察だー、おい、逃げるぞ。」
ガス灯の僅かな光に浮かび上げった守衛の制服を着たノーマンは破落戸たちに警察に見えた。
男たちは慌てて逃げ出した。
草臥れた中年男に声を掛けようとしたが彼も何処かへ去った後だった。
そしてテートロードの通りには一羽のガチョウと中年男が被っていた古びた帽子が落ちていた。
ノーマンはガチョウと帽子を抱えて帰宅すると、妻から「もうガチョウは用意して有るから人数が居るサマンサに贈り物ね」と言われ、112Bの下宿へと届けたと話し終えた。
俺はノーマンに届けてくれたガチョウと説明に礼を言い、彼が持って来た古びた帽子も預かった。
クロエから渡されていたガチョウの左足に撒いていたメモには、ハンク・リート夫人へと在った。
そしてノーマンから預かった擦り切れたフェルト素材で作られた帽子の内側を調べるとH・Lのイニシャルを刺繍して有った。
こんなにボロボロになった帽子をまだ使用していると言う事は、持ち主のハンク・リートは生活が困窮しているのだろう。
俺はハンクが宝石泥棒か如何かを簡単なテストで見分ける事にした。
クロードに著名な新聞全てに広告を出して貰い、そしてガチョウを1羽入手した来るように頼んだ。
新聞広告の文面は次の通りだ。
【テートロード通りの街角で発見。ガチョウと黒いフェルトの帽子。ハンク・リート氏は今夜6:30にブレード街112Bまでこれを受け取りに来られたし】
そして俺は此の下宿の斜め前にある新聞屋の爺さんへ兄に渡す手紙を認めシェリーに託けた。
グランドキャッスルつう高級ホテル人気のお陰でロンドの街にホテル建設ラッシュが始まった。
ロンドに土地を持つ貴族たちに投資話が舞い込み、著名な建築家を招き、第2第3の高級ホテルが完成した。
その第3のホテルにあの宝石の持ち主、王女エリザベートが宿泊していた。
勿論、兄エイム卿からの紹介でエリス・ノーファ伯爵令嬢としての宿泊。
フロラルス王国で人気の貴婦人をターゲットにしたホテルの姉妹店なので王女エリザベートに宿泊させてあげるように兄に勧めたのが俺だったりする。
そう、兄の婚姻相手としてエリザベート王女に白羽の矢が立つ、いや立てたのは俺だけど。
生まれも育ちも確りしているし、ノーファ伯爵家とも連絡が就いたしね。
クリスマスが終わったら兄を説得する心算だったけど、どうせなら此のブルーダイヤを返す序に、エリザベート王女にプロポーズして貰おう。
彼女の様子を伺うに如何も兄に好意が或みたいだし後は兄の覚悟次第だろう。
そんな事を考えていると俺の手紙を読んだ兄が慌ただしく探偵事務所へ入って来た。
俺は兄を誘い、奥にある小さな俺の研究室へと迎え入れて扉を閉めた。
俺は兄の名を呼び、婚姻するべきだと断言した。
真っ直ぐに整えられた淡い金の眉根を寄せて悲しげな表情で俺を見た。
俺は兄に一生ジェロームを守り続けると誓ったのは嘘なのかと問い質す。
自分にはエイム家を守る事も出来ないと改めて説明した。
まあ、兄も理解はしてるんだよ。
ジャックが言っていた高位貴族の役割って言う奴を。
でもって交換条件みたいな約束を兄にさせられた。
月に1度あの厳めしいタウンハウスで兄と晩餐を摂る、何でだよアンタの婚姻問題なのにさー。
そして俺は兄にエリザベート王女のブルーダイヤを渡し、自分の手元へ来た顛末を語った。
話終えると、ずっと難しい顔をしていた兄の表情が緩み、「流石ジェロームだ」と言って、俺を抱き締めた。
兄の俺を求める抱擁は、俺の意識の外で、ジェロームの肉体が兄の求めに応えようとしたので、俺は理性を総動員して何とか兄から離れた。
マジ怖いわ、ジェローム身体、俺の意志を無視すんなよ。
つか俺の好みはセインやシェリーみたいに裏表が無い奴なんだっ!
うん?
シェリー?
いや無い無い、あんな赤毛のガキ。
俺はアタフタとして兄を放置し小部屋を出た。
そして何時もの席に座りクロエが淹れてくれていたマグカップのカフェオレを飲む。
兄は何だか幸せそうな表情でジェローム探偵事務所の黒い扉から帰っていった。
俺は自分の意識から兄の存在を外した。
凍える寒さの12月だと言うのに、下宿の前の通りからは、馬車や多くの人々が賑やかに行き交う音を窓の外から俺の耳へと届けられた。
そう言えば昨年のクリスマスは密かにジャックが失恋した。
ジャック本人も知らない間に。
お互いじじいに成っても生きていたら、ジャックへメアリー・グリーンの事を打ち明けよう。
話を聞き悲鳴を上げるジャックを想像しながら、俺は喉の奥でクツクツと笑った。
ジェローム探偵事務所、18時26分
サマンサに案内され、ハンク・リートと称した擦れ切れたジャケットを羽織り、丸めた黒いニット帽を握り締めている、痩せてみすぼらしい中年男が入室して来た。
「態々、済みません。ハンク・リートさんですか?」
「はい、此方こそ広告を出して頂いて。ああー、其処にある黒い帽子は私のモノです。良かった、流石にこの年で外出先にニット帽で行くのは気が引けて居たのです。」
「それは良かったです。どうぞ。」
俺はそう言ってワークデスクに置いていた黒いフェルト地の山高帽をハンクへと手渡した。
そして拾ったガチョウは食べてしまったと俺が詫びると顔色を悪くしてハンク・リート氏は倒れそうに成った。
その代りにと、クロードに新たに購入させたガチョウを持ってこさせ、ハンク・リートにお詫びだとそのガチョウを渡させた。
すると青かったハンク・リートの顔色は元に戻り「是で妻にも顔が立つ」と背筋を伸ばして真っ直ぐに立ち俺に話し出した。
俺は念の為にハンクリートに問うた。
「ハンク氏のガチョウの内臓や足、羽根はまだ取ってあるので必要ならお渡し出来ますが?」
「はは、いいえ。私に記念品を集める趣味は無いので此のガチョウを戴けるだけで充分です。では妻がガチョウを待っていると思うので、是で失礼致します。ジェローム探偵、本当にありがとうございました。それでは皆様にも善きクリスマスを。」
「ええ、良きクリスマスを。」
ハンク・リートは来た時とは打って変わって、朗らかな表情で黒いフェルト帽を被り、白いガチョウを抱えて意気揚々と帰っていった。
「ハンクさんは宝石泥棒の犯人では無かったのですね?」
「うん、犯人なら内臓を欲しがるからね。」
「あーあ、成程。所であのブルーダイヤは?」
「今頃は持ち主の所さ。」
「えーえー、今回もジェロームさんは犯人逮捕をしないのですか?」
「あのねーシェリー、持ち主があのブルーダイヤを盗まれたと警察に届けてもいないのに私が出て行く必要性は?もし届け出ていたらあれ程の宝石だ、私たちの耳に届く様な騒ぎに成っているだろう?」
「まあそれはそうですが。」
「それに今日はクリスマスだ。誰も損はしていないなら祝おう。さて、一階に降りてサマンサのディナーを並べる手伝いでもするか。」
「ふふ、そうですね。」
俺はシェリーと共にクロードが開いた扉を出て、白熱ガス灯に照らされた明るい一階ホールを目指して歩いた。
ブルーダイヤの持ち主エリザベート王女がヤードへ届け出る事は無いだろう。
調べられれば面倒な事にもなり兼ねない。
しかし、あれ程熱心に見ていたフロラルス特製鞄に入っていた宝石だと気付かないシェリーは、まだまだ注意力が足りないな。
俺は唯一の懸念事項であった、ブルーダイヤの存在を知り得た筈のシェリーの迂闊さに、内心で感謝をした。
それに俺はシェリーを探偵として鍛えるつもりは欠片も無いしね。
週末にクロエと恋愛小説や占いでワーキャー盛り上がっているのがシェリーには似合っている。
俺とクロエ、クロードそしてシェリーとダイヤを飲み込んでいたガチョウの丸焼きを丁寧に切り分け談笑しながら自分たちの腹へと満たしていった。




