ハピエン
アリロスト歴1900年 9月
中央に或る此の屋敷をラシイック夫人は、何時もの様に就寝前に戸締りの確認を行った事を、落ち着いた声で俺に話した。
「夫は、お酒が入ると頼りに成らないので、戸締りの確認は私が行います。夜、使用人達は隣にある新しい屋敷の方で就寝し、この中央の屋敷で眠るのは夫と私、そしてずっと私に付き添ってくれていた乳母のライザだけに成ります。
私は、台所、食器室、銃器室、ビリヤード室、応接室、最後に食堂に入りました。厚いカーテンに覆われた窓に近づいた時、私は突然顔に風が吹き付けるのを感じ、窓が開いているのに気付きました。」
其処でラシイック夫人はカーテンを開けると背の高いフロラルス窓から入って来た年配の男性と鉢合わせに成り、男はラシイック夫人へと襲い掛かり手首をつかみ口を塞がれ、暴れるラシイック夫人の目の上を殴り、意識を失ったラシイック夫人を食堂のテーブルの端に置いてあった樫の木の椅子に座らせきつく拘束した。
そして彼女が意識を取り戻し室内を見ると、ラシイック卿は頭から血を流して、台所の床に倒れていた。
その時に荷物を纏めて窓から逃げて行く3人の男たちをラシイック夫人は見た。
暫くしてラシイック夫人はハンカチで塞がれていた口をなんとか自由にすると大声を上げて助けを呼び、来てくれた乳母のライザに拘束を解いて貰い、他の使用人たちも呼び地元警察へ連絡を入れた。
恐ろしかっただろうに3人の男たちの特徴をラシイック夫人は憶えていて、それを俺達に伝えた。
暑苦しく情熱的なデンセル警部はラシイック夫人の話に一々大仰に頷き、乳母のライザが鬱陶しそうな表情で彼を見ているのにも気付かずに、青白い顔をしている彼女を労っていた。
俺は聞く事も聞いたし、セインを促して食堂に放置して居ると言う、ラシイック卿の遺体を確認する事にした。
食堂は天井の高い非常に広い部屋だった。
天井は浮彫で趣向が凝らされ、ハントした鹿たちの頭や古い武器で壁をぐるりと囲み、反対側には背の高いフロラルス窓、そしてこの窓より小さな窓が右側に3つあり、部屋全体を9月の日差しで明るく照らしていた。
そして暖炉の前に敷かれた虎皮の敷物の上で、横たわるラシイック卿の遺体があった。
傍には強い力を加えられ血が付き曲がった凶器の火掻き棒が落ちていた。
ラシイック卿は、40歳くらいで体格が良く、刺繍の入ったナイトシャツに黒い洒落たトラウザーだったが、頭から流れた血で汚れ、両手を振り上げる様にして硬直していた。
残念な事に悪意が篭った目で天井を凝視していたので、俺から見ればイケメン度は低かった。
さて、ライシック夫人も乳母のライザも俺に嘘の証言をしているのだけど、如何したモノか。
ライシック夫人への虐待も酷いモノだったし、あの立派な体格で彼女へ振う暴力に耐え続けるのにも限界があるだろう。
俺はもう一度乳母のライザにラシイック卿の行いを聞いた後、セインと一緒にラシイック邸を出て、クロードが取ってくれたムーランド・ホテルの一室へと向かった。
クロードが取ってくれていたムーランド・ホテルへ行き、俺とセインはロココ調の豪奢な部屋へと入り、ウィングチェアーへと向かい合って腰を降ろした。
「亡くなったラシイック卿には申し訳ないけど、僕は若く美しいラシイック夫人が、虐待から解放されて良かったと思ってしまったよ。夫人の飼い犬に火を掛けたり、幼い頃から側にいて呉れている乳母のライザに物を投げ付けたりするなんて酷過ぎる。こんな生活状況が続いたら、ラシイック夫人の精神が病んでしまう所だった。」
「そうだね、セイン。私もそう思うよ。」
「ジェロームは、モブシック一味を追うの?顔や特徴が判っているから、直ぐに警察も捕まえると思うけど。」
「まあ、それは警察に任せるよ。今回の事件はモブシック一味なんて関わって無いからね。」
「えっ、、、?それって、まさかラシイック夫人が?」
「いやいや、ソレは無いよセイン。セインも頭の損傷と凶器の火掻き棒を見ただろ?ラシイック夫人とライザには犯行は不可能だ。犯人を知っていて2人は庇っているのだろうね。」
「、、、それは。それでも、、、ジェロームは如何する心算なの?」
「うーん。」
セインは飴色の大きな瞳を不安で揺らして俺を心配そうな表情で伺った。
その動きに合わせて、セインのスポーティーに短く切った明るい栗色の髪が、分けた左右でピコピコと撥ねた。
くそぉー。
セインてばメッチャ、可愛いじゃねーか。
「明日の観光は止めて、ラシイック夫人にもう一度会いに行くか?セイン。」
「うん、そうしよう、ジェローム。」
そう言って飴色の瞳を輝かせてセインは優しい笑顔を俺に向けた。
その笑顔に満足し、ディナーを食べてクロードを部屋から下がらせ、俺とセインはグレタリアン流友情で、滅茶苦茶に良い汗を流して、深い眠りに就いた。
翌日、ラシイック邸に着くと昨日の客間へと通されオーク材で造られたアームチェアをラシイック夫人から勧められ俺とセインは並んで腰を掛けた。
椅子と対に成ったテーブルを挟み俺達の対面に座ったラシイック夫人は艶やかな金髪を後ろで纏め、喪服を模した濃い褐色の品の良いドレスを纏い、綺麗な青い瞳を俺とセインへと向けた。
ラシイック夫人の背後には守り寄り添うように紺の使用人ドレスを着た乳母のライザが居た。
「申し訳ありません。まだ気分が優れませんのでジェローム探偵、出来れば手短にお願いします。」
「ええ、そうですね。モブシック一味が捕まったらラシイック邸に押入ってない事もラシイック卿を殺害して居ない事も裁判で証言するかも知れませんから、ラシイック夫人を地獄から救った方とラシイック夫人の今後について考えませんとね。」
「あ、、、あ、何を、仰って。」
「そう言う時間の無駄は止めましょう。その方はご主人つまりラシイック卿が振り上げた剣を火掻き棒で受けて、真正面から振り下ろした。一種の決闘を行ったのですね?」
「どうして、それが判ったのでしょう。」
「丁度、腕の振り上げ方は2戟目を相手に加えようとして、その相手から火搔き棒で渾身の反撃を喰らったのでしょう。あの太い火搔き棒が曲がってしまう位の。」
「ええ、その方は戦争に行く前にお別れを告げに来たのです。私とその方は誓って不道徳な間柄では在りませんでした。しかし夫は私を口汚く罵り、私の顔を殴りました。その方は慌ててあの食堂にあったフロラルス窓から入って来て、殴り掛かっている夫を止めようとしました。そして夫は決闘だと一方的に告げ、壁に飾って在る剣を取り、その方に切り掛かりました。なんとか左腕で剣を受け止めたのですが、夫は卑怯にも追撃を仕掛けたのです。其処であの方は近くに在った火搔き棒で。」
そう言うと、ラシイック夫人の気丈に振舞っていた間が取れ、青い瞳から涙が溢れ出し、乳母のライザが側に寄り添いラシイック夫人を抱き締め、背を摩った。
「貴族であるラシイック卿が決闘だと宣言し剣を振るった。如何考えても、此れは決闘です。如何思う?セイン。」
「ええ、決闘です。僕セイン・ワートも決闘であったと宣誓します。」
「と言う訳です、ラシイック夫人。何か在った時は私、ジェローム・エイムも証言しましょう。その方と連絡取れる様でした一度ジェローム探偵事務所に共にいらして下さい。私とセインの宣誓書を用意して置きます。それと念の為にラシイック卿が使った剣は取っておいてください。決闘を証明する時の証拠になりますから。」
「、、、あ、有難う御座います、ジェローム探偵、ワート博士。」
「ありがとうございます、ジェローム探偵、ワート博士。」
深々と頭を下げるラシイック夫人とライザを尻目に、俺とセインは気楽に片手を振って、送って呉れると言うラシイック家の箱馬車へ乗った。
空が高くなった秋晴れの空の下、ハピエンに喜んだセインは馬車の中で俺を抱き締め、イチャラブした。
同じ馬車の中、出来る従者クロードは存在感をゼロにした。
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アリロスト歴1900年 10月
長いイチゴの夏が終わったと思ったら、現在エイム卿はキウイベリーに嵌っている。
エイム卿は人差し指と親指でキウイベリーを抓み、小さな紫の実を俺の口の中へ入れてご満悦。
なんとキウイベリーをエイム卿に勧めたのが、あの超人補佐官ヒューイだった。
俺はエイム卿への忠誠心を試されている?
それとも、男としての度量を測られている?
週末、モヤモヤとした思いを抱えて俺は下宿112Bへと戻って来た。
日差し差し込む明るい玄関ホールへ入るとクロエがダリウスを抱えて俺を出迎えてくれた。
「お帰りージャック。」
「ただいまー、サマンサ。ダリウスもただいまー。」
「あー。」
「ふふっ、まだ喋らないわよ。そうそうジェロームは今日の16時過ぎに戻って来るわよ。」
「え?また地方の依頼だったんだ。」
「うん、でも今回もジェロームの依頼料は貰えないらしいわよ。電信でゴメンって打って来たから。」
「比較的、地方へ行くと多いよね、ロハでジェロームが動くの。」
「そう言えば、そうね。やっぱりジェロームの依頼はロンドに限定する方が良さそうね。」
「ははっ、ジェロームが聞くかどうか。」
俺とクロエは話しながら1階の談話室へと入り、何時もの互いの席へと腰を掛けた。
クロエはダリウスの乳母マリサにダリウスを任せ、サニーが運んできた冷たい麦茶のクラスをテーブルの上へ銀色のコースターと共に置いた。
「しかし、仲が良いよネ、ジェロームとワート君。」
「そうね、今回も2人で結局は3泊4日だもの。あの海賊のお宝を出した所、ムーンランドへ行っているのよ。ムーンランド署に勤めているデンセル警部からの電信依頼。」
「あのジェロームが事件で其処まで手間取るなんてな、大丈夫なのかな?」
「でも単純な強盗事件だったっぽいわよ。デンセル警部が機関車代だけで済みませんって先に支払いに来たもの。態々ロンドから及び立てしたのにーって、恐縮がってたわ。凄く腰が低くて、仕事熱心な良い警部さんだった。」
「ははっ、じゃー、ワート君と一緒に有名なムーアでも見て観光しているのかな。季節的にも10月って良いよなー。サマンサも旅行へ行きたいだろう。」
「ええー、私はホワイト・ローズ、、ゴホコホコホっ、いやいや、ダリウスが幼過ぎて旅行とかは無理よ。ジャックこそエイム公爵と冬に温泉旅行とか良いんじゃない?」
「ぶほほーーっ。」
「やだー何よ、噴き出さないでよ。」
「済まん、俺も拭くわ。」
「悪りぃー、でもサマンサが吃驚させるからさー。」
「ああー、そのジャックの反応は行くんだ、キャッ。私、照れて来たわ。」
「いやっ、サマンサの照れる意味が分かんねーよ。大体もうキャッ!つうのが、似合う年じゃねーだろっての。」
「で、如何なの?エイム公爵と行くの?オ・ン・セ・ンっ。」
「行きますよ、スロン王国だから来年3月だけどな。3月でも糞寒いよー、あそく山脈に囲まれているんだぞ。俺は何度も断ったのに補佐官ヒューイがマスコットの使命を忘れるなって言うし。」
「その年と成りでマスコットって、、。いやジャックは整っていて美形で恰好良いとは思うけど、一応はさ、もう40近い訳じゃん?私の知っているマスコットとは違うなーって思うのよ。」
「だから俺が決めたんじゃねーよ。この所、日々羞恥プレイだよ。俺の面の皮1日1mm厚くなってる気がするヨ。エイム卿配下ーズの視線が生暖かいんだよなー。」
「ええー、何をジャックは遣ってるの?教えて教えて、何か毎日が楽しそうね、ジャックって。」
「楽しくねーよ。俺は、日々悟りを開いているし、無心の境地。もしかして仏陀もこうだったのかも。」
「何を言ってんだか、ジャックは。」
「お帰りージェローム。アレ?ワート君は?」
「おかえりなさいー、ジェローム。」
「ただいま、ジャック、サマンサ。セインは流石に帰したよ。4日も家を空けさせたからなー。セインもオリビアが心配だったみたいだし。」
「流石のジェロームも娘オリビアには負けるか。」
「俺は競ってねーんだよ、オリビアとは。つーかジャックは悟っちゃー駄目だろ。まだ童貞なんだから。あっ、クロエが居た、御免。」
「いえいえ別に。子供も2人いるし、其処まで初心には成れません。」
「つうか、ジャックは兄とどーなのよ。」
「ドーって?別になんも。ただ緑藍のニーちゃんが可笑しいってだけ。でも昔に比べたら人間に成ったから、俺的には楽に成ったかも?補佐官ヒースのお陰で配下ーズとも、会話出来るように成ったしな。」
「ええー、何気に凄いんだな。あの鉄仮面。」
「鉄の女に鉄仮面て。まあヒースは敢えて遣ってる所あるし、補佐官ヒューイに育てられてるから有能なはずだよ。病院改革の法案を出して来たし、エイム卿が言ってたけど、次位に議員に立候補させるみたいだよ。医療関係の法案出せそうな議員て、まだ数が少ないからスタッフも足りないし、ヒースに任せるってさ。」
「まー、医師達が国が遣ってることに同意してくれたら話は早いけど、説明するのがあの鉄仮面と鉄の女だろ?それに国の依頼なのに医師に対して報酬が少な過ぎるよ。後は軍医問題を片付けないと従軍看護婦は無理だろ。」
「でも、セーラ・ゲイル嬢の出して来た統計を使った資料は凄いから、いずれ王立学院から招待状が出るさ。医師達も案外と資料は読んで自分の病院に活かしてると思うよ。」
「今は看護婦学校の校長としてビシバシ少女たちの精神を破壊しているよ。」
「ははっ、それは壮絶そうだ。アンジーチャペル地区は俺の鬼門にして置こう。」
そんな事を語りながら久し振りに3人で、緑藍、クロエ、そして俺は何故かジャック呼びで、近頃のグレタリアンと自分達の心情を語り合った。




