国民病
アリロスト歴1900年 8月
夢見がちなパワフル宰相とドリーマーな王様フリード6世に因ってプロセン連合王国は、隣国ハンリー王国へと侵攻した。
でもって無邪気な覇権主義トリス・ローデのオッサンは、何癖を付けて南プリメラのレンジ王国へと軍隊付きで新たな商談に出掛けて行った。
て言う新聞記事を俺が目で追って居ると、セインが俺の傍に或る長椅子に座りエブリイディ・ロンド新聞を開いて読んでいた。
「ジェローム、マーム川沿岸にある靴や綿製品などを作っていた工場が倒産しているね。」
「今は、売れないみたいだから仕方ないよね。だからまあ、手早く景気を回復しようとプロセンもグレタリアンも戦争を始めたんだろうなー。」
「ハンリー王国は、確か元はオーリア帝国だったよね、ジェローム。」
「だなー、もう70~80年以上も前の話だよ、セイン。昔と違ってハンリー王国もプロセンみたいに発展する事を望む層が増えて来ているから、案外と早く決着がつくかも知れないね。」
「だけどジェローム、オーリア帝国も黙っていない気がするよ。」
「悩ましいよね。此処で戦わないとオーリア帝国の威信が傷付くし、かと言ってハンリー王国を助けに行こうとしたらルドア帝国がプロセンを助ける為に出て来るし、同盟国のモスニア帝国次第だね。」
「しかしグレタリアンは、何故この時期に南プリメラに行くのかジェロームは解るかい?」
「あんまり確証の無い話だからセインも内密にして呉れよ?」
「うん、ジェローム、了解したよ。」
「如何もプロセンの金融資本がレンジ王国へ入ろうとしているみたいなんだよ。レンジ王国とはサープ植民地化とダイヤ鉱山の割譲契約を結んでいるけど、レンジ王国はプロセンとも結びたいらしい。元々がレンジ王国を武力で脅したグレタリアンを嫌ってるしね。」
「でも行き成りグレタリア軍を連れてレンジ王国へ交渉と言われても。」
「ふふっ、そうだよセイン、レンジ王国としては新たな契約を飲むか戦争しか無い訳だ。全く此れでは宣戦布告と同じだよね。ホントにグレタリアンも良くやると思うよ。」
「ふぅー、うん。」
セインは空気が漏れ出すような息を吐き、大きな飴色の瞳を瞬かせて、コンソール・テーブルに置いてあったグラスの麦茶を飲み干した。
俺もクロードが淹れてくれていた珈琲に口を付け、口中の渇きを癒した。
不況だと何故戦争が起きるのかとセインと俺は軽い調子で冗談交じりに話した。
プロセンは夢見るフリード6世と宰相がゲルン帝国を作ろうとし、貴族や資産家もそれに旨味が遭ってゲルン帝国創設の後押しをしている。
如何もルルの調査やして貰ったり、レート・ターム街で助けたマルティナの話を聞いて居ると、オーリア帝国と戦いたくない人達は、プロセン連合王国から排除されているみたいだし。
此の侭行くとプロセンの近くに在るスチュアート4世の妻王妃のバンエル王家もヤバそうだけど、果たしてグレタリアンは助けに行くか如何か微妙だ。
「ジェロームはパンエル王家を助けると思う?」
「うーん、難しいよね。でも一応エリザベス王妃は皇太子を産んでるしな。何もしないと対外的に不味いよね。しかしスチュアート4世は、何故あんなフツーな女を選んだのだろう。女は顔じゃ無いってジャックは言ってたけど、王妃の方が若いし綺麗なのに。写真が掲載される迄は、皇帝陛下の世紀の恋かって盛り上がってたけどさ。」
「うん、一転して下世話な論調に成ったよネ。でも、あの写真は良く撮れた、とジェロームも思うだろ?パトリック達も頑張って、秘密にして居ただろうに。」
「ふふ、セイン、きっとアレは態と流出させたのだと思うよ。」
「もしかして、エイム公爵が?」
「いや、兄は騒動に成るのを嫌うから、別の人だろうね。私も余り皇帝周辺の人間を知らないから、誰が仕掛けたのか分からないけど、デバーレイ首相を施策や選挙対策に回したかった人が居るんだろう。秘密を洩らさないようにするって、案外大変だからね。まっ、それでも秘密って漏れちゃうし。」
俺は話に区切りをつけると、真鍮で造らせたシガレット・ケースから煙草を取り出し、指に挟んで唇へと運び、銜えた。
セインは慣れた調子で大きな手で、俺の銜えた煙草へマッチで火を点けて呉れた。
俺に取っては如何でも良い此の世界の事だけど、今、俺の目の前に居て、明るい栗色の短い髪を掻き上げ、大きな飴色の瞳を細めて優しく微笑むセインを、悲しませる未来は嫌だなと思う。
そしてクロエが産んだ新しい命のダリウス、そしてニックにも大人になるくらいまでは、笑顔で居て欲しいと願うように成ってしまった。
親しく成った人達の顔も思い浮かべて、俺も年を取ったのかなと内心で思い、苦笑と一緒に煙草の煙をゆっくりと飲み込む。
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アリロスト歴1900年 9月
予定していた時刻10分前に、クロードが静かに動きジェローム探偵事務所の黒い扉を華麗に開き、ただでさえ大柄だったレイド主任警部が横幅を増して、額に汗をにじませ室内へノシノシと入って来た。
9月に成ったとは言え夏の日差しがまだ残る頃、太っちょレイド主任警部の暑苦しさで、俺は室内の体感温度が今、急激に上がった気がした。
「なんだか貫禄が増したな、レイド主任警部。また太った?」
「太ってない。此れは筋肉だと俺は何度ジェロームに注意すれば良いんだ?おお、冷たい麦茶だ、有難うクロード。」
「うーん、腹筋はそんなに膨らまないし、動いても揺れないもんなんだよ、レイド主任警部。それで私が頼んでいた調査は進んでいる?」
「まあ、ボチボチだ。地図作りと所在確認だけに煩っている程、人を雇って無いんでね。」
「うーんと、相変わらずヤードの人員は1万8千人位?」
「それ位だな、もう少し賃金が増えないと若い予備役の者が集まらないと思うぞ。」
「ふふっ、兄に行って於くよ。でも今人員を募集したら案外来ると思うよ。丁度研修名目で港地域と東地域、『アンジーチェペル』、『ショーデー』、『ピスタール』、『バージーズ』を調べて記録に付けてよ。尋問口調は駄目だからな、レイド主任警部。」
「全く貧困地域を調べてジェロームは如何する心算なんだ?」
「ふふ、まあ如何するって言うよりも、今後の為だよ。南グロリアのマフィアや逃走した犯罪者って東地域に隠れると捕まえ辛いだろ?前もって詳細な脇道等の地図や住民を大雑把にでも把握して居ると捜査にも役立つ。結局あの時は、リチャードの仲間を捕まえられなかったし。」
「了解したよ。アウターは如何するんだ。」
「取り敢えずは、壁の内側からだね。東地域の後は西だ。その頃にはレイド主任警部達も慣れて作業も早く成っているだろ?つうかレイド主任警部も動いて痩せなよ。」
「ハイハイ、まあストレスが無くなったら昔のスマートな俺に自然と戻るさ。」
「レイド主任警部と知り合ってから約18年位だけど、痩せた所を私は見た事が無いよ。まあ、何時までも元気で居て欲しいから私も言うのさ。」
「ジェローム、有難う。」
「ふふっ、後は見ていて暑苦しいからね。」
「お前、ジェロームっ。」
うん。
レイド主任警部には、元気で居て欲しいのは本当だよ。
レイド主任警部と共に居たロイ警部補も警部に成り、当然コナン警部補も警部に成った。
俺の苦手なグライス警部からコナン警部が離れられたのは、何よりも目出度い。
グライス警部も副主任ナンチャラに成ったんだけど、主に報道関係を捌く人に為った。
グライス警部と記者って俺には最悪な組み合わせだと思うけどな。
手間賃と言いつつ俺からガッツリ煙草を受け取り、レイド主任警部は紺白のストライプ柄には見えなくなったシャツにシガージャケットを羽織り、大きく突き出た太鼓腹を揺らして、クロードがジェローム探偵事務所の黒い扉を華麗に開いた間口を出て行った。
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アリロスト歴1900年 9月
俺はムーンランド駅にセインとクロードと共に降り立ち軽食を取り脳を目を覚まさせ、駅から馬車に乗り込み田舎道を約3kmくらい進み領地の門へと辿り着いた。
1892年夏に不屈の男ヴィクター・スノーデンを救出したムーンランド警察に勤めるデンセル警部から助けて欲しいと言う電信を貰い、季節も良い9月だったので観光気分でセイン達と遣って来たのだ。
生憎、俺はデンセル警部とは初対面。
水瓶座の乙女を目印に宝探しをしたセインと画家のラッセルが会っていたそうだ。
ラッセル君は無事に兄のお眼鏡に叶い、注文される儘に俺を描き続け、気が付けば星座の物語をモチーフにしてシリーズで個展を催したら絶賛され、今では神話画家等と呼ばれて大忙し。
三十路を過ぎた俺とかを描いている暇も無くなってしまった。
結構枚数が在った筈なのだけど、完成する度に兄が速攻で回収して行ったので、俺の手元には1枚も無い。
兄へ呉れっと言えば貰えそうだけど、俺も其処までナルシストには成れない。
まあ、俺にはラッセルがラフで描いた水瓶座の乙女があるので、アレで充分である。
今の所は、結構高く売れるらしい。『ジャック談』
勿論俺に売る予定はない。
ジャックは見掛けはノーブルなのに、金銭に関しては細かく偶に下衆いのが、非常に残念。
年老いた門番が門を開いて、俺とセイン、クロードを通してくれたので、古い楡の並木道を歩いて私園を行くと、古代ロマン様式を模した柱を正面に建てた、背が低い広い屋敷があった。
旧い建物の中央部には蔦を絡ませてあった。
その横にはフロラルス式窓がある新しく建てられた瀟洒な屋敷があった。
そして開け放たれた戸口で、淡いグレーのスーツを着た背が高く若々しい身体つきの青年デンセル警部は、暑苦しく俺達を出迎えてくれた。
暑苦しくは酷い?
では、情熱的に濃い眉と濃い顔で俺達を出迎えてくれた、、、。酷い?
「初めましてジェローム探偵、そしてお久しぶりですワート博士。この度はロンドから態々足を運んで頂き申し訳ありません。実は先程ラシイック夫人の意識が戻り事情を聴いて犯人が判り、既に事件は解決してしまったのです。申し訳ありませんジェローム探偵。」
「いえ、私はデンセル警部から助けて欲しいと言う電信で此のラシイック邸に来たので、何が起こったのかも知らないのですけど。」
「ああー、此れは私としたことが、、、。」
そう言って、デンセル警部が大きく両腕を広げた後、その両手で頭を抱え込み、再度、恐縮しながら謝罪をして、俺達を屋敷の中へと案内した。
今回は確認を怠った俺にも責任が在るしな。
そう思って、「気にしないように」と俺はデンセル警部を宥めて事件のあらましを聞いた。
昨夜と言うか日付の変わった時間に、モブシックを襲ったトーラン強盗団がラシイック夫妻を襲い、抵抗したラシイック卿を殺害し、ラシイック夫人を気絶させ盗みを働き逃走したと言うモノ。
先日この近くのダント州でも強盗を犯し、3人の似顔絵が出回っていた。
うーん。
如何しようかな。
折角ムーンランドまで来たし、やっぱりセインと観光をして帰ろう。
俺はそう決めるとクロードにムーンランドで泊まるホテルの予約を頼んだ。
デンセル警部が、ラシイック夫人の証言を聞かせて呉れると言うので、俺とセインはラシイック邸をまるで我が家の様に案内してくれる彼へと付いて行った。
居間では、長椅子に横たわる女性と、その横たわる女性に寄り添うよう立っている、少し老いて痩せた付添婦人が居た。
身体を起こしたラシイック夫人は、顔色は悪かったけど、見事な金髪に青い瞳をした、綺麗な女性だった。
デンセル警部に連れられて来た俺とセインへ警戒する様な眼差しを向けた。
デンセル警部は俺とセインの紹介をし、俺達もラシイック夫人へ挨拶をして彼女にもう一度、事件について尋ねた。
長椅子に彼女が腕を乗せるとモスグリーンのゆったりしたガウンの袖が捲れ、手首に紫色に内出血した痕が見え、俺の視線に気付いたラシイック夫人は、慌てて捲れた袖を元に戻した。
ラシイック夫人は、恐ろしい出来事だったので余り思い出したく無いと言いつつ、不承不承ながら俺達に話してくれた。
俺とセインはラシイック夫人の勧められる侭に来客用の椅子へと腰を掛けた。
「隠しても直ぐに解ってしまう事なので話しておきますが、私と夫との関係は良くありませんでした。1年ほど前に南カメリアから嫁いで来ましたが、夫は酷いアルコール中毒で、上手く行って無かったのです。」
ハイ・テンションなギャンブラーが多いグレタリアンでは、そこそこ紳士のアルコール・ジャンキーが居る。
断酒会何つう小さな集会や断酒ツアーとかもある。
グレタリアン帝国の国民病かも知れないな。
嫁さんとか「遣ってられない」って離婚したくても、夫の了承が無いと当然出来ないし、そう言う夫は得てして離婚をして呉れない。
アルコール・ジャンキーの本人も不幸だけど、まあ妻は堪らんようなーと、先程のラシイック夫人の手首に会った内出血の痕を想い出して俺はそう考えた。
それから気分を持ち直させた気丈なライシック夫人は、潤んだ青い瞳を付添婦人が優しく差し出したハンカチで拭い、静かに強盗が押し入った時の事を、俺達に話し始めた。




