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トトロと子供達

作者: あせび

眼下に広がるのは見慣れない風景。高い建物、濁った空。

胸が痛くて、泣きたくなった。


大学に進学したときは、秋田で一人暮らしをした。

ホームシックには一度もかかったことがない。一人暮らしは性にあっていた。ただ、ほんの少し、寂しがりなところが駄目だったのかな。


私は今、京都にいる。

大学を出て、さらに専門学校に進学した。絵が学べるならどこでも良かった。京都にしたのは、彼についていく為だ。


「空気が、悪いね」


ベランダで煙草をふかしながら、思わず呟いた。

後ろで忙しく運び込んだ荷物を広げ始めている彼が、「東北に比べたらね」とだけ言った。

ああ、聞こえちゃったか。恥ずかしい。彼の故郷を否定したようで、罰が悪くなった。


「でもいいとこだね。すごい、寺が見える、いっぱい」


取り繕った言葉に返事は返ってこなかった。この言葉こそ、彼は聞いていなかったらしい。振り返ったら彼は台所に行ってしまっていた。

煙草の煙が部屋の中に入っていくのに気づいて、慌てて窓を半分ぐらい閉めた。


専門学校進学を期に、彼との同居が始まる。

不安で、仕方ない。

私は一人が好き。でも一人では生きていけない。

自由でなければならない。でも孤独には耐えられない。

そんな矛盾を抱えたままで。

専門学校に行こうと決めた理由は、半分が絵を学びたかったこと、半分が就活に失敗したからだった。


昔に返って考えてみたんだ。

本当にしたいこと、それは何かを表現すること。

それなのに、それをおざなりにして、やりたくもない労働をするために、血眼になって就職活動をする意味が分からなかった。

だって、いよいよ人生が決まってしまう。

なんて…今思えば、これは大学進学のときも考えたことだった様な気がする。結局大学進学のときは、適当にレベルの低い大学に入学したのだった。


遠い昔に思えるぐらい過去のこと。

海と森に囲まれた、コンビニなんて、街頭なんて、何にもないところに住んでいた。

昔の私は、私だった。

私の考え方、私のけじめの付け方、私のやりたいこと、私の物。

他人に私のことを否定されても反論できたし、肯定されたら素直に嬉しくてしょうがなかった。


おかしいな、いつから私は私を見失ったんだろう。

世間に溶けて、なくなってしまいそうだ。

誰にでも好かれる人付合いの仕方は覚えた。でもそれで好かれたって嬉しくもなんともない。


彼と付き合いたての頃だったか、初めての喧嘩のときだと思う。

私は私なんだ。だからどうこう言われる筋合いない、と言った。勇気を振り絞って放った本音だった。

じゃあ『私』って何?

そう言い返されて、私は何も言葉が出なくて、悔しくて泣いた。


夜なのに眩しい、この街。

世間に溶けた私は、この一部。

ああ、泣けるね。


窓から外を見るのはやめて、まだ散らかった部屋の整頓の手伝いを始めた。

部屋が二部屋あるだけましか。私の自由はまだ確保されてる。

彼の荷物を見て、何の気なしに言った。


「あははっ、ジブリのDVD、全部持ってきたの?」

「うん、俺大好きやもん」

「わたしも好きだけどさ」


ああ、懐かしいな。ひとつ、パッケージを拾って眺めた。

口がでかくて、ニヤニヤ笑っているように見える、あのふわふわした大きないきもの。

トトロ、だ。


子供の頃、トトロを探して歩いたあの風景は思い出せる。あの興奮も。

姉妹二人で、必死になって探した。

森の、奥。もっと奥、獣道を辿って更に奥まで。

大きな木があれば、その度に妹と騒いだ。きっとここにトトロがいる、って。

獣道を奥に進んで、見たこともない綺麗な景色が広がったときのあの胸の高鳴りが、懐かしい。


今トトロを探そうって思ってみたって、あの興奮が起こるはずもない。

朝露と雪の溶けた水滴が時々降ってくる森の中。とけ残った雪を踏み潰して、柔らかい地面を息を切らして進む。

私の故郷は冬休みの方が長かったし、夏は蚊や虻や大嫌いな虫達のせいでとても森には入れなかったから、トトロ探しをするのは決まって冬休みのときだった。

獣道なのか道じゃないのか分からない傾斜のある森を上っていく。

振り返ると、自分の家の屋根も遠くに見える。

自由になった気がして、気持ちがよくて、寒いのなんかもうどうでもよかった。


当時、私はどうしても許せなかったものがある。

ふと目線を足元にやると、雪の間から草や土が見えているのだ。なんとも醜く不快で仕方なかった。

どうせ降るなら地面を真っ白に覆いつくせ。

そう心の中で雪と地面に毒づいた。

幼い頃の、つたない美学。


今の私は、あの胸の高鳴りなんてまったく感じない、よく分からない世界に居るみたいだ。

夜はいつも、恋人の腕の中に抱きしめられながら、どうでもいい雑談をぽつりぽつりと交わす。

それが心地よく、幸せだと思う。私は心から彼のことを好きだと思う。

でも、心の隅で、あのときの自分が言う。

なんて無駄な時間なんだ、本当の自分はどこにいったの?と。

いいんだよ、どうせ世間にもまれて煤に汚れるなら、マチ柄じゃなく真っ黒にしてほしいの。

わかるよね?

あのときの自分は笑う。高い声で、雪の上を転がりながら笑う。

そうだね、どうせなら真っ黒に。


一度でもその美学を実現したことがあったかな?

いつだって、黒でも白でも灰色でもない、中途半端な白と黒の集まり。

それに揉まれてふと空を仰ぐと、そこには青色があるから、愕然とする。

なんて小さな世界で苦しみもがいているんだろう。

でも、この苦しみから逃れなければ、あの青い空に胸の高鳴りを覚えることは、きっと、もうない。


彼が言った。

「もののけ姫の舞台って、秋田なんだって」

ああ、あの山は故郷にそっくりだったのだけど。

「あ、トトロもそうらしいよ」

「マジで?ホントに?ホントに秋田なの?」

「うん。どっかで見た」


なんだ。酷くしらけた気分になった。まさか、こんなところで出会うとはね。

トトロはここにいたよ、あのときの自分。

夢じゃない、現実じゃない。これが世間だ。


「んじゃ秋田にトトロがいんだね」

「ははっ、まあ、いたら怖ぇけど」

「いや、絶対居るって。私今でもトトロの存在は信じてるから」


そう信じていれば、いつかは白に戻れるかな?

彼は笑った。面白い冗談だと思ったのか。

ああ、簡単に私の美学が壊される。


ふと、嫌な記憶を思い出した。

雪を踏みならして、大きな足跡のような形を2、3個作り、幼い妹に「トトロの足跡があったよ」とはしゃいでみせた昔の自分。


『トトロはやっぱりいるんだよ!』


うそつき。

私は元々真っ黒だったんじゃないのか。

妹を喜ばせたかったための行為、白なのか。

いや、私は簡単に騙される妹をあざ笑いたかっただけの、黒なのか。


…答えなんて、見つかるはずない。


「ねー。私ってどっちかというと白と黒どっちだと思う?」

「え?うーん…どっちもじゃない?」


…答えなんて、いらないのか。

答えなんてなくても生きていけるよね。


「もう、寝よ」


答えなんてなくても生きていけるけど。

そんな私を睨んでいるのは誰?

寒さに頬を真っ赤にして、シャカシャカ音を立てる上着に身を包みマフラーを二重に巻いた真っ黒髪の子供が、雪を蹴飛ばして叫んでいる。


そのまま、溶けてなくなるの?それでいいの?

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