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 水族館を出ると正午の暖かい日差しが迎えてくれた。


「うーっ! お腹空いたぁ……」


 氷見さんが暗い館内から出たところでグッと腕を空に向かって突き上げて伸びをしてそう言った。


「近くのお店で食べる?」


 俺の提案に氷見さんが頷く。


「うん、そうしよっか」


 氷見さんと二人で地図を見て近くのレストランに向かう。


 道中は公園のようになっており、ベンチや芝生の上にシートを広げて弁当を食べているカップルが多くいた。


 そんな人達を横目に眺める氷見さんの目はいつものようにクールで何を考えているのか読めない。


「唐揚げ……おにぎり……」


 氷見さんはボソボソと人の弁当の中身を読み上げていく。単にお腹が空いて食べ物のことを考えていたようだ。


「よっぽどお腹空いたんだね」


「見てると、ね」


「ちょっと遠くを見たら? ほら、海があるよ」


 芝生の奥にあるのは東京湾。そこを指差すと氷見さんは素直に顔を上げて遠くを見始める。


「海ってさ……ペペロンチーノなんだよね」


 氷見さんは真剣な目で海を見つめながらそう言う。


「お腹空きすぎじゃない!?」


「あ……ううん。例えだよ。シンプル故に奥深い、みたいなもの、どの界隈にもあるじゃん?」


「あぁ……料理人の実力が出るってやつね。絵でもそういうのがあるんだ」


「そうそう。ま、私が勝手に思ってるだけだけど。海と空と雲。青と白でどうやって魅せるかって感じだね」


「なるほどなぁ……ピザで言うところのマリナーラってところか」


「そうだね」


「フレンチで言うところのオムレツかぁ」


「そういうこと」


「寿司屋で言う卵焼きかな?」


「……そうだね」


「ケーキ屋で言うショートケーキ?」


「……うん」


「ラーメン屋で言う――」


 俺が適切な例えを探していると氷見さんが「砺波さん」と割って入って制してきた。


「な、何?」


「さっきから食べ物で例え過ぎ」


 氷見さんが頬を膨らませて抗議してくる。


「あぁ……ごめんごめん……食べ物以外ね。社会人で言うところの……ホウレンソウ――これも食べ物か」


 氷見さんはぶふっと吹き出し肩を震わせる。


「ふふっ……砺波さんのそういうとこ、いいよ」


「まーたイジる……」


「そんなことないよ。お腹が空くと食べ物のことばかり考えちゃうよね。そもそも私のペペロンチーノから始まった話だったし」


「お昼、パスタにする?」


「うーん……どうしようかな……」


 顎に手を当てて悩んでいる氷見さんがパタリと足を止める。


「……お寿司?」


「魚を愛でた直後に!?」


「美味しく頂こうね。ほら、出てすぐのところにあるよ」


 氷見さんがスマートフォンで地図を見せてくる。


 確かに出てすぐのところに大手の寿司チェーンが店を構えていた。商魂たくましいというか、なんというか。


「良いの? 家の近くにもあるお店だし。今日くらい奢るけど……」


 俺の提案に氷見さん首を横に振る。


「うん。今日は暇つぶしだからね。今度連れてってよ、良いところ。お祝いでさ」


「お祝い? 何かあるの?」


 氷見さんは「うん」と返事をする。だがすぐに人差し指を一本、口元に当てて可愛らしく首を傾げた。


「まだ詳細は秘密。また来週ね」


「来週もあの店に行かないといけなくなっちゃうね」


「うん、約束」


 氷見さんは嬉しそうにはにかむと、寿司屋の方へ向かって歩き始めたのだった。


 ◆


 寿司を食べ終わって都心に移動。目的は氷見さんが服を見たいとのこと。


 モノクロな色合いの服しか見たことがないのだが、今日は妙に色物ばかりを身体に当ててはしっくりこないようで首を傾げている。


「うーん……やっぱ、なんか違うなぁ……」


「色味がないのが好きなの?」


「カラフルなのも好きだよ。だけど好きな色と似合う色が違うんだよね。片思いだ」


「なるほどねぇ……」


 氷見さんのことだしこだわりが強いんだろう。


 氷見さんはピンク色のワンピースを身体に当てながら悲しそうな顔をする。


「ピンク、好きなんだよね。けど全然似合わなくて、いつまで経ってもピンクは私に振り向いてくれないんだ」


「好きなら良いんじゃないの?」


 ありきたりな事をいうと、氷見さんがジロリと俺の方を見てきた。


「好きってだけで突っ走る人、どう?」


「良くないね……」


「だよね。だから我慢してるんだ」


「ま、一回着てみたら良いんじゃない? 時間はあるわけだし」


 俺の提案を聞いた氷見さんは服に興味がなくなったかのように棚に服を戻し、じっと俺を見てくる。


「そうだね。そうしたいな」


 なら早く服を持って試着室に行けばいいのに、と思う。


「服くらい気軽なら良いのにね」


「服の話じゃなかったの!?」


 氷見さんはふっと笑ってもう一度ピンクのワンピースを手に取る。


「うん。服の話だよ」


 何かの他意がありそうだとは思いつつも氷見さんの静かな目つきはそれが何なのかは悟らせてくれない。


「じゃ、試着してくるね。これ着てみてだめなら諦めて飲みに行こ。やけ酒だね」


「ピンクの服が似合わなくてやけ酒する人なんて他にいないよ……」


「他にいないって良いことだね」


 氷見さんはそう言って微笑むと店の奥にある試着室へ向かう。


 だが試着室まで半分というところで踵を返して戻ってきた。


「砺波さん、来ないの?」


 氷見さんが寂しそうな目で問いかけてくる。


「えっ……俺も?」


 まさか一緒に入るなんて言われるのか。


「見て欲しくてさ。外で待っててよ」


「あ……そういうことね」


「他にどういう事があるのかな?」


「えっ!? な、ないない!」


「ふぅん……」


 氷見さんは俺の心を見通したようにニヤけると、俺の背中を突きながら試着室の方へ誘導する。


 靴を脱いで一人で試着室へ入ると、一度閉めたカーテンを僅かに開けて俺の方を見てくる。


「閉まってないよ」


 俺が指摘すると隙間から氷見さんが口元だけで笑うのが見えた。


「閉めてないんだよ」


「はいはい」


 俺が僅かに開いているカーテンを閉める。


 カーテンの向こうからは氷見さんが着替えている音だけが聞こえる。変なやり取りがあったせいで妙に着替え中の氷見さんを意識してしまうようになったがこれは自分のせいでもある。


 そんな風に煩悩と戦っていると、着替えを終えた氷見さんがカーテンを開けた。


 可愛らしいデザインの薄いピンク色のワンピースは氷見さんの雰囲気をガラリと変えた。年相応と言うか年よりも若く見える印象だ。


「おっ……おぉ……かっ、可愛いね」


 大学生が若く見える、なんて言われても嬉しくないだろうから言葉に詰まっていると、氷見さんは顔を真っ赤にしてカーテンを閉めた。


「やっぱダメだよね?」


 カーテンの向こうから氷見さんの声がする。ただでさえローテーションなのに、落ち込みが加わっていよいよ声から感情がなくなっている。


「そっ、そんなことないよ。もう一回出てきてよ」


 氷見さんがカーテンの向こうから顔だけをのぞかせる。


「本当に変じゃない?」


 氷見さんは念押しをするように聞いてくる。


「うん、大丈夫。似合ってたよ」


「うっ……」


 まだ色味のある自分に慣れていないのか、氷見さんは恥ずかしそうにカーテンを開ける。やはり普段より幼く見えるけれど、別に悲観するほど似合っていないとも言えない仕上がりだ。


「勇気出して着てみてよかった……」


「よかったね」


「うん。けど……ま、今日はいいや。もっとピンクと仲良くなったら買いたいな」


「それ、氷見さんの気持ち次第だけどね……」


「砺波さんもね」


「俺もピンク着るの!?」


「そういうとこ、いいよね」


 氷見さんは一つ壁を超えたようにスッキリした笑顔でそう言った。

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