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アニメ進撃の巨人 ネタバレ感想

作者: 相浦アキラ

ネタバレがあるので苦手な方はご注意ください。

 主人公が強い意志と力を発揮し、立ちはだかる巨大な壁を打ち砕いていく。……というのが王道少年漫画の基本プロットと言えます。この流れで主人公は世界を敵に回してでも一人の仲間を助ける為に戦ったりしていきます。


 それ自体は良いのですが、世界を敵に回した結果罪のない人を殺してしまったり、他の仲間が犠牲になったりといった暴力の帰結が克明に描かれる事は殆どありません。それはもちろん受け手が望んでいないからです。誰かを犠牲にしてうじうじ葛藤する主人公より、多少展開に無理があっても清く正しい主人公が好まれます。しかし作品世界を生易しくしてしまうと、主人公の強い意志を描けなくなってしまうという問題が出てきます。表面上は世界を敵に回していても、実際やっている事はごっこ遊びと大して変わらないように見えてしまうのです。


 こういった問題に対して正面から立ち向かったといえる意欲作が進撃の巨人です。巨人が跋扈する世界。人類は壁の内部でかろうじて生きていたのですが、壁の一部が超大型巨人の攻撃で破壊され巨人が壁内になだれ込み、主人公のエレンは親を巨人に殺されてしまいます。復讐を誓ったエレンは巨人を世界から駆逐し自由に壁の外に出る為に立体起動装置で空を駆けまわり奮闘していきます。ここまでは表面上普通の少年漫画といった感じで、私も当初は小さな人間が巨大な敵に立ち向かうカッコよさを描く作品だと思っていましたが、それだけでは説明できない異質なところもありました。序盤から主人公のエレンには暴力性というか危ういところがあり、作品としてもどこか引いた目線でエレンを眺めているのです。敵が巨人というモンスター的でありながらも人間じみた存在であることもただならぬ感じがします。普通の漫画なら敵の設定をモンスターにした方が何かと都合がいいでしょう。人型の敵と戦うとなると主人公の暴力性を強調することになってしまいます。何故人型なのでしょうか。


 今思うと作者の諫山創先生は、むしろ主人公エレンの暴力性を強調したかったのでしょう。そうすることで後の展開に説得力を持たせ、読者の動線を自然に誘導する狙いがあったのでしょう。


 実際物語はエレンが巨人になって戦うようになってから二転三転し、エレンが住んでいたのは巨人が跋扈する小さな島だという事が明らかになります。そして島の外には巨人はおらず、普通に人が住んでいる事も判明します。巨人を倒して未踏の地を冒険したかったエレンは、この事実にガッカリしてしまいます。また大陸の人々が島に戦争を仕掛けようとしている事も判明し、エレンは、平和的な解決を図る仲間たちと袂を分かち、巨人の力を使って大陸の人類を全員踏み潰す事で島を守ろうとします。エレンは少年漫画の主人公のまま意志を貫き通し、結果的にラスボスになり仲間たちと死闘を繰り広げていきます。


 こういった展開は思い付きでできる事ではなく、主人公の意志や暴力性を中心に据えて緻密なプロットをくみ上げて行ったからこそできる芸当なのでしょう。未踏の地を冒険したいとか、仲間を守りたいとか、憎い敵を倒したいとか、そういった少年漫画の主人公の純粋な想いをとことん突き詰めていけば、やがては殺戮にまで行きついてしまうというのは鋭い洞察です。そういったエレンの一徹な想いには確かに善悪を抜きにした強大な意志が宿っています。最後にエレンの計らいで巨人の力が全部なくなってしまうというのも、巨人を駆逐しようとしていたエレンの初志貫徹を思わせます。エレンは葛藤し仲間と対立しながらも、一度もブレることなく意志を貫き通しました。こういった強大な意志の描き方やプロットの組み方は少年漫画の中でも随一と言えると思います。


 ただ一つ気になったのは、悲劇の描き方に行間がなさすぎる点でしょうか。進撃の巨人においては何か悲劇が起こるとモブキャラであろうと殊更にクローズアップされて悲劇性が強調されますが、この描き方には違和感がありました。現実の悲劇は、我々がスクリーンにすら映して貰えないような在り来たりで滑稽な存在として悲劇なり喜劇なりを演じながらも、全く取るに足らない存在として世界に処理され歴史に埋もれざるを得ないという事にある思います。しかし進撃の巨人においては悲劇があるとなればモブキャラだろうとスクリーンを独占する主人公として扱われてしまいます。そのせいで悲劇があってもどこか他人事のように感じられてしまうのは非常に残念でした。(逆にチェンソーマンなんかは悲劇の描き方が巧みでした)

 何にせよ進撃の巨人はプロットが計算し尽くされていて、細部に目を見張る描写があるのも確かで総評としては優れた作品には変わりないと思います。


 最後に一言。現代は意志を描く事が難しい時代だと思っています。人々の価値観は民主主義、自由主義、資本主義で画一化され、公共の福祉に反しない限り大抵の事が自由になりました。最初から自由だから立ち向かうべき壁もなく、意志は行き場をなくしました。私達は社会の決めたレールに沿って活動するほかありません。こういった状況に反抗して強大な意志を発揮してやろうとしても、結局この社会の恩恵を受けている以上、反抗期の子供が親に歯向かってみせるのと大して変わりません。こういった社会において意志があるとしても、それはささやかな意志にとどまるでしょう。これに対してファンタジーを利用し、少年漫画のプロットを取り込んで発展させた進撃の巨人は、意志の描き方について新たな可能性を示してくれました。そういう意味でも非常に優れた作品だと思います。


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