後編2
耳をつんざくような人々の叫び声が、王都の広場に湧き上がり、石畳の地面を震わせた。
叫び声は怒号、狂喜、憎悪、悲哀と様々だが、いずれも狂乱に彩られている。
人々の前に引き据えられたのは、前王朝の王族達。
遠くから見ていたレオンの腕の中で、マグダレーナが小さく震えるのを感じた。
「マギー、帰るか?」
「……いや」
マグダレーナは震えていたが、何一つ見逃すまいと、処刑されようとしている自分の家族、親族、そして、大声をあげる民衆の姿を見据えていた。
処刑は王との血縁が遠い方から一人一人行なわれた。
一人首切られる毎に、喝采が湧き起こる。
最後に王が処刑された時、人々は大神カディスの祝福を受けたかのように、大声をあげて踊り狂い、お互いの肩を叩きあい、抱きしめ合った。
それらの光景から、マグダレーナは一切目を逸らさなかった。
だが、レオンの腕にかかった手に力が込められ、爪が食い込み、後で見ると血がにじんでいた。
人々は王女マグダレーナの処刑も望んだ。
彼女自身もそれを望んだ。
「父上、どうかそれだけはご容赦下さい」
その話を聞いた時、生まれて初めて、レオンは父に懇願した。
父は乱れた世を強力にまとめ、収めていった、人々の希望の星。
父は偉大な人で、レオンは尊敬していた。
父は前王朝の王と親しかったが、混乱に終止符をうつ為には処刑をためらわなかった。
だが、レオンは知っている。
処刑の日、父が私室に引きこもり、人々の前に現れなかったことを。苦渋の決断であったことを。決して傷ついていないわけではないことを。
偉大な父にひき比べ、自分はなんと情けないことだろう。
それでも、戦乱で多くの死を見てきたレオンは、これ以上、大切な人を失いたくはなかったのだ。
レオンの懇願をどのように受け止めたのかは分からないが、父はその要望を認め、マグダレーナは塔に幽閉されることになった。
塔に入る日、マグダレーナは仕方のないやつだなと言わんばかりに笑って、レオンに別れを告げた。
それ以降、二人は二度と会わなかった。
塔に入っていく、か細い背中を見て、理不尽だとレオンは思った。
二人が生まれた頃にはもう世の中は乱れており、王女一人の力でどうにかなるものではなかった。
なのに、どうして、彼女が全ての恨みを背負わなくてはならない?
こんな結末を迎える為に、レオンは戦場に赴いたわけではない。
そして、死にたがっている彼女に、自分のわがままで生きることを強しいていることが一番の理不尽だろうなと、やるせなくて仕方がなかった。
レオンを王太子に、という声が多かったが、レオンは固辞し、臣下に降りた。
王族としての矜持が強かったマグダレーナから、もうこれ以上、何も奪いたくはなかったからだ。
レオンはよく塔を見上げた。
また、彼女へ頻繁に手紙を送った。期待はしていなかったが、返事は全くなかった。
自分達の間に横たわる壁はあまりにも深刻なものなので、手紙にはあえて他愛ないことばかりを書いた。
「お嬢様!」
誰かの呼び声で、マリーは悪夢から引き戻された。
一瞬、自分がどこにいるかが分からなかったが、やがて目の焦点が定まり、心配そうに見下ろしている侍女の顔が見えた。
ごく最近、マリー付きになったばかりのカーマインだ。
マリーは自室の寝台の上に、仰向けに横たわっていた。
身体が硬直し、冷や汗をかいている。
「マリーさん!」
扉の開く気配がし、本宅の母が駆けよってきた。
「お……母様」
声がかすれている。
きっとまた悲鳴をあげたのだろう。
その度に母が駆けつけてくれるので、本当に申し訳ないと思う。
母の背後でカーマインが水差しの水を茶碗へ注ぎ、ゆっくりと起き上がったマリーを支えた母がそれを受け取る。
母の助けを受けて、マリーは少しずつ水を口に含んだ。
「ごめんなさい、お母様」
「何が?」
「わたくし、子供みたいだわ」
母は苦笑し、優しくマリーの髪を手で梳いた。
「あなたはまだ九才でしょう。十分、子供ですよ。まだ子供でいいのよ、マリーさん」
優しく髪を梳かれている内に、今度こそマリーは穏やかな眠りへと落ちていった。
数日後、一人の女性がウェズリー家を訪れた。
正面玄関前で馬車から降り立ったその人は、白金の髪を美しく結い上げ、深い青の瞳は優しく、まさに貴婦人の鑑ともいうべき優雅な挙措の女性だった。
ウェズリー家の使用人達は彼女が貴族ではなく、それどころか元高級娼婦であることを知っているが、これまでの色々な──それこそ色々な経緯から侮る者はおらず、丁重に応接間へと案内した。
応接間にお茶が運ばれ、使用人達が退き、ウェズリー伯、伯夫人、マリーとその女性の四人きりになると、女性の優しげな瞳が一変し、厳しいものになった。
「マリー、あなた、怖い夢を見てぴいぴい泣いているのですって?」
「薔園の人、そのような厳しい言い方は……」
「奥様はこの子に甘すぎますわ」
「こんなに愛らしいマリーさんに、どうして厳しいことを言えましょうか」
ふーっと薔園の母は額に手をやり、ため息をついた。
マリーは三ヶ月前に本宅へ引き取られた。
それまでは、定期的に本宅を訪れてはいたものの、薔園の母のもとで育った。
引き取られる時、娼婦の娘ということで蔑ろにされるのではないかと思い、薔園の母直伝の愛らしさを遺憾なく発揮し、ウェズリー家の人々の心を掴んだが、ちょっとやりすぎたかもしれない。
侍女長によると、本宅の母は自身が少々いかついせいか、愛らしいものにとても弱いらしい。
薔園の母が厳しい人なので、甘やかされて嬉しい反面、このままじゃ自分が駄目になってしまいそうな気がする。
「奥様、いいですか? マリーにはどうしたって私の娘という経歴がついてまわります。いくらお金を積んで、法律上はあなたの娘ということになっていたとしてもです。明らかな弱点がある以上、マリーは自分を守る為に強くあらねばなりません。甘やかしてどうしますか?」
「それはそうでしょうが、今はまだ子供ですし、環境が変わったばかりで大変でしょうから、おいおいでいいではありませんか」
娼館で育ったので耳年増なマリーだが、庶子の母と本妻が言い争う内容って、こういうものではないよね? と思った。
「環境が変わった程度でヘタるほど柔やわな育て方はしていませんわ。マリー、一体、何が問題でぴいぴい文句を言っているの!?」
「ここの生活に文句なんてないわ。訳の分からない怖い夢を見るのよ」
そこで、ひたすら茶ばかり飲んでいた父が、一言説明を入れた。
「どうも、呪詛の類ではないかとのことなんだが」
「呪詛?」
薔園の母が眉をしかめた。
「占術士には診てもらいましたの?」
「僧院に連れて行ったのですけどね──」
本宅の母がそれはそれは怖い笑みを見せた。
「結構な額のお金を取ったあげく、分からない、と。そして、この子の生まれが生まれだから仕方がないとか、と意味不明な説明をしていましたわね」
「あら」
薔園の母もにっこりと笑った。
生まれた時から見ているマリーには分かった。これは怒っている笑顔だ。
「さすが、お貴族様が関わるような僧院だと、随分腐っていますこと。市井の僧院の方々はいい人ばかりなのにねえ。私達もよくお世話になっていますし」
薔園の母はお茶を飲んで、一息置いた。
「分かりましたわ。私の方で占術士を探してみますわ」
「お願いします」
父と本宅の母が頭を下げた。
「ところで奥様、そのふざけたお坊様のお名前を教えていただけないかしら?」
「奇遇ですわね。わたくしもあなたに知っていただきたいと思っていましたの」
二人の母は黒い笑みを交わした。
しばらくして、件の僧は地方へ左遷されたという。