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涙が出るほど幸せな  作者: ねこすけ
前編:再び巡り会った二人
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前編6

「どうか、殿下に会わせていただきたいのです」


「ですから、何度も申し上げております通り、殿下はお約束のない方とはお会いになられません」


「では、どうか、面会のお約束を」


「ご用向きは? 殿下はお忙しい方ですし、面会を望む人は大勢おられます。そこをはっきりさせていただきたい」


「それは、殿下に直接お話ししますわ」


 だめだ、話が通じない──先程から何度も同じやりとりを繰り返して、グレイはかなりうんざりとしてきた。


(あなたはもう、ジェラルド様の婚約者じゃないんだからさ)


 前みたいに気軽に会える立場ではなくなったのだし、それに、父親が罪に問われている最中なのだから東宮(とうぐう)へやって来るのは自粛すべきなのに、アンジェリーナ嬢は自分の置かれている状況を分かっているのだろうか?

 父親のようにぎゃんぎゃん(わめ)いたりはしないが、王妃教育を受けているだけあって忍耐強く、先程から同じ主張をして、てこでも動かない。

 グレイの方が音を上げそうだ。


 同僚の侍従が近くを通りかかったので、視線で色々と訴えてみたが、すっと逸らされた。


(くっそー、貧乏クジ引いた!)


 ため息を飲み込んで、もう何度目になるか覚えていないやりとりを再開した。

 しばらくの間、変わりばえのない会話を続けていると、背後からつかつかと特徴のある足音が響いてきた。


「アンジェリーナ嬢」


「ホイットニー首席補佐官」


 グレイの側に立ったヒューは、珍しく表情の選択に困っているような顔で、アンジェリーナ嬢を見下ろした。

 対するアンジェリーナ嬢は一心にヒューを見つめている。父親とは違い、北門の官に対する含みは持たないようだ。


「どうか、殿下に会わせていただきたいのです」


「……殿下は少しなら時間を割いてもよいとおおせです。ですが、こういうことはもう、今回で最後にしていただきたい」


 あなたは礼儀をよくご存知でしょう? とヒューが問うと、アンジェリーナ嬢はぎこちなくうなづいた。


(ヒューさんはこのお嬢さんに同情的だよな)


 キャンベル侯爵への攻撃は激しかったが、令嬢には常に礼儀正しく接していた。

 てっきり女性には優しくする主義なのかと思っていたのだが、先日のカーマインさんへふるった毒舌の凄まじさを考えるとそういうわけでもなさそうだ。

 まあ、同情的と言っても、結局のところ彼女の父親を破滅に追いやったのはヒューなのだが。


 ヒューとグレイが先導して、アンジェリーナ嬢をジェラルド様の執務室に連れていった。


 大量の書類に囲まれ、少し眉をしかめて仕事をこなしていたジェラルド様は、アンジェリーナ嬢を見ると待ち人がようやく現れたかのように表情をゆるめた。


「やあ、アンジェ、よく来てくれたね」


「お時間を割いていただき、ありがとうございます、殿下」


 ジェラルド様はにこやかに笑いながら、手振りで執務机の近くにある椅子に座るよう促し、アンジェリーナ嬢は硬い表情でそれに従った。


「さて、アンジェ、本日はどういう用件だろう?」


「わ……わたくしの父のことですが──」


 両手を胸の前で固く握り合わせ、目を伏せたまま、震えた声でアンジェリーナ嬢は訴えた。


「──父にかけられている容疑は冤罪です。我がキャンベル家の忠誠心にかけて、父がそのようなことをするはずがありません。どうか……どうか……殿下のご厚情をもって、お取り成しをお願いしたく、本日は厚かましくも参上しました」


 その言葉には懇願の色はなく、暗記した台詞をただ読み上げているかのように無機質だった。


「そう訴えるよう、キャンベル侯に言われてきたのかい?」


「……あ、いえ……」


 アンジェリーナ嬢は初めて顔を上げ、ジェラルド様と目を合わせた。

 ジェラルド様はどこか夢見るように微笑んでおり、アンジェリーナ嬢は糸の切れた操り人形のように感情が欠けている。


「キャンベル侯の逮捕は、正式な捜査を踏んだ上で行なわれたものだ。今は司法の手にゆだねられている段階だし、いくら私が王太子といえども、そこに口出しするのは越権というものだよ」


「……はい」


 アンジェリーナ嬢はそれ以上、重ねて訴えることはなかった。

 本当に父親に言われたから来ただけなのだろう。


「それから、君はもう私の婚約者ではないのだから、今後ここに来てはいけないよ」


「はい……申し訳ございません」


 反論することなく頭を下げるアンジェリーナ嬢に対し、ジェラルド様は会見は終わりだと身振りで示した。


「グレイ、アンジェリーナ嬢をお見送りするように」


「かしこまりました」


 ひっそりと立ち上がり扉に向かうアンジェリーナ嬢の背に、「ああ」とジェラルド様は忘れ物を思い出したように声をかけた。


「アンジェ、今までありがとう」


 振り向いたアンジェリーナ嬢に、ジェラルド様は晴れ晴れとした笑みを向けた。

 その顔を見て、ジェラルド様はアンジェリーナ嬢を心底嫌っていたのではないかと、長年仕えた勘でグレイは思った。


 表情の抜け落ちたアンジェリーナ嬢に付き添って、グレイは東宮の回廊を歩む。

 回廊は日差しにあふれており、暖かく、先程のある意味容赦のない会見とは別世界のようだ。

 窓から薔薇園が見えるところで、なぜかついてきたヒューがたずねた。


「私がきくことはお門違いだろうが、あなたはこれからどうされるつもりです?」


 全くもって破滅に追いやった側が言うことではないだろうとグレイは唖然としたが、アンジェリーナ嬢は怒ることなく、ただ戸惑ったように小首をかしげた。


「わたくし、お父様の指図がないと、どうしたらいいのか分からなくて……」


「そうですか」


 しばし、三人は黙々と歩く。


「あなたは子供の頃に夢中になった物事はないですか?」


「夢中に……?」


「ええ、それをしていると、時間を忘れてしまうような、没頭してしまうような何かは」


 アンジェリーナ嬢は視線をさまよわせた。

 過去をたどって、掴みがたい何かを掴もうとするような沈黙が続く。

 やがて、ぽつりと言葉をこぼした。


「祖父の隠居場所が南の方にあって、幼い頃はよく遊びに行ったのですけど、森には色鮮やかな鳥がいました。それをながめるのが好きでした。あと、鳥の姿から図案を起こして、刺繍をするのも……」


「では、それをやってみたらいいのでは」


 ヒューが勧めると、アンジェリーナ嬢は困ったように眉をよせた。


「刺繍はともかく、森に入るのは淑女らしくないと父に叱られると思います」


「あなたの父上は今後、あなたに指図することはできないでしょう。だから、やってみたらいかがです?」


「まあ」


 アンジェリーナ嬢は立ち止まって、驚いたようにヒューを見上げた。

 そして、もう一度「まあ」とつぶやくと、口元にほんのりと笑みを浮かべた。

 グレイは長年アンジェリーナ嬢を見てきたが、彼女のそういう生気のある表情を見るのは初めてで、とても可愛らしかったので意表をつかれた。


「ヒューさんって、アンジェリーナ嬢に妙に優しいよね」


 立ち去るアンジェリーナ嬢を見送りながら、その優しさを少しは周囲にも振りまいてくれまいかと恨みがましげにグレイが問うと、「うむ、実はだな──」とヒューが改まった調子で語り始めたので、さては陰ながら彼女に惚れてたのとか、鬼の恋話(コイバナ)が聞けるのとか、グレイの期待は大いに盛り上がった。

 しかし、残念ながらヒューは期待には応えてくれなかった。


「実は俺は、人をいたぶって、心をへし折るのが割と好きでな」


「実はも何も、皆知ってるよ! それに、割と好きじゃなくって、滅茶苦茶好きでしょ!」


「だが、彼女みたいに、ちょっとつついただけで壊れそうな人だと、へし折りがいがないだろう」


「へし折りがいって何さ!?」


「その点、お前とか、あの──カーマインだったか、あの侍女などは、へし折りがいで言うと一級品だな」


「僕もカーマインさんも、そんなところで高い評価はいらないんだけど!?」


「アンジェリーナ嬢もぜひ、いたぶりがいのある強靭な精神を持ってほしいものだ」


「優しくしておいて、後でいたぶるって、あんた、最低だよ! 最ッ低!」

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