前編4
尼僧長との会見は、王宮の青の間と呼ばれる場所で行なわれる。
半球状の高い天井に、床は白と青の大理石で幾何学模様が形作られ、高窓から入る日光はどこか青みを帯びる美しい広間だ。
ジェラルド様の供で広間に入ったグレイは、ヒューと一緒に扉近くの壁際に立って控えた。
ジェラルド様はそのまま一人で広間の中ほどへ入っていく。
もう大体の面子は揃っており、椅子に腰かけていた人々は立ち上がってジェラルド様を迎えた。
その後、ジェラルド様はまっすぐにマリー嬢の方へ向かい、二人は見つめ合って微笑み、軽く言葉をかわした。
二人とも容姿が優れているので、この美しい広間の中でとても絵になっているのだが、
(ジェラルド様、もうちょっと遠慮しませんか……?)
キャンベル侯爵が怒って、二人に文句を言い立て始めた。
その背後でアンジェリーナ嬢はうつむいて肩を震わせている。
侯爵の怒りの声は半球状の天井にわんわんと響き、壁際に立つお供衆の中には身を竦ませる人もいたが、真ん前に立つジェラルド様とマリー嬢は柳に風と流して、にこにこ笑うばかりだった。
(神経の太いところはお似合いだよな、このお二方)
不協和音のやりとりが響く中、扉が開き、先触れの侍従が入ってきた。
広間が一気に静まり返り、ジェラルド様も含む全員が頭を下げる。
人々の迎えを受け、王と王妃が厳かに姿を現した。
その背後からは尼僧長。
王が頭を上げよと言葉を発したので、全員が顔を上げた。
高齢を理由にほとんど人前に姿を現さなくなっている尼僧長は、人生の終わりが間近に来ていることがぼんやりと察せられるほど弱々しく、とても痩せて小さく見えた。
足元がおぼつかないのか、若い尼僧の支えを受けてゆっくりと歩む。
だが、眼差しは静かで穏やかだった。
グレイには想像もつかないが、人生のほとんどを信仰に捧げた人というのは、心の中に何か確固たるものがあるのかもしれない。
尼僧長を見て感慨深いのは、オレイリー公とマグダレーナ王女の時代はそう昔のことではないということだ。
王朝の交代は約八十年前、オレイリー公が亡くなったのが約三十年前。そして、罪人扱いなのであまり知られていないが、マグダレーナ王女は二十年程前まで生きていたという。
ジェラルド様とマリー嬢の年齢と平仄が合うのが妙な感じだ。
ジェラルド様は二十八才、マリー嬢はグレイと同い年と聞いているので十八才。
まあ、単なる偶然だろうが。
王と王妃と尼僧長が椅子に腰かけると、中ほどにいる他の人々も座った。
問答が始まった。
しばらくの間は、尼僧長が過去に実際あったことを問いかけ、ジェラルド様かマリー嬢がそれに答えるということが続いた。
だが、途中でしびれを切らしたキャンベル侯爵が、険のある大きな声でマリー嬢の答えに言いがかりをつけだし、それに対抗するように宰相が一つ一つ論破していく。
ついにはヒューも宰相に呼ばれ、論戦に参加しだした。
それをながめていてグレイは思った。
(ジェラルド様の目的は、もしかしてキャンベル侯爵の派閥の力を削ぐことなのかな?)
グレイは政治向きのことは詳しくないが、王朝交代時に勲功があった貴族と、それ以外の貴族でははっきり派閥が分かれていて、対立していることくらいは知っている。
前者の筆頭がキャンベル侯爵で、後者は宰相だ。
ジェラルド様はどちらかを贔屓するような態度は見せないが、ヒューを側近にしていることからいうと宰相寄りだろう。
北門の官は別に宰相派ではないのだが、あまりにもキャンベル侯爵の派閥と険悪なので、消極的な意味で宰相寄りなのだ。
子供の頃から十年近く仕えているので、多少はジェラルド様のことを分かっているつもりだけれど、決して恋に溺れるような方ではない。
それでも落ちたら溺れるのが恋というものだと言う人もいるが、ジェラルド様は落ちることはあっても溺れることはないと思うし、自分のそういう感情ですら冷静に何かの目的に利用しそうだ。
(マリー嬢はジェラルド様のそういうところ、分かってんのかな?)
一途にジェラルド様を慕っているマリー嬢が、その辺りを分かってないのだとしたら、あの天使のような無邪気な微笑みはいつか壊れる時がくるのかもしれない。それを思うと少し不憫だ。
最初はそのようなことを考えながら気をまぎらわせていたグレイだが、
(ひ……暇だ……)
あまりにも同じようなやりとりが続くので、途中で飽きてきた。
本当は微動だにせずに立っていなくてはいけないのに、手足がウズウズと動き出す。
幸か不幸かヒューが側を離れてしまったので、それを止める者がいない。
辺りをちらちらと見回し、近くに立つおねえさんと目が合った。その瞬間、グレイは思った。
(あ、この人、僕と同類だ)
侍女の装いのおねえさんは居心地悪そうに頭をかいていたが(王宮ではまず見かけない仕草だ)、グレイと目が合った時、にっと笑った。
むこうも仲間意識を持ったらしく、目立たぬようにすっと寄ってきた。
「暇だねー」
「暇ですねー」
小声で話しかけてきたので相手をする。
キャンベル侯爵と宰相が声を張り上げて、ほぼ怒鳴りあいになっているので、小声で話す分には目立たなかった。
おねえさんはマリー嬢の侍女だと言った。
不作法なのでこんな所へは来たくなかったが、マリー嬢に連行されて辟易しているとの話にグレイは親近感を持ち、グレイも王族の侍従なんて向いていないのになかなか辞められないと愚痴をこぼした。
始めは暇つぶしの雑談だったが、お互いとても相通じるものがあり、二人の会話は時と状況を忘れて盛り上がっていった。
近くに立つ同じ立場の者達の戦々恐々とした視線にも気づかず、二人は色々なことを語り、声がだんだん大きくなっていく。
盛り上がりはおねえさんの大好物である臓物の煮込の話の所で最高潮を見せた。
よほど好きらしく、おねえさんの顔はゆるみ、今にもヨダレがたれそうだ。
語り口が上手く、煮込の匂いが漂ってきそうなほどで、グレイの口中にも唾がわいてきた。思わず、
「下町の臓物の煮込ってそんなに旨いんですか? 食べてみたいなあ」
「ぜひ食べて! 食べなきゃ人生損するよ!」
そういうやりとりをした時、たまたまキャンベル侯爵と宰相の発言が途切れていた瞬間と絶妙にかち合い、場違いな会話は広間中に怖ろしいほどよく通った。
しん……と重厚な静寂が広がる。
(し、しまった。やらかしちゃった……?)
おねえさんと申し合わせたように目で会話し、こわごわと周りに目をやると、胃に穴が開きそうな光景がそこでは待っていた。
全員がこちらを凝視している。
王も王妃も宰相も、壁際に立つ随従の者達も、身分を問わず全員がこちらを見ている。
尼僧長は、キャンベル侯爵と宰相の怒鳴りあいにも眉ひとつ動かさなかったというのに、今は呆然とした顔をしていた。菜食の僧籍の人に、臓物の話はそれほど強烈だったろうか?
誰もが凍りついて身動き一つしない中、鋼の心臓を持つヒューがつかつかとやって来た。
満面の笑顔なのに、額には青筋が立っている。
「そこの二人、ちょっと外に出ましょうか」
ヒューは、硬直したグレイとおねえさんの二の腕を掴み、容赦なく広間の外へ引きずっていった。
その後のヒューの説教はあまりにも苛烈で、グレイとおねえさんの痛い点を的確に抉ってきて、さすがのグレイもしばらくは落ち込んだものだ。
──広間を出る前、ジェラルド様とマリー嬢がこちらを見ていたのだが、ちょうど逆光になっていて、どういう表情をしていたのかは分からなかった。