前編2
「てゆーか、いい年した男が夢だの生まれ変わりだのってのはどうかと僕は──痛いッ、ヒューさん、痛いってば! こめかみグリグリは止めて!」
「いつになったら殿下に対する適切な口のきき方をおぼえるんだ、グレイ」
いつものように軽口をたたいたら、ジェラルド様は面白がるように小さく笑い、首席補佐官のヒューは両の拳でグレイのこめかみをいためつけた。
グレイがこういう口をきくのは毎度のことなのに、その度に律儀にいたぶるヒューは本当に鬼畜である。
「殿下、考えなおしてはいただけないでしょうか」
ヒューとグレイのふざけたやりとりを完全に無視して、もしくは気づく余裕がないかのように、アンジェリーナ嬢は悲壮感を伴う真剣な態度でジェラルド様に懇願した。
(ちょっと思いつめてる感じだなぁ)
それも仕方がないかとグレイは思う。
現王朝の初代国王の革命に協力し、その後も治世を支え続けたとして、キャンベル侯爵家は王家の第一の忠臣と目されている。
ジェラルド様とアンジェリーナ嬢の婚約は、キャンベル家の忠誠心を評価した意味合いも含まれており、アンジェリーナ嬢は婚約が成立した幼い頃からそれはそれは厳しい──グレイなら初日で脱走しそうな──王妃教育を受け続けている。
そういう背景で成立している婚約を、また、これまでの努力を、夢だの生まれ変わりなどという与太話でくつがえされそうになっているのだ。
いかに大人しいアンジェリーナ嬢といえども一言物申したくなっても仕方がないのだろう。
「君にはすまないことをしたと思っている、アンジェ」
ジェラルド様は神妙に謝った。
おいおい過去形ですかい既に婚約解消はあなたの中では決定事項ですかい、というグレイの心中のつっこみはさておき、ジェラルド様は至って真摯な態度だ。
ジェラルド様は見てくれが大変よろしく優しそうなので、そのように謝ると、まるで相手の方が悪いことをしたような気にさせられる。
多分、この方は自分が醸し出す空気を分かってやっていると思う。
(本当にきれいな王子様だよなぁ、ジェラルド様は)
グレイは故オレイリー公の若かりし頃の肖像画を見たことがあるが、ジェラルド様に似たその人は──血縁なのだから似ているのは当然として──大変美しかった。
同じ男に対し美しいという表現は抵抗があるのだが、荒事など知らぬように優雅で、それでいて深い悲しみを目にたたえた公爵は、どこか儚げで美しいとしか言いようがなかった。
ちなみに罪人の扱いのマグダレーナ王女の肖像画は残っていない。
優秀で真面目で、誰に対しても優しく丁重な姿勢を崩さず、おまけに美しいジェラルド様は、できた王太子だ、素晴らしい主だと仕える者一同の自慢であった。
──この生まれ変わり話をぶちあげ始めるまでは。
「本当に生まれ変わりなどという下らない話で、我が娘との婚約を解消されるおつもりですか?」
アンジェリーナ嬢の隣でキャンベル侯爵が問うた。
痩身をまっすぐに伸ばして座る侯爵は、言い逃れは許さぬと言わんばかりの厳しい目を王太子にひたと据える。
「私にとっては下らない話ではないよ、キャンベル侯」
「──生まれ変わりの話は置いておきましょう。本気でアンジェを差し置いて、ウェズリーの娘を妻に迎えるおつもりか? あの娼婦の娘を!」
「きれいごとかもしれないが──」
激昂した侯爵に対しみじんも怯まず、ジェラルド様は静かに語る。
「私は生まれで人を区別する気はないよ。誰の子であろうと、誰の血をひいていようと、マリーは私の唯一の人だと思っている」
「本当にきれいごとですな! 殿下はまだお若いからお分かりでないでしょうが、きれいごとでは世間は回りませんぞ! そのような寝言で代々忠誠を捧げている我がキャンベル家を愚弄なさるか!」
若いといってもジェラルド様ももう三十前で、長年にわたって王太子としての責務を果たしているのだから、そこまで世間知らずではないと思うけどなあ、とグレイは思うが、いきり立つ侯爵の相手は面倒そうなので黙っておく。(そもそも、侍従のグレイが口をきいていい場ではないのだが、寛容な主に慣らされてグレイにその自覚はない)
「代々の忠誠とおっしゃいますが、あなたのお父上や祖父上はともかく、あなた自身はこれといって何も国に貢献していないでしょうに」
グレイが黙ったというのに、ヒューが強烈な皮肉を見舞った。
「何をこの平民風情が! 私に直接口をきくなどとおこがましい! 分際をわきまえよ!」
「はいはい申し訳ございません。家柄しか誇るもののない、低能で頭のお可哀想な侯爵様」
ヒューは頭を下げることなく、悪意の明らかな空々しい謝罪(?)をしてみせた。
これだから、グレイはヒューに口のきき方を注意されても直す気になれないのだ。
侯爵は怒りで顔を紅潮させたが、ぎりりと一つ歯ぎしりをした後、
「殿下、もう少し身近に置く者を選んだ方がよろしいのでは。北門の官など下賎の輩が側にいると、悪い影響を受けますぞ……いや、もう受けておられますかな?」
平民は相手にしないと決めたのか、ジェラルド様に訴えかけた。
「しかし彼らは優秀だから」
そう言いつつ、ジェラルド様は侯爵に心の底から同情するかのような顔をしてみせたので、侯爵は満足気に鼻を鳴らした。
(いやいや、侯爵、だまされてますから)
ジェラルド様は失礼な態度をとったヒューをたしなめもしないし、低能という評価も否定していない。
それどころか北門の官を擁護している。
それが本音なのだろう、結構辛辣な方なのである。
だが、優しく丁重な態度に煙に巻かれる者は多い。
北門の官とは、選試と呼ばれる試験に合格して高官に就いた者の通称だ。
身分を問わず受験でき、平民が高官になれる唯一の途である為に、選試は極めて激しい競争となる。
それを勝ち抜いてきた彼らは、同じ人間とは思えないほど怖しく優秀だ。
平民がほとんどを占め、身分の低い彼らは王城の北門から出入りすることから、いつしか北門の官と呼ばれるようになった。
彼ら自身は誇らしげに、家柄重視の旧弊な貴族は卑しむように。
(はー。こういう真面目な雰囲気、苦手だなぁ)
ジェラルド様もヒューもキャンベル侯爵父娘も皆、真面目だ。
くそ真面目に生まれ変わりとかいう与太話に踊らされている。
グレイはこういう雰囲気になると、ついふざけて混ぜ返したくなるという悪癖がある。
十八才にもなって子供じみていると父にはよく叱られるが、何というかこう体がウズウズとしてくるのだ。
王族の侍従なんて絶対に向いてないと思うのだが、ジェラルド様はグレイの悪癖を面白がっており、妙に気に入られているので、手放してもらえない。
しかも、これから尼僧長のところへお供をしなくてはならない。
国王様も王妃様も宰相様も同席されるという。
一体全体、どのように転がったら、与太話がここまで大事おおごとになるのやら。
(本当に、何の苦行だよ……)
窓の外の青空が、お出かけを誘うようなきれいなものだったので、グレイは恨めしげにそれを見上げた。