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涙が出るほど幸せな  作者: ねこすけ
後編:過去の夢
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後編7

「お父様」


 ある日の夜遅く、マリーは父の書斎を訪れた。


「マリー、なんだね? 早く寝ないとだめだろう」


 父は資料の束を手に、もう片方の手で胃の辺りをさすっていた。


「それ、今日、ジェリーから渡された資料?」


「そうだよ」


「嫌な内容なの?」


「うーん……」


 占術士に会った日以降、ジェラルドはもはや手下のように父と二人の母をいいようにこき使っていた。

 父の性格上、王宮で表立って動くのは胃を壊しそうなので、影ながら働いている。

 その為、父の商会名義で保有している建物を集会場所として提供し、そこに出入りする人間は厳選していた。

 マリーも父やどちらかの母について出入りしている。


 父が今、手にしている資料は、今日、ジェラルドから渡されたものだった。


「マリーが気にすることではないよ。もう、おやすみ」


「お父様!」


 二人の母達と違って、父はマリーがジェラルドに関わることに対して消極的だ。

 それは父の優しさから来ていることを、マリーは知っていた。


「お父様、わたくし、勉強したいです」


「マリー」


「お父様とジェリーとヒューがしゃべっている内容を分かるようになりたいのです。そして、少しでも助けになれるようになりたいのです」


 夜毎、悪夢を見る。

 朝、起きると、平和で穏やかな日だ。

 毎日、その繰り返し。


 でも、占術士のおじいさんは言った。


 悪夢はすぐ側でぱっくりと口を開けて待っているんだと。

 少しでも油断すると、悪夢に喰われてしまうのだと。


 父や二人の母、ウェズリー家の人達、ジェリーやヒューと笑いあう日々が、壊れてしまうのかもしれないと思う度、マリーは焦燥に駆られた。


「お願いします」


 マリーは頭を下げた。


「あああ、頭を上げなさい、マリー。分かったよ、家庭教師を手配しよう」


「ありがとうございます、お父様」


 マリーは父に抱きついた。

 父は困ったようにマリーの頭を撫で、嘆息した。


「無茶をするのではないよ。まったく誰に似たのか……いや、両方のお母様に似たのだね……」




 それから、時が流れた。


 マリーが十六才になり社交界に出るようになっても、ジェラルドとマリーは王太子と臣下の娘として振る舞い、親交があることを世間には一切見せなかった。

 娼婦の娘と蔑む王侯貴族達に、莫迦(ばか)(いとけな)い小娘の仮面を被って対応する裏で、マリーは国に仕えるため女官になる準備を進めていた。




 そして、マリーが十八才になった頃、


「あぁっ、肝心の証拠があと一歩で掴めねぇ!」


 例の集会場所でヒューが雄叫びをあげた。

 部屋に入ろうとしていたマリーは、驚きで戸口で固まった。

 見ると、ヒューの隣ではジェラルドが珍しく頭を抱えている。


「何の騒ぎですの?」


 少し落ち着かせてやろうと、香草茶を淹れる準備をしながら、問う。


「キャンベルの糞野郎の収賄の証拠だよ。あの野郎、悪知恵だけは働きくさって、なかなか尻尾を出さねえ!」


「ヒュー、口のきき方がよろしくなくてよ」


「……と、失礼した、マリー嬢」


「どういたしまして、ホイットニー首席補佐官」


 ヒューは選試に合格し、ジェラルドの側近になっていた。

 普段は丁寧に話すのだが、気がゆるんでいる時などに頭に血が上ると、素の乱暴な話し方が出てくる。


 マリーは一旦部屋から出て、厨房から湯をもらい、戻ってきた。

 それで三人分の香草茶を淹れ、マリーも腰をかけた。


「なんとか、キャンベルの気を逸らせることはできないかな」


「だよなあ。あいつ、何のかんのと言って、目端がきくからな」


「自分の父親を追い出して、爵位を奪えるくらいだからね」


 三人はふーっと息をついて、香草茶を飲んだ。


「マリー、何かいい案ないか? キャンベルの奴の気を逸らせそうなの」


「キャンベル侯爵ですか? ジェリーが浮気したら侯爵は怒るとは思いますけど」


 ジェラルドの婚約者でキャンベル侯爵の娘であるアンジェリーナ嬢はもう十九才になるが、なかなか成婚の話に進まないことで、侯爵がやきもきしている話は社交界では有名だ。

 実態は、侯爵を罪に問いたい事情や、ジェラルドがアンジェリーナ嬢を嫌っている事情等で、色々理屈をつけて成婚を延ばし延ばししている。


 マリーは深く考えもせずに、思いついたことを言っただけなのだが、


「それだ!」


「それはいいかもね」


 と二人が乗ってきたので、引いてしまった。


「あの、二人とも、わたくし、適当に言っただけなのよ」


 マリーは言い訳したが、二人は聞いてはいなかった。


「浮気じゃなくて、本気の恋の方がよくないか? どうせキャンベルの奴を追い詰めたら、アンジェリーナ嬢とは婚約解消だろうし」


「いいね。この際、思い切り盛り上げて『運命の恋』でもしてみようかな。そして、そのままご成婚とか」


「お、いいじゃないか。どっちにしろ、お前、そろそろ結婚しないとまずいだろ、王太子」


「たいして年が変わらない君に言われたくないね」


「俺は王太子じゃないし。で、お相手は誰にする?」


 相手を選ぶ時点で『運命の恋』じゃないだろう、とマリーはつっこみたかった。


「事情を知っていて、キャンベル派じゃなくて、ある程度、俺らの話についてこれて、ジェリーと年齢と家格が釣り合って……」


 ヒューが指折りながら条件をあげていき、ふと黙り、ジェラルドと見つめあった。

 その後、二人がマリーの方を向く。


 マリーは嫌な予感がした。


「何ですの?」


「マリー、ジェリーの嫁にならないか?」


「ご存知だと思いますけど、わたくしは女官になるべく勉強中です。結婚している暇はありませんわ」


「ロッシュ家の借金野郎につきまとわれて困っているって言ってただろ。丁度いいじゃないか」


「ですから、女官になるべく勉強中だと──」


「女官より王太子妃の方が、世の中に貢献できると思うぞ」


 北門の官の秀才は、説得力のある言葉を放った。


「ジェリーは? マリーを嫁にするのは嫌か?」


「悪くないかもね」


 マリーの真面目さは見ていて快い。

 己の思考というものがないアンジェの薄気味悪さに比べたら、断然つきあうのが面白い。

 それに真面目なので、おちょくって遊ぶのにも丁度よい。


「で、マリーはどうよ?」


「……悪くないかもしれないわね」


 ジェラルドは自己中心な性格で、見た目ほど優しい人ではないが、公平な男だ。

 それに確かに女官よりは妃の方ができることの幅が広がり、悪夢の再来を防ぐ力になれるだろう。

 また、ジェラルドの性格を承知した上で、何のかんのと仲はいいのだ。


 それに、身の内を同じ焦燥に()かれ、同じ目的を背負い、共犯者のように、悪友のように、横並びで人生を歩んでいく将来像は、二人の心に決して悪いようには響かなかった。




 せっかくだから思いきり盛り上げることになった。


 前王朝のマグダレーナ王女とオレイリー公レオンの話を舞台化し、そこでジェラルドとマリーは運命の出会い(笑)を果たす。


 舞台化はマリーの父の商会が資金を出した。

 気弱な父らしく、ウェズリー家の名前が表に出ないよう、慎重に資金操作を行なっていた。

 ……こんなことで王太子妃の父が務まるのか心配だが。


 そして、マリーの二人の母が世論を操作し、ジェラルドとマリーが生まれ変わりであるかもしれないことを噂させ、二人を結婚させるべきではないかという方向に持っていく。


 その背後で、ヒューを中心とする北門の官らが、キャンベル侯爵達の罪の証拠固めを行なう。




 舞台は整った。

 主演はジェラルドとマリー。

 題目は『運命の恋』


 世間を相手取っての大芝居の幕開けである。

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