前編1
夜毎、夢を見る。
姫君が幽閉された塔を見上げる、悲しげな若者の夢を。
同じ空の下の若者に想いをはせる、悲しげな姫君の夢を。
※※※
「ちょっとお嬢様の妄想も激しすぎるんじゃないかと思いますけどねー」
「ひどいわ、カーマイン、どうしてそんなことを言うの?」
我ながらこの失言癖はどうにかならないかと思いつつも、今日も今日とて思ったことをたれ流してしまい、主であるマリーお嬢様が拗ねて口をとがらせる。
見た目は天使のようなお嬢様なので、そのような顔をしてもただただ愛らしい。同情をよせた同僚の侍女達がギンッと殺気だった視線をよこしたが、カーマインは気づかぬふりをしてそっと顔をそらせた。
(いえ、皆さん、ちょっと冷静になって考えてみましょうよ)
怖いので残りは心の中でつっこむ。
マリーお嬢様は見た目こそ華奢で可憐で、日頃の態度もたよりなさそうなので、庇護欲をそそる方だ。
しかし、絶対に神経はか弱くはない、というのがカーマインの見立てである。
冷静に事実だけ切り取ると、お嬢様は現在、既に婚約者のいる王太子殿下に横恋慕し、婚約者を追い払って自分がその座につこうとしている。
本当にか弱い乙女ならば、そっと身を引くか、涙にくれ日々をなげいてすごすだろうに、このお嬢様はおっとりと愛らしい微笑みを浮かべながらも、一歩も退しりぞく気配はない。
事実だけを並べるととてもふてぶてしい悪女に聞こえるのに、周囲の人々の大半が彼女を恋に一途な可憐な乙女だと思っている。
そのように思わせるお嬢様の振る舞いが計算づくなのか素なのか、お嬢様が九才の頃から身近に仕えているカーマインにもよく分からない。
「マリー、妄想とまで言うつもりはないが、私も今回のことは無謀だと思う」
「クロード様……」
お嬢様の向かいに座るクロード卿が苦々しげな顔で、珍しくカーマインの肩を持った。
一応貴族の出ではあるががさつなカーマインに対し、とても貴族的で気位の高いクロード卿はよく不快感を露あらわにするけれども、愛しいマリーお嬢様の前で猫をかぶったようだ。
それとも王太子殿下とマリーお嬢様の仲が現実味を帯びてきて、焦ってきたのだろうか。
「ジェラルド殿下には既に婚約者がいらっしゃる。いくら同じ夢を見るからって、お二人の仲を裂くのはどうかと思う」
「ジェラルド様はアンジェリーナ様を愛してはいないとおっしゃったわ」
「殿下のお立場で愛だ恋だのでお相手を選ぶことは許されないよ」
十八という年齢の割に幼いな口調のお嬢様に、クロード卿は諭すようにこんこんと説明する。
「王家ほどではないにしても、我々貴族だってそうだ。気高く誇り高く国の為に殉じるべきであって、愛だ恋だのといった私情に左右されてはならないよ。その為に特権を与えられているのだからね。それに、そのように本能のままに生きていては、獣に近い平民のようだ」
「わたくし、ジェラルド様を一生懸命ささえるつもりよ」
「一生懸命だけではだめなんだよ。アンジェリーナ嬢は幼い頃から殿下の妃になる為の教育を受けてきたんだ。どうしたって君にはそれが足りない」
「わたくしも勉強するわ」
「マリー、ちょっとやそっとの勉強でどうにかなるほど、殿下のお立場や背負ったものは軽いものではないのだよ」
お嬢様の深い青の瞳が、涙でうるみだした。
「わたくし、ジェラルド様をお慕い申し上げているの」
「……」
クロード卿はわずかにうんざりした様子を見せ、小さく息をついた。
この二人の会話はいつもこのように堂々巡りとなる。
クロード卿もよく飽きないものだと思う。
まあ、求婚している相手が他の男とくっつこうとしているのだから、当然の粘りかもしれないが。
「マリーさん、どうしたの?」
「お母様」
やや気まずい空気が流れたところに、奥様が部屋に入ってきた。
お嬢様は涙をたたえたままであったけれども喜色を表し、二人掛け長椅子の隣に座った奥様にすがりつくようにしてそっと額を押し当てる。
「どうしたの? 子供のようよ、マリーさん」
「なんでもないわ。少し緊張しているの」
奥様はどちらかというと厳しくていかつい顔立ちだが、今は優しく笑って、お嬢様の白金色の美しい髪を手で梳すいてあげていた。
奥様とお嬢様は似ていない。
それもそのはずで、公けには母娘となっているものの、実際は血のつながりはない。いわゆる生なさぬ仲の二人なのだが、関係は至って良好だ。
「そろそろ王宮にうかがう仕度を始めなくてはならないのでは?」
無視された感のあるクロード卿が冷たく口をはさんだ。
このウェズリー伯爵家では女の方が幅をきかせているのだが──気弱な癖に、よその女の毒牙にかかり子供を設けた旦那様は、表向きはともかく家の中では最底辺に位置づけられている──クロード卿は蔑ないがしろにされることに慣れておらず、ウェズリー家のこの風潮を不快に思っているようだ。
奥様が顔にとても迫力のある冷笑をはりつけた。
「クロード卿は今回ご親切にもわたくしどもにご同行下さるとか。本当にありがたく思っておりますわ」
「マリーが心配なのでね。ウェズリー伯夫人、あなたはもう少し良識のある方だと思っていましたよ」
なぜお嬢様の無謀を止めなかったのかと無言の内に責めるクロード卿に、奥様の冷笑はますます深まった。
「あら、婚約者でもない赤の他人のくせに、他人の家の事情にしゃしゃり出てくるどこかのどなた様かよりは、良識があるつもりですわ」
ほほほと奥様が上品に笑った後、二人は無言でにらみ合う。
(怖いよ……)
窓の外の青空を見て、ああお出かけ日和だなと、カーマインは現実逃避した。
こんな日は臓物の煮込を食べに行きたいものだ。
貴族の食卓にあがるようなお上品なのではなくて、ニンニクが強烈にきいてネギがたっぷりかかったのを。
一度、口臭を手入れし損ねて、侍女長にがっつり説教された病みつきになるあれを。
ところで、同じ室内には旦那様がさっきからずっといるのだが、存在感のないことまるで空気の如く、ひっそりとお茶を飲んでいる。
そもそもの発端は、最近王都で流行している歌劇にあった。
実際に昔起こった王朝の交代を背景に、前王朝の王女マグダレーナとオレイリー公レオンの悲恋を題材とした歌劇だ。
マグダレーナ王女は革命後、塔に幽閉され、生涯そこから出ることはなかった。
そもそも王権をくつがえした新王エドワードは、前王朝の王族のほとんどを殺しつくしたのだが、王女ひとりが許されたのは、彼女がエドワード王の長男レオンの婚約者だったからだ。
二人は幼い頃に婚約を結び、それは周囲の色んな思惑で成立したものにも関わらず、たいへん仲睦まじかった。
だが、王朝交代後、二人の仲は引き裂かれ、幽閉されたマグダレーナとレオンは、二度と顔を合わすことがなかった。
レオンは王子の身分も王位継承権も辞退し、前王朝で家が保持していたオレイリー公爵位を継いだ。
彼は新王朝の世の安定に全力を注いだが、私生活では一度も妻帯せず、死ぬまで王女へ誠意をささげ続けたと言われている。
大体、このような粗筋の劇である。
どこまでが事実で、どこからが歌劇用に盛っている話なのか、昔話に興味のないカーマインには分からない。
引き裂かれてもなお、お互いを想い合う二人の哀切は、特に貴族の若い娘達の胸を焦がし虜とりこにし、この歌劇は異例の長期にわたって興行を続けている。
お嬢様も熱心に観劇に通いつめた者の一人だ。
ただ、他の人と違うのは、
「わたくしが毎晩見る夢と同じ内容だわ」
というこだわりがある点だ。
お嬢様は夢でうなされることが多い。
カーマインが知る限り、子供の頃からずっとだ。
お嬢様は歌劇と夢が似かよっていることを執拗に訴え続けたが、最初の頃は誰も真面目に受け取らなかった。
カーマインなどは愛想よく相槌をうちつつも、考えていたのは臓物の煮込のことばかりだった。
問題になり始めたのは、王太子殿下が同じようなことを言いだしたからだ。
婚約者につきあって劇を観た殿下は、毎晩見る夢に似ているとおっしゃったそうで、同じようなことを言っていると聞いてお嬢様に声をかけるようになった。
そこから、どんどん二人は親密になっていった。
カーマインは不作法なので殿下と同席するような場に付き添ったことがないが、同僚の侍女の話によると、お二人はお互いの夢のことを語り、共感し、いつも盛り上がって楽しそうにしているという。
それはともすればやや節度を越えているようにも見え、特に殿下の婚約者であるキャンベル侯爵令嬢の周辺からの風当たりがとても強くなっているらしい。
それでも最初は、ここまで真剣な状況になるとは誰も思っていなかっただろう。
いつの頃からか、誰が言い出したのか、人々は噂をしだした。
曰く、
「王太子ジェラルド殿下とウェズリー伯爵令嬢マリーは、オレイリー公レオンとマグダレーナ王女の生まれ変わりである」
と。
それを初めて聞いた時、
「アホか」
と、カーマインは一刀両断し、夢見がちな同僚の侍女達の大顰蹙をかった。
だがしかし、カーマインは思うのだ。
大神カディスを祭る坊主らはまことしやかに輪廻転生を語るけれども、俗人が俗世を生きる上でそんなものは要らんだろうと。
だが、その莫迦ばかげた話を真剣に考える人が出始め、あれよこれよと言う間に、それこそカーマインがあっけにとられて見ている間に、
「本当に生まれ変わりであるのなら、今世こそ二人を結婚させた方がいいのでは」
という世論が醸成されていたのである。本当に世の中は意味不明な事が起こりうる。
そして、とうとう本日、実際にマグダレーナ王女とオレイリー公双方と交流があった尼僧長に生まれ変わりかどうかを判断してもらう為、王宮へ参内することになったのである。
(本当にアホだろ……)
と、本日もカーマインは思う。浮き足立った周囲の様子とは裏腹に。
「本当にカーマインを連れていくのですか?」
非常に疑わしげな目でカーマインを見ながら、侍女長がお嬢様にきいた。
「だって、カーマインが側にいてくれると安心するのだもの」
「さようでございますか……」
侍女長は全く安心できないと激しく主張する目で、それでもお嬢様にはにっこりと笑いながら、カーマインを部屋の外へひきずっていった。
「カーマイン、くれぐれも粗相をしないように。分かっていますね?」
「…………」
鬼の形相でつめよる上司に対し、カーマインは気休めを言える性格ではないので、無言を貫いた。
カーマインの不作法は生まれつきなのだ、どうにもならない。
実はカーマインも元は伯爵令嬢である。
しかし、生まれた時から身分相応の教育や躾を厳しく受けたにも関わらず、なぜかどうしても不作法は直らなかった。
十八才の時に一度結婚したのだが、あまりの不作法ぶりに一年で離縁され、実家からは勘当された。
以降、九年、ウェズリー伯爵家で働いているが、現在もゆらぐことなく不作法である。
「カー、マ、イ、ン?」
笑顔にも殺気は込められるのだなと、カーマインは学んだ。
「……なぜ、あたしを連れていくんですかねー?」
不作法ぶりが知られているので、いつもは大事な場にカーマインを伴うことはない。
だが、今回は、最大の真剣勝負の場(しかも王宮)なのに、お嬢様はカーマインを連れて行くと駄々をこねた。
お嬢様が子供の頃から割と長く仕えているので、たしかに気心は知れているが、今回は場違い感が否めない。迷惑な話だ。
(もし本当に生まれ変わりなんてのがあるのなら、あたしの前世はバリバリの庶民だろーね)
最後まで侍女長に言質を与えず、カーマインはそう思った。