祝❀キックボクシングジム開業
「いらっしゃいませ。こんにちはー!
キックボクシング体験会へようこそ。
ここにお名前と連絡先書いて頂いてよろしいですか?」
「体験会ご参加下さりありがとうございます。11:00からの会があと15分程で始まりますので、こちらで防具を選んで頂き、しばらくお待ち下さい。」
芽衣子ちゃんと俺は、押し寄せる大量のお客さんに大わらわしながら、忙しく対応していった。
8月上旬のある日。
南さんのキックボクシングジム、
“Hawks Moon〈ホークス ムーン〉“
が開業した。
トラ男と真柚ちゃんの件で、鷹月師匠と南さんに大変お世話になった俺と芽衣子ちゃんは、既に夏休みに入っており、せめてもの恩返しにと、受付や、清掃などのスタッフとしてお手伝いに入らせてもらう事になった。
なお、あの数日後、トラ男とその仲間の不良達は、鷹月師匠と、その配下のスタッフさんと共に、“キックボクシングのプロになろう〜3年間みっちり修行in絶海の孤島〜”プロジェクトの為、船で島へ移動したらしい。
何故か静くんとキックボクシングの試合会場にいた、風道虎太郎とトレーナーの中村さんも短期限定でプロジェクトに参加することにしたらしく、同じように島へ渡って行った。
電話もメールも繋がらない状況に、静くんの彼女の新庄さんが寂しがって、毎日のように芽衣子ちゃんに泣きながら連絡が入るそうだ。
不憫な新庄さん…。
そして、真柚ちゃんとは、全くあれから連絡をとっていない。
一度だけ、亮介に電話をしてみると、
真柚ちゃんは、学校も辞めて、今は自分の部屋に籠もり切りだそうだ。
自分は、もう関わりを絶ってしまったが、
彼女にも、いつか立ち直れる時が来るといいのだが…。
そう思いながら、今日の午前中の体験会に最後のお客さんをご案内しようとすると…。
「こんにちは。矢口さん。」
目の前でにっこり笑っている少女の姿に、俺は目を丸くした。
「ま、真柚…ちゃん?」
少し痩せて、髪が短くなっていたが、間違いなく彼女本人だった。
「ま、真柚さん?!」
隣で受付をしていた芽衣子ちゃんも、驚いて立ち上がった。
「な、何しに来たんですか?京先輩に近付かないで下さい!」
「わっ。芽衣子ちゃん…!」
警戒した芽衣子ちゃんが、カウンターこちら側で俺と真柚ちゃんの間に入ってくる。
俺を心配してくれているのだろうが、距離が
近過ぎる…!
鼻先に、ほぼ密着した芽衣子ちゃんの髪からふんわりフローラルなシャンプーの香りが…!ううっ…、メッチャいい匂い!
「芽衣子さん、こんにちは。
何しにって、体験会に来たに決まってるじゃないですか。私、お客さんですよ?」
そんな芽衣子ちゃんに、真柚ちゃんは不敵な笑いを浮かべている。
その時、トレーニングルームから、首に掛けたタオルで汗を拭きながら、ジャージ姿の南さんが出て来て、真柚ちゃんに声をかけた。
「おー、本当に来てくれたのね。」
「はい。南さん、よろしくお願いします!」
「うん。よろしくね。その子はアタシが呼んだのよ。」
「あーちゃんが!?」
「南さんが!?」
「こら、真柚!一人で勝手に行くなって言ったろ?」
そこへ、亮介が慌てて飛び込んできた。
「亮介!」
「嶋崎さん!」
「ごめんな。京太郎。氷川さん。
真柚があれから部屋に引きこもっているって話をしたら、外に出る機会になるんじゃないかって、南さんがこの体験会のイベントに誘って下さって…。
二人に迷惑かけないよう、俺が監視するから、今日、お邪魔させてもらってもいいかな。」
亮介に、ペコペコ頭を下げられ、俺と芽衣子ちゃんは困ったように顔を見合わせた。
「ま、そーゆー訳だから、彼女の分も受付よろしく!」
ポンポンと芽衣子ちゃんの肩を叩く南さんを芽衣子ちゃんは睨み付ける。
「あーちゃん。何で…!」
「芽衣子。文句があるなら、これ見てみ?
この間の騒動でかかった費用…。
あんたが壊した部屋の修繕費に、三日間の私と、サブ達の動員費用、レンタカー代等しめて約○万円。」
「…!!!」
芽衣子ちゃんは、南さんに数字が書かれたメモを見せられ、青褪めた。
「鷹月師匠にほぼ肩代わりしてもらったけど、この場で芽衣子に発言権がないの分かるわね?その子、お客さんの候補なんだから丁重に扱って?」
「く、くぅっ…!わ、分かりましたぁっ!」
芽衣子ちゃんは、悔しそうな表情で、拳を握り締めた。
真柚ちゃんは、真面目な顔で、俺達に頭を下げる。
「芽衣子さん、矢口さん。この前は、人として許されない事をしました。
本当にごめんなさい…!」
「真柚ちゃん…。」
「真柚さん。謝ってもらっても、私に許す義理はありません。あなたのした事は、謝って許せる範囲をとうに超えています。」
「分かっています。それでも、きちんと言って置きたかったので。」
厳しい表情の芽衣子ちゃんに、
真柚ちゃんは、神妙な顔をして頷いた。
「矢口さん。これからは、私、強い魅力的な女の子を目指します!芽衣子さんに今度は正々堂々と勝負を挑んでいきますので、覚悟して下さいね?」
「お、おう…?」
「なっ…!返り討ちにしてくれます!!」
戸惑う俺と、怒りのオーラを漲らせる芽衣子ちゃん。
「コラ、真柚!!二人の邪魔するような事すんなって、言ってんだろ?お前はそこに大人しく座っとけ!」
「わっ。やめてよ、お兄ちゃん!」
亮介が真柚ちゃんを叱りつけると、首根っこを掴んで待合室のソファーに無理矢理座らせた。
「芽衣子も、ほどほどにしろよ?客を半殺しにするような事があれば、今度こそ、代金請求するからな。」
「うぐっ!」
南さんはそう言い置くと、真柚ちゃん達に「また後で」と声をかけ、トレーニングルームへと戻っていった。
受付に戻って来た亮介に手続きをしていると、真柚ちゃんの甘えたような声が飛んでくる。
「ねぇ〜矢口さん、防具って、どれをつければいいですかぁ?できれば、手取り足取り教えて下さぁい♡」
「京先輩は、今、超ウルトラスーパー忙しいので、私が行きますっっ!!」
芽衣子ちゃんは、金切り声をあげると、真柚ちゃんの方にすっ飛んでいった。
め、芽衣子ちゃん、大丈夫…か…?
ま、まぁ、真柚ちゃんも反省しているようだし、亮介も監視しているし、滅多な事にはならないと思うが、もし本格的に真柚ちゃんが、ここでキックボクシングを始めるとしたら、これから騒がしいことになりそうだと俺は苦笑いするのだった。
*
*
待合室とトレーニング場を隔てる壁は、全面ガラス張りになっており、中の様子が見えるようになっている。
午前中の体験会で、既に申込みのあった何件かの顧客データをパソコンに打ち込み、少し時間ができると、俺はトレーニング場の方に目を遣った。
体験会にきていたお客さん(男性6割女性4割)は、順番に並んで、南さんや、他のトレーナーに指示されたパンチや、キックをサンドバッグに打ち込んだり、ミット打ちをしたりしていたが…。
真柚ちゃんは、タオルを首に掛け、トレーニング場の隅っこに、座って休んでいた。
どうしたんだろう?
体調でも悪いのだろうか?
近くにいる筈の亮介も見当たらなかった。
一緒に様子を見ていたらしい芽衣子ちゃんが、苦笑いした。
「あら。真柚さん、あんなに啖呵を切っていたのに、もうへばっちゃったんですかね?
まぁ、キックボクシングは、運動量ハードだから、今まで運動してなかった女の子がいきなり始めるのは、キツいかもしれないですね…。京先輩、心配…ですか?」
俺の心を見透かしたように顔芽衣子ちゃんがいたずらっぽく笑った。
「い、いや。そんな事は…。」
「ふふっ。隠さなくていいんですよ?
ホラ、今あーちゃんが、様子見に行きましたから、大丈夫ですよ?」
南さんは、座り込んでいる真柚ちゃんの近くにしゃがみ込み、何やら声をかけている。
真柚ちゃんは、南さんの言う事に素直に頷いているようだった。
「すごいな。南さん。あの真柚ちゃんが、すっかり懐いているみたいだ。」
「本当ですね…。あーちゃんって、
懐が深くて温かくて、誰とでもすぐに仲良くなれるんですよね。
6才年上という以上に、色んな世界を知っていて、私なんか及びもつかないような
深い眼差しで、物事を見てる気がするんです…。
私も師匠も、ついついあーちゃんに甘えてしまって。
ホント、頼りがいのある、カッコイイ先輩です…。」
嬉しそうに微笑んで南さんを絶賛する芽衣子ちゃんの横顔を見て、やっぱり俺は少し複雑な気持ちになった。
まぁ、南さん、ホント、人としてカッコイイもんな…。
厳しく突き離すところは突き離し、愛情深く受け入れるところは受け入れ…。
俺が真柚ちゃんに対して出来なかった事を南さんなら、やり遂げてくれそうだった。
芽衣子ちゃんも南さんが、女の子に興味がない人じゃなかったら今頃は…。
暗い方向へ行きそうだった俺の思考を遮るように、芽衣子ちゃんは、俺を真っ直ぐ見据えて言った。
「でも、私にとって、世界で一番カッコイイのは、京先輩ですけどね…。」
!!!
頬を桜色に染めて、恥ずかしそうにそう言う彼女を、今までなら、「また、芽衣子ちゃんは大げさな事を言って…。」と流していただろう…。
でも、今は、彼女の言葉がただ真っ直ぐに温かく胸に染み通ってしまう。
心の底から嬉しさが込み上げてきてしまう。
今までとは、色んな事が違ってきてしまっていることを自覚せずにはいられなかった。
「あ、ありがとう…。」
やっとの事で、それだけ言うと、俺は彼女の愛らしい笑顔から、目を逸らす。
ガチャッ。
「ホラ、あんた達!イチャイチャしてないでお客さんにパンフと手続きの書類配って!」
「「は、はーいっ!」」
突然ドアが開き、トレーニングルームから顔を出した南さんに、がなられ、俺と芽衣子ちゃんは直立不動で返事をした。
*
*
*
「ふぅっ。これで一段落したかな?」
「え、ええ…。結構量があって、大変でしたね…。」
体験会のイベントが終わり、俺と芽衣子ちゃんは他のトレーナーさん達に手伝ってもらいながら、顧客データの入力やら、防具の消毒、清掃などの仕事に追われていた。
既に時間は、夜の6時半近く…。
南さん以外のトレーナーさんは、このあとの打ち上げの為、既に車の方に待機していた。
南さんは、自宅の方に一度荷物を置きに、2階に上がって行ったところだったが…。
ブーッブーッブーッ。
突然受付カウンターに置いてあるグレーのスマホから電話の着信を知らせる振動音が響いた。
「あらら。あーちゃんったら、スマホ置きっ放しにしてる。」
芽衣子ちゃんが困った顔で、カウンターの上で鳴動するスマホの画面を覗き込んだ。
勝手に出るワケにもいかないが、仕事関係の大事な電話かもしれないし、早めに知らせた方がよいかもしれない。
「南さん、呼びに行って来ようか?」
と、芽衣子ちゃんに声をかけたが、芽衣子ちゃんは、スマホの画面を見て固まったきり、返事をしない。
「芽衣子ちゃん…?」
不審に思って、俺もスマホの画面を覗き込んだ。そこに表示されたのは…。
『着信 セフレ(トラ男ちゃん)』
!!???
「あ、あんた達、お待たせ。あれ、電話入ってる?」
「う、う、う、うん…。あーちゃ…、そそ、そこ…。」
バイブしている携帯以上に、全身ブルブル震えながら、カウンターの上のスマホを指差す芽衣子ちゃんに、南さんは明るく礼を言った。
「あー、あんがと!すぐ済むからもちょっと待っててね?」
スマホを手に取り、ソファーに座って電話し始めた南さんに、俺達は神経を全集中しながら、その会話を聞いてしまった。
「あら〜、トラちゃん、お久しぶり♡」
『晶さん〜〜っっ!!お久しぶりです。
声が聞けて嬉しいっす!!!俺、あれから、晶さんの事が忘れられなくってっ!!今、大乱闘で勝って、島でただ一つの電話権を5分獲得したとこなんすっ!』
大音量で叫ぶ相手の声はこっちにも丸聞こえで、確かにあの人物の声であることが分かってしまい、俺と芽衣子ちゃんはざっと青褪めた。
「あらん♡トラちゃん、アタシの為に頑張ってくれたの?嬉しいわ?」
『はい!!お、俺、必ず、強くなって、この島を出て、晶さんを迎えに行きますから、だから、待ってて下さい!!!』
「ふふ。そうなの?期待して待ってるわよ?頑張ってね〜!!」
『はい!!!晶さん…、愛してます!!!!よ、よければ、あの、晶さんもっ、お、俺に愛のメッセージを!!…うわっ!中村さん?!何すっ…『おい、魁虎!もう5分たったぞ。』いや、呼び出してる時間があるから、まだ5分たってな…!『やかましいっ!
女にうつつ抜かしてる時間があるなら、俺が腐った根性叩き直してやる!おら、早く来いっ!!』『ううっ。そんな魁虎さん、見たくなかったッス…。』うわっ、虎太郎、しがみつくのやめ…ちょっ…ガガッピーッ。ブツッ。』
「あらっ。通信が切れちゃったみたいね。
ふふっ。若い子ってカワイイわね?」
携帯を見て微笑んでいる南さんを呆然と見遣りながら、俺は隣の芽衣子ちゃんにひそっと話し掛けた。
「め、芽衣子ちゃん、今の、トラ…。」
「しし、知りません…。私は何も見なかったし、聞こえませんでした…。あ、あーちゃん、恋人が出来たんですかね?よよ、よかったですねぇ?」
俺(現実)から目を逸らして、フルフル首をふりながら、芽衣子ちゃんは、声を上擦らせた。
「で、でも、あの声は、確かにトラ男…。」
「うわあぁぁ!!私は何も知りません!!
知りたくないんですぅっっ!!」
耳を押さえて座り込んでしまう芽衣子ちゃんに途方に暮れる俺。
一人ソファーで携帯の画面を見ながらご機嫌の南さん。
南さんの計り知れない懐の深さを
思い知らされた俺と芽衣子ちゃんだった…。
次回は真柚ちゃん視点です。
本当に反省しているの…?と思われるような態度ですが、彼女の真意はいかに…?
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