四
私が奉公に上がる店は、地元にはない大店だった。仲介に入ってくれたのは長屋の大家だったが、貧乏長屋の大家のどこにそんな伝手があったのかと驚いた。
奉公先は江戸日本橋通南二丁目にある白粉屋だ。母は値の張る化粧に銭を割くゆとりがなかったから、私と白粉の関りは薄い。
女子である以上、白い肌には憧れるが、肌が白いからといって七難が隠せたとしても、私には七難以上の難があるのだろうし。
白い肌といえば、どうしたってまず、お多恵ちゃんの曇りのない白さを思い出す。
沼にいた鷺の次くらいには白い、綺麗な肌をしていた。そんなことを考えて強くかぶりを振った私を、江戸まで連れてきてくれた奉公人が憐れむような目をした。故郷を離れて寂しいのだと勘違いされたが、その勘違いを解くことはしなかった。
そして、鄙びた宿場町から来た私が、日本橋の賑わいよりも度肝を抜かれたのは、白粉屋の看板である。箱のような台に白鷺が描かれていたのだ。鷺が飛びたつ沼とお多恵ちゃんの姿が浮かび、私は足を止めた。
土地を移したからといって、己の醜さから逃れられることはないと知らしめられた気分になった。私の咎はどこまでも追ってくる。それこそ、地の果てまで。
膝からくずおれそうになった私を、店の奉公人が気遣ってくれた。
「疲れたのかい? 文句も言わずに、小さい足でよく気張って歩いたからね」
なんとも優しいお人だ。手代の一人だと聞いたが、奉公というのは新入りには厳しいものではないのか。かけられた言葉の柔らかさから、私は思いきって訊ねてみた。
「どうして看板に鷺が描かれているのでしょう?」
すると、手代は目を細めた笑った。
「あれは、〈白いもの〉ってことさ。鷺も白粉も白いだろう? ここは白いものを扱ってございってね。こういうのはお江戸だけらしいが」
私がお多恵ちゃんを見殺しにしたことなど、江戸の誰が知るはずもないのに怯えてしまう。何かにつけて、世間が私を責め立てているような気になるのだ。
「さあ、足を洗ってからお上がり。大旦那とお内儀、若旦那がお待ちだから」
あい、と返事をして、私は言われるがままに洗い桶で足を洗ってもらい、板敷の上を歩いた。貧乏長屋しか知らない私は、廊下というものを初めて歩いた。この店には庭もある。白い小さな花が枝をしならせるほど咲いていた。
どうやら今度奉公に上がるのは私だけではなかったらしい。同じ年頃の男の子ばかりが四人いた。丁稚は男でなければならず、私は内向きの雑用をする女中に過ぎない。
正座をして並んで待つと、男の子たちはすでにそわそわしていた。私は静かに壁に貼られた守り札を眺める。漢字で書かれた文字は読めなかった。
手習所を休みがちだった私は、ひらがなが読める程度でろくに書けない。手習師匠は妹を連れてくればいいと言ってくれたが、私が行きたくなかった。
母は束脩や謝儀こそ納めたものの、畳銭や炭料を払っていなかった。それで肩身の狭い思いをしたとしても、行っておけばよかった。今さら悔いても遅い。
奉公人が開いた襖の先には三人いた。上座で鷹揚に構えているのが、この白粉屋〈しら井屋〉の大旦那。そして、その脇に控えるのがお内儀だ。
当然ながらにお内儀はたっぷりと白粉を刷いている。私が驚いたのは、化粧よりも装いだ。大店のお内儀ともなると贅を凝らした着物が着られる。綻びひとつない滑らかな桜鼠に絹糸の刺繡が浮き上がっていた。そして、そんなお内儀よりもさらに目を引くのが若旦那だ。
男だから白粉など使っていないだろうに、お内儀に似た色白の美男である。切れ長の目は、厳しさよりも優しさをたたえていた。お江戸にはこんなお人がいるのだ。
「お前たちは今日からこの〈しら井屋〉で奉公することになる。まだ親が恋しい年頃だから、親元を離れての奉公はつらかろう。だが、ぐっと辛抱して勤め上げれば、いずれは立派な商人になり、あたしのように大店を構えて一目置かれるようになるんだよ」
大旦那がそんなことを言った。丁稚になる男の子たちはそれでいいだろう。けれど、私は。私はどこかに喜びを見出せるだろうか。
すると、若旦那が品よく微笑んで口を開いた。
「この壁の札は牛込の穴八幡様で頂いたものだ。この文字が読める子はいるかい?」
私はもちろん読めないが、男の子たちもうつむいていた。
若旦那は誰かが読めるとも思っていなかったようだ。柔らかな声音で教えてくれた。
「一陽来復。冬が終わり、春が来ること。悪いことが続いた後に幸福に向かうこと。奉公を始める皆も苦しい時はあるだろうが、その苦しさの後には春の陽のように優しい仕合せが待つんだよ」
春の陽のように。そんな穏やかな日々が私に訪れるだろうか。
お多恵ちゃんを見殺しにして、家族を大事にしなかった私に。
けれどもし、そんな日が来るのなら。来るのだと信じていいのなら、私はこれから骨惜しみせずに懸命に働こう。今までのことを取り戻すように、心を入れ替えて。
私がこの時、どうして泣き出しそうな顔をしていたのか、若旦那にはわからなかったはずだ。それでも、ふと、切れ長の目を三日月のごとく細めてうなずいてくれた。
この時から、淀んだ沼地にも蓮の花が開くように、仄かに景色が変わった気がした。
それから私は、藪入りの里帰りさえも不要と思うほど、〈しら井屋〉で働けることを嬉しく感じていた。最初は新入りの私に、年の近い女中が仕事を押しつけにかかった。それでも、私は仕事をこなした。誰にも告げ口などしなかった。
ただし、度重なれば誰かが気づく。その女中は暇を出され、耐えた私は褒められた。
あんなものはなんでもない。思えば私はずっと、耐えて生きていたのだから。相手が母から他人になっただけだった。それでも、若旦那から褒められたのは嬉しかった。
「お寿は偉いなぁ。まだ小さいのにうんと辛抱強くて」
そういう若旦那こそ、うんと辛抱強かった。夜遅くまで書き物をしていて、部屋の行灯はいつまでも灯っている。商いを終えてから手代たちが丁稚に算術の手ほどきをしているけれど、それが終わってもなお、若旦那の部屋の灯りは消えない。
放っておいても大店の主になれるというのに、何が若旦那を衝き動かすのだろう。若旦那は恵まれていて、常に春の陽だまりにいる人なのではないのか。
「一陽来復、ですから」
私は緊張しながらも答えた。すると、若旦那は優しく私の頭を撫でてくれた。
「お寿の春には美しい花が咲いて、とてもあたたかな日差しが降り注ぐだろうね」
本当にそうであったら、どんなにかいいだろう。けれど、私には長い、いつまでも越えられない冬が似合っている。
そうして奉公を続けるうちに郷里の父が息を引き取った。死に目には会えなかった。
年に二度しか顔を会わせないのに、何を話すでもなくぼんやりと過ごして別れるばかりだった。もう少し気の利いたことが言える親子であればよかったのに。
笑い声などとんと聞こえない家なのは、家族を捨てた母のせいなのか、私たちの生まれ持った気質によるところなのか。
父の葬儀を長屋の人々に手伝ってもらいながら終えると、妹とも生き別れた私は天涯孤独なのだと知った。けれど、寂しくはなかった。それは、今の私には〈しら井屋〉がすべてだったからかもしれない。