一
短編なんですけど、一括で出すには長いので割ります(^^)/
全9話(2万4千文字程度)です。
にわかに雨が降る。
降り出した雨が、埃っぽい宿場町の土に染みていく。
雨の匂いは嫌いだ。己がどうしようもなく惨めな気がしてしまう。
「――お寿、ほら、あんたは姉さんなんだからお願いね」
姉さんだから。不機嫌に曲がった母の口から、何度この言葉を聞いただろう。先に生まれたのは私のせいではない。
何も言い返せずに赤ん坊の妹を背に負ぶう。寝た子は重たい。負ぶっていて顔も見えないから、可愛くもなんともない。ただ重たいだけだ。
重たいだけなら泣かない分、漬物石を担いでいる方がましかもしれない。
母は私に妹を押しつけ、旅籠屋まで奉公に行く。家族を養うために。
「何さ?」
不意に母が私に目を留め、問いかける。けれどすぐに溜息で言葉を流した。掻巻に包まっている父がぼそぼそと何かを言ったが、母は聞こえないふりをしてやり過ごした。
「いい子にしてるんだよ」
言い終わらないうちに母の顔は外に向いていた。
この家にはいい子なんていないのに。私は常にいい子の、しっかり者の長女を装う。
「いってらっしゃい、おっかさん」
父がわざとらしく咳込んだ。それを私は、母の次くらい冷ややかに受け止める。
もともと父は米屋の番頭だった。長らく奉公してようやく所帯を持たせてもらえたが、すでに父親というよりは祖父と言っても通ってしまう皺の深い顔だ。
丁稚から始まり、厳しい奉公に耐え抜いたものの、妹が生まれる少し前に倒れ、それから無理が利かない。活計を支えるのは、そんな父よりもずっと若い母だ。
だから、赤ん坊の妹と病身の父の面倒をみるのは私ということになる。
この時の私は九つ。まだ子どもだ。けれど、とてもそれを言えたものではない。
暮らし向きにゆとりはなく、私は継ぎはぎの古着に、損料屋で借りたねんねこ袢纏という出で立ちだ。
それも、ねんねこ袢纏は大きすぎて、七輪の番をしていた時に袖を焦がしてしまった。損料を取られると怒られるのが目に見えているので、母の前では袖を握ってごまかしている。
「ねんねこさっしゃりませ、ねんねこさっしゃりませ」
私はいつもみすぼらしい。背中に赤ん坊の妹を負ぶって、あやしながら歩いている。どこを向いても、そんな子どもばかりなのもわかっている。それでも――。
姉さんだから。年上だから。当たり前だから。妹だから。
すぐにぐずる妹は、私の手に余る。他所の子はもっと大人しい。時々、落としてしまおうかと本気で考えている。
私が恐ろしいことを考えるからか、妹は赤ん坊のくせにそれを察するのだ。そうして、泣き喚く。そうか、妹がよく泣いているのは私のせいなのか。
こんな暮らしも仕方がないと諦めつつあった。それなのに、そう思えなくなったのは、雨上がりにお多恵ちゃんと出会ったから。
「ねえ、お寿ちゃん。この色、少ぅしきつくないかしら。目立ってしまわない?」
錆びた色しかない私の世で、一番色鮮やかなもの。紅い着物、しゃらしゃらと音を立てて揺れる簪。薄桃の頬、唇。指先まで白い。
お多恵ちゃんは、ほんの少しだけ親戚の家に預けられているのだという。詳しくは知らないが、貧乏人の身なりではない。
紅い、私には無縁の色は、お多恵ちゃんを愛らしく彩っていた。こんなにもこの世の苦痛とはかけ離れた仕合せがあるのかと、お多恵ちゃんに出会って初めて知った。
どうして私だけ。いいや、お多恵ちゃんだけが違うのだ。
この世の苦痛から遠ざけられている。変だ。
道端でお多恵ちゃんに出会った日、世間を呪った。けれど、その子は気安く笑う。
「赤ん坊の面倒をみてえらいのね。あたしは多恵っていうの。あなたは?」
すべてを手に入れた娘が、最後のひとつとして友を求めているという気がした。
こんな浮世離れした子の友だちになど、この辺りの貧乏人がなれるとは思わない。
ひさ、と。ぽつり、雨の降り始めのような目立たない声で答えた。
それでも、お多恵ちゃんはお天道様のごとく明るい。
「お寿ちゃんね。お寿ちゃんはいつもここを通るの?」
「う、うん」
勢いに押されて答えた。本当は、いつもということもない。妹が泣きやまないから歩いていただけだ。お多恵ちゃんは箱入り娘らしく、私の言葉をすんなりと呑み込んだ。
「そうなの。じゃあ、また会えるかしら」
会ってどうするのだ。親しくなどなれるはずもない。なりたいとも思わない。
それなのに、お多恵ちゃんは勝手にそれを言い、勝手にうなずいていた。
私は背中の妹がまた泣き出したから、これ幸いと慌てて来た道を引き返した。