序章 世界の終わり
物体を創造することは非常に難しいが、壊すのは容易い。どうやら世界も同様だったようだ。
地面が鳴り、気がついた時には瓦礫の下敷きになっていた。家が崩れたのだろう。煉獄のように燃え盛っていた炎も、今では燻るほどどなっていた。泣き声や、助けを求める声は、一人ずつ消えていった。足も腕も瓦礫の下敷きになり、身動きもできない。だから俺は、それをじっと見ることしかできなかった。
......頭の中で太鼓が鳴っている。
あまりにも物質的で無く、遠目からは山が動いているようにしか見えない。口と呼ぶには不釣り合いな大量の触手から噴き出された、ヘドロともよだれとも見える物で、空が、雲が、黄緑色に汚染されている。蛸の頭に八つの目玉のようなものがついた頭部。ブヨブヨとした胴体にその巨体に似合わぬ小さな翼のようなもの。肉が焦げた臭いとあまりにも強い臭気に顔まで腐ってしまいそうだった。それが動いた後には、瓦礫さえ残らず、腐臭とブヨブヨとした脚から落ちた肉片と共に全てが溶けてしまっている。
これが世界の終わりという黙示録だとすれば、なんて呆気ないものなのだろうか。
それはこっちに向かってきている。
死ぬんだろうと空っぽの頭で考えるがさっきから太鼓の音がやけに耳についてうるさくて痛いけど腕は動かないから頭をどうにか打ち付けようとして視界いっぱいのそれを見ていると目が昏くて濁って腐りそうだから目を閉じた。
「......ですか! 大丈夫ですか!」
目を開ける。女の子が俺を揺すっていた。臭気も無く、太鼓の音もいつのまにか消えていた。鼻から吸った空気が異常なほど美味しく感じられた。
「良かった......目を覚ましてくれて....!」
女の子は泣きじゃくり、俺の体にポタポタと雫を垂らしていた。年は俺と同じくらいだろうか。彼女の銀色の髪に目が惹きつけられ、日本人離れしたその美しさに俺は動揺しつつ、周りを見回す。そこは四方真っ白な部屋だった。女の子以外は何も無い。理解した。
「俺は死んだんだな......」
先ほどまでの光景を思い出そうとすると、ひどく頭が痛んだ。それはそうだ。あんな怪物を見れば誰だって正気ではいられないだろう。
そう呟くと、彼女は俯き、
「残念ながら......」
「そうか......」
仕方ないといえば仕方ないだろう。苦しかったけど、痛みが無く死んだだけ、儲けだ。
でも彼女があまりにも悲しそうにしているから、
「お姉さん。聞きたいんだけど、三途の川って幾らだっけ?」
彼女は指折り数える。
「え? えっと......6文だったはず」
「生憎持ち合わせが無くて......どうすればいいのかな?」
すると女の子は真面目な顔をして、
「貴方にはできることが二つあります。ここで輪廻の輪を外れて、消滅するか、それとも他の世界に転生するかのどちらかです」
少し考える。
「そう言われて前者を選ぶ人はいないと想うかな」
「そうですよね。貴方の前に助けた方々も、後者を選ばれました」
「前に助けた?」
「はい。貴方の他に、滅亡する世界の中で助けられたのは、6人しかいませんでした。他の方々は......みんな正気を失われて.......ここに来るまでにみんな消滅してしまいました......」
「え......? なんで消滅を......?」
「強く『生きよう』って気持ちが無い魂は救済するまでも無く自分から消滅してしまうのです.......最後の一人の貴方も目を覚まさないから消滅してしまうかと......」
泣きじゃくる彼女の前で、俺は茫然とするしかなかった。俺の他の人間が、全滅......?
「ですから、この世界の神様として、私の最後の、せめてもの仕事として、正気を保ったままここに来られた方たちには、幸せな、他世界への転生をお願いしています」
「そうですか......」
自分の故郷が、家族が、全ていなくなってしまったことを実感する。他の世界でもやっていけるだろうか。
あと、せめてこれを聞いておかないと。
「どうして世界は滅びたのですか?」
彼女は一呼吸溜めた後、目線を空に向けた。
「私もあまり詳しくはありません。元々あの化け物は、ある世界に根付いていた神格ともいえるものでした。それが、元いた世界を滅ぼした後、空間を超えて、この世界にも干渉を始めました。説明は難しいですが、やつらは、過去に自分達がこの世界に『いた』ことにする方法で、目覚めの時を待っていました」
「なんとも骨董無形な.....」
「ええ。......気づいた時にはもう遅く、やつらは数日のうちに世界を滅ぼしました。残念ながら私は管理するだけで、干渉は出来ず.......力不足で申し訳ありません」
「ありがとう。それでも全力を尽くしてくれたんだろうし、感謝こそすれ、恨むことなんて無いですよ」
「ありがとうございます。そう言ってもらえると報われるようです。さて、どうしましょう。 貴方が望むなら私の力を使えば、他の世界で王侯貴族として暮らすことだってできます。それが、私にできる最後の償いです」
ふむ。一考してみる。それは大変素晴らしい。きっと裕福三昧して可愛い女の子を侍らせて、幸せな生活を送ることができそうだ。考えるだけで涎が出てくる。けど、
「なあ」
「どうしましたか?」
「俺たちの世界を滅ぼしたやつらって、次もまた世界を滅ぼしに行くんだろ?」
じゃあさ、
「その世界に行きたいな」
「え....?」
「だって、その世界の人が可哀想だ。俺たちと同じ結末を迎えさせたくない。無駄になってもいい。それでも、俺は力になりたい」
「本気で言ってますか?」
「勿論」
嘘だ。
半分は強がりだ。あんな怪物に勝てっこなんかどうしたって思えない。
それでも、
ここで退いたら、
後の人生なんて死んだようなものだと思ったからだ。
「だから頼むよ地球の女神様」
彼女は真面目な顔をして、
「死ぬかもしれませんよ」
「もう死んでるよ」
嘆息。
「そこまで言うなら止めません。ですが、」
「?」
「一人では行かせません。私も同行します」
「え.......? 大丈夫なんですか?」
「管轄の世界が滅びちゃいましたし、やることもないし、貴方を転生させた後、実は乗り込もうかなーって思ってました」
てへっと舌を出す。
「じゃあ、一緒に行きますか」
「はい」
そういえば、一つ聞き忘れていた。
「貴方の名前は?」
「ノーデンスといいます。貴方は須田利伸......さんですよね?」
「トシノブでいいですよ」
手を差し出すと、強く、でも柔らかく暖かい手が握り返してくれる。
「よろしく。トシノブ」
そして光に包まれた。