8 スターベリーの香り
わたしにあてがわれた部屋は、ラスターハートの自室よりも立派なものだった。城の正面から見て、王子の部屋がある塔の反対側、西の塔の最上階。わざわざ離れた場所にしたのも、わたしへの配慮なのだろう。
ここまでしてもらうからには、わたしからも何かを返さないと気が済まない。何をするべきか、見当もつかないのだが。
「何か悩み事かの」
急に窓の外から声がして、わたしは悲鳴を上げそうになった。窓を開けると、アイレンさんがふわふわと中に入ってきた。
「すまぬ。脅かすつもりはなかったのじゃが。謁見がどうなったか気になっての」
「わたしはこの国で自由にしてよいとの事でした。でも、一方的に良くしていただくだけでは申し訳ないのです」
「せっかくの計らいじゃ。甘えれば良かろう」
「それではわたしの気が収まりません」
「ならば、王家の仕事を手伝ってみるか?」
アイレンさんはそう言って、わたしに封筒を渡してきた。
「王家からの仕事の依頼書じゃ」
アイレンさんは日頃から、フレアランス王家の特殊な依頼を請け負っているらしい。今回は世界の果てにある「星見の倹」にだけ生えているという、スターベリーの採取依頼。
わたしは話者の仕事に興味があったので、アイレンさんについて行くことにした。
一旦動きやすい服装に着替えて、アイレンさんと向かい合う形で立つ。
「では、行くぞ」
アイレンさんが天井を指差して円を描くと、光の輪が現れた。わたしたちは光の輪に吸い込まれるようにして、遠い場所へと運ばれる。
着いた先で突然の突風に煽られて、わたしは身を伏せた。
「落下しないように魔法をかけたが、風に飛ばされないように気をつけるのじゃ」
眼下に雲が見える程に高い崖の上に、わたしは立っていた。足場となるところも少なく、気を抜くと本当に危険だ。
わたしは下を見ないように気をつけて、スターベリーがなるという木を確認した。よりにもよって、結構高い位置に生い茂っている。
「王女、一房ずつ丁寧に千切って、そこの籠に入れるのじゃぞ」
青紫色の丸い実は、星型の小さな葉っぱをつけている。スターベリーの名前はここから来ているのだろう。わたしは風に気をつけながら、少しずつ実を集めていった。
一時間程かけて、ようやく籠が一杯になった。篭を抱えると、甘酸っぱいベリーの匂いがする。
「これだけあれば、十分じゃろう。少し貰って、パイを焼くとしようかの」
アイレンさんが焼くベリーパイの味を想像したものの、わたしは今後のことが頭によぎった。
「アイレンさん。わたしはこれからもアイレンさんの所にお世話になってもいいでしょうか」
「お主は話者の試験中であろう。我は好きなだけ居て構わぬが」
わたしはアイレンさんの言葉を聞いて安心した。
「物好きじゃのう。城に住めば、より立派なもてなしをされように」
「お城に居ても気まずいですし、アイレンさんのお家が気に入ったんです。必ずお礼はさせていだきます」
「礼など、よいよい。食客ひとりぐらいは養えるからの」
そこまで言ってから、アイレンさんは少し考え込む仕草をした。
「……礼の代わりと言ってはなんじゃが、ひとつ頼まれて貰えるかのう。我の娘のことじゃ」
「カナさんですか?」
「あやつは身体が弱くての。別に重病を患っているわけではないのじゃが、気にかけてやってくれぬか」
「ええ、もちろん。わたしに出来ることなら」
カナさんが時々辛そうにしているのを何度か見た。やはり身体の調子が良くなかったのだ。
「王女様と話が出来ると言って、楽しそうにしておるところじゃ。声をかけて、王女の元気を分けて貰えると有り難い」
「そんなことでよければ、喜んで」
アイレンさんが、カナさんの事をわざわざわたしに告げたことが少し気にかかった。わたしを必要としてくれる人がいるのなら、協力は惜しむつもりはないが。
わたしたちは、家に帰ると早速ベリーパイ作りを始めた。スターベリーに砂糖とスターチを加えて煮詰める。ジャム状になったら、レモンを足して混ぜる。アイレンさんの特製パイ生地に載せて、魔法で焼き上げたら出来上がり。
スターベリーをふんだんに使ったので、部屋中にベリーの香りが漂って、ちょっと酔っ払いそうになる。
「わあ、美味しそうな匂い」
丁度焼き上がったところに、カナさんが帰ってきた。
「スターベリーパイですね。わたし、大好きなんです」
嬉しそうにしているカナさんの顔色をそっとうかがう。今日の顔色は悪くないようだ。
「では、お茶の時間にするかの」
「用意しますね」
カナさんはスキップしながら奥のキッチンに向かう。それを見て、アイレンさんがわたしに囁いた。
「さっき言ったことじゃが、あまり気を遣う必要はないからの。普段通りにしていて構わぬ」
「ええ、心得ています」
誰かに気を遣われる事なら、もう嫌というくらいに経験してきた。
サクサクのパイ生地に、スターベリーの甘酸っぱさがよく合う。スターベリー本来の酸味を消さない、丁度いい甘み。アイレンさんのレシピは完璧だ。
「やっぱりお母さんのパイは最高」
カナさんが美味しそうにパイを頬張っている。
「人前で母と呼ぶなと……まあよいか」
アイレンさんは諦めたようにつぶやいた。親子にしては見た目がちぐはぐなのは、やはり魔法の力なのだろうか。
「カナさんは話者になるのにどのくらいかかったの?」
「わたひれふは?」
口いっぱいに頬張って、カナさんはリスのような顔になっている。
「せめて飲み込んでから喋るのじゃ」
「ふみませっ」
カナさんは慌てて喉に詰まらせたらしく、紅茶で流し込んでいる。
「……びっくりした」
「こっちのセリフじゃ」
アイレンさんが背中を擦りながら呆れている。二人の仲が垣間見えるようでちょっと羨ましく思えた。
「わたしは丁度十年ですかね。でも、最初の頃は全然だったんですよ。空を飛べるようになるのに二月かかりましたし」
「そうなの?」
「だから、王女も安心してくださいね」
カナさんは優しく笑った。そそっかしいが、一緒にいるとこちらも優しくなれる。不思議な魅力を持つ人だと思った。